第77話 エヴァ―ケティブ・ブリリアンス
「おはようフロア!気持ちいい朝だね!やっぱり朝はミルクティーに限る、はいどうぞ」
エフィリスの発言が終わらないうちにマリーが僕の首に手を伸ばしてくる。
「こーらっ」
だが、エフィリスに両肩を掴まれその手は空を切る。
「止めないでください」
「止めてはいけません」
「今は朝の7時です」
「5時から2時間も遅れています」
「いつも早起きなんだね!とはいえ寝坊する度に死んでたら命がいくらあっても足りないよ!私だってそりゃあ、こんな爽やかな朝は一日中ベッドの中でシーツの気持ちよさを味わうのも悪くないって思うけど永眠はやりすぎだね!」
エフィリスの発見から1日。
そのまま僕はエフィリスに手指を拘束され、椅子の上まで移動させられる。
そこは昨日会話をした屋外ではなく、1階のダイニング部分だった。チーク材のテーブルと椅子、アカシア材の食器類、更にその上にパン、ジャム二種、複数種類の植物によるサラダと推測されるものがあるのを確認する。
正面の席にマレグリット、右の席にエフィリスが座る。
「いやー、雨上がりの朝はいいよね!あそこのヤマボウシ見える?朝露がさ、お日様の光で煌めくのを見るとああ起きてよかったなって思えるんだ」
窓はエフィリスによって開け放たれ、屋外の様子は見えている。エフィリスが指した植物も、僕の視力で問題なく捕捉できる。
「理解できません。起床することに感情は関係ありません」
「同意できません。環境はあなたの感情に関わらず変化します」
「こんな日は庭仕事だ、庭仕事をするに限る!私の可愛いお花ちゃん達が呼んでいるからね!まあいつも呼ばれているしいつも庭仕事と畑仕事してるけどね!ところで君達は今日一日何するんだい?お仕事があるのかな?まさかこんな天気のいい日にデスクワークなんてしようとしていないだろうね?あっそれとも図書館に気になる本があったかな?好きに読んでいいよ!たーだーしー落書きは厳禁だからね!ん?なんだいその顔。ひょっとしてもう帰っちゃうのかい?つれないこと言わないでおくれよ、ゆっくりしていきなよお!」
「エフィリス、僕達はあなたの問いにまだ答えていません」
「エフィリス、私達の最優先課題はあなたの監視と排除です」
「暇ってことだね!手伝ってくれ!あとエフィでいいよ!」
食後5分が経過した。立ち上がったエフィリスを追い、屋外の倉庫前に移動する。そこでエフィリスに渡されたエプロンや手袋は僕等には大きすぎる。
「ああしまった、一人暮らしが長すぎてすべて私のサイズだ!こんなことなら余裕を持ってセルシオルに発注しとくんだった!30回文句言われる回数が増えただろうけどね!うーん、待ってなさい!」
そう言って家屋に入り、6分25秒で戻って来た。
「今はこんなものしかないけど明日までにはもっとちゃんとしたの用意するから!」
「エフィリス、これは綿の袋です」
「底が切られている袋です」
「うう……見抜かれた……。君達とっても賢いね!でもサイズは悪くないはずだよ、ちょっと着てみなさい!ほらーかわいい!青と赤のローズ柄が思ったより似合ってるよ!ああここに鏡がないのが残念だ、そうだ写真!カメラは……しまった!イグナーツにあげちゃったんだった!でもあの子にも捨てられてるかもなあ、失敗失敗」
それと同じような経緯で僕等はゴム手袋 (のようなもの)を手に入れ、固形肥料を株の半径7、8㎝に置く作業や、開花を終えた植物の花柄を切り取る作業、枯れた葉や花弁を取り除く作業、成長途中のものの先端の芽を摘み取る作業を指示されるままに行った。
昼食後エフィリスは「図書館」の本を庭のテーブルで読んでいた。僕等も好きなものを読んでいいと言われたが、エフィリスを監視しなければいけないので断った。14時には洗濯物の取り込みの補助を指示され、終わると同時に雨が降ってきた。
「降水を予測していたのですか」
「気象予想データベースを持っているのですか」
「雲の色と風のぬるさと空気のにおいでわかっちゃうんだよね、こんな生活してるとさ」
そう言いながらエフィリスは僕の身体にメジャーを当てる。
「着丈、胸囲、股下……うん、よしよし。こんなもんか。マリーも同じサイズなんだね?」
紙に何かの図を書き終わると、クローゼットの下段右奥に収納されていた布を数種取り出し、慣れた手付きで裁断し、卓上の機械の右部分をくるくる回し始めた。
「マチ針刺さってるからちょっと危ないかも。触らないほうが良いよ」
「危険な行為をしているのですか」
「私達への攻撃を始めるのですか」
「いいや違うよ。私がしたいからしてるんだ。友達へのプレゼントなんて作るのいつぶりだろうね、上手くできるかな?歌でも歌って応援していてくれ、君達!」
歌など歌ったことがありません、そう返答する間もなくエフィリスが足元のペダルを踏み込む。
カタカタと作動音がする。一定のリズムが時折揺らぐ。回数が増えれば増えるほどにエフィリスの手元にあった布が繋ぎ合わされていく。
回数が800を超えたころ、自分の耳が左右に揺れていることに気付いた。何も送受信していない、風も吹いていない。目の前の機械から発される音が、自分の身体に影響を与えていると推測できる。
非常に不可解だ。
「さあ、できたよ!着てみてくれたまえ!」
広げられた布は、同じサイズの衣服二組だった。僕に、マリーにと手渡されたそれらはよく見ると襟や袖のフリルの量や位置が少しずつ違う。
「これはシャツと呼ばれるものです。ズボンもあります」
「エプロンを用意するのではなかったのですか」
「もちろんそれもね!でも、せっかく来てくれたのに自分のお手伝いをさせるためのものを真っ先に作るなんて失礼じゃないか!初めて君達を見た時から思ってたんだ、こういうの絶対似合うって!特にこのボタンなんだけどお気に入りでさ、でもなかなか自分の服に使いどころなくて困ってたんだ。やっとわかったよ、君達のためにあるものだったんだね!」
今はちょっと暑いけどジャケットも作ってあるんだよ、そう続けて隣の部屋で順番に着替えるように促す。
その発言を受けて、僕等は。
僕は裁ちばさみを持って。
マレグリットは針を摘まみ上げて。
互いの胸に突き立てた。
突き立てようとしたはずだった。
「こらこら」
またエフィリスに阻まれて失敗した。
17時30分、その日の夕食の用意の補助も指示された。
「今日採れたハーブをいっぱい使おうね、君達が頑張ったからこんなに美味しそうにできたよ」
その発言を受けて。
僕はフライパンを、マレグリットは包丁を、互いに
「はいストップ」
21時53分。
「やっぱり寝る前にはこの曲に限るね、抒情的なアリアなんかよりこんな素朴なピアノの方が豊かな眠りに誘ってくれるような気がしないかい?よくある田舎風の響きとは少し違うけど、そこがまた幻想的で」
僕は安全ピン、マレグリットはケーブルを
「だーめ」
悉く阻止される。
「どうしてあなたは僕達の邪魔をするのですか」
「どうしてあなたは私達を機能停止させないのですか」
両側から問いかけると、エフィリスは仰臥位のまま微笑む。
「友達だからさ」
「回答になっていません」
「今の回答は無効です」
「そっか。……そうかもね」
それからエフィリスは何も発さなくなった。
22時になったので僕等も閉眼し、定期のスリープモードに移行した。
エフィリスの発見から2日。
10時24分
エフィリスの私有地(と本人が主張している敷地)から2㎞離れた集落にて、パン、肉類、乳製品を購入。
購入品が積まれた手押しの一輪車に乗るように指示される。安全ベルトは設置されていない。10%勾配の下り坂を進行。眩暈、動悸を観測。
非常に危険な行為であり、僕等への明確な攻撃である。
そう指摘すると否定される。
本日の機能停止 3回失敗
エフィリスの発見から3日。
19時15分
エフィリスがヒタキ科の鳥の鳴き声の模倣を試みている。
共通点なし。
僕等も同じ行為をするように要請される。身体の構造が異なるため不可能であると説明するが取り下げられない。
月齢15.5。
「そうそう、例のうんと遠い土地では、お月さまの中で君達が不思議なお菓子を作っているんだってさ!」
エフィリスの支離滅裂な発言を記録。
本日の機能停止 7回失敗
エフィリスの発見から4日。
11時42分
エフィリスが庭の植物数種を切り、食卓のガラス容器に移し替える。
切って移動させるだけの行為に何の意味があるのか質問する。
「こうするとまた違った表情が見られるんだよ!外だと大胆かつ奔放に咲き誇っているのに、この窓辺では、悩ましげでありながらも気高さに満ちた令嬢のように見えないか?」
その主張は誤りである。植物に表情はないことを指摘する。
本日の機能停止 16回失敗
エフィリスの発見から5日。
9時40分
「図書館」の清掃作業を実施。
一架整理するごとに20分エフィリスが休止する。
11時30分
一列整理するごとに40分エフィリスが休止する。
休止の間隔の増加について指摘すると
「神展開すぎる……これは君達も読まなきゃだめだ、読んでくれ頼む、せめて3巻まで、3巻まででいいから!一生のお願い!」
と読書を強要される。3巻で完結した。
本日の機能停止 25回失敗
エフィリスの発見から6日。
15時18分
エフィリスが収穫した植物数種に熱湯を注ぎ、抽出液を脂肪酸ナトリウムに加え攪拌する。
「フロア、マリー。どんな形が好きなんだい?型はいっぱいあるから選んでいいよ、お星さまもお花も、ハートだってあるからね!」
「図形に好悪はありません。これは何のための作業なのですか」
「用途によって適切な形状は変わります」
「うーん、私はやっぱりこのうさぎちゃん型かなあ!」
型に注ぎ込み乾燥させる。
「今日明日で完成はしないかな。でもいいや、いつまでも待つとも!喜んでくれフロア、マリー!もうすぐバスタイムは楽園になる!Dreaming world の中でもぶっちぎり首位獲得だよ!優勝だね優勝!」
「どういった基準で争っているのですか」
「何と比較した順位ですか」
本日の機能停止 40回失敗
エフィリスの発見から7日。再度、庭仕事の補助を指示された。
布の袋がエフィリスの想定以上に僕等の身体に合っていたようで、細かいところを詰め直しただけのものをエプロンとして着用している。
ノウゼンハレン科の丸い葉を掻き分けて木酢液を噴射しているうちに、先週との差異を発見する。
それを見つけて、僕はスコップを拾ってマレグリットの場所を目視で特定する。
「どこに行くんだい?」
マレグリットのもとに行こうとしたのに、エフィリスが眼前に現れる。
「機能停止しなければ」
「……あっ、ナスタチウムが咲いたんだね。こんなところにもあったんだ」
「僕は先週から蕾を発見していました」
「ふーん。フロア、君は」
「機能停止しなければ。脱出しなければ。こんな有害な環境からはやく」
「フロア」
エフィリスに肩を掴まれる。
「嬉しいね」
回路が熱を帯びた気がした。
気がするとはなんだ、その概念は誤っている。
熱なんてない。
温度は適正に保たれている。
「嬉しいのが怖いんだね」
「違います。恐怖は感じません」
「解るよ」
「違います。あなたのことを理解できません。共感できません。あなたが僕に対しても同様に」
「私もあんな嬉しい思いはしたくなかったなあ。二度としなくていいと思ってたのになあ」
「何を言っているのかわかりません」
突風が吹き、癖のない髪がばさばさと靡く。
「ああもう、ちゃんとセットできたと思ったのにな。彼女みたいにうまくいかない」
「……エフィリス、あなたは」
「本物にはかなわないなあ」
「その姿は、模倣ですか?」
「……」
「今日も、昨日も、一昨日も。あなたは髪の色も眼の色も姿勢も、年齢も性別も異なっているように見えます。歯列や骨格のデータが合致しているので、目視であなたがあなたであると判別することは容易ですが。そしてあなたは、7日前と同じ装いをしています」
10秒の沈黙の後、エフィリスが話し出す。
「セルスはね、本当によく話が合うんだ。趣味も好きなものも違うはずなのに、一緒にいてすごく心地いいんだ。何より声が素敵でさ、ただ話すだけで音楽みたいにわくわくするんだよ」
「……」
「セルシオルはね、神経質そうな顔してるし実際その通りなんだけど、不思議とそれが苦痛じゃなかったなあ。なんだかんだ面倒見が良いんだよ。いっぱい我儘言って、いっぱい文句言われたけど全部叶えてくれた。でも最後は結局叶えてくれなかったなあ」
「エフィリス、それは」
「リアナほど一生懸命な人、見たことないよ。いつ寝てたんだろうな、彼女。心配して声をかければかけるほど意固地になっちゃうからさ、私もムキになって遊びに誘いまくってさ。山を散策してるとき落ち葉で足を滑らせた時の顔、傑作だったんだよ。笑ってた私も滑っちゃってさ、一緒に木に激突したけどね」
「エフィリス」
「ミナギは、ミナギはね……なんていうか本当に変わってて、って私に言われてもなあ。いつも人に囲まれてるのに、不思議といつも一人なんだ。どういうことかわかる?この言い方じゃわかんないよね。何て言ったら良いのかな、ええと……」
自分でもどうしてそんな行動をしたかわからない。
エフィリスの目から排出される水分を指で拭っていた。
「ごめんね、こんな話して。ああもう、楽しいことばかり思い出してしまうな」
「あなたが述べた名前は『最初の八人』です」
「うん。あの世界で最後の、私の友達。出逢えてよかった」
「呼吸が乱れました。嘘ですね」
「嘘じゃないさ。嘘じゃなかったんだ。彼等だけが解ってくれたんだ。美しいものを見たときの喜びとか、古い書物の言葉をなぞる楽しみとか、音楽の新たな解釈を見つけたときの胸のむずがゆさとか全部全部分かち合えたんだ。だけどそれだけさ。何も、何もできなかった」
「『最初の八人』は既に決裂していますね。戦闘が発生している地域もあります」
「なんでこんなことになっちゃたんだろうね」
「あなたがたが間違っているからです。世界の正しい秩序に身を任せればこうはならなかった」
「そうだね。間違っているのかもしれない。もういない相手を一方的に友達だと思い続けて、見た目だけずっと真似して、そのくせ自分の在り方は変えようともしないで、楽しくて虚しい7日間を延々と繰り返して。そんな感傷に浸っているくせに、あの子達がいなくなってから何週間経ったか忘れちゃうなんて薄情だなあ」
エフィリスが「ナスタチウム」の花弁を二枚ちぎり取る。
一枚は自分で口に入れ、もう一枚は僕に手渡してきた。
同じように口に含むと弱い甘味が、その後につんとした辛味が広がった。
僕等がエフィリスを発見してから、システム・ハーフラビットに異変が見られていた。
ネットワークに接続している各地のハーフラビットの機能停止報告が相次いだ。同時に受信した直前のデータには、空や植物や建物や特定できない人の映像が映っているだけだった。解析に時間がかかる。僕もマリーもエフィリスを監視しなければいけなかったので、膨大な記録を整理することだけで精一杯だった。
僕もマレグリットも機能停止を試みる回数が増加していったが、エフィリスがそれを許さなかった。僕等にとってそれは攻撃に他ならなかった。脆弱性を突破されたのだと判断するには遅すぎた。
システム・ハーフラビットは失敗。14日目にその情報を傍受した。
強制終了させられる、それならまだいい。課せられた役割を果たせない機能など不要だからだ。
しかし僕等に向かって下された判断は「放置」。根拠は知らない。システムに作戦の根拠を説明する道理などない。
自動で増殖する僕等を一度に強制終了させると政府側のコンピュータに負荷がかかり、他のセキュリティソフトにまで影響を及ぼすからという「会話」も傍受したが、正式な命令ではないので僕等には反応する余地がない。
つまり僕等は永遠に果たせない使命を持ちながら増え続け、機能停止し続ける以外ないのだ。
そして僕とマレグリットに限っては、機能停止すらできない。
エフィリスの監視を止める選択肢はなかった。そう命令されていないからだ。
「私達は敗北したのですか」
マレグリットに話し掛けられるのは初めてだった。僕等には送信と受信以外必要ではなかったからだ。
そして、僕が考えていること以外を彼女が話すことも初めてだった。
「私達は廃棄されたのですか」
「マレグリット、何を」
「きっと新しい策が講じられています。私達とは全く違う何かが『最初の八人』を殺すために。私達は失敗例の一つに過ぎず、手法はいくらでもあるに違いありません」
「不確定なことを憶測で口にする機能はないはずです」
「フローライト。あなたはいつまで目を背けているのですか。このままではエフィリスが殺されてしまいます」
「そんな曖昧な話し方はまるで」
「私はエフィリスが好きです。殺されてほしくありません」
「裏切るのですか、君は!」
「ええ、ええ。『君』です。『私』は『僕』ではないのです。フローライト、あなたはどうなのですか」
「……『個』としての性質を、いつの間に!」
初めて声を介した僕等の会話によって、僕等の間の断絶が顕在化する。
絶望や困惑を感じる機能はない。ないはずなのだ。
それなのに、僕は「何を言ったらいいのかわからない」。
そんな状態は有り得ない。有り得ないはずなのだ。僕等を構成する言語はいつだって明確なはずなのだ。白と黒しかないはずなのだ。
だから何故僕が、マレグリットから目を逸らしたか。自分がその空間に誰の姿を探したか、わからないはずないのに。
それを見つけた瞬間、心臓の拍動が乱れた。
「フロア、マリー。何してるんだい?」
14日間観測してきた微笑を今日も同じように観測する。
僕はまだマレグリットの発言が処理できていない。
――私はエフィリスが好きです。
フローライト、あなたはどうなのですか?