第61話 はじまりの言葉
――ラウフデル地下にて
「とーにーかーくー!」
キエルがわざとらしくコホンと咳払いする。
かちゃかちゃ。
「ミウちゃんがおめざめなら早くしましょ!」
ざわざわ。
「この空間が何かっていうのを説明するには、ずーっと昔の話から始めなきゃいけないんです!」
がちゃがちゃ。
「って、どうしてみんなお食事の準備してるんですかー!?わたしの話聞いてますーー!?」
「だってもう昼時よ、キエル。もしかしてあなた食べながらしゃべれない人?って、そんなことないわよね。素麺の時めっちゃしゃべってたじゃない」
「なんなんですかこれーー!!白くて太いですー!」
その発言を受けてミラディスが少し怪訝な顔をする。
「キエルもうどん知らないの?この大陸の人ってパンしか食べないのかな、飽きない?」
「ちょっと前にキエルに見張りを頼んで少しだけ探索してたら、近くの厨房っぽい部屋で凍らせてあったのを見つけてね。ちょっと怪しいけどミラディスが知ってるって言うし、茹でてみたら普通に食べられそうだったから。はいどうぞ、消化に良いから気分が悪くても食べられるって」
ソフェルが私とバノンの前にあつあつのかけうどんをどーんと置く。
「ミウ、やっぱりこの棒使いにくいよ」
「慣れるまでは私が食べさせてあげるわよ、バノン。はいあーん」
「ミウ、この赤い粉何?」
「それ辛いからかけすぎちゃだめよ」
私とバノンがいつも通りの会話をしていると他の奴も割り込んでくる。なんてことなの。
「えっそれ辛いの?あたしもらっていい?」
「ソフェル薬味乗せすぎだよ!君に似て刺激的すぎるよドキドキしちゃう!」
「あはは火山みたいだね」
「バノンくん、火山ってなんですか?」
「キエルあなたまた脱線し始めてるわよ、とっとと話しなさい」
「ひどいですー!四人がかりで脱線させにかかってきたくせにー!」
あぶらげをハフハフ口に入れながらキエルが抗議しつつ、話題を唐突に転換させてくる。
「セルシオルさまはあんな方じゃなかったはずなんですよね」
「あー、あのサイコシスコン野郎?冥府の鏡に憑依してきたし最悪よね」
「ミウちゃんが変に怒らせちゃったからでしょ~!……じゃなくて、セルスさまの言い伝え通りの神さまじゃなかったってことなんです!」
「セルスの言い伝え?」
「そうれす」
ずるずると麺をすすりながらキエルが頷く。
「長い長~い世界の歴史を伝えるためにはそのまま言葉にしてちゃだめなんですよ、覚えきれないから」
「えっ、あなた全部の歴史覚えてるの?」
「そうですよ」
あんまりにもさらっと言ってのけるじゃない。フロア達ハーフラビットが新聞社を作って毎日膨大な記事を書いてることを考えると、とても信じられない。
「伝承歌を受け継いでる代々のセルシオールが歌を付け足してるんです」
「秘伝のタレみたいだね☆」
「ミラディス、ややこしくなるから口挟まないで。キエル、あなたの歌、確かそんな名前じゃなかったような……」
「そうですよ、聖歌と伝承歌は二つで一つなんですから。『セルシオールの力と知、権限と責任』って言われてました」
「あなたが人を眠らせる現象と、歴史を伝える役目っていう二つの側面があるってことで良い?」
「うーん、ざっくり言うとそうです!ほんとはちょっとちがいますけど」
「そこは本題じゃないのね」
「というより、このあたりはわたしの中でもあやふやなんですよね」
キエルは一旦箸を置いて、不意に歌い始める。
「空満つくにはとおかれど 遍くたまはかえりきて」
「ちょっと何いきなり歌ってるのよ!ソフェル、耳ふさぎなさい!」
「へ!?あたし!?」
キエルの歌を聞いたら、『人』は眠ってしまう。普通の人であるソフェルに今眠られたら、最悪うどんに顔から突っ込んでサイドテーブルどころか床までべちょべちょになる大惨事だ!
そう思って声をかけたけど、ソフェルはきょとんとして私とキエルを交互に見ている。
「あれ?」
「ちょっとどうしたのミウ?」
「今のは伝承歌ですから眠くならないですよ」
そう言ってキエルが一口かまぼこをかじって
「んー、おいし」
と顔をほころばせている。
「今のが、歴史を伝える歌?」
「そうなんれす」
ずるずる、ずるずる。
麺が伸びないようにさっさと食べ進めながら質問していく。
「いつのこと?」
「わかりません」
「誰の話?」
「わかりません」
「何があったことを歌ったの?」
「わかりません」
「……」
「……」
「なんにも伝わってないじゃない!!」
「伝わってるんですよ!こういうのがいくつも伝わってるんですよ!けっこう正確にひとことひとことまちがいなく伝わってますよ!」
「それであなた意味わかる部分あるの!?」
「千年ちょっと分のうち全部で七、八年分くらいならなんとか!」
「一パーセント切ってるじゃないのよ!なーにがセルシオールの責任よ!」
「一生かけて解釈してから、わかったほんの一部を死に際に伝えるはずのものなんですよ!ほんとは!」
「じゃあなんで今伝えに来たのよ!!」
「それじゃ間に合わないからに決まってるじゃないですか~!!おばあさんに『急ぎなさい、滅びの時はすぐそこに』って言われたんですよ~!?」
「なんか難しいね、ソフェル」
「『詳しい説明は後です!早くここから出ますよ!』ってキエルに引っ張り出されてマレグリット様達と戦わせられた時は死ぬかと思ったけど、出られたら出られたでもっとよくわからないもんね」
「しかもまた出たよ、謎の言語」
「でもさっきの歌、『通じない言語』じゃなくなかった?」
「そうなんですよ、ソフェルちゃん!」
「危ない!」
「いきなり大声出さないでよ!」
横の方でひそひそ話してた二人の言葉をキエルが目敏く聞きつけて反応する。
驚いてソフェルが落としかけたコップをミラディスが受け止めなかったら絶対こぼれてたじゃない。キエル、そういうところよ。
「伝承歌は人に伝えることが目的だから、使ってるのが話し言葉ではあるんですよ!」
「でも意味わかんないじゃない」
「古いんですよ、すごく!ミウちゃんたちがいた世界でずっと昔に使われてた言葉だから」
「言語自体は元が同じだから何て言ってるかは聞き取れるけど、現代の話者がいないから変換できない上に、言い回しが特殊すぎて解読する必要があるってこと?めんどくさっ」
「うー!大変なんですよほんとに!」
キエルがぽかぽか殴ってくるのを適当にさばく。
食事の途中に暴力を振るうなんて、なんて奴だ。
「でもでも、世界ができた最初の方は大事なところだから、ちゃんと解読されてますしわたしも話せます!」
「待って。説明する時間が欲しいって、世界の始まりから話すつもりなの!?この空間が何かってとこと、私とあなたがなんか世界を滅ぼすってとこだけ掻い摘まんでよ!」
「もうその時点でだめですミウちゃん!意識が足りません!」
「何の意識よ!死にたくて死ぬのに意識の高さも低さもあるわけないでしょ!ここはDreaming world だから……」
「Dreaming world が何か、知ってるんですか?」
「安楽死用の仮想世界でしょ、そんなのここにいる全員が知ってるわよ!」
「えっ」
「えっ」
「…………」
えっ、ていう声が聞こえた気がするんだけど。
「ミラディス、ソフェル?何驚いてるの?共通認識のはずよね?……バノン?バノンは知ってたわよね?」
「……」
「なんで黙ってるの?ちょっと、あなたたち、何を……」
妙に重苦しくなった空気の上をキエルの声が滑っていく。
「ミウちゃん。この世界にミウちゃんを送り込んだのは、誰ですか?」
「誰って、運営と管理をしてる……政府機関だけど」
「せいふ、ですか」
「ええそうよ、ちゃんと役人に案内されたもの」
当たり前のことを尋ねられて、聞き返されて、どうしてかじわりと汗が出てくる。
「……この世界を作ったのは、誰か知ってますか?」
「さあ?でも政府の人間が作ったんでしょ」
「ちがいます」
じゃあどこかの研究所が?そう訊くより早くキエルが告げる。
「セルスさまも、セルシオルさまも、他の六名も、せいふの関係者じゃありません。そうであるはずがありません」
えっ、なんて。
セルスと、セルシオルが、この世界を作った?
「だって全員死刑になるはずだったんですから」
「死刑?何の話をしてるの、キエル?」
「1.世界を描く言語
2.無から創造される領域
3.新たなる生命体
4.完全なる分断
5.殲滅の光
6.文明の炎
7.星に届く剣
8.神を殺す刃 」
「いきなり何よ、何の話をしてるの!?」
「伝承歌の最初に出てくるリストです。この世界の神は本当は八人だけだったってことです」
「八人って……」
「ミウちゃんみたいな『最初の八人』じゃない神が次々入ってくるなんてありえないはずなんです。敵の手に渡ったとしか考えられません」
あまりの情報の多さに眩暈がしてくるけど、問題は情報の量じゃない。
今崩れようとしているのは、世界に対する認識だ。
「殺されそうになった八人が、元の世界での体を捨ててでも生きるために、生き延びるために、この世界を作ったんですから」
こいつら炭水化物ばっか食べてない?