第32話 from my dream ……えっ、これだけ!?
「ミウちゃん」
「……キエル?キエルねその声。誰よりもやかましいからすぐわかるわ」
「ミウちゃんったらひどいです~!ていうかもう聞いてくださいよ、最悪なんですよ!」
「ええ最悪よね。私もあなたがさらわれて色々最悪よ」
「もうほんと早く助けにきてくださいよ~!かならず助けるわってミウちゃん言ってたじゃないですか~!」
「早く助けられるとは言ってないじゃない。ていうかあなた今何してるの?」
「わたしですか?わたしは……その……」
「その?」
「あの人たちに無理矢理……」
「無理矢理!?何よ、無理矢理何をされたって言うのよ!」
「ださい服を着せられてます」
「…………は?」
小鳥の声がして、光が窓から入ってくる。
「朝だわ……」
夢を見ていた。さらわれていなくなったキエルが語りかけてくる夢。
見ていたといっても声だけで、どんな様子でどこにいるのかまではわからない。
まあ夢の情報量なんか得てしてそんなもんだけど、でもなんていうか、やけに。
「本物っぽかった……」
「ミウ、起きたんだ」
起き上がってぼんやり宙を見ていると、隣で寝ていたバノンが声を掛けてくる。バノンはいつも早起きだ。夜明けと一緒に目覚める習慣がついているらしい。
でも、目覚めたときに隣にいてほしいってお願いしたら、それからはずっと私が起きるまで身支度を待っててくれる。
「どうだった?ミウ」
「……バノン。あなた何か知ってるの?」
「知ってるような、知らないような。でも確かじゃなかったから、予想だよ」
私とバノンが何の話をしているかというと。
昨日、寝る前。ベッドの中でこんな会話をしていた。
「……とりあえず、明日また作戦を立てましょ」
「夜襲するんじゃないんだね」
「どうせあれだけ穴だらけなくせに巨大な組織なら、今夜も明日の夜も変わらないと思うわ。あいつらのことも少ししかわからなかったけど、あいつらがそれぞれどこで待機してても、そしていつ仕掛けても同じような反応だと思うの。それよりも気になることがあって……」
「夢鏡のこと?」
「……ええ、そうよ」
キエルが連れ去られた時、カスほどの役にも立たなかった夢鏡。セルシオルに憑依され呪われた、私の所有物。
だが、私が起動のため名前を呼んでから、たまにぼんやり光っては消え、消えては光るのだ。
「帰って来てから何回か試してみたけど、やっぱり何の反応もないわ。ポンコツになっちゃった……」
「時間がかかるのかもしれないね」
「時間?」
「すぐに効果が出るとは限らないのかも」
「そんなじわじわしか効かないなんて、もしこれが薬ならクレーム入るわよ。使いたい時に使えなきゃ意味ないじゃない」
「使いたい時が大事なんだね」
「そうよ」
「ミウが使いたい時に使う方法があればいいね」
「そうね。でも今日はもういいわ。懐にしまっておくのも気味悪いから、枕元にでも置いときましょ」
夢鏡を床頭台の上に置いて、その手でバノンの手を握った。
いつもと変わらない、私より暖かい手。
「バノン、あのね」
「なに?ミウ」
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「いきなりキスしたこと」
「別にいいよ」
「良くないわよ。無理矢理なのはやっぱり良くないのよ」
「気にしてないよ」
「バノン、私のこと嫌いになってない?」
「なってないよ」
「……バノン、大好き」
「うん」
そんな感じで、そのまま眠りについたらさっきの夢を見たのだ。
夢鏡を見ると、うんともすんとも言わないのは変わらないけど、全然光らなくなっていた。
「夢を見たのよ。キエルの声がして、私もそれに答えて話してたの」
「そうなんだ」
「夢なのに、まるで本物のキエルが話してるみたいだった」
「何を話してたの?」
「最悪!助けて!って言ってた」
「最悪なんだ」
「そうなのよ、どうしてかっていうと確か……」
コンコン。
部屋のドアがノックされる。
今大事な話してたのに、誰よこんな朝早くに訪ねてくるの。
まあ一人しかいないだろうけど。
「おはようミウ、バノン。爽やかな朝だね、空は晴れ渡り風は光っている!」
「思ってもいないこと言うんじゃないわよフロア。何の用?」
フロアの目元の隈はまた濃くなってる。たぶんこいつ言葉とは裏腹に、朝が何よりも憎いタイプだ。つまり今すごく機嫌悪そう。
「外ちょっと見てくれる?面白くないことになっててね」
「あなたがそれだけストレートに言うってことは、本当に面白くないのね」
言われるままに窓枠に手を掛ける。
ラウフデルは賑やかな大都市だ。朝であっても人通りは多く、市場には絶えず活気がある。
だけど。
「なによこれ」
私が怪訝そうな声を出すと、フロアがいかにも共感を求めていたような態度でまくし立ててくる。
「こんなの異常だよ、朝っぱらから『教祖マレグリット・アレイルスェン直々に素敵なお知らせがあるので皆様どうぞ教会にお越しください』ってビラが町中に撒かれて、市民みんな教会にるんるん気分で向かってるのさ。仕事も家事もほっぽり出して行くなんて、つくづくここの人々の心酔っぷりは嫌になるね。まあ興味本位の無責任な野次馬だって多いけど、それこそそんな堕落っぷりで生きてけるなんて良いご身分だよね、無邪気な信者の皆様ってのは」
それにしてもいつもより言葉の端々に棘が多いわね。
「確かに沢山の市民が楽しそうに教会に向かってるわね。でもあなた達からしたら面白いんじゃないの、記事になりそうじゃない」
「あのねえ。記録に残すからって、全部新聞記事にできるかって言われたらそんなことないからね?あからさまに教会批判して生きてけるほど甘くないからね?」
「どっちにしろ身元は割れてるでしょ。実際仲間も殺されてるじゃない」
「表立って宣戦布告するほど愚かじゃないのさ」
フロアが忌々しそうに顔を歪めると、長い耳がぺたんと折れる。兎の耳を持っていて普段は芝居がかった喋り方をする人なんて子供向けのおとぎ話の登場人物みたいなのに、中身はつくづくリアリストなのよね。
「で、わざわざそれだけ言いに来たわけじゃないでしょ?」
「もう十分知ってると思うけど、僕達は神に追従しないだけで他は普通の人なんだ」
「……見てこいってこと?私とバノンに?」
「いや。僕も見に行く。だけど」
そう言ってフロアがポケットから取り出したのは、耳栓。それをすっぽり嵌めて、死んだ魚みたいな目で私達に笑いかけた。
「話は君達が聞いて。一字一句逃さないでね」
そんなわけで、私達は三人で教会の前まで辿り着いた。
フロアは自慢の聴覚をシャットダウンしているため、バランスが取れずに歩き方がふらふらだ。
しょうがないからまた右手でバノンと手を繋ぎ、左手でフロアを導いてあげた。
「だからって引きずらないでくれる!?」
何か言ってるけど返事しても聞こえないだろうから無視する。
人混みがすごくて教会にはあんまり近付けない。
神だと宣言すれば、むしろいかにも神ですという態度でいれば道くらい空けてもらえると思うけど、目立ってもそんなに良いことなさそうだからこのままで良いか。
おとなしく市民に混ざっておこう。
しばらくすると、何階かはわからないけど結構高めのバルコニーからある人物が顔を出す。
昨日見た、腰まで長い絹のような金髪。
さらさらと流れるような、感情の読み取れない熟れた声。
完璧と言って良いほどに崩れない笑顔。
教祖マレグリット・アレイルスェンだ。
「皆様、嬉しいお知らせがあります。
森を守る神が一柱この世を去られたのは悲しい出来事です。
ですが神々は私達を導くために福音を遺されました。
その大いなる慈愛に心より感謝します。
この世界は永遠の理想郷。
争う心さえ持たなければ、自ずと愛と平和に満ち溢れるのです。
それが神々の望みであり、私達人に与えられた責務。
流れに逆らうことなく穏やかに生命を循環させ、変わらない世界を守りましょう。
武器ではなく、思いやりによって。そして聖なる言葉によって。
さあ手と手を取り合って、皆がやさしい心をもって。
永遠に続く楽園を愛しましょう。
神と人を愛し慈しみましょう。
森の恵みを、澄み渡る空を、絶えることのない春風を」
こいつまた同じこと言ってるわね。
こんなこと言うために人々を集めたわけ?
実際、マレグリット様ばんざい!とか、流石アレイルスェン教会!みたいな歓声は上がってるけどそれ以上に市民は「え?それだけ?」みたいな顔してるじゃない。帰ろうとしてる人もいるし。
そう思っていたところに教祖が言葉を続ける。
「では、早速ご紹介しますね」
さあこちらへ、と促されバルコニーから顔を出したもう一人の人物。見覚えはあった。むしろ見覚えしかない。
バノンは目を逸らさないし、フロアも舌打ちしてる。
若草色の長髪の上に、橙色の髪が一筋触角みたいに伸びてる、妖精みたいな透き通った羽根を持つなんて少女。
「キエル!!」
思わず出した声は、人のざわめきに紛れてきっと届いていない。
「神々がこの永遠の楽園を守るために紡がれた言の葉を皆様にお伝えする愛の使者を私達は迎え入れました。彼女こそが聖少女、もう一人の神の使者。歌姫キエルです」
突然現れた、目を引く容姿の若い女と、マレグリットのいかにもそれっぽく神秘的な紹介に人々は熱狂して歓声を上げている。
いやほんと……。
何してんの?
「さあ、皆様に福音を届けるのですよ」
そう言われて口を開くキエルの表情は強張っていて、あからさまに歪められてはいないけど、緊張というよりは困惑しているように見える。
いつもみたいなくるくるきゃぴきゃぴ飛び回るような動きもなく、しずしずと前に出てくる。
それにしても、服まで着替えさせられてるんだ。
初めて出会った時に身に着けていたのは確か、えっと。
膝丈のシンプルな、胸の下に布地の切り替えがあって身体の動きに沿うようなクリーム色の袖無しワンピースに、膝下くらいまで長さがある茶色いブーツ。ブーツと同じ色のベルトでウエストを締めていて、短い丈の襟つきの焦げ茶色のベストが、明るく鮮やかな髪色と柔らかい色のワンピースを引き立てていた。それでいて、柔らかな布地のアームカバーが服と羽根の印象の違いを和らげてたような気がする。
活動的というか、よく動き回るキエルっぽい。
ところが今は、マレグリットと同じような、足首が見えないくらい長い僧衣風の白いワンピースを着ている。
かろうじて肩だけは出ているが、腕どころか手元すら見えない。これも金糸が織り込まれているのか、光を浴びて輝いている。
そんなにセンスが壊滅的なデザインではないと思う。
実際、似たような服を着て横に立っているマレグリットの控え目な色味の金髪にはよく馴染んでいるし、彼女の楚々とした清潔感を演出しながらも堂々とした佇まいにはぴったりすぎるくらいだ。
だけど、キエルはそうじゃない。
その鮮やかな色の髪も、目を凝らさないと見えないくらい繊細に模様の入った羽根も、よく見ると何気に結構濃いめの目鼻立ちも、白くて重みがあって威厳のありそうな服とは全然合ってない。
何より、少しでも彼女と話していれば。彼女の話を聞いて、困らされて、本気で怒らせた私なら、絶対あんな服薦めたりしないわ。
つまりは。
「だっっっさ!!!」