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囚われのベラドンナ  作者: 紫乃莉
5/18

5.少し前の話

「リルノ・パッセルと申します」

 それはディアナやアイザックが五学年に上がってすぐのことだった。教室に入ってきたのは、元平民ながら強い魔力を授かり男爵家に養女として迎え入れられたラッキーガール。そんなレッテルを貼られた状態でも朗らかに笑うリルノは、良くも悪くも眩しかった。しかしこれがディアナにとって、全ての悪夢の始まりだった。


「ごめんなさい、来たばかりでよくわからなくて…!」

 初めて心がざわついたのは、リルノが来て数日後。魔法特別クラスの教室へ入ってきたリルノを案内していたのは、アイザック張本人だった。

「いいや、構わないよ。困ってる人を助けるのは当然のことだ」

「本当に本当に助かりました!親切してくださってありがとうございます」

 そう言って笑顔でリルノはアイザックの手を握った。アイザックはそのことを特に咎める様子もなかった。教室が嫌な空気に包まれる。婚約者のいる男性に対してとは思えないリルノの態度は明らかに浮いていた。

「ディアナ様にも失礼ですわ」

「だから元平民って嫌なのよ。常識がなさすぎます」

 だがこの時はまだディアナにも余裕があった。皆リルノに対して良い思いを抱いてはおらず、ディアナの味方だったからだ。

「私は平気ですわ。まだわからないことが多いとのことですし、大目に見ます」

 周りにいる数人の女子生徒たちにディアナはそう言った。お優しい、という声がディアナに届いた。


 ここでお優しい対応をしたのが間違いだったのだろうか、リルノの行動は収まるどころかヒートアップしていった。しかしアイザックは何も言わないどころか、リルノを庇うような言動ばかりで、徐々にリルノを悪く言う声は薄れていく。間違っても王太子に対して楯突くような真似は、誰だってしたくなかった。こうしてリルノへの反感も収まってきた頃、また事態が変化した。

「今日から生徒会の仕事は、リルノにも手伝ってもらおうと思うんだ」

 ある時生徒会室へやって来たアイザックが言うと、リルノも笑顔でその隣に並んだ。

「人員が足りていないと聞いていても立ってもいられず…皆様の足を引っ張らないように、頑張ります!」

「……!」

「え、」

 学園の生徒会長はアイザック。副会長はディアナが務めていた。アイザックの信頼する数人しか所属できない生徒会は、確かに人数が足りているとは思えなかった。そのメンバーが皆驚きを隠せない表情でリルノの方を見る。

「どうぞよろしく」

 生徒会メンバーに相談もなしに突然、というのはディアナにとっても不安しかない選択だ。よろしくとなんとか手は差し出したディアナの表情には、なんとも言えない感情が滲んでいた。

「本当、一時期はどうなることかと思ったよな」

 多少のドジをしつつもなんとか生徒会の仕事を手伝えるようになってきた頃、リルノとアイザックがいない生徒会室でライアンが言った。彼は生徒会の一員で、大商人の一人息子だ。

「いきなりでしたものね」

 ディアナが言うと、宰相の息子であるレオも会話に加わった。

「そうですね。本当に彼女には振り回されましたよ」

 だが今や学園でリルノに何かを言う者はいなかった。始めはアイザックや生徒会が後ろ盾だから、という理由もあっただろうが、今は、それだけではない。

「ですが最近はとても働いてくれますし、良い判断だったのではないですかね」

「俺もそう思う!リルノさん、優しいしね」

「……そうですわね」

 ディアナは無感情で言葉を交わす。家柄や淑女としての振る舞いでディアナが負けることはなかったが、愛想、優しさといった側面ではリルノの圧勝だった。彼女は本当にそれだけで上手くやっていけるほど。

「この前もリルノさん、下級生の子の怪我を治してあげててさ、本当そういうとこがいいんだよな」

「彼女の魔法には癒しの力がありますから」

 加えてこれだ。彼女は魔法の力を積極的に使って人助けに務めていた。その振る舞いはまるで聖女。始めは苛立ちを覚えていた女子生徒たちも、徐々に彼女の優しさに触れ、好ましく思うようになっていったのだ。

「本当、素晴らしい方ですね。リルノさんは」

 また無感情な声でディアナは言った。今やアイザックに付きまとうリルノを嫌だと思うのはディアナ1人になってしまった。1度問い詰めたこともあったが、アイザックはリルノの優しさや無垢な心を信じろと言うだけで話にならない。嫌な予感を抱えながらも、しかしディアナとアイザックの婚約がどれほど大事なものか、本人がわかっていないわけはない、だろう。ディアナはそう自分に信じ込ませていた。



 しかし事態は一向に良い方向へは進まない。そして決定打が魔法特別クラスが終わった後のことだった。

 そもそも、魔力を持つ者というのはこの世界の10%ほどしかいない。ほとんどは貴族で、リルノのように魔力が強いというだけで出世は約束される。だから魔法を持つ者は特別クラスでの授業があるのだ。その授業が終わり、昼休みということもあって廊下には人が溢れていた。周りに人が集まってくるリルノとは違い、1人で廊下を進むディアナ。嫌なひび割れの音が鳴ったのはその時だった。

「……!?」

 ディアナが音の方を見ると、窓ガラスに大きくヒビが入っている。周りは騒がしくて皆気づいていない。これくらいならディアナの魔法でも直せるはずだと、ディアナは手を伸ばす。

「え、」

 しかし何故だか、ディアナのしようとしたことの全く逆のことが起こった。

「キャアァ!」

 数人の悲鳴が響いた。ディアナは困惑したまま窓ガラスの、いや窓ガラスだったものの前に立っていた。今やそこには残った窓枠と、派手に割れたガラスの破片しかなかった。皆が音に驚いてディアナの方を見る。この状況だけ見れば、ディアナが意図的に窓を割った、としか見えない状況だ。

「ディ、ディアナ様…?」

「まさか彼女が割ったの……?」

「そんなことする方じゃ…」

 違うのだと、早く言わなければならないのに、ディアナはショックで反応が遅れた。今思うとそれもよくなかったのかもしれない。ディアナが何かを言う前に、人混みの中から飛び出してきたリルノがディアナの元へやって来て、一気に空気を変えてしまった。

「ディアナ様、大丈夫ですか?」

「えっと…」

 声をかけながら、リルノが一瞬で窓を元通りに戻す。

「何かあったのですか?」

 少しだけ落ち着いてきたディアナはようやく立ち直って言葉を返した。

「私にも、何がどうなっているのか…直してくださってありがとうございます。そして、お騒がせしてしまったこと、本当に申し訳ございません……」

 リルノは控えめに微笑む。

「いいえ、これくらいのこと…ただ、ディアナ様にも何が起こったのかわからない、というのは少し不安ですわね」

「……?」

 窓がすぐに元通りになったこと、幸い怪我人がいなかったこと、この場をリルノが収めたことで、この時の騒動はすぐに落ち着いた。しかしこの時のリルノの言葉。ディアナにも何が起こったのかわからない、という事実が、人々の間を駆け巡って嫌な噂へと変わっていった。元々ディアナもリルノに負けず劣らず魔力が強いことで有名。そのディアナが魔力の暴走を引き起こしたのではないか、と学園内では囁かれるようになったのだ。やがて噂は人の恐怖を煽り、また魔力が暴走するのではないか、今度は誰かが傷つくのではないか、そんな不安に繋がっていく。ただでさえ孤立していたディアナはあっという間に一人ぼっちになった。皆から常に1歩距離を置かれ、敬遠としか言いようのない状況に。そしてディアナの孤立が深まれば深まるほど、リルノの評判は上がった。同じ魔力の強い者でもこんなに差があるものかと。

「リルノさんも魔力は強いみたいですけれど…彼女は人を怪我させることなんてありませんから」

「むしろ彼女は治す方。魔法を使える者として正しいあり方ですわ」

「魔法を癒しや平和のために使う聖母のような方ですものね」

 まさにマドンナ、と持て囃されるリルノ。それと対象の存在とされたディアナ。

「それに比べてディアナ様は…」

「恐ろしい方ですわ。魔力の暴走などと言われてはおりますが、自らなさった可能性もありますし」

「彼女のような方にも魔力が授けられるなんて…恐ろしくてたまりませんわ」

 そんな彼女は、まるで毒をもつ植物のベラドンナだと、誰かが噂をした。マドンナと、ベラドンナ。いつ毒に刺されるか、不安でならないとディアナは言われていた。

 そんな状況にもなれば、当然アイザックとの仲も離れていくもので、さらにディアナが近くにいなくなってからはリルノはより一層アイザックとの距離を縮めていた。それを咎める人は誰もいなかった。1度声をかけようとしたディアナだったが、普段全く見せない欲望に滲んだ表情のリルノを、一瞬だけ見たような気がして、それ以降は何も言えなかった。



「そんな日々の果てに、先日王宮にて、婚約破棄の話し合いが行われました。後はご存知の通りですわ」

 ディアナが大雑把に話を終えると、不可解な表情をしているルイスはしばらく黙っていた。

「……」

 なんとなく気まずくなったディアナが、話を続ける。

「婚約破棄されるとは思ってもいませんでしたが…私ももっと、上手くやるべきでしたわねリルノさんのように、」

 言えば言うほど、言葉が詰まる。改めて自分の心の傷と向き合うというのは思っていたより辛かった。

「こんな有り様では、確かに…未来の国母として、ふさわしくは、…ない、のかも……」

 ディアナは言葉を止める。目の前のルイスの驚いた顔に驚いてしまった。

「…す、すまない、嫌なことを思い出させてしまった」

 ルイスは言いながらハンカチを取り出す。自分が泣いているのだと、ようやくディアナは気がついた。

「いえ、大丈夫ですわ」

「いいや、大丈夫ではない。受け取ってくれ」

 ディアナの手に無理にハンカチが押し付けられる。ディアナはありがたく受け取って目元を抑えた。

「ごめんなさい、お恥ずかしいところを…」

 そう言いながらも涙は止まらず、ディアナは言葉が上手く出てこない。ルイスはその様子を心配そうに見ていた。

「いや、悪いのは俺だ。余計な話を聞いて悪かった」

 そう言ってすぐに立ち上がる。

「今日はもうゆっくり休んでくれ。本当に申し訳なかった」

「いえ…」

 ルイスが部屋を去ったのとほとんど同時に、ディアナの涙腺は壊れてしまった。今まで我慢していたものが切れたかのように。

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