第8話 絶対零度のアイスハート
リガルタを殺してバノンを奪還した私は、飛竜の背に乗ってエズの屋敷に戻ってきた。帰るついでに干してあったバノンの服を掠め取る。
「もうどこにも行かないでね、バノン」
「いいよーミウ」
桟橋の上で先に飛竜から降りてバノンの手を取る。ひらりと降りるバノンの姿はまるで天女のようだ。バノンが優雅じゃないなら優雅なものなんてどこにも存在しないに違いない。今の瞬間を目に焼き付けたので、あと百億回は余裕で脳内再生できる。
ここまで乗せてくれた働き者の飛竜の顔を軽く撫でて労う。
「良い子ね、ありがとう」
屋敷の入口前で黒髪の男性、エズが顔の横でひらひら手を振っている。何ふざけた態度取ってるのよ。ついでとはいえ、あなたにとっての邪魔者を倒してあげたんだからもうちょっと感謝しなさいよ。
「ミウさん、バノンさんもご無事で何よりです」
「しばくわよ」
「これでこの海域の平和も守られます。喜ばしいことです」
「私にとってはとんだ徒労だったわ。あなたの平和にはもう付き合ってらんない」
バノンの手を握ったまま、エズの屋敷を通り抜けて陸地に向かう。
数時間の飛行とはいえ、ちゃんとした足場を歩くと妙にほっとした気分になる。でも同じ間違いは犯さない。この手をずっと握っていよう。もう離れないように、強く握っていよう。
「そういうわけにもいかないのですよ」
エズに腕を掴まれる。私じゃなくてバノンの。
「放しなさいよ」
「できません」
汚い手で私の大切なバノンに触られて、瞬間的に頭に血が上っているが、殴りかかるわけにはいけない。
そんな隙を見せればまたバノンが奪われてしまう。
「どういうつもりよ」
「あなたと同じですよ」
「私と同じ?」
「この者を喰らおうとしているのでしょう」
何。何を言っているの。
片腕ずつ私とエズに掴まれたバノンは微笑み続けて、何も言わない。
「あなたも神ならわかるでしょう?これは神ではない」
「それが何だって言うのよ」
「誤魔化さなくても良いのに。神ではない、所有物の気配もない。それでも神と同等の力を持っている、こんな『人』が存在しているなんて、奇跡のようだと思うでしょう?」
「一緒にしないで……!」
力。それが私達、神の持つエネルギー。
所有物の名前を定義することや、丁重に扱われることは言わば権限でしかない。
人より圧倒的に優れた身体能力。物理法則や因果を捻じ曲げる「所有物」を扱っても崩壊しない肉体。どれだけ健康的に活動していても望むタイミングで永久に停止できる生命。
それらを維持するために必要なものがリソースだ。
「そもそもあなたには必要ないわよね?もう死ぬだけよね?」
「……あなたは、神の立場をもう少し考えた方が良い」
「何が言いたいの」
「悪党を追い払ったから問題は終わるわけではないのです。続けば続くほどに、人の社会には新たな問題が出てきます。次々に現れる外敵。内部であっても異なる立場によって引き起こされる対立。人口増加によって拍車がかかる食糧問題と経済格差。各地の技術格差による植民地支配の拡大。無力な人々の手ではとても解決できるものではないでしょう」
「……神が為政者として君臨し続けることでクリアできるとでも?とんでもない驕りね。元の世界で満たされなかったくせにその自信はどこから来てるのよ」
「元が大したことない存在だったとしても、圧倒的な力があれば奇跡が起こせることを私達は知っているはずです。もう元の世界の私達ではないのですよ。絶えず必要とされる存在になれるのです」
「……もうあなたの好きにすれば?でもバノンは渡さないわ」
「こんな潤沢なリソース源が自分の領地に入って来たのに何事もなかったかのように送り出すなんて出来ない相談です。身体ごと宝珠で取り込むだけですから残虐な処分でもないでしょう?」
「……そういう言い方やめなさいよ」
「何が気に障ったのですか?こんなものを連れ歩いて、あなたもさぞかし満足感を得られたでしょう。神なら当然ですよ、リソースを確保できる喜びは」
「物扱いするのをやめろって言ってるのよ!!」
しがみついている腕に思わず力が入る。
バノンはずっと静かに聞いている。
エズの言葉をこれ以上聞きたくない。バノンにも聞かせたくない。
これが神か。
何が神だ。
人の自我なんか関係ないと本気で思っているんだ。
バノンのこと、ただのエネルギーの供給源だと思ってるんだ。
リガルタもエズも、死にたかったんじゃないの?
こんなみっともなくて汚い姿を晒して、死にたいという願いすら叶えられなくなって。
人を支配したいという欲望はそんなに強いものなの?
そんなにも人に必要とされたいものなの?
理解したくもない、そんな感情。
「最も、何も感じていないあなたにはわからないのかもしれませんね」
エズがくすくすと笑う。
「…………」
「いつも同じ表情で、同じ声色で、何にも興味なくて。人々の苦悩や努力を知らないこんな子供に社会のことを説いた私が愚かでした。さあ、いただいていきますね」
成人男性の体格でバノンがずるずると引き摺られていく。私の腕から少しずつ離れていく。
「…………許さない」
俯いて、胸元からそれを取り出す。
それは、片手持ちの楕円形の手鏡。
陽光を反射させ、エズの顔に当てる。
突然眩しい光を浴びせられたエズは、ぐわっと声を上げて身体を引きつらせる。バノンがするりと離れる。
隙ができたらこっちのものだ。むしろ、子供だからと油断しきって私の隙を突かなかったばかりか神経を逆撫でしたお前が愚かなのだ。慈悲はない。
振りかぶりながら飛び上がって、エズのこめかみを手鏡で殴打する。
体勢を崩してガラ空きになった脇腹に蹴りを入れて引き倒す。
馬乗りになって振り上げた両手首を、下からエズが掴む。
「不意打ちに成功したことは褒めて差し上げましょう。ですが、大人に子供は敵わないのですよ」
私より数倍はある手にギリギリと締め上げられ、筋肉が悲鳴を上げている。生理的な涙が滲んでくる。
それでもまだ、辛うじて声が出せる。
ならば、勝てる。ここで勝たなくてはいけない。
私の生命も、バノンも、こんな奴には明け渡さない。
私の所有物、声に応じなさい!!
「冥府の鏡!!!!!」
鏡面から心臓を象った形の白い光が螺旋のように出現し、私を中心に円形に広がる。
その光が束になりエズの胸部を貫く。
「ガ、ガアアアァァ!!!」
生命ごと凍結しなさい!これが私の所有物!
冥府の冷気は生きとし生けるものの心臓を刈り取る!!
エズの顔から次第に色が失われていく。重くなった手がごとりと地に落ちる。
「何も言わない今の方がよっぽど神らしいわ。豪華なお葬式でも挙げてもらうことね」
プリズム・ハートを懐に仕舞う。
近くの床に転がっていたマニを逃げ惑う使用人に投げつける。
「ほら遺物よ。あなた達の好きにしなさい」
陸地に向かうのはやめだ。ぎゃあぎゃあ慌てふためく人々の声が煩い。適当な漁船をかっぱらって発進する。
再びバノンの手を握りながらマナウ海域を後にする。
この海域や、そこにすむ人々が今後どんな運命を辿ろうと私が知ったことではない。責任なんてあるわけないのだ。それが Dreaming world のあるべき姿だ。
マナウ海域にも、南の大陸にももう近付けない。じゃあ、北に向かうしかない。行き先を入力して自動運転に設定する。
広い、広い海が続いている。
「ねえバノン」
「なに?ミウ」
「こういうこと、初めてじゃないんでしょ」
「……そうだね」
「他の神にも何回も、同じようなことされてきたんでしょ」
「……何十回、かな」
「もっとひどいこともされてきたんでしょ」
「ちゃんと逃げられたから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないわ」
隣にいたバノンの両手を取って、正面から顔を覗き込む。
バノンはいつもと変わらずに微笑んでいる。
「それは、大丈夫なんかじゃない」
私の手はいつも冷たい。体温がないことを疑われるくらい冷たい。だからバノンの手は暖かく感じられる。でもきっと、バノンの手だってそんなに温度は高くない。
「死にたいとしか思えなくなったのなら大丈夫って言わないわ」
「……大丈夫でも、大丈夫じゃなくても。俺は死にたいよ」
私には解る。
火薬、爆発、血液、死体。何を見ても恐怖なんか感じない。動揺なんかしない。当たり前のことだもの。
物として扱われ続けて、望むことなんか何もなくて。
ただただ死んでないから生き続けている。
私は死ぬしかない。
あなただってそうでしょう?一目見てわかったよ。
表情なんかもうとっくにないってこと。
私と同じ、奪われ続けた少女の成れの果て。
「バノン、好きよ」
「うん」
「私は死ぬまでそばにいるわ」
「うん」
「私達は結婚してるから、絶対に離れないわ」
「うん」
「私があなたの死神になったげる。邪魔する神は全員殺してあげる」
「うん」
「世界の果てまで一緒にいましょう」
「……うん」
誰を殺したとしても。
楽園の皮を被ったこの世界が、どんな未来を辿ろうとも。
この決意は愛だから、あなたと私のためだけに貫ける。
微動だにしない唇に、もう一度キスをした。
つまりこういう話なんでよろしくお願いします!