第56話 プリズム・ドリーム
「よくあることです」
動く死体によって目の前で繰り広げられる奇妙な光景についてそう告げるキエルは、苦虫を嚙み潰したような表情をしている。
彼女の方に振り返った私もバノンもソフェルも、同じものを映した目を見開いた。
「あの、キエル」
「後ろ」
「え?どうしたんですか、みんな一斉にぽかーんって顔して。後ろに何があるっていうんですか?」
「いやいやいやミラディスめっちゃ吐いとるーーーー!!!!!」
そう言うなりソフェルが地面に蹲ってる少年に駆け寄る。
私達が街の様子を見渡している時に目が覚めたんだと思うけど、こんなタイミングで目覚めなくても良かったのに。顔から完全に血の気が引いている。
「大丈夫!?水貰ってくるからここにいなさいよ!」
「うええぇ……きもちわる……あとなんか……お腹も痛い……ゴホッゴポッ」
「もういい喋らなくていい!」
ソフェルが近くのカフェに走っていくのを横目にキエルに話し掛ける。
「あなたの運び方、腹部に圧をかけすぎたんじゃない?飛び方もフラフラしてたし」
「ミウちゃんみたいな力持ちと一緒にしないでください~!」
「ミウは運ぶの上手だよね」
「バノン!好き!」
「俺も好きだよミウ」
「もー!二人ともわたしの話聞く気あります~?」
「なんで……あの三人ケロッとした顔してるの……?僕がおかしいの……?僕が特別か弱くて可憐で儚げなの……?世界中を魅了してしまう傾国の美少年だという自覚はあるけど、別に僕以外全員鋼鉄じゃなくても良いと思……ゲホゴホッオエッ」
「戻ったよ!身体の調子大丈夫?頭も大丈夫!?はい水!飲めたらでいいからね、ゆっくりね!」
「ソフェル……ここどこ……地獄……?ゼエゼエ……せめて死ぬ前にきゅうりの酢の物が食べたかった……」
「本当に大丈夫!?」
運搬してきた二人も今は意識あるし特に気にしなくても大丈夫でしょ。
大丈夫じゃないならここで置いていけば良いんだし。
ふと移動している死体に目を向けると、細くて暗い路地に入っていく。
「あっちですね」
キエルはそれだけ言うと死体の後に続いて飛んでいく。
「どこ行くって言うのよキエル、追わなきゃいけないもんなの?」
「わたしの考えていることが合っているなら説明するより早いかもです」
死体は路地の奥で、地面の上をまさぐるように手をついて這い回っている。
やがて、重そうな金属の板を見つけたようで、それを横にずらす。すると地面の下に続く空間があるようで、下に滑り込んでいき、内側から金属板が元の位置に戻される。
その様子を見届けた後、キエルは同じように金属板に向かう。
「うっ、ミラディスくんより重いです~!ミウちゃん手伝ってください~!」
「人遣いが荒いわね」
錆びついているようで、あちこちぼろぼろになっていて手に馴染まず、絶妙に持ちにくい。それでも何てことなく開いた。
狭い穴で、心許ない梯子がぶら下がっている。下はどこまで続くのか見えないくらいに暗い。
「じゃあ行きますよレッツゴー!」
「自分は飛べるからってホイホイ行かないの」
勢い良く入っていったキエルの後を、仕方ないので私達も追うことにした。
「気を付けてねバノン。あっでも、あなたが落ちてもちゃんと受け止めるから安心して」
「ありがとう、ミウは優しいね」
私とバノンが着実に降り進めてる上から
「まってこわいこわい」
「下見ちゃ駄目だよソフェル!ってこの梯子結構揺れる……気持ち悪い……」
「お願いここで吐かないで!」
「なんで来ちゃったんだろ……でもあのまま地上に残るほうがやだ……」
「揺らさないでよ!降りるの終わってから悩んでよ!」
とか何とか聞こえてくるけどたぶん大丈夫でしょ。
どれだけ深くまで潜ったのだろう。足が下に着いて、バノンも同じように降りる頃には、手元すら見えないくらいに暗かったはずの周囲はまるで昼間の地上のように明るかった。
振り返って見渡すと、自分がいる空間の広さに息を呑む。
そこは教会のようでもあり、街のようでもある。
光源も見当たらないのに一隅の闇もなく照らされている。
深いとはいえ体力に余裕がある程度にしか降りていないはずなのに、天井や屋根があるのか見えないほどに上の空間は高く白く、空と言っても過言ではないくらいに見える。
そんな空に向かって伸ばされる白亜の柱に、硬質な床。まっすぐどこまでも続く空間を取り囲むように左右にいくつもの部屋があり、祭壇のような机に長椅子が揃っているが、それはアレイルスェン教会のような「見よう見真似で宗教施設っぽくしている」といった印象は受けない。
むしろ、私が特に詳しいわけでもない宗教の様式に乗っ取っているかのように、意味ありげな部屋の名前がそれぞれの入り口に掛けられたプレートに書いてある。
「告解」
「断罪」
「洗礼」
「ラビリンス」
まあ字が読めるからと言って意味がわかるというものではないけど。
それに、奥に行く程なんだか文字の様子がおかしくなってくる。
建築様式もいくらか雑多になってくる。
「雑貨屋」
「食糧庫」
「宝物庫」
「中庭」
「喫茶・軽食」
「遊技場」
扉が開け放たれているため、部屋の中は外からでもある程度わかるが、名前の通りにカウンターや棚が並べられているようだ。
更に歩みを進める。
「リネン室」
「診察室」
「ステーション」
「レントゲン室」
「病棟行きエレベーター」
……これは、宗教施設にはないものだと思う。
扉も閉められているし、中の様子は伺い知れない。
それに、これらの言葉を目にするとなんだかとても嫌な気持ちになってくる。
軽い眩暈と吐き気に襲われ、バノンの手を強く握る。
気付くと、まっすぐだったはずの空間は幾回も曲がり、捻じるように上下への階段があり、幅の広い道や狭い道が何方向にも伸びている。振り返ったところで、どこから来たか思い出せないほどだ。
それを引き立てるかのように奇妙なこともある。
ラウフデルの街中にあったような死体がふらついている。いや、生活している。
祭壇で祈りを捧げ、生活雑貨を買い、道端のベンチで休憩している。
それだけじゃない。
「あれ、ミウの服に似てない?」
バノンが指し示した先にあったのは、黒く長い髪の女の子……の人形。
長い布を縫い合わせて身体の前で重ね、帯や紐で縛る、私がコートの下に着ているものと構造は近いが少し動きにくいタイプの服を着ている。
私達の膝ほどの高さしかないその人形が何体も、かくかくとした動きで瞬きもせず、至る所で物を運んだり掃除をしたりしている。
そういうタイプの人形だけじゃない。すらりと脚が長い金髪の人形がカウンターの奥で帳簿のようなものをぱらぱら捲っている。
もけもけした毛に覆われた、ずんぐりとした熊や猫が長椅子に腰かけている。
頭が大きくて手足のない素朴なフォルムの木製の少女が跳ねるように路地を駆け抜けていく。
ピンクや水色や紫の毛玉があちこちで不規則な動きで跳ね回っている。
それに何より一番奇妙なのは。
私はこんな空間知らないのに。どこにあってもおかしい空間だとわかるのに。
懐かしいと思う。
良く知っていると感じられる。
そうした「住人達」の存在を渇望しているかのように、切ない痛みが胸を刺す。
こんなものをいつか誰かに与えられたような感覚に襲われる。
頭がひどく痛む。
これ以上はいけないと、身体のどこかが警告しているかのようなずきずきとした痛みに、立っていられなくなる。
バノンに体重を預けると同時に、そのまま視界がぐらりと反転する。
「ミウ!」
私を抱きかかえているバノンの声も、触れている体温も遠くに感じられる。
意識は途切れていないけど、頭がぼうっとして、それでも頭の中で膨大な情報が処理されているような感じがして、一言も発することができない。
「やっぱりミウちゃんだったんですね」
キエルがぽつぽつと呟きだす。
「セルシオル様の大聖遺物は変質していませんね。それどころかより高度な運用がなされています」
いつもの腑抜けたのとは違う流暢な口調に、意識を途切れさせないよう必死に耳を傾ける。
「ミウちゃん。あなたがこの空間の主です。わたしと同じ、世界を滅ぼす存在です」