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第72話 誰そ彼時

この街に店を構え始めたのは祖父の代からだった。

澄んだ空気、豊富な水産資源、終の棲家を決めた神々の慎ましやかな来訪。商売をするには絶好の環境だ。

それに加えて、お腹を空かせてかぶりつく人々の、たまらないと言いたげな笑顔を間近で見られることも大きい。

仕事によって得られる充足感は、明日ももっと頑張ろうと思うには十分だった。


こんな世界だ。生まれたのがこの街でなければ、もっと悲惨な目に遭っていたかもしれないけれど。

でもこの街には教会があって教祖様がいるから、ずっとこんな風に幸せに過ごしていけるのだと私は確信している。


もうすぐ今日の営業も終わる。何の変哲もないが、良い一日だった。

そんな折、ふと通りに目を向けると、きょろきょろと辺りを見回している人物が目に入った。

「お兄さん、神かい?」

「あ、こんにちは」

「ってわけでもなさそうだな。珍しい恰好してたからつい、悪い悪い。旅人かい?」

「ああ、まあそんなところです」


体つきはしっかりしているが顔立ちにはほんの少し幼さが残る。きっと少年と呼ぶべきであろう人物が、神でもないのに一人でうろうろしているなんて、そのこと自体が珍しい。

そう思いながらも、自慢の看板商品を勧めてみた。


「ぴちぴちおさかなバーガーはどうだい?うまいよ」

「すいません、お金持ってなくて」

「ああ、親御さんと来てるのか。まあいいや、それならフライの切れ端をサービスしちゃうぞ!持って帰って一緒に食べてくれよ。なあに、小さいけど味は売り物と変わらないぞ!」

「いや、親じゃなくて……ええと、わざわざすみません」

「なあに、気に入ったらまた来てくれよ!」


遠慮がちにフライを受け取る少年は、一瞬躊躇った後に

「サービスついでに、お尋ねしていいですか?」

と問いかけて来た。


「なんだい?」

「俺と似た髪の色の、背の低い男の子知りませんか?」

「いいや?お客さんが初めてだよ、そんな色の頭見るの。弟とはぐれでもしたのかい?」

家族連れで来ているのか。無事に見つかって、明日全員で来てくれたらいいな。

「……あと、この街っていつもこんな感じなんですか?」

彼は広場の方に目を向け、何とも言えない表情をしている。


「ああ、賑やかだけど穏やかで良い街だろう?兄ちゃん」

「……」


目線の先を追うと、いつも通りの街の風景が目に入る。

だが、ふと視界の片隅で、ぼんやりとした人影を捉える。

あそこにあんな人いたかな?

いつも沢山の人が行き交う通りで一人一人を気に留めることなど滅多にないのに、今日はそれが二回目だ。でも先程の少年以上に、無性に気になる。

目を凝らしてよく見てみると、その人物が若い女であるとわかる。こちらを見ているように見える。見える、じゃない。確実に見ている。見られている。感情の籠らない、夜のような昏い瞳に捕捉されている。

眼窩の闇に呑み込まれるような錯覚を覚える。


こんなに近かったかな?いや、そんなはずない。気付けば目の前まで迫っている。



そしてそれがゆっくりと唇を動かすのと同時に、得も言われぬ不安から私は走り出していた。

気のせいかもしれないが、その口の形は、こう言っているように見えた。




「おとうさん」






走りながら、その言葉を頭の中で反芻する。

何故だ。私には娘などいない。あんな不気味な女に父と呼ばれる覚えはない。

それなのに、ああそれなのに。

ずきずきと胸が痛み始める。喉の奥に込み上げる熱が、息苦しさが、自分が泣き出しそうなことを告げてくる。


あの言葉を、よく知った声で、聞いたことがある気がする。



息が切れ、足を止め腿に手をつく。

その瞬間、身体がふらつく。

眩暈まで始まったかと一瞬思ったが、同じように体勢を崩す人々が視界に入り、そうではないことに気付く。




こんなこと、今までなかったはずなのに。

ラウフデルには災いなどないはずなのに。


地面が揺れている。

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