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第35話 異世界転回

枕元の橙色の仄かな灯りだけが、バノンの顔を照らしていた。



「うん、外傷全然ないって医者も言ってる。気絶してるだけだよ」

「…………バノン」

「ミウだって怪我してるでしょ?寝た方が良いよ」

「バノン……バノン……」

「…………あのねえ。状況も把握せず突っ込んでいったのは君だし、勝手に後を追って行ったのはバノンだよ。そういうとこほんとに学習した方がいい、勢いだけでどうにかなるわけじゃないんだから」

「…………」





ベッドで目を覚まさないバノンの側に私は座っている。隣にいるフロアの言葉が容赦なく胸に突き刺さる。

あの後すぐにゼクスレーゼも騎士達も置いて、急いでバノンを連れてハーフラビット社まで帰ったけど、いくら呼んでも返事どころか指先ひとつ動かさない。

夢鏡(プリズム・ドリーム)を使えば会話できるかもしれないけど、それよりも目を覚まして、また手を握り返して欲しい。


バノンのこと、どうして置いて行ってしまったんだろう。ずっとそばにいたいって思ってたのに。私が手を離したせいで、あんなに痛い思いをバノンにさせたなんて。





「そのまま一人でぐるぐるうじうじ考え込んで、さぞかし素敵な結論が出せることだろうね」

フロアが持ってきた飲み物の甘い香りが鼻をくすぐる。




「警戒しなくても、普通のココアだよ。これ飲んで寝なさい」

「…………」

「って言ってもどうせ寝ないか。じゃあ話でもしようか」



フロアが窓際の椅子に座って、窓を軽く開ける。

いつの間にかもう外は暗くなっていた。ぬるい夜風を右側の頬に感じる。




「ミウ。君はこの世界のこと、どう思う?」

「Dreaming world のこと? ……ラウフデルじゃなくて?」

「うん。世界の方」

「……別に……何とも思わない。私がバノンと会って、最も安らかな場所で死んでいく。それだけの世界」

「……君の目的からすると、そうなるだろうね。恙無く平穏な日常がどこでも続いていく」





「言いたいことがあるのね」

やたら前置きを挟んでくるフロアにしてはすぐに本題に入ってきたと思うけど、それにしても遠回しに言うわね。

ココアを一口だけ含む。思ってたより甘くて、じんわり暖かさが胸の奥に広がる。




「僕達にとっては、飼い殺しなんだけどね」

「神の支配下にあるからでしょ。あの教会さえなくなれば、あなたたちの社会が戻ってくるんじゃないかしら?それがいつかはわからないけれど」

「……ミウ、最初どういう風にこの世界のこと聞いてた?」

「理想の死に場所を自由に探せる仮想世界。人工知能である人は私達神に協力してくれる、神は人に対して圧倒的に優位が取れる」

「……うん、それから?」

「人は独自に社会や政治、宗教を発展させてるって」

「実際そう思う?」

「そうなんじゃないの?基本的には。まあどの地域も欲深い神があれこれ干渉して荒らして回ってるみたいだけどね。他人事ながらうんざりするわ」




バノンの睫毛も風に揺れてる。

淡々と質問を続けるフロアの真意が今一つ読めなくて、窓の方に視線を向ける。



フロアの顔からは、いつものうさんくさい微笑みが消えていた。


「Dreaming world の秩序は人に委ねられている。でも神は莫大な(リソース)を投入して、所有物(ポゼッション)で超常現象を起こせる。君にとってもそういう認識なんだね?」

「違うって言いたいの?」

「……君さ。なんでそんな目に遭ったの?『人』相手に。神に直接効力がないはずの『所有物』の力で」

「…………」




神殺し(ミストルティン)の発動で受けたダメージは、バノンと手を繋いで、赤い光で視界を遮られてから嘘のように消え去った。

でもあの光を受けている間、信じられないくらいの苦痛を感じた。あのままじゃ塵になって死んでいたと言われても頷ける。



「君達さ、たぶんそんなに万能じゃないよ」

「私だってそこまで強さを求めてたわけじゃない。戦ったのは成り行きよ」

「……そうじゃなくて。『本人が望まない形で神を殺せる』ってこと。そこに制限かかってないんだよね。」



そう。私は神を殺してきた。私からすれば正当な抵抗でしかないけど、向こうからしたら予期せぬハプニングだったかもね。

でもそんなの、いずれ死ぬんだから長居してる方が悪い。そこまで面倒見てもらわなくたって私は文句言わないわ。もう一口ココアを飲む。

フロアが言葉を続ける。




「……ねえ、ミウ」

「ん?」

「それ、なんで飲めるの?」

「!?」


急にそんなこと訊かれて、動揺してカップを落としそうになる。バノンにかかったら大変だ。



「ああごめん、毒が入ってるとかじゃないんだ」

「何よいきなり」


ちょっと変なところに入ったじゃない。

からからとした咳が治まったのを見計らってフロアが続ける。



「僕が言いたいのはそういうことじゃない。ラウフデルの気候で、その原料は育たないはずなんだ」

「……原料……」

「もうひとつ。僕達がなんで新聞なんか作れると思う?なんでこんな、君が見知ったような形の建物で過ごせてると思う?ラウフデルの他の街との交通手段は船だ。でも、どこと交易してるって思う?」

「…………?知らないわ……」

「僕達にもわからないんだよ」

「教会が情報を統制してるのね」




権力者のもとにだけ情報が集中する、そういう統治はよくあることだ。

でも。

「違うよ」

フロアの真剣な表情に思わず息を呑む。




「物も、その材料も、通貨も、どこかからいつの間にか勝手に現れて社会の中にしれっと溶け込んでるんだ。畑とか海とか、一応あるし農民も存在してるけど、それだけで人口すべて賄えるほどの量が生産できているわけじゃない」

「……それは、私達のための仮想世界だから、不自由ないように運営が物量を調整してるのよ」

「うん。僕達の歴史の上でも、帳簿と照らし合わせてもそれが正しい」

「まあそうなるでしょうね」

「……僕達の記録では、この世界ができてから最低でも五百年以上は経過してる。ある程度の文明レベルと社会体制を与えておいて、発展させて様子を見てから、最初の神がログインし始めたのがおそらく三百年くらい前。調整が大々的に始まったのも、たぶんその頃」

「……そう」

「このラウフデルにおいては、百年くらい前から特に激しくなった。……その結果、何が起こったと思う?」

「えっ?そんなこと言われても……神同士の小競り合いとトンチキカルト以外、何が起こってるっていうの?」




フロアが忌々しそうに溜息を吐く。



「何も起こっていない」

「……?」

「戦争も、地域の境界線の変化も、産業の発展も、思想の変化も、政権の移動も、このラウフデルにおいては、人の手から何も起こってないんだよ。元の世界でそんな百年、考えられる?たまに他の地域にしか設定されていない文明レベルの物が入ってくるし、所有物そのものがオーバーテクノロジーの産物ってこともある。真っ当に発展している社会なら遅かれ早かれそれを扱えるはずだ。でも技術体系が失われたから、まともに生産ラインまで持っていけない」




フロアの話を聞きながら、エズの言葉を思い出す。



「悪党を追い払ったから問題は終わるわけではないのです。続けば続くほどに、人の社会には新たな問題が出てきます。次々に現れる外敵。内部であっても異なる立場によって引き起こされる対立。人口増加によって拍車がかかる食糧問題と経済格差。各地の技術格差による植民地支配の拡大。無力な人々の手ではとても解決できるものではないでしょう」



それはエズが私からバノンを奪うための戯れ言だと思っていた。だけど、フロアの言うことと照らし合わせて考えると。

「神やハーフラビットにとってはそれが自然に予想できること」なのに「実際は起こっていなかった」ことになる。

エズは起こりもしない問題を警戒しながら、統治している気になってたということ?




「僕の視点では、人は百年以上社会を発展させていない。もう既に形成されている社会の構成として日常を繰り返している。あるコミュニティの内部で表面的な変化があったとしても、外部の何かが誘発されたりはしない。不可能というわけではないようだけど、そんな必要がまずないんだ。発明や改革は『よっぽど好奇心や探究心の強い個人のひらめき』の域を出ない。素晴らしいものがあったとしても、後押しする人々がいないんだ」



ピンと来ないわ。



「あなたたちには技術があるじゃない」

「僕達ハーフラビットだけは、それぞれの街に分散しながら技術を残せる。でも絶対数が少ないから産業と呼べるレベルにはならないし、調整に頼らない形での資源の自力調達は極めて難しい。調整に引っ掛からない範囲内で資産を運用して、昔からの技術をなんとか維持して……って感じだよ」

「不服そうね」

「ああ不服だとも。どれだけ事実を、歴史を書き留めようとも社会は変わらない。ずっと平和で平穏で、ずっと停滞している。死にたいだけの神には理想的な世界だろうね。だけど、僕はそう思わない」



フロアの声に、憤りのような色が混じる。


「人工とはいえ知能があるんだよ。それなのにこの状況は知性を剥奪されているに等しい。個々の人格があったって、連続性がない現象が目の前を通り過ぎるのを眺めながら生きていくのなんか、死んでいるのと変わらないよ」


きっぱりと彼は言い放つ。

私には世界の全体像なんか把握する必要もなかったから、意味がわかるところとわからないところが混ざってるし、言い回しが難しくて共感できない。




「……別に、調整されるのは仕方ないって思うよ。世界の維持に必要なら受け入れるしかない。でも」

「でも?」

「……社会に問題が起こったとき、解決方法を持たない」

「起こらないんでしょ?」

「起こってないって言える?」

「起こらないって言ったじゃない、フロア」

「その前に君が言ったことだよ、ミウ」




神同士の小競り合いとトンチキカルト。そう言った覚えがある。



「むしろそっちが問題なんだ。秩序も法則も理論も本当の意味で持たされず、人は絶え間なく蹂躙されてきた。ひたすらに無力なんだ」

「そういう構造よね」

「それなのに、君まで死ぬ寸前まで傷付いた」

「ええ」

「例えば『神を殺せる武器』と設定されてしまえば、その所有物は神にダメージを通すことは出来るんだ。そういうルールが優先されるんだ」

「……ええ」



遠回しに、ゆっくりと。彼は自分の思想の核心を私に示してくる。




「……僕の目的を言うね」

「うん」

「この世界にある所有物(ポゼッション)聖遺物(レリック)、すべてを抹消したい」

「なんでそうなるのよ」

「問題を解決することでしか、人は進めない。理論上は、調整されながらでも、少しずつでも。問題意識を持つ人を増やしていければ、発展は可能なはずなんだ。でもびっくりするほど唐突に、無秩序に、僕達は殺されて奪われて、自力で反撃すらできなくて、それでも社会自体は大したダメージを受けず、何事もなかったかのように元に戻っていく」

「……それが所有物と遺物によるものだってことは、一応筋が通っているわ。でもそれって『神にもう来ないで欲しい』って言ってるのと同じよ」

「同じじゃないよ。それさえなければ、人は人の社会で、人の秩序の中で生きられる。神だって、秩序の中で穏やかにお客様でいられる。そう思わない?」




別に共感を求められているわけではないことはわかった。彼は怒ってるんだ。静かな口調と表情だけど、それだけは伝わってくる。

同胞を殺されたこと?無力でいさせられること?


とにかく。




「だからって私に全部壊せって?神も所有物も遺物もぼこぼこに壊滅させろって?私を破壊神にでも仕立て上げるつもりかしら?」


私は私の目的以外では動きたくない。そんなつもりないし、断る自由だってある。

キエルを取り戻して、ラウフデルから出て行って、最高に綺麗で安らかな場所でバノンと一緒にすべてを終えるのだ。




「……もちろん、君の目的が君にとっては優先だ。僕達は急いでいるわけじゃない、確実な情報が欲しいんだ。ついででいい、片手間で良いから探って欲しい。協力は惜しまない」

「……探る?」

「マセリアについてだよ」



そこで、マセリア?

神の一人に過ぎないはずの名前がそこで出てくるの?



「マセリアは神でありながら課せられたルールを無視している。本来できないはずのことができていると、君からの説明も聞いたつもりだ。そこに運営の抜け道があるのかも知れない。」

「抜け道……?」


「あれでもルール通りにやっていると言い張れるならその具体的な運用方法を知りたいし、破っているならそこにセキュリティの穴があるってことだ。掴んでしまえば交渉の機会が得られるかも知れない」


「…………」


「どうしたの、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」


「復讐とか殲滅とか、そういうのじゃないの?」


「ははっ」



何こいつ。何笑ってんの。

しかもちょっとツボってるんじゃないわよ、何口元抑えてるのよ。



「君ってほんっと短絡的……ふはっ」

「馬鹿にしたわね殴るわよ」

「だって僕そんなこと言ってないもん。人が自分で発展させた社会が、技術が、産業が理不尽に奪われることなく、言わばフェアに生きられるようになりたいんだってば……くくっ……殲滅って……いくらなんでも武力に頼りすぎでしょ……ははっ」



もうなんなのよ!さっきから小難しい話を延々とされて、挙げ句の果てに結論が「情報収集に協力しろ」!?

こっちは必死なのよ!馬鹿にしないでよ本当に!


まだ笑ってるし、何がおかしいのよフロア!

やっぱりこいつ、イラッとする!






その時。







「それでは駄目だ」








私でもフロアでもない声がすぐ近くで聞こえる。





「バノ……」






声の方を振り返ると、その人が上体を起こしている。


だけど。









「神は全員殺せ」








いつものバノンの声質。

いつものビロードのように滑らかな肌。

だけど。



冷淡な声色と口調。

バノンとは違う、金色の両目が無表情で私を見ている。







「あなた、誰……?」





バノンじゃない。





しばらく目を合わせていたが、やがてバノンの身体からふっと力が抜け、前のめりに倒れ込んでくる。





「……っ」

両腕を広げて抱き止める。胸の中で、激しい息遣いが聞こえる。





「……ミウ」


「バノン!」



私を呼ぶその柔らかい声は、間違いなくバノンだ。

少し身体から放して顔を覗き込む。



だけど。

そんな表情、見たことない。


目を見開いて、青ざめて、がたがた震えている。




「バノン、どうしたの!?」




「ミウ……会ったの?」

「会ったって何が!?誰に!?」






「繧、繧ー繝翫�繝��險€闡峨r閨槭>縺溘���シ溘≠繧後�縺薙�荳也阜繧呈サ�⊂縺昴≧縺ィ縺励※縺�k譛€謔ェ縺ョ逾槭□繧医€∬ィ€縺�%縺ィ縺ェ繧薙°閨槭°縺ェ縺�〒」



「!?」




バノンの口から、知らない言葉が。いや違う。

「言葉じゃないもの」が、溢れてきた。

バノンは口から出るそれに必死に抗って何かを言おうとするが、話せば話すほどにその声は、いや、声ですらない何かは、音ですらなくなっていく。

喉をかきむしりながら、自分の身体を抱きすくめながら、形にならない何かを口から出している。



それは、虚無か。闇か。

いや、もっと違う、本能的に恐怖を感じる何か。

まるでそれは「言ってはいけないこと」を言おうとしたことに対する罰。

とにかくこれ以上続けさせたら、彼女が壊れてしまう。そんな気がした。




「バノン、もういい、もういいの!」

強く抱き締める。様子なんか見てられない。この対応が正しいのかもわからない。

でも止めなくちゃ!



こんなに震えている人は見たことがない。

私も怖い。

でもバノンは、もっと怖いはずだから。

この腕を放しちゃ駄目なんだと思った。



やがてバノンは大きな息とともに「それ」を止めた。

嵐が止んだように静まった彼女の息遣いは弱々しく、なおも乱れ、しゃくり上げる音が聞こえた。





「バノン、泣いてるの?」




声をかけると同時に、彼女のすべてが私に寄り掛かってくるような重みを感じた。




「ミウ」





返事の代わりに、背中を撫でる。






今にも消えそうな声を、確かに聞いた。







「俺のこと、嫌いにならないで」





次回まで少しだけお待ちください。

次から更新時間帯が割と良心的になると思います、たぶん。

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