第83話 幸せでないなら、まだだめ
エフィリス・アレイルスェン。
マレグリット・アレイルスェン。
フローライト。
彼等のはじまりを、経緯を、確執を。
記されたそれを暗記するほどに何度も何度も読まされた。
僕達はその歴史を心に刻み、同じ悲劇を二度と繰り返さないようフローライトの遺志を継いでいくべき存在だ。
「でもそれって寂しくない?」
「……」
「失った本人のいないところで影ばかり追うのって、どれだけ言葉や時間を重ねても虚しくない?」
その言葉を聞いたのは、何代目だったか。何年前だったか。
遥か昔だったことは確かだ。
誰に言われたんだったかな。
いや、そんなことは関係ない。
そうだろう?
重傷を負った自分を引き起こす相手に話し掛ける。
「僕の渡した物、ちゃんと読んでくれたんだ。……一か八かの賭けだったけど、それでも君なら理解してくれるって信じてよかった」
「……いつから計画していたんですか?」
「いつだって膨大な選択肢はあった。僕等には覚悟があった。差し伸べた手を取るか取らないかで、救うか救わないかを判断する柔軟性もあった。応えてくれたんだから誠実にいくさ」
「予告もなく一気にあんな量を処理しろなんて到底誠実とは思えませんが」
「それも含めてだよ。信じてよかった。さあ、チャージは済んだ頃合いだ」
ここからは地獄だよ。
――キエル・セルスウォッチは急いでいた。
意見が真逆のマセリアと情報源が同じ、そのことが彼女を震え上がらせていた。
ずっと信じてきたセルスの言葉が、歪んだ解釈のまま自分の代まで伝えられていたなら。
少し前の記憶を辿る。
「あんたが正しいものを選ぶんだ。セルス様の名を背負って指揮を執り、裁定を下す。この世界の最高権力を持つ者が負けてはいけない。支配下に置かれてはいけない。強くあれ。あんたが思っているよりずっと強くあれ。どんな状況でも歌い続けるために。急ぎなさい、滅びの時はすぐそこに」
その言葉で自分を導いた老婆もまた認識を歪められていたんだろうか。
自分を両腕に抱えて走る彼は、敵対すべきではない相手なんだろうか。
とにかく今は、この街にいるはずの友人と合流しなくてはいけない。きっと乗り気じゃない。それどころか何も知らない。そんな彼女を巻き込んでいいのか、なんて迷う余地なんかない。
だって。
「『無から創造できる領域』なんてもの、わたしが敵なら真っ先につぶします……!」
塞がれた道を迂回して、普段なら数分もかからない距離をその二、三倍の時間をかけて移動しなきゃいけないなんて。どうして自分は肝心な時に飛べないの。
――そして、空を閃光が駆け抜けたとほぼ同時に、彼等は辿り着く。
「ミウちゃん……!」
「あれは、ミストルティン!?」
キエルとマセリアの視線の先で、二人の少女が槍に貫かれた。
否、よく見ると刺さっているのは覆い被さろうとした一人だけ。
もう一人の少女は呆然とした表情で、致命傷を負った少女を見つめている。
「あ、いや、うそ」
程なくして慟哭する友に駆け寄る前に、彼女達を挟んだ通路の向かいにいる人物に声をかける。キエルの声は怒りに満ちていた。
「これはあなたが仕組んだことなんですか?答えてください」
「……」
「答えてって言ってるんです!マレグリットさん!……いえ。答えなさい、マレグリット・アレイルスェン!」
俯き黙る彼女の後ろから、よろよろと耳の長い人物が出てくる。
「黙ってちゃ殴られるよ、マレグリット。知らないかもしれないけどキエルって脳筋なんだよ?ひらひらふわふわのかわいい歌姫様じゃないんだよ?」
「……あなたは、これを予想していましたか?」
「ミウかキエルかマセリアか、あるいはこの街にいる可能性のある誰かの聖遺物には当たると思ってたよ、君と同じように。人に刺さるのはちょっと意外だったけど、予想できない範囲じゃない」
「フロアくん!どうしてあなたとマレグリットさんが一緒にいるんですか!」
「君こそどうしてマセリアと仲良くご登場してるのかな?まあいいや、どうせ敵だし」
「何をしたんですか!」
「何って、ミストルティンの射出だけど。マレグリットが溜めた愉快な死体達から力を回収して充填するの、結構時間かかったんだからね。蒸らし過ぎてお茶が渋くなるくらいには」
それを聞いてマセリアの表情が歪む。
「ミストルティンは教会に厳重に保管されていたんじゃないのか!これほどの重量のものを射出するなんて、密輸された砲台でもないと不可能だ!手引きをしたのは君か、マレグリット!」
「マセリア様。私達は痛みも苦しみもない世界を作るんじゃなかったんですか?私達全員でこの地を捨てなければならないなんて聞いていません!……最初は私だって半信半疑だったんです。でもお孫さんに話されていた内容が『風に乗って』聞こえてきてしまいました!」
「今の状態がひどい有様だから是正しなくてはいけないという目的は共通しているだろう!すべての人類が喪失の悲しみを感じなければいけないなんて間違っているという理想を共に抱いただろう!救いたい人がいれば場所なんかどこだっていいはずだ!」
「でも、この街は、この美しき水の星は他のどこにもないのです!それを守るために協力してくださったのではないのですか!?」
「だからといって大聖遺物を大聖遺物で葬ろうとするなんて!ミストルティンは人であれば誰にでも継承できるからまだいいが、他のものはそうもいかないんだぞ!?」
「……でも私は、私達はやらなければならなかったんです」
「どういうことだ!」
「神殺しの槍は……より活動的な状態にある力に引き寄せられるんです。私達が所持しているものよりも、ですよ?私達の意志も理想も関係ないところで、戦乱を引き起こす大聖遺物がずっと稼働していたということなんですよ!」
キエルとフロアは依然睨み合っている。
「……フロアくん。ミウちゃんに『幽霊事件についてしらべて』って言ったって聞きました。でもそれって変ですよね、マレグリットさんがジェネシスを持ってるのをあなたは知ってたのに。『ミウちゃんを地下に送りこみたかった』『マレグリットさんと話をさせたかった』と考えたほうがいいです。まあどっちにせようまくいきませんでしたけどね」
「ふーん?君はそう思うんだ」
「毒、最初からマレグリットさんに浄化させるって決めてたんですね。火も何もかもあっという間に水ときれいな空気にのまれていきましたよ。それでわたしを怒らせて地上に戻すと、負けて落ちてくふりしてハーフラビットのみなさんを地下に入り込ませたんですよね。不用意にミウちゃんたちを攻撃したらどんなしっぺ返しが来るかわからないから、つかまえておいて。......地下で、今みなさんは何してるんですか?」
「とっくに引っ掛かってからそんな怖い顔して言い当てても名探偵にはなれないよ。まず犯人の定義から考え直しなさい」
「会社をどかーんってさせたのは、ほんとは目くらましなんかじゃない……」
「軌道を計算するとどうにも邪魔だったからね。教会の上階から飛ばすのが角度的に一番よかったし。それに僕等の本物のアジトでもないし」
「でもフロアくん、マレグリットさんのことあんなに敵だって言ってたじゃないですか!」
「違うよ。『彼女と組んだ君』が僕の敵だよ。自分で言ってたじゃない。僕は君に『誰の味方にもなってほしくなかった』んだよ」
「わたしが歌っちゃいけないっていうんですか!」
「だって君の言葉じゃないもん。これだけ状況が動いても他人の願いのために動き続けるなら舞台に上がらせていても邪魔なだけだよ。それとも何だ、」
彼がかつて教会に侵入してきたときと同じように蒼い瞳がぎらりと光る。
「キエル・セルスウォッチ。君は何のためにここにいる?何を願って何を伝えようとしている?セルスじゃなくて、他の神でもなくて、君の言葉で教えて」
「……っ」
「答えられないなら君の声は綺麗なだけのノイズだよ」
「でもフロアくん話してたじゃないですか!フロアくんたちとマレグリットさんは決別したって!マレグリットさんの理想どおりになるならやめさせなきゃって!」
「決別?ああ、2代目の話か。そうだね、彼等と彼女は交渉決裂、支離滅裂、完全断絶!いやあ悪い対談のお手本だよね。今だって認め合ってるとは言い難いけど、共通の課題があれば手を組むのは川から海に水が流れるくらいには自然なことだよ」
「共通の……?」
「Dreaming WorldがDreaming Worldとして、他の神からのこれ以上の介入をされず永らえるためには、こちらから世界の扉なんか絶対に開いてはいけないんだ。人は人として生きるべきなんだよ」
「こんな風にむりやり大聖遺物を終わらせようとするのがエフィリスさまの望みなんですか!?」
「初代は死んだ。今のフロアは僕だ」
「……!」
「フローライトでもフロスティアでもない。他の誰かの代わりなんかじゃないし神の影も追わない。フロンティアの名を持つ僕自身の意志で、人が掴むべき未来を望んで、マレグリットへの手紙を書いたんだよ」
ふたつの会話は、泣き叫ぶミウの耳には入っていない。
「バノン、ねえバノン!答えてよバノン、どうして、どうして!ねえなんで誰も助けてくれないの!?どうして見向きもしないの!?バノンが、私のバノンが!!ねえ!返事してよ、ねえってば!置いていかないで!置いていかないでってば!」
だらりと力の抜けた身体に手を伸ばしてもバノンは答えない。
押さえても押さえても止まらない血が、ミウの手を伝って白いコートをまだらに染めていく。
外は暗くて、あまりに暗くて、赤いはずのその色すらも闇に同化する。
――一緒に死ぬはずだったのに、どうしてあなたが先に死ぬの。
言ったじゃない、私がいればどこだっていいって。どこにだって連れ出せるはずだったのに。どこへだって行くつもりだったのに。
どこからが涙でどこまでが顔なのかわからないくらいぐちゃぐちゃになった目元を、すっと人差し指が拭う。
大量に失血しているとは思えないくらいその指は温かかった。
「バノ……」
滲む焦点をどうにか合わせ、手を伸ばした愛しい人の目を見つめる。
――違う。
今、目の前で命が尽き果てようとしている彼女じゃない。
金色に光る瞳が私を見下ろしている。
「無事か」
その声は、バノンのもので。
でもバノンみたいに哀しくて優しい声色じゃなくて。
もっとぶっきらぼうな――
その瞬間、槍が降ってきた瞬間の記憶が鮮明に甦った。
槍は、私達に当たるような軌道じゃなかった。わずかにずれていた。
でもバノンが私を抱き寄せて、私達は軌道上に躍り出たんだった。
まるで二人で今すぐあの槍に貫かれて死のうとでもするかのように。
ここで心中するかのように。
――でも、当たる一瞬前。
バノンの腕に突き飛ばされて、石畳に身体を打ちつけて。
目を開けたら、槍がバノンだけを貫いていたんだった。
私、庇われたの?救われたの?生かされたの?
わけもわからずに、この夜にたったひとつ光る金色をじっと見つめていると、その口元がふっと緩む。
「よかった、ミルフィアリス」
――あ、ああ。
耳の中で音の響きが燃え上がるように感じられる。
知らない言葉が聞こえる。
違う。
知らない言葉なんかじゃない。
でも違う、この世界にその言葉があるわけない。誰も知るわけない。
だって私だって、今この瞬間まで知らなかったんだから。
ううん、知らなかったんじゃない。
知ってる。私が一番知ってる。
大好きだから。
そう呼んでくれる人が大好きだったから。
だから、知らなかった。なにも知らなかった。思い浮かぶことすらなかった。
ううん。
思い出せなかったんだ。
私の本当の名前を。
それを呼ぶ人のことも、その仲間も、出逢ったことも、一緒にしてきたことも、もらったものも、どんな風に暮らしてきたかも、どんな風に失ったかも全部全部全部忘れて生きてたんだ!
思い出した。
私が生きた地獄の中のほんのわずかな空白を。
生きるに足る希望の日々を。
それを奪われた絶望の時間を。
そう、思い出した。
雲が流れるように、熱を持った記憶が頭をぐるぐる回っている。
とてつもない量の記憶なのに、痛みや圧迫感はない。
あるべきものが、あるべきところに置かれている。
引き出しのない棚に並べられているように、どこからも私のこれまでを見渡せる。
姿を変えても、どこにいても、私が間違えるはずない。
そうあなたが言った。私は大切なことを間違えない。
私のすぐ近くでずっと私を見ていたひとを、私がかつてどんな風に呼んでいたかも、全部思い出した。
思い出したから、間違わないで呼ぶことができる。
呼ぼうと思うより前に、正解が喉の奥から滑り出る。
私はあなたを思い出した。
「おとうさん」
次回、6章が始まります。