第34話 神殺し
歌は、止んでいる。
だからここにいるのは正気の人。
横に列を成してずらりと並ぶ騎士団も、奥で槍を構えている騎士団長も、神でも子孫でもない、正真正銘の「人」であることを私の感覚は確信している。
だけど。
敵意が籠った目線があらゆる角度から向けられているのを感じる。
「……全員、私と敵対する気みたいね」
「全員?いいや」
ゼクスレーゼが私の独り言に律儀に答える。
「私達はひとつ。あなたが対峙しているのは、個の集まりでなく、騎士団そのもの。教会そのもの。そして、神の導きそのもの」
「つくづくあなた達って私のこと申し訳程度にしか神扱いしないのね」
いちいち不愉快に思うのも面倒になってきた。
私がこの空間で唯一の神だというのに、好意的に接するどころか指示にも従わなさそう。その理由も分かる。
「その金属、ほんっといくらでもあるのね」
ゼクスレーゼ以下、騎士全員が銀色に輝く鎧を身に纏っている。
ゼクスレーゼだけは別だが、構えている剣や槍も全員同じ銀色だ。
見たところ騎士団の構成員は、成人が中心ではあるが昨日見たような三人組とあまり変わらないような年代の少年少女が一定数混じっている。
つまりはそういうこと。大して身体の出来上がってない人でも大人と同じように身に着けて戦えるくらいあの鎧や武器は軽い。そして、広い側廊を囲むように配置された騎士団全員に輝くそれを配給できるくらい量がある。
でも、フロアにハーフラビット社でもらった市街図には、そんなに大規模な工場どころか製鉄所すら見当たらなかった。
何よりゼクスレーゼ本人が言った。「マセリア様から賜った」と。
炉でもあるのか、鎧そのものか。とにかくあれが所有物の一つであることは間違いない。ただの人であっても、所有物に身を包んでいるなら。力の量で圧倒できるはずの、神の力に抵抗できてもおかしくはない。
ただ。
「……使い捨て、ね」
ゼクスレーゼの合図で騎士達が一斉に襲いかかってくる。
槍が、剣が。その切っ先が私に向かって次々に向けられる。
しかし。
ひらり、ひらり。
とんだ茶番だ。
私が神であることを差し引いても、攻撃がまるで当たる気がしない。
少し横に避けるだけで勝手にバランスを崩しすっ転ぶわ、周りの仲間まで巻き込んで倒れていくわ。
挙げ句の果てに、両側から私に斬りかかったと思ったらお互い頭をぶつけ合って蹲るわ。
近寄ってきた奴の足下を鎧の上から夢鏡で殴ってみたら軽く吹っ飛ぶわ。
騎士団なんてとんでもない。
寄せ集めの素人に鎧と武器持たせただけじゃない。
しかもこの金属、全然だめじゃない。柔らかくてしなやかなのかもしれないけど、それにしても鎧として成り立つほどの硬さがないのはどうなのよ。
「あいててて……」
「なんてつよい……」
「神こわい……ひええ……」
ふざけないで。あなたたち自滅してるだけよ。こんなの戦ってるうちに入らない。
でもたぶんこれがアレイルスェン教会騎士団の正しい形なんだ。
別に武力なんか、所有物を使う超少数だけ持っていれば、のんびりした街を支配するくらいなんてことない。「自分達市民から成る集団が街を守ってる」雰囲気さえ出せてればいい。高潔で誇り高く強いイメージさえ出せてればいい。後はまあまあ素質があるのを側近や要職に配置してればそれらしくなる。
要は、自分達が正しい、外から来た神に襲われたら反撃しなければいけないという意識を植え付けていくプロバガンダのための組織。
昨日の少女達の意識の低さも態度の緩さもそう考えれば納得がいく。命のやり取りをすることなんか最初から考えられていない。百年くらい神の言いなりになってて、自然とそういう風土になってるんだ。
不愉快だわ、こんなしょうもないことに付き合わされて。
その上本人達は至って真剣なのが、もう見てらんない。
……それに、嫌なことが頭をよぎる。
あの金属が所有物本体でなくて産物だとしても、肌に触れ続けていることの危険性はゼクスレーゼだって認識してるはず。
「もういいわ」
ゼクスレーゼだって人だ。とっとと所有物を引き剥がして無力化しよう。命だけは取らないであげる。
その槍がどれだけ強かろうが、どんな効果があろうが、発動するまでに叩けば問題ないのだ。当たらなければどうということはない。
やられる前にやる、いつだってこれが基本だ。
暴力は強い、シンプルなことだ。
騎士達を適当にかわして、ゼクスレーゼに駆け寄って、その顔を夢鏡で思いっきり横から薙ぎ払うように殴る!
「ぐっ」
兜が外れ、黒いウェーブヘアーとみるみる腫れ上がる顔が露になる。
まだ気絶してない。槍も取り落としてない。じゃあ気絶するまで殴ればいい!
ゼクスレーゼは他の木偶の坊より少しは動けるらしい。神と人とはいえ、手鏡で激しい槍の攻撃を捌くのは少し辛いものがある。
確かに、他の騎士とは比べ物にならないくらいすごく強い。
私の間合いから少しでも出てしまえば、彼女の広い間合いの中で蹂躙される。しなやかで無駄がない動きと、それを支える体幹と筋力。人としては最高峰のフィジカルを持ってるんじゃないかしら。額に汗が滲んできた。
速く、速く。少しでも多く打撃を与えて無力化しないと。
こいつはキエルとは違う。機動力には劣るけど、私の攻撃を上手く急所から外して、最小のダメージにして受け流している。
他にどんな敵がいたっていうんだろう。もしかしたら私以外の神とも戦ってきたのかしら?不利な状況での耐久戦に慣れている感じがする。
集中力を切らせたら逆転される。彼女の狼のように鋭い眼光がそれを示している。
でも、だからこそ気になることは今訊いておかなくちゃ。
「……んなに、戦えるあなたが、どうしてこんな」
「…………」
「神の支配を受けることを良しとしているのかがわからない」
「マセリア様がくださった力です、から!」
打撃がまた槍で弾かれる。
「違う、その槍術はあなたが自力で身に着けたものでしょう」
それくらいわかる。敵の心臓を薔薇のように屠る鮮やかな突き、花弁が舞い散るように洗練された払い。そこに神の力なんか感じなかった。
力を入れるべき時に入れて、抜く時に抜く。そんな単純なこと。そんな単純なことを完全な計算下で行えるようになるまで、この人はどれだけの鍛練を重ねたんだろう。
「こんなに干渉されて、あんな教祖の言いなりになって、こんな使い物にならない集団率いる羽目になって悔しくないの!?」
腹部に入った。彼女が少し仰け反る。
しかし両足で踏ん張って持ちこたえている。
それどころか。
「マレグリット様を、私の騎士団を、愚弄するな!」
苛烈な払い技が炸裂する。
上から、横から絶え間なく攻撃が降り注ぐ。
何発か防ぎきれず腕や脚に痛みが走る。出血しているのかもしれないけれど、そんなの確認する余裕はない。
こんな手鏡でここまで受けきれるの、私くらいじゃないかしら。
派手な技を使ってきたということは、それだけ隙も大きいということ。
人相手に舐めてかかってはいけない、それをキエルとの戦いで学んだ。だから、ここを耐えきって。隙ができたら、最大のチャンスだ!
「ここだ!」
ゼクスレーゼの脇腹に重い一撃が入る。
祭壇に強かに背中から身体を打ち付け、そのままずるずると座り込んで彼女は動きを止める。
勝負あったわ。
「あなたのこと殺さないであげるわ。所有物はまるまる全部置いていきなさい」
上からじゃ、俯いている彼女の表情は見えない。
なおも槍を握り締めていることだけが、意識があることを示している。
「……神よ」
「何かしら?」
「私は所有物を三つ賜りました」
「知ってるわ。人の割によく頑張ってるんじゃない?それももう終わりだけど」
「…………なぜ、三つも持てるか教えて差し上げます」
瞬きの間だった。
「しまっ……」
彼女が槍を持ち上げて、その穂先を私に向ける。
光が槍全体から発せられ、穂先に集まっていく。
そうだ、この槍は。
まだ発動していなかった!!
光が、放たれる!!!
「吼えよ、神殺し!!!」
「あああああああああっ!!!」
痛い!痛い!
槍から発せられる光線を真正面から浴びている!
身体が割れるほど!意識がちぎれるほど!頭が潰れるほど痛い!
内臓がどうとか骨がどうとかどうとかいう問題じゃない!!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!
存在が破壊されるほどに、痛い!!!
もうなにもかんがえられない
くるしくてくるしくていきをするのもつらい
なかみがぐちゃぐちゃになってるかんじがする
「ぎっ、いっ……」
潰れた鳥みたいな声が漏れる。
目が飛び出そう。
涙か何か分からない汁が顔じゅうを覆っている。
五感すべてが痛みに繋がってる気がする。
死んじゃう、死んじゃう!!!
こんな苦しい死に方で、こんなところで!
私一人で!!
死んじゃう!!!!!!!
「大丈夫だよ、ミウ」
柔らかい声が耳に届く。
指先に暖かさが伝わる。
ぼやけた視界に、よく見知った背中が映る。
「バノン……?」
そんなはずない。
先に帰っててって言ったのに。
こんなところで助けてくれるわけない。
私のことなんか助けられるわけがない。
だってあなたは戦えないはずだ。
なのに、どうして。
どうして私の代わりに、その光を浴びているの?
それを口にするより先に、今まで浴びてきたのとは違う、橙色の光が視界を覆う。
繋いだ手が、いや。
肌で感じる空気すべてが、熱い!!!
熱が急に冷めて、目を開ける。
「があああっ……!!!」
ゼクスレーゼが腕を抑えてのたうち回っている。
それより、そんなことより。
もっと重要なことがある。
それしか見えない。
それしか重要なこと、ここにはない。
「どうして」
バノン。バノン。私の愛しいたった一人。
どうしてあなたは、倒れているの?