第48話 ハーフラビット新聞社爆破事件
「フロア!!」
黒い煙がもくもくと上がっていた場所に私とバノンが辿り着いた頃には既に、ハーフラビット新聞社は炎に包まれた瓦礫の山となっていた。
知り合いの姿を必死に目で探すけど、避難する社員達や野次馬の群れ、地区の消防団らしき人達がごった返していて、あれやこれや怒声や悲鳴が飛び交っている。被害状況すらわからず、とても突入できる雰囲気ではない。
それでもかろうじて分かったのは、ビルが突然爆発したらしいこと。
消防団の集会が近所で行われていたため、速やかに消火活動に移れたため、間もなく消火できるだろうということ。
でも骨格が脆かったのか、瞬く間に全部崩壊してしまい、紙の資料の回収は絶望的だということ。
散々コケにされてきたけど、この街に着いてから今日の今日まで寝食を提供してもらった場所であることには間違いない。
教会の攻略には当初の想定以上に時間がかかるだろうと思案していたところだ。そんな時に、よりにもよって拠点を失うなんて!なんてことなの!
正直フロアの考察や信念については、頭では理解できるけど気持ちがわかるってほどではなかった。それでも、彼からもたらされた情報や武器は役に立ったし、死んでたらちょっと寝覚めが悪いわ。
その時。
「あのう、すみません」
「えっと、おそれいります」
後ろから肩を叩かれた。
いえ、正確には肩よりもっと低い、背中の部分。
振り向くと、フロアと同じ長い耳を持つ、ハーフラビット社の社員が男女二人、煤で汚れた格好で立っていた。彼等は思い詰めたように、それでいて少しほっとしたように話し出す。
「春先の青空のような色の長い髪と粉雪のように白い服、ミウ様ですね!」
「秋の半ばに舞う葉のような色の肌と焚火のようなオレンジの服、バノン様ですね!」
「ええ、そうよ。あなたたちは?」
そう尋ねると、男性の方が右手を胸に当てて、女性の方がスカートの裾を軽く摘まんでお辞儀をしてから名乗った。
「私はザハブ!」
「私はケセフ!」
「フロア・バーニアの直属の部下です!」
「フロア・バーニアは直属の上司です!」
「バーニアはただいま手が離せません!」
「バーニアから大切なものを預かっております!」
「これは宿泊券セットです!」
「これはラウフデル中の宿の地図です!」
「今はお客様用のスペースをご用意できません!でもここに載っている宿はながーい付き合いです!」
「もうお二人を泊めて差し上げることはできません!どうぞお好きな宿にご宿泊ください!」
「とっても残念です!」
「さっぱり無念です!」
そう言って紙の束を私たちに手渡すなりすぐに去って行こうとする彼等に慌てて声を掛ける。
「待って。どうしてこんなことになったの?」
二人は顔を見合わせてから答える。
「どこからか火の手が上がりました!」
「宝物庫が燃えました!」
「中のお宝が燃えました!」
「きっとなんにも残ってません!」
「幸い今日は安息日!」
「出勤してる社員はわずか!」
「みーんなちゃんと逃げ切れました!」
「ひとりも死人はいないはずです!」
それでは片付けがありますので、とザハブとケセフは人混みの中に消えて行った。
「あっ……」
見失った。これ以上は聞けそうにない。
その時。
突風が吹き、私の顔めがけて紙が飛んできた。
「ぶふ!なんなのよこれ!」
「新聞みたいだよ、ミウ」
バノンの言う通り、それは今日の朝刊だった。別に読んでるわけじゃないけど、毎朝部屋に届けられるから見出しぐらいは覚えてる。
大きい紙を重ねて八つ折りにしてある、特に変哲のない新聞だ。でも焼け跡から飛んできたにしては珍しいことに24ページ全部揃っているし、目立った損傷もない。問題なく読める。
今日の一面見出しは
「歌による洗脳被害多数報告、教会の隠蔽工作か」
「けっ、罰当たりな記事書いてるから自業自得だよ」
近くにいた市民達の目にも入ったようで、後ろから声が飛んでくる。
「前から頭おかしい記事ばっかりだったよな、ここの新聞。天罰だよ」
「そうそう、まるで教会がカルトみたいに!この街はずーっと昔からマレグリット様に守られて、恵みを受け取ってきたのにさあ」
「あることないこと書いて、挙句の果てに安息日までこのありさま!騒がしいったらありゃしないよ」
「……い」
「ミウ?」
「おだまりなさい!」
「……!神様!」
「ああ、うるさくして申し訳ありません!」
「ヒイッ、神様の怒りに触れた!でも俺は悪くない、あいつらの、愚かなあいつらのせいなんだ……!」
狼狽える彼等をもうひと睨みしてから、バノンの手を引いてその場から離れる。
比較的人の少ない広場まで来て、噴水前のベンチに腰を掛ける。
知らず知らずのうちに奥歯を噛み締めていたようで、少しだけ顎がつるような感覚がある。
はあっと息を吐き出すと、苛立ちが口をついて出てくる。
「どんな場所でも野次馬ってものが一番いやらしいのよ、何もしないくせに偉そうに」
「んー、彼等も記憶をいじられてるのかもね」
「記憶が間違ってるくらい何よ。爆発の現場に寄ってきて立ち話するような奴、ろくなもんじゃないわ。あなたの生まれた国の奴等もだけど、Dreaming world のAIってこんなろくでもない人間性を獲得してるのもいるのね」
私がそう言うと、バノンが俯いて足をぱたぱたと軽く泳がせて呟く。
「……心が綺麗な人なんているのかな」
「あなたは綺麗よ」
「ありがとう、ミウ。でも……」
「でも?」
「綺麗じゃないところ、見せたくないだけだから」
「そうなの?」
「そうだよ」
バノンは口の前で軽く指を組んで、更に視線を下に落としていた。
「それでもいいわ」
「……」
「私に言えないことがまだあるのよね?そいつに止められてること以外にも」
バノンは何も答えなかった。
「それでもあなたが好きよ」
バノンが私の方を見て、一瞬泣きそうな目をして、すぐにいつもの笑顔に戻る。
数日前から特にこんな表情が多くなったように思う。
たぶん何か悩んでるんだ、それはわかる。でも言いたくないことを訊こうなんて思わない。私はそばにいてくれたらそれでいいんだ。
もたれかかってきたバノンの腕に自分の腕を絡ませる。
しばらくそうしているうちに風が冷たくなってきた。
バノンは私より薄着だし、肌寒いんじゃないかしら。
「もう夕方ね、手っ取り早く近くの宿に向かいましょ」
「そうだねミウ。地図ももらったしね」
そこに書いてあった宿の一つは、その広場から二、三通りを進んだところにあった。
ハーフラビット社ほど豪勢な感じはないけど、年季が入っている建物はよく手入れされ、照明もリラックスするにはちょうどいい具合に調整されている。
「いらっしゃいませ」
人の好さそうな従業員が出迎えてくれる。事前に話が通っていたようで、宿泊券を見せると最上階の部屋に案内された。
窓からは通りが見下ろせる。ハーフラビット社の方も今は完全に鎮火しているようで、暗くなってきたから瓦礫の処理も中断したのだろう、消防団が別の方向に立ち去っていくのが見える。
「すぐに最上階を空けてもらえるなんて、神ってすごいねミウ」
「部屋の確保だけなら確かにそうかもしれないわ。でもフロアが手を回したのもあるんじゃない?」
大きいダブルベッドにぼふっと仰向けに身を沈めながら、控えめなデザインのシャンデリアを眺める。荷物らしい荷物もないけど、たくさん収納があって、いかにもVIP用の部屋って感じだ。
こういう部屋そわそわするし、趣味は合わないけど、あいつは神に追従することはないハーフラビットだ。あいつなりに私達を尊重する気持ちは伝わらなくもない。
そう思いながら何となしにうつ伏せになって、もらった地図を眺めてみる。
「それにしてもけっこう宿屋あるのね、この街。24軒もあるならわざわざあの会社で寝泊まりしなくても良かったかもしれないわ」
「全部ラウフデル?」
「そうよ。東西南北全部の地域について書かれているわ、ちゃんと番号も振ってあるし」
「本当だ」
横からバノンが転がってきて覗き見て来る。
「でもこの番号、何の順番なんだろうね。地図の上から順番……にしては、1が西で2が南、3が北……ってばらばらだよ」
「ええ。それは気になったんだけど、でもザハブとケセフ、確か」
「お好きな宿にって言ってたから、この順番に泊まってほしいわけでもないんじゃない?」
「じゃあ古い順とか高い順とかそういうのなのかしらね。私はお金払ってないけど、フロアなら暗にそういうの仄めかしてきそうじゃない?……ん?」
その自分の言葉がやけに引っかかるような気がして、むくりと身体を起こす。
そうだ。
私は神だ。わざわざフロアに手配されなくても、宿を取るのに苦労なんかしないはずだ。飛び込みでも嫌な顔されたりしないし、むしろ神用のVIPルームなんていつでも用意していて当然だ。Dreaming world はそういう世界のはずだ。
じゃあなんでわざわざこの地図と券をフロアは用意したの?
24軒の宿。
一枚も燃えずに私めがけて飛んできた新聞。
24ページの……。
「……バノン、ここは」
「16番目の宿だよ」
16ページを開ける。何の変哲もない新聞だ。
広告ページのようで、ラウフデル中の店が色々なキャッチフレーズを並べている。
上から
「通好み!本格的な魚ジャム、朝食のパンのおともはこれで決まり!」
「暗い事務所を不夜城に!間接照明から常夜灯まで多数取り揃えています」
「えっ、まだ知らないの?シニアの健康にはのびのびむちむち運動!会員様募集中!」
「濃密な泡と甘い香りがお疲れの貴方を癒します、手作りハーバルソープ」
「相談したい近隣トラブルはこちらまで!秘密厳守のあんしん事務所です」
「子どもが喜ぶおやつ100のレシピ おいし~い」
特に統一性はない。何かのメッセージが隠れてると思うんだけどな。この店に行けってことなのかしら?
ひっくり返したり、じっくり読んだりしたけどよくわからない。
そう思いながら何回も声に出してみる。
飽きてきたころに、ふ、と思い至って、頭文字を取って並べてみる。
つ
く
え
の
そ
こ
飛び起きて、部屋の隅に置いてあるデスクの引き出しを開けてみる。
メモとペン以外は何も入っていない。
でも、明らかに不自然だ。底が浅すぎる。
引き出しを目いっぱい開けると、奥に窪みがあるのが見えた。そこに指を掛けると、底はいとも簡単に外れた。
そこにあった物は。
「……やっぱり」
「何か見つけたの?ミウ」
「バノン、これが何かわかる?」
「ううん。でも彼は知ってるって言ってる。君も?」
「よくよく知ってるわ」
掌に収まるサイズの、黒い塊。
手榴弾だ。
「……あいつ、こうなることを知って!」
急いで夢鏡を発動させ、ベッドに潜り込む。
胸がばくばくしてなかなか眠れないけど無理矢理目を閉じて数を数えていくうちに、意識がぼんやりしていく。
そして。
よく知った声が、聞こえた。
「やあ、ミウ。もう見つけたってことで良いのかな?」
「どういうことよ、フロア!まさかラウフデル中に武器を隠し持ってるってこと!?」
「まあまあ、カッカしないで。敵がどこに潜んでるかわからないからこそ、落ち着いていこう。クールに、それでいてクレバーに。わかるね?」
「敵……」
「昨日ちょっと教会に忍び込んでね。キエルからこっそり、とても看過できない大事な大事なことを聞いたんだ。もしかして君も聞いてる?」
「いえ、昨日はキエルとは夢を繋いでいないわ。話をしてはいない」
「ならちょうどよかった。よく聞きなさい、ミウ。」
続く内容は、予想も納得もできるものだったけれど。
「君は狙われている。ラウフデルから出ようとしようがしまいが、向こうから君を探して仕掛けてくるはずさ」
鉛のような重さを胸に感じた。