第49話 寝ているときに怪談をするな
フロアに告げられたことは想定の範囲内だったけど、夢の中だということで知らず知らずのうちに油断していたのか、少し動揺してしまった。
といっても軽く唾を飲み込む程度だったのだけれど、目ざといこいつのことだ。もっともこの場合は目というよりその長い耳なんだけど。
しっかり気付かれてるし、息遣いだけでもニヤニヤ笑ってることがわかる。
クッソ腹立つ!
「別にミウのせいじゃないよ。でもそんなに気にしてくれるなんて結構かわいいとこあるんだね、いつもそうだったらいいのに。素直なことは美徳だと思うな、君みたいな若い女の子は特にね」
「言いたいことはそれだけ?おはよう、もう起きなさい」
「まあまあミウ。君とこうして話すためにどうにか二日ぶりのベッドに潜り込んだんだよ、夜も長いんだからもう少しゆっくり語り合おうじゃないか、ていうかもうベッドから出たくない……しばらく働きたくない……おふとんて気持ちいいね……この世の楽園だと思わない……?」
「永遠に眠りたいならどうぞご勝手に」
「うーん、すぐ生死の話に持ち込むのはちょっと堪えて欲しいものがあるね。生命の神秘の欠片もないAIだと思って雑に扱われると傷つくなあ」
「誰もそんなこと言ってないじゃない。それで?私を狙って会社が全壊させられました、これからも街中をうろうろしてると狙われるおそれがあります、泊まる場所も毎日変えるようにしてください、密輸した武器をお使いください、以上。他に何かあるっているの?」
これまでに起こったことを端的にまとめてあげたのに、なんかまたクックッと笑い声が聞こえる。
職場が破壊されたっていうのに何笑ってるのよ。被害総額の計算で頭おかしくなったの?
「……早速私が狙われたのよね?」
「まあ、そう考えるのが自然だよね」
「死んだって発表しても良いわよ」
「神の膨大な力を片時も観測されずに誤魔化しきれる自信があるならそうしても良いところなんだろうけどね。それこそ神殺しをかっぱらってきて肌身離さず持ち歩くくらいしたら可能なんじゃない?」
「げ、冗談じゃない」
「だよね」
発動してようがしてなかろうが、あれが近くにあると想像するだけですごく嫌な気分になる。
教会の中にまだあるんだろうけど、マセリアもどういう神経してんのよ。
マセリアどころか、マレグリットやキエルですらもあの光だけで死にかねないと思う。純粋な「人」以外は根本的に合わないでしょアレ。二回対峙して、その輪郭が神への悪意だけでできているように感じられた。
「人」でさえあれば使用資格はあるだろうし、使用さえできれば周辺の遺物のデメリットを打ち消せるんだから、人にとってあれ以上お得なものはないはず。だけどそれはミストルティン自体の力に耐えきってからの話。
そんな化け物じみた根性と体力ある人ゼクスレーゼくらいよ、何人もぽんぽん出てきたら怖いわ。
というわけで、私やバノンは使えない!フロアも手に入れたところできっと使わない!向こうにも使えそうな奴はいない!よって、ミストルティンは存在自体ないも同然!
そんなものについて考えてる暇あるならぼんやり寝てたほうがマシだわ。
「そんなわけでミウ」
「まだ何かあるの?」
「大ありさ!本社ビルは壊滅、資料や機械は全焼!従業員が無事だったことだけが救いさ、いつ営業再開できるかどうか……およよよよ」
「わざとらしい泣き真似はやめなさい」
「でもなー、あーあ、手書きでも少数部数でもいいから発刊したいなー。書かなきゃ僕らの存在意義なんかないもんなー。紙やペンはなんとか買い求めることができたとしても、記事はなー。従業員みんな片付けや復旧に追われてるだろうしなー。取材してくれる誰かがいたらどこかにいたらすっごくいいんだけどなー」
「罪悪感に付け込めるとでも思ってるの?私のせいじゃないって言ったじゃない」
「追ってほしい案件があるんだよね」
「あくまで都合が悪いことは無視するのね」
「別に宿に預けたアレ、僕等が回収してもいいんだよ?もともとこっちのだしね」
「馬鹿にしてるの?」
別に銃火器がなくても私は強いわよ。
それこそもともと持ってなかったんだから手に入らなくても結構よ。
前に借りた銃だって、後で見たら取り返しつかないくらい内部が壊れてたし、技術的に優れた地域のものだって結局は元の世界の模倣でしかない。期待するほうが間違ってる。
結局死ぬなら余計なものは持たないほうがいいしね。
そんなものを取引材料にできるなんて思わないことね。
「時にミウ、怖い話は好きかな?」
「は?」
「もう数週間で夏じゃないか、レパートリーを増やしてみない?」
いきなり話の方向を転換させられ呆気にとられている私のことを面白がっているのか、フロアはわざとらしく低くおどろおどろしい声を出す。
「出るんだよ、ラウフデルのいろんな場所にね。広場とか、橋の上とか、住宅地とか。ここ数日で目撃例が急増してる」
「何がよ」
「決まって夕暮れ時。仕事を終えた人々がさあ帰ろうとしたその帰り道。視界の隅にぼんやりと人影を発見する。通りの向かいだったか、路地裏の陰か、そんなところに。あそこにあんな人いたかな?普段は通りすがりの人なんか気にも留めないはずが、なんだか気になって目を凝らしてみる。すると気付くんだ、その人は自分の方を瞬きもせずにじっと見つめている。感情の籠らない、深い淵のような目で、ただただじっと見つめられている。いやだな、気味が悪いな。そう思って足早に通り過ぎようとして目を逸らす。そしてもう一度だけちらりと人影の方を振り向くと、なんと。……物陰にいたはずのそれが、目の前まで迫ってきている。音もなく、自分を見つめながら。恐怖のあまり声も出せずにいると、人影の方が唇を動かすのが見える。目が捉えたその口の形は、確かに自分の名前を示していた……。悲鳴を上げて一目散に逃げ帰る。後ろを振り返る余裕もなく、縺れる脚を引きずるようになんとか帰宅する。でも翌日も仕事があるからそこを通らなくちゃいけない。人通りも多い朝、恐る恐る人影があった場所を見てみると、そこは人が立てるはずもない水路の真ん中だったり、立ち入り禁止の工事現場だったり。何かの間違いかと思って忌まわしい記憶を振り返ってみると、不思議なことに、あれだけ近くにあったはずの顔がなぜか頭の中で霞がかり、思い出せない。あれはこの世のものだったのか、それとも……」
「……はあ」
しょうもな。非現実的だわ。
最後まで聞いて損したわ、毒にも薬にもならない与太話。白昼夢でも見たんでしょ。
「『ラウフデル幽霊事件』、ミウが追ってね」
「なんでよ!」
「僕達は手が空いた社員がいたとしても、爆破事件の真相を優先的に追わなきゃなんないからね」
「私達だって教会の攻略を優先的にしなきゃなんないわよ、オカルトに付き合ってる暇ないの。おはようもう朝よ!」
「あっちょっと待っ」
会話を切り上げて目を覚ますと、窓から見える空には少し細めの月が浮かんでいた。
まだ真夜中じゃない。あとひと眠りできる。
ふうっと息を吐き出す。その呼吸と混じり合うくらい近くから寝息が聞こえる。
バノンは私より背が高いけど、最近は眠るとき丸まって身を寄せて来るから、いつも私の首元あたりに頭がある。
起こさないようにそっと、ふわふわした短い髪を撫でてみる。彼女が何かに気づいたようにふふっと声を出すけれど、目が覚めることはなくてまたゆっくりとしたリズムの呼吸が聞こえる。
夜の帳に包み込まれながら、もう一度目を閉じる。
いつか何の心配事もなくなったら、本当に二人きりになれたら。
「私達、こんな風に死んでいくのかしらね」
答を求めるでもなく、聞こえないようにそっと囁いた。
とろけるような甘い体温が私のすぐそばにある、それだけで十分。
蜂蜜色の月だけが私達を見ていた。