第66話 愛の極道
「そのきったない手を……」
高く掲げた夢鏡の柄を握り締めてイメージを伝える。
そこかしこに散らばった硝子や煉瓦が浮き上がり、ゆるやかに空中に円を描く。
「はなしなさい!!!」
それらの尖った面が一斉にダルネの方に向く。
私以外がバノンに触って良いとでも!?死んで詫びろ!
そんな気持ちを込めて、彼の頭上めがけて衝撃を叩き込む!
大聖遺物で補強されていようが何だろうが、頭を潰されて生き延びた奴なんかいない!
あとはバノンが巻き込まれる前に救出するだけだ、待ってて!
そう思って踏み出した足の数ミリ先に何かが飛んでくる。
「……っ!?」
それは何の変哲もない、ただの金属だった。
所有物でも遺物でもなければ、銃や爆弾ほど複雑な仕組みでもないシンプルな金属。
でもその形状は、私にとっては馴染み深いものだった。
「ナイフ?どこから……!」
どこからも何も、そんなことを考えている暇があるか!誰から、なんてことは考えなくてもわかるでしょ、回避行動を取れ、早く!
感覚がそう告げるままに、破壊された路地の端まで横向きに跳んで体勢を低くする。
私が立っていた場所に、二呼吸で。私の頭があった高さに、一呼吸で。
何かが辿り着き、空間を抉るような鋭い衝撃が走っていくのを肌が感じ取る。
「ダルネくん、まだ殺してしまってはいけませんよ」
「わかってるよマリー」
背後から穏やかな声が聞こえる。そしてそれに言葉を返した相手は、逃げも隠れもせず、私の真横に立っている。
「……!?」
「いつの間に、って思った?」
あまりにも自然に、唐突にそんなに近くにいるから、対処が遅れた。
「質量で押し潰せば相手は死ぬって思った?」
「いっ……」
髪を引っ張られて大きく体勢を崩す。
「上から攻撃を加えたら勝てるって思った?こんな風に?」
「くっ……」
立て直せないまま、半ば転がるように降り注ぐダガーナイフの剣戟を避けたり夢鏡で受け流したりする。
「どんな状況でも最終的に爆発させれば良いって思った?こんな感じ?」
バノンが服の隙間に隠し持っていたはずの手榴弾がすぐ近くに転がってくる。
意識を取られているうちに、気付いたらそれを投げたはずのダルネどころかマレグリットの姿すら見えない。
「……っ、夢鏡!」
咄嗟に地面を隆起させて自分の身から遠ざける。転がった先で、いくつもの部屋が扉ごと粉々に砕けているのが見える。
でもそんなのを最後まで見届けている余裕はない。
夢鏡、夢鏡が私にはある。何か、私の思い描く何かを出さなくちゃ。
ガトリングガン、ショットガン、サブマシンガン。
そういうのをなんとかイメージしてみるけど、焦る頭ではコントロールができず、不完全な形で出てきたそれらが分解されながらぼとぼと落ちてくるだけだ。
「あー、また武器欲しいなーって感じなの?」
背後から声が聞こえる。悠長に振り返っている暇などない。
声から推測できる位置、推測できる刃の軌道から逃れるように身を反らす。
0.5秒遅くにその刃は空を切る。彼は話し続けている。
「だってその所有物、武器じゃないもんな。よくレーゼに勝てたねえ、ちゃんミウ」
片手の先で弄ぶように二、三本のナイフを回しているその姿は気を張っている感じがなく、余所見もたまにしている。けど、肩に担ぎ直されたバノンのことを差し引いても攻撃が難しい。
仕掛ける隙がない。接近した瞬間的確に致命傷を与えられる、そんな予感がする。
所有物でも遺物でもない、言わばただの金属片に過ぎないその刃。
神でもなんでもない、生命の起源の力で延命されているだけの存在。
しかし私にとっては身に覚えのある脅威だ。神とは違い己の技術のみで他者を攻撃し命を奪うことに慣れている者が、敵を目の前にして油断するわけがない。
ダルネはゼクスレーゼとは違う。戦闘で勝利することを目的としていない。
バノンの身柄を確保しているからといって交渉に持ち込もうという気配もない。
そこに勝負の概念はなく、愉悦も興味もなく、更には自分が完全に上だと認識していながらも、隙を見せることもない。
じゃあ、こいつの目的は。
「……っ、痛!」
「あ、気付いた?」
脇腹からいつの間にか出血している。どのタイミングで負傷したのか思い出そうとする一瞬のうちに動きが鈍り、大腿部への追撃を許してしまう。
「あ、ぐっ」
上手く走れずに引きずる脚が縺れ、派手に転んでしまう。
背後に感じる気配が、触れていないのに痛いほど冷たく思える。
ダルネはきっと、命さえあれば他はどうでもいいくらいに私を痛めつけて無力化して、マレグリットにとって無害な存在にしようとしているんだ。難なく殺せるけど、マレグリットに殺すなと言われたから殺しに来ないんだ。
彼にとってそれは義務であり、事務処理であり、仕事なんだ。
そういう戦い方を私はよくよく知っている。
「マレグリット、あなたとんだ聖職者ね……!殺し屋なんかと癒着してるなんて!こうやって恋人の手を汚させて、教会に逆らう者を処分してたのね!」
彼女はいつの間にか移動しているようで、ダルネの更に後ろから声が聞こえる。
「いいえ」
なめらかな口調で答が返ってくる。
「その人はストーカーです」
は!?
「ストーカーってあのストーカー?シャンプーの銘柄調べ上げて飲むとか、ゴミの日の朝にレシートを漁るとかする、あのストーカー!?」
「シャンプーの銘柄……?ゴミの日……?レシート……?申し訳ありません、それらのことはよく理解できません。呼んでもいないのについてきて、頼んでもいないのに私のためと言って戦おうとする人のことをそう呼ぶとゼクスレーゼが言っていました。でも問題ありません、どんな人でも私達の世界では最終的には平等に救われることでしょう」
「マリーの行くところならどこへでもついていくよ!」
「くっ!」
淡々と語るマレグリットも、それを聞きながら独特のリズムで私に斬りかかってくるダルネも全然表情や口調が揺らがない。
頭は混乱するしバノンは取り戻せてないし身体は攻撃を受け流すのに忙しいし、何一つ処理できない。
いつでも致命傷を与えられるはずのその刃は私の腕や脚を執拗に狙い、体勢を立て直すだけで精一杯だ。その状態のまま彼は飄々とした口調で語りかけてくる。
「ねーねー、ちゃんミウ」
「くっ」
「ちゃんミウは何のために戦ってるわけ?」
「……関係ないでしょ」
「やっぱこいつのため?」
「バノンのことこいつとか言うんじゃないわよ!」
「わかんないなあ、こいつの良さ」
「よく知らないくせに勝手言わないで!」
かっとなって思わず殴りかかろうと踏み込む足に痛みが走る。
「ぐっ……」
「だめだろー、ちゃんと痛くなるようにしてるのに。無理したら二度と歩けなくなっちゃうかもよ?」
「あなたに……っ、バノンのことどうこう言われたくない!」
「自分は殺そうとしてるのに?」
痛みが、増していく。
「……今なんて?」
「だってそうじゃん。一緒に死にたがってるらしいじゃん、会ったばかりの奴とさ。でもそれって」
「……っ、黙りなさい」
「ちゃんミウが神だから一方的にそう思ってるだけなんじゃない?」
「違う!」
「こいつ本当に死にたいって思ってるの?」
「本当よ、本人がそう言ったわよ!」
「ちゃんミウの気を引くために言ってるだけだと思いまーす」
「あなたに何がわかるの!」
まともにやりあっては駄目だと頭ではわかっているのに、その言葉ひとつひとつに反応してしまい、動作が鈍る。
「わかるよ、愛のことなら何でも。俺は愛の求道者だから」
「へ?」
「俺はマリーを愛してる。愛のために生き、愛のために戦い、愛のために死ぬ……うーん、なんて有意義な生きざまなんだ!愛は何よりも素晴らしい!」
「知らないわよ、何なのよ急に……」
「だからさあ、愛以外の前に俺は屈することはないわけだ。わかる?」
「全っ然わからない」
「あのさあ、ちゃんミウ」
「……」
「俺達さっきからけっこう長く戦ってるじゃん?バノバノずっとここにいるじゃん?」
腕にも顔にも傷が増えている。
「なんで気付かないわけ?」
「…………!?」
担がれていたバノンが、ゴミみたいにぺしゃっと地面に叩き付けられる。
「バノン!」
慌てて駆け寄ると、バノンがゆっくりと目を開ける。
「ミウ……」
その声を聞いてほっとする。
「怪我してない!?どこか痛くない!?」
「痛いわけないじゃん」
でも、返事をしたのはバノンじゃなかった。
「バノバノ気絶とかしてないよ。ずっと起きてたよ」
「えっ」
バノンが目を反らして俯く。
「ずっと起きてたし、何が起こってるかもわかってたよ。俺がちゃんミウのことどれだけ傷付けても、バノバノずーっとなんにもしてなかったよ」
「……何が言いたいの」
ダルネがまたナイフをくるくる回し始める。
「ちゃんミウ、バノバノ。それ愛じゃないよ。もうやめたら?」
シャンプーを飲むのは大変危険です。やめましょう。