3.学園にて
薄いピンク色の髪を靡かせ、数人の男女グループの真ん中でにこやかに話す少女。名前はリルノ。
「リルノ、これが昨日話してた香水で…」
「リルノさん、今日の授業後良ければ王都で買い物を…」
「まぁ、リルノさんこの前の成績も優秀でしたのね!」
そんなに何度も名前を呼ばなくたって聞こえる。常に会話の中心にいるリルノは、誰から呼ばれてもどんな話を振られても笑顔で丁寧に答えていた。さりげなくその様子をルイスが見ている。誘拐されても尚公爵令嬢としての矜恃を保ってルイスと対面したディアナは昨日、確かに婚約破棄をされたと言っていた。そしてその理由がリルノであることも仄めかしていた。それが果たして本当なのか、ルイスは自分の目で確かめる必要があった。しかし今日は、驚くほどいつも通りで、リルノの周りは賑やか。そしてルイスの周りは誰もいなかった。いつもと違うのは、ディアナがここにいないだけ。
「あらリルノさん、どこか調子が悪いのですか?」
グループの中の1人がそう言った。リルノはわざとらしく高い声を出して笑った。
「いいえ、そんなことはありませんわ。ご心配かけてごめんなさい」
とても元気ですわよ、と言うと、教室の扉が開いてグループの方に向かう1人の影があった。
「アイザック殿下!!!!」
多くの女子生徒が歓声を上げる。ルイスは耳を塞ぎたくなるのを堪えた。何か掴めるかもしれない状況で、耳を塞ぐのは良くない。
「おはよう、リルノ」
多くの女子生徒の声を無視して、アイザックは真っ直ぐリルノの元へ向かってきた。これも、ここ最近では当たり前となった光景だ。
「おはようございます殿下」
リルノとアイザックが目を合わせ、まるで恋人同士のように微笑む。それを咎める者は今や誰もいない。
「何の話をしていたんだい?」
「いえ、今は…」
「リルノさん、さっきまで元気がなさそうだったのにアイザック殿下がいらっしゃってからはとても嬉しそう」
「はは、そうだったのか」
「もう、言わないでくださいませ!」
周りに花でも浮かんでそうな平和なやり取りは、表情が1ミリも変化しないルイスの耳にまで届いた。この声の大きさなら少しくらい耳を塞いでいても聞こえただろう。
「ところで、」
話の流れを変えようとしたリルノ本人の口から、とうとうその名が出た。
「ディアナ様は本日はまだいらっしゃらないのですね?」
リルノがさりげなく聞くと、周りのもの達の表情が少し変わる。今やディアナは避けられることが多かった。皆の口数が少なくなるが、ルイスは慎重に耳を澄ます。寒気がするような中身のない会話を聞かされて、重要な部分を聞き逃すなんてことはあってはならない。
「あ、ああ…ええと、ディアナは……」
ディアナが誘拐されたのは王宮でのこと。アイザックが知らないわけはないだろう。
「風邪をね、ひいたようなんだ…だからしばらくは休むみたいで」
若干動揺しながらも言ったアイザックは嘘が下手だ。ルイスでなくともそれが嘘だと見破るのは簡単だろう。
「え…!?」
「ああ、そんな不安そうな顔をするなリルノ。大したことはないそうなんだ。ただ誰にだって、休養は必要だろう??」
「そ、そうですわね…」
「リルノさんは本当にお優しいですわ」
「本当ですわ。むしろ私は…少し安心しているくらいですの」
「えぇ、ディアナ様、最近は少しその…」
ルイスが思っていたほど、アイザックの下手な嘘が周りに訝しまれることはなく、自然に浸透していった。皆、どうでもいいというのがあるだろう。先日廊下で魔力暴走といわれるものを起こし、窓を粉々に割った彼女。それ以降腫れ物のように扱われていた彼女がいないのなら、その理由はなんだっていいのだ。現に今も、ディアナの陰口の方で教室は盛り上がり、風邪、という理由はそれに付け加えられて広がっていく。
ディアナが風邪ではない、と唯一この場で本当を知っているルイスは、ちらりとリルノの方を見た。
「………大丈夫か?リルノ」
「え、えぇ…もちろんですわ」
「まだ元気がないようだな。今日はあまり無理をしない方がいい」
今のリルノは、アイザックに話しかけられてもどこか上の空のように見えた。ルイスはそのことに若干の違和感を覚えつつも、すぐに顔を逸らして教室中の声に耳を傾けるだけに留めた。