4.信頼と疑念
次の日、ディアナはアリアの入れた紅茶を嗜みながら部屋にある本を読んでいた。紅茶が美味しいというのももちろんだが、晴れた昼下がりの部屋で読書、というのはなんとも穏やかな時間で、やはり気が抜けてしまう。余計なことをせずに淡々と仕事をこなすアリアの存在も、ディアナにはちょうどよかった。
「随分早く来たのですね」
午後になって部屋へ入ってきたディアナはルイスに言った。ルイスは表情を変えないまま先にソファに座る。
「…気になっているだろうと思ってな」
ディアナがまた正面に座ると、ルイスは室内を見渡した。
「本当に逃げる気がなかったようだな」
「随分と疑われておりますわね」
「疑い、というより信用の方が正しいかもしれないな」
「……?」
「どんな手を使ってでもここから逃げて、この事実を伝えるのが君のする判断だと思っていた。君の優秀さを信用していたからな」
まともな考えなら、それが普通だ。もう婚約者ではなくなったとはいえ公爵令嬢。それが隣国の王子に誘拐され監禁されているというのは国際問題だ。いくら快適だからといって留まるというのは賢い判断とは言えない。いつ危険な状態になるかわからないというのに。
「そこまで私のことを評価していらっしゃるのに、誘拐したのは度胸がありますわね」
「…そうだな」
「ですが私はきちんと賢い判断をしたうえで、ここに留まっているのですわ」
ディアナが言うと、ルイスが目を細める。
「…?」
「あなたが、本当に悪事のために私を誘拐したとは、思えないのですもの」
「そちらも随分過大評価だな」
表情が少しだけ緩んだように見えたのは気のせいだろうか。ディアナはルイスの顔を正面から見続けながら首を振った。
「いいえ、疑っているのです。ですから、誘拐した事実ではなくその事実の裏で何を企んでいるのかも知れないまま、帰るわけにはいきませんわ」
ルイスが言ったのは賢い令嬢の判断。危険な場所からは退避して事実を真っ先に伝えるのは確かに重要だろう。しかしディアナはそこらの令嬢とはわけが違う。逃げ帰って事実を伝えてあとは安全な場所で結果を待つ、というのは彼女の性には合わなかった。強い魔力も持っているため、多少の危険を受け入れる覚悟があった。ディアナのそんな覚悟を感じ取ったのか、ルイスは感心したように頷いた。
「……ふ、そうか。アイザック王子はつくづく間違った判断をしたな」
今、ほんの少し笑った。今度は気のせいではない。ディアナは一瞬その顔に気を取られた。普段があまりに鉄壁すぎるせいか、少し笑っただけで驚いてしまった。
「……」
「?」
気を取り直して、ディアナは姿勢を正す。
「それで、結局なんのために私を誘拐したのです?」
もう一度見ると、ルイスの表情はまたいつもの鉄壁に戻っていた。
「言えないな。今のを聞いて、ますます言う気がなくなった」
それは失態だったなとディアナは内心で唇を噛んだ。無表情ではあるが、思っていたほど無愛想なわけでもないルイスと話すのがあまり苦ではなく、つい話しすぎてしまった。
「……言わなければよかったですわね」
「そうだな」
「では今日の学園の様子はお聞かせくださいますか?」
「構わない。そのためにここへ来た」
ルイスは今日のことを思い出しながら話を続ける。
「君は風邪、ということになっている。わざとらしく噂を広めて大事にはしないようにしているのだろうな」
「婚約破棄した日にされた側が行方不明だなんて、あまり王家の印象は良くありませんものね」
ましてや新しくリルノと婚約します、なんて発表はまだできないだろう。
「それでも婚約破棄したことは事実で、新しい婚約発表は時間の問題でしょう?彼女、より一層楽しんでいるのでは?」
ディアナは無理に口角を上げた。こんなこと聞きたいわけではないが、聞かずにいても気にはなる。ルイスは少し黙った後、口を開いた。
「俺も、もし本当に婚約破棄をしているのなら、そうだろうと思っていた。……だが、逆だった。あの女、今日は異様に大人しかった」
朝、まさにアイザックからディアナの休みを聞いた時から。あれ以降もリルノは元気がなく、いつもは教室中に響く声もほとんど聞こえなかった。その代わりリルノを心配する周りの声はうるさかったが。
「大人しい…?」
ディアナは思わず眉を顰める。何故そうなるのか、不可解だ。
「今のところ、本当に婚約破棄があったかどうかの判断できてはいない」
アイザックがリルノに婚約破棄の事実を伝えたかどうかさえ、わからない。ディアナの言ったことを証明する手立てはなかった。
「…………」
「だが、可能性を否定できるほどの確信もない」
「…」
「悪いが、俺はあまり学園で周りと関わってこなかった」
「知っていますわ」
「だからあまりよく知らない。リルノ嬢に関しても。君についても」
ディアナは少し悩んだが、口を開く。自分の身に何があったか。そしてリルノという少女について。