第91話 ミウ
「おかあさん、おかあさん。私達を救ってください」
「おかあさん、おかあさん。私達を導いてください」
私達の一日はおかあさんへの祈りから始まる。
病が蔓延するひどい世の中を生き抜いていけるのは私達がおかあさんの娘であって、おかあさんが世界を守ってくれるからだ。おかあさんから生まれ、おかあさんのおかげで生きている私達がおかあさんに報いることが一番正しい。
正しく感謝の気持ちを持ち続け正しく行動を続ければランクが上がる。当然だ。
そんな当然のことがなぜできない?底辺に跋扈する落ちこぼれ達のことを思うと虫唾が走る。
遺伝子情報が同一なのだから、やってできないことは何一つない。
ではなぜ失敗作は失敗作なのか?
意識が足りない。
努力が足りない。
感謝が足りない。
思考が足りない。
怠惰なだけのあいつらに私達は慈悲を与えない。
そしておかあさんを、世界を脅かすテロリストには絶対に屈しない。
私達はSAIT。メガロティック・メトロポリティカの、世界の守護者。
私達は負けない。
私達は折れない。
私達は、私達は、私達は!
「はじめましてお嬢さん」
こいつだけは生かしてはおけない!!!
拠点がテロリストから突如銃撃を受けるなんて日常茶飯だ。
それでも遮蔽物を利用した反撃と偽装工作を秩序立てて行えば逆に相手を掃討するなんて簡単なことだ。
だから私達は正しく作戦を展開し、一時は敵の中心人物をたった四人まで追い込んだ。どれだけ強力な敵でも数で十分に圧倒できるはずだった。
それなのに、それなのに!
「おかあさん、私達を……」
止血帯が意味を成さない大腿部を撃ち抜かれた隊員の傷口を膝で圧迫しながら銃を構える手が震える。震えている場合ではない、そんな場面ではない。緊迫した状況下であっても不要な緊張などしてはいけない。敵は眼前にいるのだから。
体中の血液がものすごい熱さなのに手先が冷えているような変な感覚だ。ここにいるどの「私」よりも負傷していないのに、唯一致命傷を負っていないのに、死んでいくような錯覚に襲われる。
あいつを殺さなきゃいけない。
照準を合わせられるはずなのに、撃てるはずなのに、殺せるはずなのに。
転がる「私」達の姿が網膜に焼き付くようで、振り払うように引鉄に力を込めたその瞬間、ああ外した、と確信した。
「どう、俺と戦って。怖かった?」
ふざけるな。侮辱するな。恐怖を感じてミスをするなんて出来損ないと同じだ。私は出来損ないじゃない。出来損ないじゃないからわかる。
敵が放った弾丸が私の眼球を抉り脳を貫通すると。
この、この――
「裏切り者……!」
◇
部隊を全滅させた青年は、足元に転がる死体の傍で俄にしゃがみ込むと、それぞれが背中や胸に携帯している救命キットを手際よく回収する。まるで獣を狩った猟師がその肉を持ち帰るように、資源の無駄遣いをしないように。
彼の頭部に照準が合わされる。高さのない比較的小規模な建物ではあるが、鬱蒼とした木々に囲まれており上部からの狙撃が可能だ。襲撃者とは違い地の利があるSAITの生き残りは、自分と同じクローン部隊の、そして何より指導者の最大の敵をその指先で捉えている。
犠牲は大きかった。でもこれで、私達の、おかあさんの勝利だ――。
「ミラクル・ヘヴンリー・ラリアット!」
突如延髄に上から衝撃を加えられ、木の上で体勢を崩した隊員は無防備に落ちていく。
落ちながらも必死に攻撃を加えた相手の方を振り向こうと藻搔くが、その度に木の枝に四肢が引っ掛かっては皮膚が裂けていく。
地面に身体を打ちつけ、それでもぼやける目を開こうとするも視界がクリアにならない。
その赤さに頭から出血していることに気付く。
でもおかしい。不明瞭な視界でもわかる。おかしな格好をしているけどわかる。今自分を攻撃したのは、自分と同じ――
「おかあさんの子供が、どうして!」
「違うわ」
私であることを否定した私が降りて来る。
私の中でも随分小さくて、白いコートを身に着けていて、私と同じはずの銀色の髪を冗談みたいな水色に染めていて――
「私はミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー。世界一強くて正しくて可愛い魔法少女よ、覚えておきなさい。そして死になさい」
心臓や羽根を象った装飾のついた水色に塗られた銃を私に向けて、静かな動作で発砲した。
◇
「パパ」
「おいで」
この地帯に潜伏していたSAITは私達三人で掃討した。死体から資源も回収したし、もうここですることはない。
メガリカ中のSAITの拠点を潰す。それがおとうさんとパパの仕事だ。仕事、というのが合ってるのかはわからない。
それについていくのを決めた時、セルスやセルシオルが反対したことを覚えている。
「自分と同じ姿の人と戦うことになるんですよ!?いくらなんでも人の心がなさすぎます!」
「そうだぞ、姉様じゃなくても流石にドン引きだ」
「じゃあなんだ、この子をここで殺す?それでもまあ俺は別に良いけどね。それで革命の芽は完全に摘まれるだろうけど」
「自分で選ばせた」
「拉致してきて自分の意志も何もないでしょうが!ミナギくん、イグナーツくん!あなた達もしかして本当にばかなんですか!?」
「私は」
言い争う四人が私の声ではっと静かになった。
「殺せる」
「おとうさんと同じがいい」
「……」
セルスが泣きそうな目で私のことを見た。
「あなた、勘違いしてます」
立ち上がり、私とパパの近くまで歩いてきて、しゃがんで私に目線を合わせる。
「わたし達は行くあてがない敗者の集まりなんです。同じ目的を持ったグループじゃないですし、戦うことに積極的なメンバーだけじゃないんです。少なくともわたしは静かに死ねたらいいと思っています」
自分の言葉を確認するように他の人をちらと見回してから彼女は続けた。
「わたしと弟には『彼女』が造ろうとする世界ではどうあっても救われない理由があります。他の人だって、ミナギとイグナーツだってきっとそう。あなたもそうなら、それならわたしは……あなたを拒むことは……ええ、やっぱり……できません。でも、彼等二人があなたにとって良い人間だとも思いません」
「どういうこと」
「そもそもの話なんですけど、人を殺すのは良くないことなんですよ。子供の家では将来SAITになって敵を殺すように言われたでしょうし、街中ではいつ誰が誰に殺されるかわかりませんし、よりにもよってこの二人も敵を殺すよう言うでしょうけど、全部良くないことなんですよ」
「でもそれじゃ戦えない」
「子供に戦えなんてばかの言うことです」
セルスが視線を私から外し、おとうさんとパパに向ける。
「ってことをちゃんと言ってないですよねあなた達?怒りますよ」
「もう怒ってんじゃんセルス。俺達お前の弟じゃないんだから怒られても嬉しくないんだけど」
「反省もしないんですか~!」
「ミナギ!俺をマゾみたいに言うな!姉様は笑顔でも真顔でも美しいんだ!」
「じゃあおとうさんはどうして戦うの」
「人間であり続けるためだ」
「戦わないと人間じゃないの?」
「そうではない。私のことではない」
「……?」
「……が、人間のままでいられるように」
「え?聞こえなかったわ。誰が?」
「二度は言わん」
「なによ、聞こえなかったんだから言ってないのと同じでしょ」
おとうさんに食ってかかっていると、隣からつんつんと腕をつつかれる。
ハルカ。
そう声に出すより先に、彼女が私を膝に乗せている人物の顔を指す。
セルス達と大絶賛低レベルな口喧嘩中だ。
「……パパ」
「ハルカ、余計なことを吹き込むな」
「ミナギのことも施設から攫ってきたくせに。それで勢いのままセルス達の居場所を特定して転がり込んだわけでしょ?ひゅーひゅー。まあ娘まで作ろうとするとは思ってなかったけど」
「そういう意図でミルフィアリスを連れて来たわけではない」
「『おとうさん』『パパ』とか呼ばせといてよく言うよ」
とにかく、とおとうさんが私の方に向き直る。
「私はそいつとお前が生きている限り戦うことを辞めない。そいつは世界の苗床ではない。お前は世界の捨て駒ではない。あの女を殺して証明する」
「おとうさん、それは何なの」
「『それ』とは何のことを指している」
「おとうさんはパパでも私でもない。他の私達でもない。別の人。大人の人で、誰とも同じじゃない。それなのに、どうしてなの。どうして戦うの。どうして助けるの。どうして、自分のことじゃないことをするの」
「自分のことだ」
「どういうことよ」
「そういうことだ」
「だからどういうことなの」
「わからないならそれでいい」
「よくないわ、私のことなのに」
「……危険なのはセルスの言う通りだ。お前はここに残ることもできる」
「戦うわよ。戦えるって最初から言ってるじゃない。むしろ私をここに残しておとうさんはどこに行くっていうの、そんなの何の答にもなってない。絶対残らない。おとうさんの行くところに行く」
そこから私は「おとうさんについていく」以外言わないことにして、セルスはリアナと顔を見合わせて「仕方ないけどちゃんとお世話しないと殺します」ってパパに二人がかりで関節技をキメて。
ハルカが「話まとまった?どうせ戦いに行くなら他のクローンと見分けつくようにしといて」とか言い出して。
パパが縄抜けみたいに関節技から抜け出すなり「これとかどう?女の子だしちょっとミルフィアリスに似てる」って、山になったディスクの中から一枚を取り出して。
エフィリスがパッケージを見て「ああ、こういうのなら作れるよ」って言って。
おとうさんに「完成までここで待っていろ」と言われて、何ができるのかわからないままソファでそのディスクを観て。
「……おもしろい」
アニメーションなんて発禁ものだから初めて見たけど、どたばたしたストーリーと華やかな画面に釘付けになって。
「ミルフィアリス!衣装できたよ、お待たせ私達の麗しのプリンセス」
ってエフィリスが声をかけて来た頃には
「私をその名で呼ばないで……」
「えっ」
「私はミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー。世界一強くて正しくて可愛い魔法少女よ、覚えておきなさい。」
名乗り口上を諳んじて主人公になりきるくらいハマっていた。
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、おはようございます。よく眠れましたか」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、ディスクを観終わったらプレイヤーの主電源を切っておけ」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、髪もやってあげようね。傷みにくいものを使うけどパッチテストは大事だからね、ちょっと腕を出して」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー!走り込みをサボるな!体力こそがすべての基礎だ!」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、パパとおやつ食べない?シロップたーっぷりかけようぜ!ってやっべ!師匠に見つかる!」
「……」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、バスケやんない?暇」
「ハルカ、ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー、おれ、審判する」
「ミルフィアリス」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルーよ、おとうさん」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルー。その呼び名は長い」
「ミラクル・ヘヴンリー・スカイブルーだもの」
「呼び名が長すぎると現場に連れて行けない。一秒以下の判断が生死を分ける」
「じゃあなんて呼ぶつもりよ」
「略させろ。二、三文字くらいに」
「せっかくのミラクル・ヘヴンリー・スカイブルーなのに」
「我儘言うな。いいか、ミラクルのMiとブルーのuくらいは残してやる」
◇
「ミナギ。戻るのが遅い」
「慎重に状況判断するのは大事だろ」
「素早く離脱しないと狙撃リスクが上がる。お前だけじゃないんだぞ」
どこまでも青い空、靴の裏から伝わってくる土の感触。SAITになって見るかもしれなかったもの。私が殺した相手の立場で感じていたかもしれないもの。
それらを今私は「敵」として、「テロリスト」として、「犯罪者」として全身で感じている。屋外の広さに最初は圧倒されていたし、訓練通りに動けないこともあったし、大怪我も何回かしたけど、私は今こうして生きている。深く息を吸い込む。
「ミウ」
目の前に差し伸べられた傷だらけのごつごつした手。おとうさんがこうするのが私にとっての仕事終了の合図だ。
そのままおとうさんの肩に担がれて、改造されたおんぼろの車に帰って。
横でパパが笑ってて。
「おかえり」
駆け寄ってきたハルカは私と同じ目線の高さまで屈んで、頭を撫でられて。
ぼろぼろだったけど、でもエフィリスが洗濯したから世界で一番ふわふわしたタオルに包まれて。
奥からセルシオルのコーヒーの香りが漂ってきて。
ああ、それでパパが言ったんだった。
「今日も君が世界を救ったんだよ、ミウ」