①黙示録は開かれた-4
この世界には"厄災"と呼ばれる災害が存在する。
ある時は全てを壊す"嵐"が、
ある時は全てを侵す"病"が、
ある時は全てを殺す"霊"が、
現れては、人々を襲う。
原因は解らない。ただ、人間界だけでなく天界や冥界でも起きていて、多くの人達が亡くなっている。
7年前、この街は"獣"に襲われた。後から聞いた話では、空から地面へ白い閃光が走ると、そこには"獣"が居たらしい。山を越す巨大な体躯に、鋼のような毛を逆立てた、"獣"が。
"獣"が咆えると、雷を固めたような刺々しい形をした"何か"が街中へ降り注ぎ、人も物も全てを串刺しにした。
ジル・ヴァージュ先生――孤児だった俺を育ててくれた人生の恩人。その人もまた、"獣"と戦って腹を貫かれて死んでしまった。
幸いにも最後に先生が放った魔法が当たって"獣"は姿を消したが、多くの死傷者が出て、建物の大半は損壊しており、街の状況は凄惨たるものであった。
それでも皆が頑張って街を再建していった。今では街の建物は全て建て直され"獣"の傷跡はほとんど残っていない。
……ただ、"あの日"のことを忘れた人は居ない。
死んでしまった人達が戻ってこないのだから。
街の北側、ちょうど市場とは反対側の場所に駐在所がある。そこでは日夜を問わず多くの人々が働き、街の治安を守るために尽力している。
駐在所から更に北側、町はずれには街の人達の墓地があり、そして、"厄災"の経緯と犠牲者全員の名前が刻まれた、慰霊碑も置かれている。
碑へと続く石段を登る。手に持った水桶からぱしゃぱしゃと水音がした。もう片方の手には青と白色の花を握りしめている。
周りの草木は刈り取られており、前には献花用の花立てが置かれている。そこに枯れかけの花が刺さっていて、風が吹くと、黄色い花びらが舞った。
いつも通り、慰霊碑の前に立ち、
いつも通り、石碑を掃除し、
いつも通り、花を交換する。
いつも通り、手を合わせて。
そして、いつも通り…………
「ねぇ?」
背後から、声がした。
振り返ると、石段の下でサラが立っていた。両手で大きな紙袋を持って、様子を伺うようにこちらを見ていた。
「そっちに行っても良いかなー? ……なんて」
遠慮がちに笑った。
何も言わずに、石段を半分ほどまで降りて手を伸ばした。
「えへへ、ありがと」
嬉しそうに手を握ると、ゆっくりと上がってきた。
「よく解ったな。ここに居るって」
「何年一緒に居ると思ってるのさ、サラちゃんにかかれば、キミのことは丸わかりだもんね〜」
そう言うとサラは紙袋を手渡してきた。中にはリンゴがいくつか入っていた。
「駐在さんか」
紙袋を受け取りながら聞いた。趣味の家庭菜園で作ったものだろう。色つやも良い。
「怒らせちゃったお詫び、だって」
「お詫びなんて、要らないんだがな」
「そう? 怒る気持ちも解るよ。いくら何でもしつこかったって!」
むくれるサラを尻目に、リンゴを2個取り出して慰霊碑の前に置く。
「……あの人も"獣"の被害者だ」
「キミだってそうだろうに、お人好しめ」
「…………」
碑に刻まれた名前は先生だけじゃない。サラのお父さんとお母さん、それから、駐在さんの奥さんと息子さんの名前もある。
「それより、良いのか?」
「えっ!?」
「いつもの、やるんだろう?」
「あっ!あーー!」
"いつもの"という言葉で、思い出したかのようにサラが声を上げた。
「いやぁー、確かに出来るけどさ……。っていうか! ついでで来たんじゃないよ。そこちゃんと、信じてよねっ!」
「疑うもんか。"何年一緒に居ると思ってるのさ?"」
あえて声色を真似て言った。
「むー、真似された。ズルだよズル」
「さっき散々からかってくれたからな」
サラは不満そうに口を尖らせたかと思えば、小恥ずかしそうにこちらへ笑いかけた。
……それだってズルだろうに。
サラは慰霊碑の前にしゃがみ込むと、服のポケットから黒いボーラーハットを取り出し、頭にかぶった。
そして、キャソックのすそを整え、右手の指先に魔力を込め宙に何かを描き始める。握りしめた左手を顔の前に当てて、祈りの言葉を呟き出した。
「魂よ、苦しみ、怒り、憎しみに留まることなかれ、魂よ、あらゆる悪しき………」
"彼約聖典"によればこの世界の全ては魔力から生まれている。勿論、人間も。そして、全ての生き物が死んだ後、魔力は死体から抜けて世界へと還る。
還った魔力は空気や水、大地へと溶け込み、そして木々に取り込まれて、それを虫や動物が食べて吸収して……といったように、魔力は循環する。
ただし、例外もある。
死ぬときに何かしらの強い感情を持っていると、そいつの魔力は変質して世界へ還らず残り続けて様々な影響を与える。
例えば死者の声が聞こえたり、亡霊の声が聞こえたり、といったことで、"厄災"の原因になっているとさえ言う人も多くいる位だ。……個人的に、それは無いと思うが。
ともかく今やっているのは鎮魂の儀礼で、殺された人たちの魔力が変質しないように、無事世界へ還るようにと祈り続ける。形式的に年に数回行えばいいのだが、特別な理由がなければ、毎日来て祈っている。
いつもの楽しそうな雰囲気とは異なり、サラは真剣に祈っていた。そんな彼女から俺はそっと離れた。
石段の中ほどで右側に腰かけると、ポーチからナイフを、紙袋からリンゴを取り出す。そのまま皮を剥いて切り始めた。
「界より新たに生まれよ。魂よ標を見つけ定めよ」
サラは熱心に祈り続ける。何度も聞く内に、その内容も自然と覚えていて、心の中で彼女の言葉と合わせていく。
「黒き魂よ、還れ、還れ」
(色なき姿へと還れ)
「染まりし魂よ、穢を棄てよ」
(されば赦されん)
「元より魂に………」
(…………)
「罪は無し」
切り終えた林檎を一つ口の中へと頬張ると、残りも黙々と切り始める。祈りを捧げる声と風の音。それだけがただ聞こえていた。
「うん。お待たせぇ~。いやぁ~、暑い暑い。もうちょっとで夏かなぁ」
石段を降りてサラが隣に座ると、手うちわでパタパタと顔をあおいだ。
周囲を見回して他に誰もいないことを確認すると、キャソックを脱ぎ始めた。
暑いのはよく解るが、そのまま下に着たシャツのボタンも二つ三つ外していたのはどうなんだろうか。俺だけしかいないとはいえ、無防備に過ぎる。少しだけ、右下に目を逸らした。
こちらの気持ちはいざ知らず、サラは座ったままこちらへ"ずい"と近寄る。ひざの上に置いたリンゴを一切れ掴んで、嬉しそうに食べ始めた。
「んふっ。やっぱり甘いねぇ。前のジャガイモも良かったし、グルヴ―さんも市場で売ればいいのに」
「監督する側の責任者だ。立場上出来ないだろ?」
「えー。常連になる自信あるのに」
「どんな自信だよ。でも、俺も行くな。間違いなく」
「ねー。争奪戦になるかも、なんて。あ、も一つ良い?」
「手がもう伸びてる」
「ぷっ」
「あはっ」
二人で大きく笑ってしまった。
ひとしきり笑い合った後、喉の渇きもあるのだろう、サラは勢いよくリンゴを食べていく。
(こりゃ、もう一つ行きそうだな)
手に持っていたリンゴを口に放りこむと、モグモグと口を動かしながら紙袋へ手を伸ばす。しかし、リンゴを紙袋から取り出したときに、手を滑らせて下へ落としてしまった。
(あっ…やばっ!?)
石段の上から一気に転がり落ちてしまっては大変だ。慌てて石段を下りつつ手を伸ばす。何とかリンゴを掴むことが出来きて安堵と共に振り返ると―――目の前にはサラが居た。
……だからボタンを外すのは、どうかと思ったんだ。
一瞬、口も身体も動きが止まった。
服の隙間から見えたのは大きな胸……そして、大きな傷跡。左あごから首や肩へと続き、そのまま臍の上の辺りまで、縦に線を引くように残っていた。
本人も気にしているようで、だからこそ、夏でも首元まで覆う服装をしている。だからこそ、見たくは無かったんだ。
「覗き上手だねぇ。変態さぁ〜ん?」
「ふぐッ!!!」
サラは両腕で身体を隠しながら、にやりと笑いながら言った。誤魔化し下手の変態さんはリンゴが気管につまり、むせてしまった。
「ごほっ、ぐほっ!! ゲホッ!! ゲホッ!」
「お風呂掃除と庭の水やりで許してあげるね!!」
「う……。わ、わかった。ごめん」
ただ、謝るしかなかった。
ひと悶着のちの、美味しいおやつと他愛もない雑談。風が再び吹き抜けると、頬をくすぐり、それがまた心地よかった。
「あー、美味しかった」
人差し指をぺろりと舐めながら、サラが言った。夕飯時も近いというのに、結局二人で3個も食べてしまっている。桶に残っていた水で手を洗うサラに、ハンカチを取り出して渡した。
「そうだな、美味かった」
「結局リンゴ、食べちゃったねぇ。それでパイ焼いてあげようと思ってたのに」
「あっ! そ、そうだったのか?」
「大好きだろう? ボクのパイ。ね〜変態さん?」
「お前っ、まだ引っ張るかっ!!」
「いつまでも、だよ。キミをからかう材料はいくつあっても足りないのさ。アハハ」
「お前なぁっ!!」
半ば呆れ調子のこちらに対して、サラは"にひひ"と意地悪く笑っていた。その笑顔にこちらも釣られてまた二人で笑っていた。
「なぁ、サラ」
2人とも落ち着いた後、サラの方を向いてポツリと言った。サラは使い終わったハンカチを俺へ手渡しながら返事をした。
「なあに?」
「悪いな、気を使わせちまって」
「別にぃ〜、土砂降りの中の捨て犬みたいな顔だったし、正直、ボクも調子狂っちゃうなー、って思っただけ」
「そんなに酷かったか……」
両手を頬と口元に当てて言った。サラはスッと立ち上がると階段を数段上がった。
「それはそれとしてさ、ねぇ、シロ。本当に良いの?」
こちらに背中を向けたまま、ポツリと聞いてきた。先程までと変わって随分と低い声だった。
「……さっきの話か」
「うん」
「駐在さん言いたいことも解る。俺が強くなったとはいえ、ヴァーシュ先生と比べればまだまだだ。"厄災"のことを考えれば心許ない。俺が軍学校で学べば、多少なりとも強く……」
「それだけじゃないと、思うよ」
そこまで言いかけて、サラが遮った。
「えっ」
「キミのためでもあるんじゃないかな?」
「俺の?一体、どうして?」
思いもよらなかった。どうして駐在さんが俺なんかのために?
「ねぇ、シロ。……キミのやりたい事って、一体何かな?」
「そりゃ、人助けと、街を守ることだよ」
「本当に?」
「ほ、本当だよ」
「じゃあ、どうして子供達から貰ったお花、供えちゃったのかな?」
「……どういう意味だ?」
指摘の通り、慰霊碑に供えた花には市場で買ったものに加えて、先程子供達から貰ったものもあった。
「あの子達、キミにあげたかったんだと思うよ」
「え、あ、ああ!?い、いや、そりゃあ良いんだよ……あ、あくまで俺は先生の代わりだ!だからあれは、先生が貰うべきで………」
「じゃ、違うじゃん」
「ん!? な、何が!?」
「最初の質問。街を守るのは、キミが自分でやりたいって思った訳じゃないよね? 先生がやってたからでしょ?」
「そ、それが悪いのかよ!? サラっ」
「悪くは無いよ。キミの本心ならね」
「っ……」
額に嫌な汗が浮かぶのが感じた。サラはため息交じりに続けた。
「グルヴ―さんもさ、キミに色々と見て欲しいんじゃない? 勿論、軍人だから、出世とかもあるんだろうけど」
「そ、そういうサラはどうなんだよ。魔法の才能で言えば俺よりもあるだろう?」
「キミが行くなら一緒に行くし、行かないなら一緒に行かない」
「な! ……んな!?」
予想もしない回答に唖然としてしまった。サラは振り返り、目を丸くする俺をくすりと笑った。
「解るでしょ〜。ボクにはからかう相手が必要なのさ」
「要は玩具ってことか!? 人のこと散々棚に上げておいて、いい加減な!」
「ボクは真面目も真面目、大真面目だよ」
両腕を広げて小さく飛び跳ねるサラ。彼女の髪が風と共に跳ねた。そのまま石段を下り始め、こちらへ近づく。頭の後ろを掻く。白い癖毛がもしゃりと動いた。
次の瞬間、サラが耳元で呟いた。
穏やかで、でも、どこか諦めたような声で。
「どれだけ頑張っても、死ぬときは死んじゃうよ。"厄災"の時がそうだったから。だったら、それまでは居たい人と居て、やりたいようにやる。それじゃ、ダメかな」
「っ………!」
突然のことに思考が固まる。
すぐに我に返って、何か応えようと思った。しかし、何とか出た言い訳の言葉は、鐘の音にかき消されてしまった。
「お〜、もう3時か。そろそろ夕飯の買い物しないとだねぇ。じゃー、ボクは帰るよ。あ、そうそう、どうしてもってなら、キミが学校に行ってる間はボクだけ街に残っても良いよ……。ちゃ~んと勉強してるって、週一で報告するのが条件だけど」
いつもの調子でそう言いながら、手をひらひらと振ってサラが石段を下りていく。
「それより、いつまでも悩んでて、遅くなるなよー、っと。……ちゃんと、帰って来てよね」
無言のまま、空を見上げた。青い鳥が何匹か連なって飛んでいた。