第64話 冥都ラウフデル
――ラウフデル地下、通路にて
ずる、ずるずる。ずるずる。
死体の群れが硬質な地面を這いずり回る音を、それよりも一段高く死角となる物陰でじっと聞いている者が二人いた。
「……っ」
「そんなに睨まないでよ、ソフェル」
「痛いんだけど。いい加減放してよ」
「やだよ!君のことだから一人にすると敵の群れに突っ込んでいきそうじゃん!」
「あたしのこと何だと思ってんの!?」
じっと、というのは「なんか怖い状況らしいのでソフェルが変に動かないようにミラディスが両手首を掴んで壁に押し付けている」という意味であって、別に二人とも冷静ではないし、何が起こっているのかも把握していない。
だから、遠くから不意に届いた強い光に二人して
「ヒエッ!?」
と飛び跳ねて驚いてしまうのも無理はない。
しかし、あまりにも静かだった。光が届いた瞬間、すべての音が途切れたのだ。変だなと顔を見合わせるが、言葉を発するのが躊躇われるほどに静かだった。
それから数分後、またわずかに這うような音が聞こえてきた。
そっと外の様子を窺うために顔を出した二人の目に映ったのは――
「……!」
「ソフェル!戻って!」
彼女が走り出て行かないようにミラディスが掴んだ腕は特に振り払われることもなく、あまりにも容易く物陰に引き戻して座り込ませることに成功した。
だが、安心していられようか。
彼は自分の血の気が引く音を聞いた気がした。そのくせ心臓の鼓動は速くなっていく。しゃくり上げて涙を流している彼女を見て、さっきの光景が見間違いではなかったことを確信した。
だから、残酷な行為だとは理解しつつも、彼女の意思を――自分が彼女を守るべきか見捨てるべきか、確認する必要があった。
「あのさ」
「……」
「君の」
「……」
「友達って」
「……じゃ」
「ん?」
「あたしじゃ、駄目だったのかなあ」
「ソフェル」
「ちゃんと還れますようにって、もう苦しみませんようにって、祈ったのになあ……!あたしのやったこと、何の意味もなかったのかなあ……!」
ああ、彼女は現実を見ている。
数日前まで騎士団員の遺体として弔ったはずのものが蠢いていても、階級ごとに色分けされた胸の紋章だけが鮮やかに残っていても、変色した肌やぼとぼと落ちる体液を目にして、知り合いだ何だと駆け寄るほど愚かではない。
そう彼が理解するには、今の言葉だけで十分だった。泣き崩れる彼女の、出逢った時からずっと傷だらけだった手がやけに目につく。ここで捨て置く判断をしなくて済む安堵感と、痛ましい表情を目にしての気まずさが綯い交ぜになる。
「そうだ」とも「そんなことない」とも言えず、ただその場にいることしかできなかった彼は、彼女の言葉を頭の中で反芻しながら、不意に「ある疑問」に行き当たる。
「ねえ、ソフェル。聞きたいことがあるんだけど」
「……なに」
「普通、その……死んだらどうなるの?」
「何言ってるの」
「……はは、ごめん変なこと聞いて」
「決まってるじゃない。ちゃんと祈ってもらって一晩経ったら、化物になんかならずに済んで、それから」
その答を聞いて彼には、目の前にいるはずの彼女がひどく遠くにいる存在であるように思えた。
「消えて風に還るなんて、当たり前でしょ」
――ラウフデル地下、広場にて
「生命の起源!!!」
マレグリットが大遺物の詠唱を終えると、強い光が辺りを包み込む。
どこからもたらされた光なのかも確かめられないくらい眩しい!そんな一瞬が過ぎ去り、薄らと目を開ける。
その瞬間、それが「空気そのもの」だと理解した。
さっきまで当たり前に存在していた空気が、質量を増加させ一つ一つの粒のように輝いていた。
光り終えると黒い塊になり、ぼたぼたと地に落ちていく。
そしてぼこぼこ音を立てて盛り上がり、やがてそれぞれが人の形をとっていく。
それは先程から何回も目にした「動く死体」そのものだった。
「ふう、これで安心です」
「すごいすごい、マリー」
「これでこの街の平和は守られます」
「さっすがマリー!」
大聖遺物を発動した主は涼しい笑顔を浮かべ、その背後からダルネが首に纏わりついている。
そしてそのまた後ろにずらりと何十体もの死体が並んでいる。
「なんなのよこいつら!人目もはばからずイチャイチャしやがって!」
「そうだねミウ」
「どっちもどっちです、っていうか問題はそこじゃないです~!」
どっちもどっちって言いやがったわねキエル!覚えてなさいよ!
「生命の起源を使ってマレグリットさん達は、この街を『人が死んでも生き続ける』ように作りかえちゃってるんです~!」
「は!?あの死体どう見ても死んでるじゃない!」
「そうじゃないんです!いいですか、この街の人は死体になったら消えちゃうんです!」
「消えてないじゃない!」
「そういうことじゃなくて、そういうことじゃなくて!」
キエルのわけわかんない話の相手をしてると、マレグリットがすっと口を挟んでくる。
「肉体ごと力を吸収しているのですよ、この聖都の空気すべてが」
「……あっさりと敵に種明かしをするのね。要はゼクスレーゼの血塗れの女王の上位互換ってとこ?もっとも回復も蘇生もできずに出来損ないの生命を産み出してるみたいだけど」
そう返すと、微笑みながらも少し眉を下げて答えられる。
「ミウ様、あなたはどうやら勘違いをされているようですね」
「何?」
「一つ、私達はあなたの敵ではありません。お力添えをいただきたく、こうして馳せ参上した次第です」
「そういうこと言う奴は敵なのよ」
「二つ、ジェネシスがもたらすのは回復や蘇生ではありません。永遠の循環です。それを皆が信じることによって聖都から恐怖と争いは消え、恒久の平和がもたらされたのです」
「知らないわよ……っていうか何が循環してるって言うのよ」
「三つ。彼等は出来損ないの生命ではありません。ご覧に入れてみせましょう」
ゆったりとした所作で礼をされる。
その仰々しい態度に苛立っている場合でもないようだ。
「この街を包み込む森の恵みを、澄み渡る空を、絶えることのない春風を!」
その声と同時に、虚ろにゆらゆらと揺れていた死体達が急にぱたぱたと地に伏せていく。
「!だめです!」
キエルに羽交い絞めにされ、身体がわずかに浮く。
手を繋いでたバノンがずり落ちそうになると同時に、均等な高さに並んだ屋根の上に下ろされる。
「ちょっと、危ないわね」
「危なかったんですよ!」
マレグリットの方を見下ろすと、何も変わらず微笑みを浮かべているだけだ。ダルネもマレグリットの背後に張り付いたままだ。
でも、死体の姿がない。正確に言えば、固形の肉体を保っていない。
やけにごうごううるさい音が耳に響く。
私はふと地上のラウフデルに思いを馳せていた。
破壊された高くそびえるハーフラビット社。
巨大なアレイルスェン教会。
畑も住宅地も商業区もある大きな街。
だけど墓地は、どこにもなかった。
東と南が海に面している広大な土地。
西に広がっているくせに手つかずの緑地。
適当な自動運転の船で辿り着けてしまう港。
開けている地形のはずなのに、逃げ道は閉ざされている。
街中に張り巡らされた水路。
街全体を彩る、花、花、花。
狂った神が作り上げた地下街。
――「ミウ、怖い話は好きかな?」
――「人が死んでも生き続ける」
――「彼ですら力を十分に発揮できない」
――「よくあってたまるか!」
――「この環から、絆から、繋がりから零れ落ちるような可哀想で不幸な者」
――「大聖遺物No.3」
下の通路には、マレグリットとダルネだけを避けて、激しく水が流れ始めた。
その水嵩はどんどん上がっていく。
「キエル、あなたいつから気付いてた?」
「なんだかおかしいなって思い始めたのはさらわれてからで、見え始めたのは礼拝堂がどかーんってなった時からです。……絶対そうだって思ったのは、ゆうべです」
「なんで私、気付かなかったのかしらね」
「セルシオル様が生きてた時からこの空間に割り入って、一部を間借りして拠点にされていたなら、それを当たり前のものとしてミウちゃんに受け継がれてしまってもおかしくはないです」
「……バノンも、聞いていい?」
「うん」
「……あなたの中のそいつが持ってるのも、大聖遺物?」
「答えられない」
「肯定ってことね。で、セルスが一番目で、セルシオルが二番目の神なのよね、キエル?」
「そうです」
「数字が小さいほど強いの?」
「『戦える』という意味なら、そうじゃないです。でも、『力の配分を優先される』という意味なら、そうです」
何が循環よ、何が生命の起源よ。
下を流れる水は、無から湧いて出たものじゃない。死体が急にどろどろと溶けて透明な水と化したんだ。
そしてあれだけの数の市民が、キエルの歌で洗脳される前から教会を信仰するにはそれなりの理由が必要なはずだ。
全部、全部繋がった。
「祈ればああはならないとか、苦しみなく終われるとか、信心がなければ罰が当たるとか、そういうことを言ってきたんでしょ」
浮腫んだ顔、剥き出しの骨、腐敗した皮膚、垂れ下がる内臓。損傷していく死体の行く末をきっとこの街の人は知らない。
知っていたとして、それが自然なことだなんて思っていないはずだ。
だって、この街で死んだ人は。
「キエルさん、ミウ様。共に理想郷を永続させましょう」
ジェネシスに吸収・保存された後、この街の大気と水に姿を変えさせられるんだから。