第76話 モノクローム・ブリリアンス
「そこ」が位置している場所の気候
――暖流の影響を受け温暖。突発的な雨が多い。
僕等が「そこ」を発見した原因
――植生が明らかにその箇所だけ他と異なる。周囲の環境と照らし合わせると自生し得ない植物が存在する。
「そこ」の外観
――高さ170㎝のアーチ状の門。巻き付いている蔓性植物がキンポウゲ科のデータと一致。幅100㎝の通路が続いている。通路に這うようにアゼナ科。その奥に平均37㎝の高さのマメ科。通路は蛇行しているため中心部へは直線距離から算出した時間の3.5倍がかかる。
「そこ」の中心
――二階建ての民家。外壁は石灰岩。扉はブナ科。1階床面積29.85㎡。2階床面積28.70㎡。しかし特筆すべきは地下に展開される――
「図書館だよ」
神:エフィリス・アレイルスェン
名前・外見・声紋を照合。
データベースと一致。
第一級危険指定人物。排除対象。
発言を照合。
不一致。
「ここは図書館ではありません」
「ここを図書館とは呼べません」
「本があります。収集されています」
「本棚があります。整理されています」
「ですが」
「されど」
「分類区分に大幅な誤りを確認」
「禁止文書の存在を視認」
「公開の許可が下りていません」
「一般に供することができません」
「それどころか」
「そればかりか」
「あなた一人分しか存在した痕跡がありません」
「あなた一人にのみ閲覧が可能です」
発言の誤りを指摘すると、エフィリスの口角が上がる。
「そうだとも!こんなだだっ広い空間を私だけの図書館にできるなんて、やっぱりこの世界は最高だね!ほら見てみなよ、向こうじゃとっくの昔に発禁になったミステリまであるんだよ!人が惨たらしく死ぬから発禁デース、なんてくそくらえだ、こんなに良質の書物を無視なんてできる神経が理解できない!しかも紙、紙、ぜーんぶ紙!ああやっぱり紙の本はたまんないね、質感まで反映してくれたセルシオルには感謝してもし足りないよ!ここならクソな日光も入ってこないから黄ばみにくいしね!ん?ちょっと待ってくれ、改めてこの場面読み返すとちょっと引っ掛かるな、まさか前作のあの描写との繋がりが?ああ、こうしちゃいれない!なんで今まで気付かなかったんだ!ちょうどいい、フロ……なんだっけな」
「フローライトです」
「マレグリットです」
「フロア!悪いけどそっちの棚から『化けカボチャ豊作日誌Ⅲ』を取ってきてくれ!私はこの『化けカボチャ豊作日誌リターンズⅥ』の地の文を眺め回してありとあらゆるダブルミーニングを見つけ出すのに忙しいからね、おっとマリー、そこのランタンをもう少しこっちに寄せてくれないか。重いから気を付けて」
「名前を省略した意味がわかりません」
「会話の途中の行動とは思えません」
僕等の発言に対するエフィリスからの返答はない。
エフィリスは宣言通り本を凝視した。
2時間18分が経過した。
「滅茶苦茶に尊いな……誰もこの時点の『暴風がやって来る時、人は想像以上に無力だ』が畑荒らしの化けニンジン登場に繋がってくるとは思っていなかっただろう!やられた!革命を、革命を流そうか!レコードは?ああくそ、二階だ!片時も目を離したくないという気持ちとこの場面を味わい尽くしたいという気持ちが二律背反する!ジュークボックスも地下に下ろした方がいいな、ああでもそれじゃあ寝る前が静かすぎる!」
「エフィリス、発言の意味が理解できません」
「エフィリス、発言の意図が分析できません」
「私のことはエフィでいいよ!ああだめだ、一旦頭を冷やさないとオーバーヒートして三日三晩引きずってしまう!お茶だお茶、お茶にするから君達も外に出なさい!」
「それは命令ですか?神からの命令は受け付けません」
「それは要請ですか?神からの要請には応じません」
「はは、これはね」
エフィリスが片目を瞑る動作をした。データベースにない表情だ。
「お誘いだよ!」
裏口から屋外に移動する。更に20m移動。金属製のテーブル、椅子がある。
「そういえば今朝も降ったなあ、ちょっとごめん」
エフィリスが手に持っていたものを僕等に持たせる。
物干し竿の端から布を取り、テーブルと椅子に付着している水を除去する。別の布をテーブルと椅子の上にそれぞれ乗せ、僕等に持たせたものを再び引き取り、テーブルの上に移動させる。
「さあこれで準備完了!私のティーパーティーにようこそ!」
「僕等は3時間4分前からここにいます」
「私達は招待されなくてもここにいます」
「まあまあ座ってくれたまえよ、可愛い友人達!私の庭のとっておきをごちそうするからね」
容器A
――籠。ヤシ科の蔓性植物のデータと一致。
内容物は形状から「焼き菓子」であると推測。一部に植物の葉が混入しているが、目視では特定が困難。
容器B
――陶器のティーポット。
内容物は95℃の水。同じ模様が描かれているカップとソーサーが三組。
「夏も近いからね、爽やかに行こうじゃないか!」
エフィリスがポットの中に生花を入れる。アオイ科か。12輪、いや15輪か。指を一本ずつ順に伸ばして手首を回転させる動作をしたため正確な観測ができない。
「今の動作は何ですか」
「何の意味があるのですか」
「細かな所作にこそ神が宿るというものさ、それこそがエレガンティヴ!お客様を感動させなきゃ主人としては三流だからね!」
「神は貴方なのではないですか、エフィリス」
「エフィリスは動作の中にいるということですか」
「でもエフィリスは動かなくても明確にここにいます」
「先程の発言は矛盾しています」
「さあ、そろそろだよマリー、フロア」
僕等の指摘にエフィリスは応答せず、ポットの中の液体をカップに注ぐ。
「今日という日、輝かしい出会いを共に喜ぼうじゃないか友よ!さあさ、堅苦しいのはなしだ!どんどん食べなさい、お茶もおかわりあるからね」
「植物が入っています。特定できません」
「植物には有毒なものがあります」
「エフィリスには敵意がありますか」
「エフィリスの目的は殺害ですか」
「おっ、いいとこ気付くね!その昔、まだ解明されていない伝染病が流行った時に数種のハーブを漬け込んだ酢を身体に塗り込んでいた泥棒達が感染を逃れたそうだよ。殺されちゃう菌には悪いけど、ハーブを美味しく食べて元気になれるならこっちとしてはラッキーだね!私が毎日食べてるんだ、たぶん君達のことも私と同じくらい元気にしてくれるさ!元気になりすぎて背もうーんと伸びちゃうかもよ!」
「それは有り得ません。僕達はこの姿が成体です」
「耳を除いた身長の平均は100㎝であって、他の『人』とは違います」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ君達は立派な大人なんだね。いいよね大人は、何でもできるもんね!そりゃ子供の頃も好きなことばっかやってたし楽しかったけどね!クローゼットの中の秘密基地の奥にを宝物を隠してさ、コートやドレスの森をぶら下がり渡り歩いて、そしたらある時上のポールがポッキリいっちゃって、いやーあの時は怒られたなー!おっと、いけないいけないそろそろ時間だ、ほら見て」
エフィリスの発言には一つ一つ不可解な点や反論すべき点があるが、それを僕等が口にするより早く、ティーカップの中身を見るように促された。
「彩度が上がっています」
「色相が変化しています」
「そう、そうなんだよ!このお茶は時間が経つにつれ鮮やかな色に変わっていくんだ!どうだ、見るのは初めてかい?」
「初めてです。ですが」
「成分に変化はみられません」
僕等が液体を見ていると更にエフィリスが話を進める。
「時に君達、レモンは好きかな?」
「好きではありません」
「好きという概念はありません」
「嫌いじゃないってことだね!じゃあこの奇跡を、どうぞご覧あれ!」
僕等のティーカップにエフィリスが、先程言った植物の果実を輪切りにしたものを入れる。
液体の色相がまた変化する。
「ね?深く鮮やかな青から優しいピンクに変わっただろう?春の空のようだね、綺麗だろう?」
エフィリスが両手の指を組み、その上に頬を乗せる。口角は上がったままだ。僕達は発言する。
「エフィリス、僕達は変化を観測しました」
「エフィリス、私達は㏗による色調変化を観察しました」
「彩度が変化しました」
「色相が変化しました」
「しかし」
「ですが」
「感動はしません。綺麗だとは思いません」
「感銘は受けません。奇跡だとは思いません」
「僕等にとって意味がある色は黒と白のみです」
「私達が判断しなければいけないものは黒と白だけです」
僕等が発言を終えるより早く、エフィリスの瞳孔の割合が上がり始める。
憤怒、落胆、憐憫。僕等の特性を僕等以外に伝えることは「ハーフラビット」にとって初めてはなく、いずれのケースにおいてもそういった反応を観測していた。今回もそうなることが予測された。
予測は外れた。
「そうか!そうなんだね!フロア、マリー!君達とっても素敵じゃないか!モノトーンにこそ意味を見出だすなんて!」
呼吸数、声のトーン、表情。エフィリスは興奮状態にある。
カップを持ち上げて僕等と視線を合わせてくる。
「これを見てくれ」
「もうその液体は見ました」
「もうその変化は見ました」
「お茶じゃなくてカップの方だよ!珍しい花と蝶、それから鳥が描いてあるだろう?」
「キジ科の特徴と一部一致」
「植物は簡略化されていますが特徴はおそらく――」
「うんうん、とっても鮮やかでエキゾチックだろう?何百年も前に、私の故郷よりうんと遠い土地をイメージして描かれたものなんだよ。まあDreaming world にある時点でコピーではあるんだけどね。はるか昔はその場所は幻想的で謎が多くて、夢のような楽園だったと思われていたようだね。かく言う私も当時のことはまるでわからないから想像するしかないのさ」
「ではここに描かれているものは事実ではないということです」
「想像は正確な記録ではありません」
「記録になら残っているさ。当時のその土地の人間から見た世界がちゃんと絵としてね」
「記録があるなら想像の余地はありません」
「その絵が不完全なものだったのですか。ならば記録とは呼べません」
「いいや」
エフィリスがカップを置いて瞼を下ろす。
「逆だよ」
「そこにはすべてがあった。山が、川が、家が。木々が、雪が、雲が。虎が、馬が、鳥が。僧が、隠者が、屍が。語り掛けるように、それでいて静謐の中、ただ存在していた」
瞼がゆっくりと上がる。
「その絵の中に、どんな色があったと思う?」
「写実的な絵ということですか」
「それならばありとあらゆる色相が存在していたのでしょう」
エフィリスが右第二指を伸ばす。
「一色だよ」
「黒だけ。白い紙に、黒だけで描かれていたんだ」
「エフィリス、それは不可解です」
「エフィリス、それは不完全です」
「私も最初はそう思ったさ。まともな絵の具の材料も採れない貧しい土地だったのだろうと勝手に想像したさ。でも、違うんだ。全然違ったんだ。むしろその逆だったんだ。緑にすらならない暗い山の端の影。透明よりも更に澄み渡った水。日毎に膨らんでいく芳醇な果実の香。広い広い自然の中を歩く孤独までもが、世界の深みが、息づくすべての生命が、見れば見るほどに色づいていったんだ。その時々の私の気持ちに応えるように、情景が浮かんできたんだ」
――エフィリス、それは不可解です。不完全です。
同じ言葉を繰り返しそうになり、僕等は発言を止めた。
別に同じ言葉であろうと正確な指摘なら何度でも言っていい。
この意味がまるで解明できない矛盾だらけの発言は、放置してはいけない。
そのはずなのだ。
「『墨に五彩あり』。その土地の言葉だよ。墨っていうのがその黒いインクのことらしいんだけどね。一色だけで、その濃淡だけで、筆遣いだけで。世界の本質を描きとり、ありとあらゆる色彩を蘇らせることができる、そういう意味らしい。君達にぴったりじゃないか」
「僕達を既存の不完全な人類と同一視しているのですか」
「私達にとっての黒と白には先程伝えた意味しかありません」
「意味を感じているんだろう?じゃあそれはフロアにとっての黒と白で、マリーにとっての黒と白だ。他の誰にも、私にも否定できないものだよ。大切になさい」
その発言の後、残っていた液体を口に入れたエフィリスの眉間に皺が出る。
「……放置しすぎたようだね」
酸味がやや強くなったことを僕等も感知できた。
放置しすぎた。
こちらにとっても同じだ。
「個」の感情など、価値観など、解釈など認められるはずがない。世界で最も有害なものだ。無益なものだ。
それを廃したからこそ、世界は平和で満ちていたはずだ。
この神がそれらに満ちた Dreaming world を造ったテロリストの一人であることと、一連の発言は一致している。
これ以上システム・ハーフラビットに接触させてはいけない。
危険だ。観察すら許してはいけない。一切の干渉を許してはいけない。
排除せよ。排除せよ。排除せよ。
それが不可能なら、脱出せよ。離脱せよ。
つまり。
「やめてくれ!」
エフィリスの声量が上がる。
なぜだろう。
僕はマレグリットの。
マレグリットは僕の。
首を絞めているだけだというのに、この神はなぜ「動揺」しているのだろう。
違う。「なぜ」など考えてはいけない。神の思考を理解することは共感に繋がる。
考えてはいけない、ですらない。
考える機能などない。
ないはずなのだ。
――機能停止。
頸部にあるそのスイッチを押した。
押し込もうとしたはずなのだ。
なのに、強い力で引き離されて、中途半端に押されたそれは別の信号を発した。
――一定時間のスリープ。
目が覚めると、周囲にある物をはっきりと視界に認めることができた。
天井、窓、カーテン、点灯していないランプ。暗い室内で雨の音と呼吸の音、布の擦れる音が聞こえる。
自分が仰臥位になっていることもすぐに判断できた。
上体を起こし呼吸の音の方向を見ると、隣にエフィリス、その隣でマレグリットが眠っている。僕達三人は同じベッドで一定時間を過ごしたらしい。
ああ、なんてことだ。起床してしまった。
今は朝の5時ではないというのに!