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第65話 美しき水の星

そうだ、この街が気に入らないのも早く出て行きたいのも、作り物っぽくて居心地が悪いからだけじゃない。

むしろ気付かなかったからそんな曖昧な理由で嫌うことができた。

でも私は今や夢鏡の主だ。そしてそれが本当はどんな力を持つのかも知ってしまった。連鎖的に、今まで起こってきたこと、今起こっていることが頭の中で結び付けられていく感覚がある。

これが自分の思考によるものなのか、感覚が鋭くなっているのかは判断できないけど、そんなことは今どうだっていい。



そんなことより状況は意味不明で、対峙している人物は存在自体が支離滅裂だ。



「なんでこんなことするの?」


ろくな答えが返ってこないことは明白でも、そう問いかけざるを得ない。


「別に死体を片っ端から空気や水に変換しなくてもこの世界は勝手にメンテナンスされるし、清浄な場所は清浄なままよ。エネルギーや資源なんか、『人』は、いえ『神』ですらも気にする必要ないのに。なんでわざわざこんな気持ち悪い再利用なんかするのよ」


屋根の上からそう話しかけるけど、清流が分かれて無になっている空間で佇んでいる教祖は微笑みながら微動だにせずこちらを見上げている。


キエルはいよいよ耐えられなくなったとでも言うようなか細い声で、私の後ろで

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

って繰り返しながら顔を覆っている。



笑ってんじゃないわよ、泣いてんじゃないわよ。説明したいんならせめてしゃべりなさいよ。

そんな風に私が苛立っていることを察しているのか気にも留めていないのか、ゆったりとした言葉がやがて紡がれ始める。



「人は皆、幸せにならなくてはいけないのです」


ゆったりと、しかしはっきりと。自らの言葉に、思想に何の疑いも持たない、澄み渡るような話し方がやけに胸をざわつかせる。



「人は愚かです。人は弱者です。すぐに殺し合っては苦しみながら死んでいきます」

「みんな知ってるわよそんなこと」

「そんなの、あまりにも可哀想ではないですか。せっかく生まれて来たのに、虐げられて奪われて殺されて、何のために生きているのかわからないなんて、あまりにも心無いではないですか」

「何それ、被害者意識?神に服従させられるのが気に入らないとでも?マセリアの傘下にいるくせに」

「いいえ、いいえ。私は神々に対して敵意を持っているわけではありません。むしろ人と同じように、愛され慈しまれるに値する尊い存在だと思っています」

「そんなの頼んだ覚えないわ」

「生きている時に必要かどうかではないのです。どんな場合においても必ず死ぬからこそ意味があるのです。あなただって同じ考えのはずですよ」

「何の話よ」

「生きていても幸せになれる保証はどこにもありません。幸せであっても何の前触れもなく突然それが瓦解することは十分に有り得ます」

「だからそれが何だって」

「あなただって、同じはずです」



澄んだ水の流れる音が背中をぞわりと撫で回すように感じられる。屋根の上に水は届いていないのに、足が取られるような錯覚に襲われてバノンの手を一層強く握り締める。



「生命は終わりを迎えて初めて、平穏と安寧をその身に迎え入れることができると信じているはずです」



「……なんて?」



「平易な言葉に言い換える必要がある、ということでしょうか」



やけに鼻につく言い回しだけど、沈黙は肯定と受け取られたようだ。マレグリットはしばらく頭を捻ってううんと呟き、はっと思いついたように言葉を発した。



「つまりは『死んだ方がマシ』ということです」

「ん?」


顔の横で指を組みながら微笑んでいる聖職者の口からは出そうにない言葉だ。


「負傷させられて痛い。いたはずの神や人がいなくなって悲しい。病で苦しい。虐げられて悔しい。奪われて妬ましい。思い通りにならなくて腹立たしい。生きている限り、そんなことばかりです。人生なんてそんなことばかりですよ、本当に」

「……あなた」



感情のひとつもないような作り物みたいな表情と声色は相変わらずだけど、いくらか俗っぽくなった口調で紡がれるそれは、あまりにも身に覚えのある手触りをしている。



「私はある時完全に疲れ切ってしまいました。憎むことに、恨むことに、憤ることに。蹂躙されることに、翻弄されることに、それでも生き延びてしまっていることに。……それでも、私は今ここに辿り着くことができました。そう、同じ苦しみを持つように作られた仲間を救うことができる境地に」

「もういい!」



これ以上聞いてたくない。

夢鏡(プリズム・ドリーム)!!!」


私の夢よ、この空間の中で具現化しろ!

地よ、私の思うがままに!


夢鏡を高く掲げて名を叫ぶと、硬質な地面が大きく波打つように盛り上がり、杭のようにマレグリット達を下から鋭く突き上げる。




しかし、こんなことで死んでくれるくらい(セイクリッド・)聖遺物(レリック)No.3の主は軟弱ではないらしい。

水流が空にかかる橋のように浮き上がり、マレグリットとダルネを押し上げる。


私達とマレグリット達の目線の高さは同じ。そして水流は縦横無断にうねり始め、風を伴いながら私達に襲い掛かる!



「きゃーっ!」


キエルが後ろの方に吹っ飛ばされていくけど、あんたはNo.1の主でしょ!自力でなんとかしなさい!

吹き荒れる暴風を咄嗟に作り上げた壁で防いで、足元を掬うような激流よりも上方に階段を作って、とにかく私は忙しいんだから!




「私は辿り着いたのです、いいえ、私達が。ラウフデルがもうこの境地に辿り着いているのです」

「うっさいわ!」


襲い掛かる水流を掻き分けるように走るにつれマレグリットの声が、時に横から、時に上から聞こえてくる。流れが速くてどこにいるのかうまく把握できない。

気圧されないように、押し負けないように。水を避けながら、聞こえてくる声に抗って叫ぶ。


「いずれは皆その生命を終わらせるならば、その流れに逆らうことなく、終わりを迎えた先に幸福があればいいのです」

「幸福!?空気や水にされることが幸せって言いたいの!?」

「どれだけ血を流しても、どこの骨が折れても。いずれは澄み渡る空に、絶えることのない春風に、森の恵みに同化できるのなら。命の終わりとともに美しい世界に姿を変えることができるなら。生まれたことにも意味があると言えましょう」

「都合が悪くなったらその人がいた記憶ごと消してるくせに!綺麗事言ってんじゃない!」

「苦しい記憶に、悲しい記憶に何の価値がありますか?優しい記憶さえあれば人は優しくなれます。あなただって見たでしょう、優しくて穏やかなラウフデルの人々を。どんな苦しみも平等に取り除かれることを信じて生きている幸福な人々を。この世界における永遠の楽園を」

「ええ最初から見てたわよ、暴れてる奴をゼクスレーゼが容赦なく殺してく光景とかね!」

「ミウ様。あなたには神としての権威が、正当性があるのでしょう。しかし私達にはそれを侵害する意図はありません。あくまでご協力をお願いしているのです」

「人質取って囲い込んで何がご協力よふざけないで!敵じゃないとでも?仲間ヅラされる方が迷惑よ、とっととマセリア出して引っ込んでなさい!」

「あなたがたと私の信仰と何が違うのですか?」



私達の周りの水流が重なり合い、渦になって私達を取り囲んでいく。



「苦しいから死にたい。美しい場所で眠るように死にたい。死んだ後は跡形もなく消えて、傷付くことのない理想的な優しい世界だけが残っていればいい。そうですよね、神は……いえ、少なくともあなたはそうですよね、ミウ様!」

「……!!」


こいつ、知ってる!ミラディスやソフェルとは違う!

私が安楽死を求めてこの世界に来たことを、明確に知ってる!



「あなた私の何なのよ!神でもないくせに何を知っているって言うの!」


上に作った足場に届く前に、強風に阻まれて進めなくなる。


「私は人です!」

「嘘!」



ずっと前から抱いていた違和感をそのまま口にする。



「さっきから矛盾してるわ!あなたこそもう死んでるくせに!恵み?春風?何にもならずに生にしがみついてるじゃない!」

「私は生きています」

「嘘でしょ!あなたとダルネ、いつから生きてるの!?死んでるものを無理矢理動かしてるようにしか見えないわよ!表情のパターンすらないじゃない!」

「……確かに、生まれた時代はもっと前です。今の『人』よりもずっと粗だらけの知能しか持たずに生まれ落ちた時には、『神』と明確に分けられるような、予め命じられた行動しかできない不完全な存在であったことは否定できません。それでも、人は学習することができます。成長することができます。可能性は無限に広がっています」

「学習したくらいで……寿命が延びるか!……っ!」



巻き上がる風の強さで、バノンと繋いでた手の力が少しずつ弛んでいく。



「ええもちろん、個人の努力だけでは限界がありましょう。でも、だからこそ『大聖遺物』なのです」

「何……!?」

「自分だけでも目の前の相手だけでもない、『皆』を救うには、小さい法則を少しずつ変えていくのでは足りないのです。生命の起源(ジェネシス)は生命を司る法則を変えられますが、私やダルネくんだけが苦しみから解放されても意味がないのです。人を救うのは人ではなく仕組み、法則、システムなのです」



「つまり『人』だったあなたがマセリアに永遠の生命を与えられて、今度は自分がその大聖遺物を使う側に回ったってこと!?」

「さようでございます」


飛んでくる水流をどうにか夢鏡ではたき落としながらも、指が一本ずつ離れていく。



「あなたの目的は何!」


問い掛けると、待ち詫びていたかのようにマレグリットの声色が少しだけ明るくなる。



「この世界すべてを救済で満たすことが私の役目です」

「どこまで傲慢なの!」

「苦しむ人々を放置するのと解放するのと、どちらが傲慢かあなたに決められますか?」

「そんなに言うんならやればいいじゃないやれば!中途半端にしかできてない上に私達を巻き込んでるから怒ってんでしょうが!」

「ええ、ですから」



指が離れる。



「バノン!」



目すら開けていられない。バノンがどこに飛ばされていったのか全然わからない!



「あなたがたのご協力が必要なのです」


「それどころじゃない!バノンが、バノンが」


「生命の理を司る生命の起源(ジェネシス)。 世界を新しく創造する真夏の(ア・ミッドナイツ・)夜の夢(サマードリーム)。そして新しく出来上がった世界を、理を正統なものと認可を下す聖歌(ヒュプノーゼ)。私達が大聖遺物の力を合わせることによって初めて成し遂げられるのです」

「誰が協力するか!」



そう答えて、ふと思い出す。

「……神殺し(ミストルティン)もなの?」

「ええ、ええ。ご理解いただけなかった神からの妨害を防ぐ役割がありますが、それ以上に大聖遺物であること、それ自体に意味があります」

「は?」

「世界すべてを救うには『大量の(リソース)を処理できる』容量を確保しておく必要があります」

「雑なのに変なとこ堅実にならないでくれる!?」



私がどこに向かって話してるのかももはやわからないけど、正面にいるかのように声がすぐに返ってくる。



「原初の神はこの世界を作りました。神々の故郷の昔の姿そっくりに。輝ける海、色鮮やかな花、表情を変える雲、移り変わる季節、煌めく星空。生命の連鎖や循環、天体の運行、元素のひとつひとつに至るまで芸術的なほど緻密に模されながらも、より優美に、より繊細にアレンジを加えられています。この世界はもう他のどこにもない、美しき水の星と言えましょう」

「……っ」

「ですが彼等は無慈悲でした。人の身に、苦痛を感じる機能を残したまま模してしまったのです」

「だからそこを自力で世界全員分作り替えるって?」

「ええ。その完遂の時まで、私は安らかな死から一番遠い場所にいましょう。世界からありとあらゆる苦痛が取り除かれるまで、私は生きることで同じだけの苦痛を負いましょう」

「……願うのは自由よ、私が口出すことじゃない」



手元に残った夢鏡にもう一度呼び掛ける。




「でもこれが神にものを頼む態度かーーーー!!!!!」



折れて飛んだ壁が、柱が、水や風の流れを突き破って私のもとに届く。それらは私を取り囲むように集まって、不格好ながらも要塞のような出で立ちになる。


これでいける!

私の使える(リソース)の方が上だ!

例え家が吹き飛ぶほどの風でも、街が沈むほどの水でも、星を落とせないのと同じよ!

もう私はびくともしない。激流の中でしっかりと立って目を開けていられる。



そんな私の姿を見て早々に無駄だと判断したのか、空気と水はその動きを止めた。



「……まだご理解いただけないようですね」



「バノン、バノンどこ!?」


マレグリットはいつの間にか最初にいた場所とそう変わらない、通路の上で微笑んでいた。私はその正面で、自分を覆っていた質量の塊をぼとぼと落として解放する。




でもバノンの姿が見えない。

こんな状況で手を放してしまうことのまずさは理解しているつもりだ。

私のそばから彼女が離れることで今まで何が起こってきたか、一気に頭の中に甦ってくる。

早く見つけなくちゃ、そう思ってマレグリットに背を向けたその一瞬で、やっぱりそうだと確信した。




どんな風の中でも、腕がもげても、手を放しちゃいけなかったんだ。







「ちーっす!ちゃんミウやっぱやべーわ、俺に任せてよマリー」

「あら、いつの間に」

「マリーが正攻法で頑張ってた時にだよ~!やっぱ俺気が利く、マリーにふさわしい、うんうん!」

「その発言については意見を差し控えさせていただきます。それはそうと、その人をどうなさるつもりですか?」

「決まってんじゃん」




振り向いた先で、チャラい猫背の赤毛の男がニヤニヤ笑ってる。

そして。



「マリーの素晴らしさを教えてあげんだよ、俺やさしー!」



きったない腕の中でバノンがぐったりしてるんだけど!?!?!?


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