第43話 終焉の花守
こんなはずじゃなかった。
物語に出てくるような騎士になりたかった。
煌めく鎧に身を包み、正義を貫き悪を挫く、そんな騎士になりたかった。
それでも後悔する資格など私にはあろうか。
私は、神に、教祖に忠誠を誓ったのだ。
短命である「人」の私が、あの方々の刃になれる以上に誇れる生き方などない。
惨めだと、無謀だと、無意味だと罵る者はもうこの都には存在しない。
こんな誉れが他にあろうか。
例え他の神を何柱殺しても。
例え部下を何人殺しても。
あの方々が微笑んでくださる限り、私は間違いなく聖騎士なのだ。
「しつこいわね、もう!」
「ミウ様、お覚悟を」
私は騎士団長ゼクスレーゼの執拗な攻撃を受け流し続けるだけの体勢にまた入ってしまった。
このまま耐久することは可能だけど、こうしている間にもゼクスレーゼに命を吸われ続けている騎士達の断末魔が止むことはない。
隙を見せたら必ず突かれる。そんなことはわかっている。ただただ人々を見殺しにして向こうの回復用遺物の燃料切れを狙うのだって悪い選択ではない。そもそも味方でもないんだから。
でも私は神で、彼女は大聖遺物の使い手だ。人に及ぼす影響は最小限にとどめるべきなのだ。それなのに、それなのにこの騎士は!
ただの人であったはずなのに、中途半端に大きすぎる力なんか持って。身体を保てているのも神殺しの効果でしかないのに調子に乗って。身の程を知れ!
「そもそも私とあなたじゃ格が違うのよ!」
「勝った方が上だ、私は必ず邪神を殲滅してみせる!」
言ってくれる。私が最後まで大人しくしていると思ったら大間違いだ。いくら回復しようがそれを上回る火力で叩き潰してやる!
銃を頭上高くに放り上げる。ゼクスレーゼがほんの一瞬気を取られた隙に彼女の眼前まで迫る。
しまった、と言いたげな目を向けられると同時に、夢鏡で彼女の顎を殴打する。
よろめいて槍を取り落とした彼女の腕を反対向きに捻るのと、落ちてきた銃を右手の中指から小指でキャッチするのは同時だった。
そのまま肩でも外せればよかったけど、分厚い鎧が邪魔で結構曲げにくい。振り払おうと掴みかかる彼女の左手を払いのけ、夢鏡を仕舞って再び発砲する。
見当外れな場所に銃弾が飛んでいったことで少し緩んだ彼女の頬は、しかし跳ね返った破片が脚を傷付けたことで歪む。
それでも彼女はなおも激しく手足をばたつかせ、頭を狙ったはずの銃弾が上に逸れていく。埒が明かない。
手を放し、参列者用の長椅子の上に飛び乗る。彼女はふらつきながらも追ってくる。
跳躍に跳躍を重ね、上から弾幕を展開し迎え撃つ。
しかし躊躇いのない彼女の足止めにはならない。すぐにまた彼女は槍を拾い距離を詰めてくる。
跳弾が横腹を貫こうと、倒された彫像が行く手を阻もうと、私に向かって突進してくる。
ちまちま負傷させているのでは状況は悪化する。小さい拳銃で狙いを定められるほど彼女は遅くも貧弱でもない。
死に絶えゆく騎士達の頭を越えて、数多の彫刻を足場にして、柱という柱を蹴り、飾り窓を破壊しながら礼拝堂中を跳び回る。
一か八かに駆けるしかない。
ここで決める!
「どうせ爆破されたなら壊したって同じでしょ!!!」
爆発の中、奇跡的に倒壊を免れていた入口近くの石の柱。しかしその土台は不安定になっており、上方に飛び乗って私の体重をかけるだけで、いとも簡単に倒すことができる。
周りはあなたが殺した死体だらけで逃げ場なんかないはずよ。
脳天に喰らいなさい!!!
そして騎士団長は下敷きになった。数秒置いて、柱の下から夥しいまでの血が流れてきた。
誇り高き薔薇だろうが何だろうが、圧せば死ぬのよ。
柱から降りて、ゼクスレーゼの死体を確認しようと近付く。
どうせこの重量を身に受けて生きている奴なんかいないけれど、死に顔くらいは拝んでやろうかしら。
あれ
あ
れ
どうして
くちから
ちが
むね
ささってる
やり
いたい
いたい
いたい
「どうしてまだ生きてるの……!」
柱の下から絶えず流れてくる血は止まり、呻き声を上げながら騎士が上半身だけ這い出てくる。見渡せば、立っている騎士は誰一人としていない。
ゼクスレーゼは即死級のダメージを与えられた。それを回復するには、この場にいる人全員分に値するほどの力が必要だった。
つまり。彼女が息をしているということ、私にまだ攻撃を仕掛けられるだけの力を有していることは、騎士団の全滅を意味する。
沢山の命だったものはもうない。そしてそれは同時に、ゼクスレーゼ自身の命の限界も意味していた。
だから私の勝利なのだ。
腹部を槍で貫かれてさえいなければ。
弾はもう一発も残っていない。
ゼクスレーゼは再び倒れ伏した。
このまま互いに、命が尽きる瞬間を待つことしかできない。
ああ、バノン。
守ってあげるはずだったのにな。
全部終わらせてあなたのもとに帰るはずだったのにな。
助けてあげたかったな。
一緒に死にたかったな。
大好きだった。
好きよ。
ごめんなさい、バノン。
倒れ伏す瞬間、ゼクスレーゼが何かを叫んだ気がするけど、もう何だったのか聞き取れなかった。
歌姫キエル・セルスウォッチは、人が死ぬ瞬間を見るのは初めてではない。育ての親である老女を看取った。
先祖である神のセルシオルも目の前でミウに撲殺されている。
それでも、数えきれないほどの人が為すすべもなく惨殺されていくのを見るのは初めてだった。
折り重なる死体、悲痛な声、血の臭い。見たこともない兵器。
縛られた手では、顔を覆うこともできない。
重りのついた脚では、逃げることもできない。
猿轡を噛まされた口では、歌うこともできない。
惨劇の光景が涙で滲む。
ミウちゃん、ミウちゃん。はやくたすけて。
そんな叫び声すら上げられない。せめてこんなひどい世界から少しでも離れたくて、目を閉じた。
火薬の臭いが鼻をついて、その後すぐに地を揺らすほどの衝撃と轟音が響く。
状況が大きく動いたことだけは感じ取りながら、友達が助けてくれるその瞬間を強く願っていた。だから、彼女は希望を持って目を開けた。
目にしたのは、絶望的な状況だった。
ミウは血塗れで倒れ、身動き一つ取れなくなっていた。
ミラディス・アイフレンドは、人が死ぬ瞬間など見たことがない。故郷から離れて初めて見るそれは、今ここで繰り広げられる虐殺だった。
彼は剣の達人だ。剣があれば負けない、それくらいに自分を強い存在だと思っていた。
しかし今は、泣いて怯える少女を背に、激化する戦場から飛んでくる金属片をその剣で叩き落とすことしかできなかった。自分にもキエルにも傷一つない。今切り込めば、状況を変えられるかもしれない。
それでも足を踏み入れることは死ぬことだと理解していたから、一歩も動けなかった。誰でも良いから終わらせて欲しかった。
石柱が倒壊し、近くになんとか残っていた騎士達までもが生き絶えていく。それでも辺りは静まり返る。戦いは、終わったのか。しかし安堵などとてもできなかった。
眼前まで肉薄している死体の山は、彼にとってはもはや現実とは思えるものではなかった。
悪い夢なら覚めて欲しい。起こして欲しい。どうか帰して欲しい。
兄と妹の名を何度も心の中で叫びながらも、嗚咽混じりの嘔吐で声など出せなかった。
目の前が真っ暗になり、その場で蹲る。
その時、彼は目にした。
死体の山の下で積み重なった手が僅かに動くのを。
その瞬間、風のように速く彼はそこにいた人物を引きずり出した。
生きてる。何人もの死体の下敷きになって気絶していたけれど、生きてる。柱が倒れた場所から遠かったからか、一人だけ聖遺物の効果がぎりぎり届かなかったのか。
「ん……」
まだ年若い、入団したばかりの見習いにしか見えない騎士がミラディスの腕の中で静かに目を覚ます。薔薇のように赤い瞳が彼を捉えるや否や、辺りをきょろきょろと見回して、絶句した。
その騎士の上官、先輩、同期。息をしている人は、一人もいなかった。
その時。
「ミラディス!神にとどめをさせ!」
ゼクスレーゼ騎士団長の声が聞こえる。
柱の下からその声がすることに彼は気付く。
騎士団長と交戦していた神を視界に捉える。水色の髪と白い服で幻想的なほどに儚げな佇まいでありながら、激しく血生臭い戦闘の末に全身を赤く染めている。
致命傷に見えるほどの出血をしているように遠目からも見える。でも、確実にとどめをささなければきっとすぐに復活してしまう。
もうこんな何もかも終わった戦場で、まだ自分は指示を出されなくてはいけない。
すべてがぼんやりと遠い光景に思える。
思考が止まっている感じがする。
それでも、言うことを聞かないと、兄さんが、レトが。
錯乱し悲鳴を上げようとする新人騎士の口を、ミラディスはそっと掌で塞ぐ。
「ミラディスのお願い。君はここで静かにしていて」
それは「誘惑」。
神の子孫が人をごく短時間、意のままにできる能力。
使われた人は術者にとって都合の良い行動を取ってくれる。
例えば、黙って道を開ける。騒がず邪魔をしない。
騎士の目がとろんとして全身が脱力しているのを見届けると、彼は剣を握り柱の方に向き直り、歩き出す。
これで終わる。
もうとにかくなんでもいいから終わる。
僕があの神を殺せば何もかも終わってくれる。
そう思い、次の一歩を踏み出す。
踏み出すことは、できなかった。
足首を、掴まれている。
さっき誘惑をかけたはずの騎士が、ミラディスの足首を掴んで放さない。
「なんで!?」
思わず大声を出して振り返る。
「なんでこんなことするの!?なんで僕の邪魔するの!?答えてよ!ねえ!」
とろんとした、誘惑が効いているはずの目。
人は、術者にとって都合の良い行動を取ってくれる。
その「人」の主観によって。
「だって」
騎士が口を開く。
目と目が合う。
「あなたは『そんなことしたくない』ように見えたから」
「……!!」
胸の奥を見透かされたような騎士の発言に、ミラディスは剣を取り落とし、そのまま膝をつく。
「あれ……ここは……」
はっきりした声が彼の頭上から聞こえる。この瞬間に誘惑が切れたことを確信する。
意識を取り戻したばかりの赤い瞳は絶望と恐怖で涙に濡れて、今にも風に消えそうな薔薇の花弁のようだった。
でも今は違う。騎士は立ち上がり、辺りを見回す。揺れるその瞳はまるで焔のようだとミラディスは思った。
呆然と座り込むミラディスとすれ違うように、その騎士は歩き出す。
私がゼクスレーゼから受けた傷は深く、ずきずきと痛む。
それなのになかなか意識が途切れてくれない。
昔、銃弾が身体にめり込んで、麻酔なしで手術を受けたこともあったっけな。あれも痛かった。
大量出血も初めてじゃないな、太股に喰らったときは囲まれていたこともあって本当に死ぬかと思った。
ぼんやりと昔のことばかり思い出される。やっぱり私、こんなところで死ぬんだ。
爆破された教会で戦って死ぬなんて、元の世界とそんなに変わらないじゃない。何が理想の安楽死用の世界だ。Dreaming worldなんてひどいペテンだ。
奥から鈍い足音と金属音が聞こえる。
これはキエルじゃない、それだけはわかる。
とどめをさされるのか。下手な奴じゃないといいな。
そう思いながらぼんやりと目線を上に向ける。
しかし。
目に入ったのは、思ってもみなかった光景。
彼女のことは覚えてる。
初めてゼクスレーゼと会話した日、きゃいきゃい騒いで注意されていた騎士見習いの少女が立っている。
彼女の槍が、ゼクスレーゼの左胸を貫いている。
ゼクスレーゼの表情に、驚愕と納得の色が滲んでいる。
騎士見習いの少女は低く掠れた声で宣言する。
「アレイルスェン教会騎士団、六つの誓い。
一、大いなる神に忠誠を示し教会の剣となり盾となれ。
二、神の威光を授かりし者としていかなるときも高潔で誠実であれ。
三、揺るがぬ正義のもと勇敢に戦い邪悪を退けよ。
四、信仰の下に集いし者をすべて家族として庇護せよ。
五、神の力の化身として弱き者のためにその身を捧げよ。
六、最後の一人になったとしても凜と咲く薔薇のように戦い続けよ。
……だから、あなたは、騎士ではありません。自分より弱い者を守る盾にならず、それどころか命の糧にする卑劣さ。神様のためではなく自分のために戦う蛮行。決着を騎士でもない人間に任せるような無責任さ。すべてにおいて、騎士の資格などありません」
その口上をゼクスレーゼは目を閉じて聞いていた。
「そうか。……そうか。お前、名は何と言う」
「ソフェル・カウレアと申します」
「カウレア、か。よくある名前だ。……だが、お前はいずれその名を棄てることになる」
ゼクスレーゼは最後の力を振り絞って顔を上げる。血塗れの手で、胸に着けていた薔薇の紋章を外し、少女に向かって差し出す。
「お前はやがて私と同じ存在になる。忘れるな」
それがゼクスレーゼ騎士団長の最後の言葉だった。
私の意識も今にも途切れそうだ。
少女はまだ立っている。
返り血を浴びた手でお守りのように槍を握り締め、紋章を受け取ることもなく視線を動かしている。
懇願するような視線が捉える先では、誰も動かない。ゼクスレーゼも、彼女に命を奪われた騎士達も、全員死んでいる。
次の瞬間、よく知った褐色の手が視界に飛び込んできた。
両腕で抱え上げられるが抵抗する体力もない。
それでもすぐに気付いた。彼女の、いや。
彼の目が金色に輝いているのを。
こいつは私が殺すべき相手だ。
愛する人の身体に巣食う、明確な敵だ。
なのに、今は殺せない。
私はこれ以上戦えない。
悔しくて悔しくて、痛くて痛くて、でもやっぱり涙を流せるほどに表情は変わっていないんだと思う。
奴の腕の中で意識を失う、そんな屈辱的なことがあろうか。
でももう限界。
意識を手放す瞬間。
槍が落ちる音と、少女がわっと泣き出す声が聞こえた。
ああそうか、この世界でもそうなんだ。
神が神を殺すのと同じように。
人も人を殺すんだ。
どこにでもいるありふれた名前のカウレアさん。どこかで聞いたことある人もあるかもしれませんね。
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