第63話 明るい暗がり
「病室」を出ても廊下は至って静かなものだった。
ミラディスとソフェルがうどんの器を洗って拭いて、かちゃかちゃと重ねているのが、「厨房」と書かれた部屋の扉についた窓越しにうっすら見える。
キエルも最初は加わっていたのだが、何をやらかしたのか
「あんたはもう動かないで何もしないでそこらへんのもの触らないで!」
とソフェルにつまみ出されていた。
よく知らないものの片付けなんか邪魔なだけだ、その点私とバノンはじっと待ってるからえらい。
本来「病室」がある場所の廊下には有り得ないけど、割れた床の隙間からひっそりと生えているクローバーの中に四つ葉が混じってるのを発見する。
「バノン、これあげる。幸運のおまもり」
「ありがとーミウ」
「いやあんたらは手伝う意思くらい見せなさいよ!」
何か聞こえた気がするけど気のせいだろう。
それが終わるとまた私達は歩き出した。
「たぶんミウちゃんが自分で確かめた方が早いですよ」
そのキエルの言葉通りに、改めて周りを観察してみる。
「病室」もそうだけど、あまり良い気がしない名前の部屋が並んでる。それ以上に、心電図を測定する機械とか、吊るされた点滴とか、薬品を運ぶ銀色のカートとか、そういう部屋の内外に置かれたモノを見てると嫌な気分になってくる。
「バノン、これ知ってる?」
「見たことないよ」
やっぱり私にとっての悪夢なのね、これは。
そう納得しかけたけど、別の考えが浮かんできた。
「これは私だけが作った空間じゃないわよね?」
そう尋ねるとキエルが、ええおそらくは、と答える。
「セルシオルさまにとっての楽園はすでにこの街で作られつつあったんだと思います」
「あいつにとっての楽園ね……」
私とバノンが囚われた「森の教会での夢」を思い出す。
結局あいつは、正気の時もそうだったかどうかは置いといて、セルスと結ばれて永遠に共にいるとかそういうことがしたかったんだと思う。
セルシオルの発動によっていきなり生まれた夢の世界に、キエルの歌によって人々が引きずり込まれてたって考えてた。
でも、さっきのキエルの話とかこの状況を考えると、空間自体はこつこつ作られてて、その一部を取り出してきたっていう方が感覚としては近いのかもしれない。
実際、あの森の教会と、この空間にある部屋のいくつかは似通ってる部分もある。
その一方で宗教的でないと思えるような部分も多く、「街のようだ」という印象もあながち間違っていないんだろう。
そして私が憑依された夢鏡を使うごとに、私の意識の中にあった風景がこの空間に少しずつ付け足されていったということなのだろう。
「じゃあ私と誰かが夢で話せるっていうのは、私の意識が……」
「意識だけこの空間にやってきて、その上のラウフデルにいる人にちょくせつ話しかけられるようになってたんじゃないですか?」
そう答えるキエルは広い空のような天井を自在に飛び回りながら辺りを見回している。
結構な高さだから声を張らないととても話せない距離のはずなのに、普通の大きさの話し声がキエルに届いているし、キエルからの声もそう。
「バノン」
「なに?ミウ」
「ミラディス」
「はいはーい?」
「ソフェル」
「ん?ミウあんたどこにいるの?」
バノンの手は私がずっと握ってるけど、道が複雑な角度で折れ曲がっているから、さっきまで後ろにいたはずのミラディスとソフェルの姿は見えない。でも、当たり前のように声が返ってくる。
「……どこにいても同じように会話できるのね」
「あんたらがほいほい先に行くからあたしは迷惑してるんだけど!?」
ちょっとうるさいな。
「バノン、あなたから他の三人に話し掛けられる?」
「やってみるね。おーいキエル」
反応はない。
私にしかこの効果は適用されていないのかもしれない。
「でもやっぱり変よ、キエル」
「何がです~?」
「あなたの『聖歌』と『伝承歌』も二つで一つの大聖遺物なのよね?神の血が濃いから継承できるっているのもギリギリわかるわ。でもそれならなおさら、なんで私の『夢鏡』がホイホイ効くのよ」
「それはですね~」
キエルが空中で一回転する。
「わたしもミウちゃんとお話したくてたまらなかったから、じゃないですか?」
「何よそれ」
「うれしいです、ミウちゃんもわたしとお話したいって思ってくれてたんですね~」
「勝手に解釈しないでよ」
くるくる回ってないで、しっかりしてほしい。
大聖遺物は願望を言葉に変換した際に生まれる膨大な量の力。最初の八人の心の中心。
そうは言われても、知らないままに発動したものを私の願望扱いされても。現にこの空間自体、私が望んでるかって言われたらそうでもないし。
「私そもそも動く腐乱死体なんか見たことも想像したこともないし、想像したことすらないと思うんだけど」
ラウフデル地上で見た、当たり前に過ごすそれらはこの空間のあちらこちらにも存在している。
こんなのちょっと前まではいなかったじゃない。じゃあ、この空間で生まれたと考えられる。
「あっ、それはですねえ!聞いてくださいよ……」
キエルが何か言いかけて、はっと言葉を途切れさせる。
「どうしたのよ」
私がそう言い終わるより早く、キエルが目の前に急降下してくる。
「まずいです、追っ手です」
「追っ手って……?」
「とにかくここから動きましょう!」
そう言うなりキエルが低空で飛び始める。
バノンを担いでその後を追う。さっきまで上空からいたキエルが先導しているから、見落としそうな横道や細い隠し通路にずんずん入り込むことができる。
姿が見えない二人にも話し掛ける。
「ミラディス、ソフェル!あなたたちどこにいる?」
「あっミウ!どこって言われてもわかんないよー!いきなりどうしたの!?」
「キエルからの伝言。なるべく目立たない、誰の目にも入らないところに隠れててって」
「えっ何があったの?って、ちょっとミラディスどこ触っ……んぐ!?」
「君は黙ってて!こっち!」
なんとなく意図を察してどこかに身を潜めようとしている、そんな感じの応答があったからまあ大丈夫だろう。
「……後でちゃんと説明しなさいよ、あんたら」
ちょっと怒ってる声が聞こえたけど、私だってキエルの言ってることがよくわかってないんだから仕方ないじゃない。
死体も人形もいない部屋に入って、やっとキエルは羽根を休めてふうっと息を大きく吐いた。
「ここにいるって気付かれたらまずいですよ、どっか行くまで隠れてやり過ごしましょう」
「気付かれたらどうだって言うのよ」
「……さっきの話の続きです。死んじゃった人を生きてるように、いなくなった人を最初からいなかったように、ラウフデルの人々は思い込まされてます。なんででしょう」
「あなたの歌で洗脳されてるからじゃないの、キエル?」
「だいせいかいです~!」
何よこの茶番。わかってるなら最初からそう言いなさいよ。
「ぎゃくにわたしがいなかったら、いくら信じてくれる人達相手でも、ここまではできなかったと思いますよ」
「……ちょっと。その言い方だと、まるで最初から」
「最初からあの方々はそのつもりだったんです」
そんな話をしていると、不意に近くのどこかから轟音が響いてくる。
「……!」
音は不規則に、そう長くない間隔で起こっているようで、次第に近付いてくる。
扉を少しだけ開けて様子を見る。
腐乱死体の大群が、並んだ扉をしらみ潰しに破壊して回っているのが遠くに見える。
「……!?あれって!?」
先刻まで気味は悪かったものの攻撃性を感じられなかった死体が、急に凶暴になったようだ。
キエルが唇をぐっと噛み締める。
「もうこの空間のどこかにいるって、気付かれてます!」
「じゃあ戦えばいいのよね」
「ミウ、これ」
バノンが持ってくれてた密輸品の残りを見せてくれる。
「いーえ!こうなったらとにかく逃げ回りましょ!」
キエルがまた飛び出す。
「ちょっと!落ち着きがないわね!」
急いで後を追うと、広場のような開けた空間に出た。
四方に伸びた道のどこに進めば良いんだろう。どの道の様子を窺っても、死体が暴れ回りながらゆっくりと近付いてくる。
ああもうしゃらくさい!
密輸品の中でもずっしりと重いものを手にする。
「キエル、バノンのことお願い」
バノンから手を離す。
「えっ」
「うんと高く飛んで。でないと」
あらゆる道という道が死体の大群によって塞がれている。取り囲まれた!
「蜂の巣にするわよ!」
引鉄を引くと、上下に並んだ銃身から次々とめくるめく幻のように散弾が放たれ、動く死体を強かに吹き飛ばす。
頭が飛ぶ。
胴が飛ぶ。
四肢が飛ぶ。
動きの遅い死体は弾丸を避けることなんかできず、数十メートル先から一方的に蹂躙される。
絵巻のように横へ横へと攻撃対象が移り、間もなくそれらすべてが地に伏していく。
流石の私でもちょっと反動が痛いけど、構うもんか!
発砲音、薬莢が地面に落ちる音、死体が折り重なって倒れる鈍い音が混じり合う。あらゆる方向の道から火薬の臭いがする。
そうして、少しの猶予の後に静寂が訪れた。
「……片付いたみたい。降りてきて良いわよ」
広い空間に押し寄せてきた敵を一体残さず殲滅したショットガンからは、パチモンらしくしゅうしゅうと煙が上がり、もう使い物にならないだろう。床に投げ捨て、キエルに呼びかける。
すぐさま二人は降りてきた。
「ミウちゃん!こわかったですよ~!」
「バノン大丈夫!?」
「うん、ありがとうミウ」
「わたしのこと無視しないでください~!」
「キエルもありがとうね」
「そうそうバノンくんさすがです~!」
そう話していたのもつかの間、別の誰かの声が耳に届く。
「やはり急な対応では歯が立ちませんね、きちんとしなければ」
「のんびりやってる君も綺麗だから良いんじゃない?」
余裕に満ちた、熟れた女性の声。いやに軽薄そうな男性の声。
遊技でもしているのかというくらいに明るく弾んだ声だ。
私から会話を繋ぐ必要がないくらい、すぐ後ろから聞こえる!
「あ、あ……」
キエルが口を両手で押さえがたがた震えだす。
私が向き直ると視界にその二人を難なく認めることができる。その二人のうち分かっている名前を口に出す。
「教祖マレグリット……それに」
張りのある白く輝く僧衣を身に纏った女性の横に、黒く破れかぶれになっている服を着た赤毛の男性が立っている。
「『ダルネくん』……」
そうキエルが口にするのが聞こえた。
あなたたち何よ、何が目的よ。どうしてここにいるのよ、どうしてキエルを追ってるのよ、それとも私を追ってるの?
そんな疑問を口にするより早くマレグリットは言葉を紡ぎ始める。
「大聖遺物No.3 フェーズ2 始運転 詠唱開始」
まずい、初手で「詠唱」し始めた!大聖遺物持ちなのね、こいつ。何が起こるかはわからないけど散々キエルが気付かれるのを恐れていたくらいだ、ろくなことにはならないだろう。
阻止しなければ!
密輸品を選んでる場合じゃない。夢鏡を握り締めてマレグリットのもとに駆け寄り振りかぶろうとする。
が、閃く刃の軌道を目と鼻の先に認め、咄嗟に仰け反る。
「ふーん、ちゃんと見切れるんだ」
ダルネくんと呼ばれた男性がふらふらとつかみどころのない動きで下卑た笑みを向けてくる。
「でもマリーの邪魔はさせないよ」
ナイフをくるくると回して弄んでいたかと思うと、予備動作もなく急に持ち手を握り締めて距離を詰めて来られる。
「くっ!」
キンという硬い金属音が響く。
夢鏡で受け流せたものの、ふにゃりとした体勢のどこから次の攻撃が来るか、まるで読めない。闇雲に突っ込んでいったらその刃は私の頭部なり胸部なりを容易く貫くだろう。
反撃できる隙が無い!
「其は、果てなき栄華。其は、生死の地平。其は、地中に座す盟主。沈みゆく虚偽に智慧を与えよ、浸透せよ!」
そうしている間に詠唱は進んでいく。
間に合わない!発動する!!
「生命の起源!!!」