第18話 for your dream
「あのさあ、いくら神だからって致命傷くらったら予期せぬところで死ぬんだよ?ミウだって知らないはずないでしょ?そりゃあ君達は死なない限りは一晩寝たらだいたいの怪我は治るけど、治らないものだってあるじゃん!キエルだってかなりの力を治癒に割けるのも話聞いて納得したよ、とっても勉強になりました、ああ治り早いなって思ったよ!でもそれとこれとは別で、致命傷を負いかねない喧嘩を自発的に始めるのはほんっっとーに馬鹿のやることなんだよ!?もう遠回しに言っても伝わんないと思うからわざわざ君達に合わせて言わせてもらうけど、君達二人は馬鹿の極みだよ!ほんとはこんなこと無償でするなんてまともな社会人として有り得ないけど、このまま野放しにしたらあらゆる方面に迷惑がかかるし後片付けのための労力が尋常じゃないからしっっかたなぁく、僕が責任持って一人前のレディとしてのレッスンメニューを組んであげるから慎んで受けるように!」
「デスク、あの」
「何!?悪いけど優先度最高なんだ、後にしてくれるかな!」
「その、お説教なさっている二人とその側にいたお嬢さんですが、瞬きの間に抱き枕と入れ替わってます……」
「……は?」
「くっそーーーー!!!逃げやがったあの★♪@※●%◆☆*〒(とても書けない罵詈雑言)!!!」
「また荒れてるよ」
「今回まだ二徹目なのに早いですね」
「まだ午前なのに何本目ですかあの栄養剤」
「意味不明な領収書も切ってるみたいだし何があったんだろ……」
「この『恐怖!謎の集団ヒステリーか 白昼下で意識不明者多発』っていう記事もなんだかいつもよりトンチキですよね、私達らしくないっていうか色々誤魔化して書いてあるっていうか」
「そこ!無駄口叩いてないで早く記事まとめて!」
「は、はい!!」
「おっかねえ……」
「ハーフラビット社歴代一の短気デスクがまたキレた……」
「……まずい、ちょっと離れる!一時間で戻る!」
「あっどこ行くんですか!?」
街の西端に、私とバノンは来ていた。なぜかキエルもいる。
まあフロアの長くてつまんないお説教から一緒に抜け出して、その流れでってなったらついてくるのも自然なことか。それにしても。
「いつまでついてくんのよキエル」
「いつまでも一緒に行きます~!」
「あはは、賑やかだねミウ」
「そうねバノン。…………じゃなくって!」
「ミウちゃんは死に場所を探してるんでしょ?」
「そうよ、改めて説明したでしょキエル」
「わたしも探すの手伝いますね!」
「なんでよ」
「見つけたら即、ぶっこわします!」
「絶対ついてこないで」
最悪だ。旅をするのに荷物なんか少ない方がいいし、これ以上何も得たくなんかなかったのに。
うっかり踏み込んだだけで面倒事が増えたわ。
うんざりしながら周囲を見渡す。
「都市壁どころか関所もないのね、この街は。仮想世界とは言え社会なんだからその辺はしっかりしてると思ったんだけど。まあいいわ、さっさと行きましょバノン」
「わかったミウ」
視界一面に広がる緑地に向かって、私達は一歩踏み出す。
「待って!!」
背後から声がして振り返ると、フロアがいた。
よれよれの髪、へんにゃり曲がった耳、目元には隈、皺のついた上着。
息切れして膝に手をついている。金持ちのインドアっぽいのに走ってきたのかしら。なんてしつこいの。
「戻るんだ。それ以上いけない」
「悪いけど、もうこの街に用はないわ。お世話になったわ」
「違う、危険なんだ!三人とも早くこっちに!」
「何が危ないって言うのよ。こーんな何にもない野原じゃない。獣か大蛇でも出るっていうの?」
「そうじゃない、この街がだめなんだ!君達は絶対そこからは出られない、ううん、どこからも。この街からは出られない!」
いつもとはうって変わって必死な口調に面食らう。
それだけで損得とかプライドとか、そういう問題じゃないと全力で主張しているのがわかる。
「フロア、一体」
彼の話を聞こうと、一歩だけ後戻りする。
「ああやはり。神は私達をお見捨てになりませんでした」
熟した女性の声がどこからか聞こえる。
どこからか?いや違う。すぐそこだ。接近してくる気配なんかなかったのに、私達の左側。十歩くらいの距離に急にそれは現れた。
フロアが青ざめて、その場にへたり込む。
それを私は、私達は見たことがある。
「鏡の神よ、私達はあなたを歓迎します」
歌うように滑らかな口調でふんわりと微笑む彼女の背後には、銀色の甲冑の人物が一人。たった一人だけ、控えていた。
「私はマレグリット・アレイルスェン。微力ながらアレイルスェン教会の最高司祭を務めています。こちらは騎士団長のゼクスレーゼ。以後お見知りおきを」
「……私はもう行くわ。さようなら」
「いいえ、いいえ。ここは永遠の楽園。あなたが望まれるものは何でもございます。神も人もどんな願いも叶えられる、ここにだけあってどこにもない楽園。終わることのない幸福が、争いも破壊もない理想郷がここにはございます」
「ああそう、あなたたちはそういう社会を形成しているのね。邪魔する気はないわよ、好きにしたら?もう私達には構わないで」
「何をおっしゃっているのです?」
ふっ、と周囲の空気が重く変わったような気がする。マレグリットは話し続ける。
「ここは理想郷。理想郷から出ていく者など神であっても人であっても、そんなものは『有り得ません』」
「…………」
「すべての神が、人が、同じ平和のために。同じ幸福のために。皆が皆のために。生命を循環させ、絶えることのない春風を吹かせ続けるために。この街の、いえこの世界の唯一絶対の理。この環から、絆から、繋がりから零れ落ちるような可哀想で不幸な者は存在し得ません。誰一人救われないものなどいないのです」
「そんなぼんやりした言葉でカルトをこれだけ大きくしたのは褒めてあげる。でも私がそんな独裁に付き合ってあげる義理はないわ」
「鏡の神よ。あなたはここにいらっしゃってまだ日が浅い。すぐにわかりますよ、この街の素晴らしさが。どうぞごゆるりとお過ごしください」
「いやよ。教祖サマ直々にそんなこと言いにきたの?わざわざ騎士サマまで連れて?」
「いいえ、それだけではございません。私達はあなたを迎えに来たのですよ」
マレグリットの視線が私の後ろに向けられる。
「セルス様とセルシオル様の末裔にして、その使命を果たすために降り立ってくださった聖なる歌姫。私達はあなたをお待ちしておりました」
「わたし……?」
「セルシオル様が去られたこと、心からお悔やみ申し上げます。あの方からは私達の幸福について終ぞご理解いただけませんでしたが、私達は今、あの方ではなく他でもないあなたのお力添えを必要としているのです」
「わ、わたしを……」
「ちょっと!キエルに変なこと吹き込まないでくれる?」
「お静かに」
キエルに対するマレグリットからの誘いを阻止しようとすると、ゼクスレーゼが口を開く。
何つったこいつ。神である私の言葉を、人が妨害した。神に追従する機能を持たないハーフラビットや、他の神の影響が濃いキエルならともかく、そんなことは『不可能』なはずだ。
それよりも今は、神である私や力の源として狙われやすいバノンじゃなくて、ただの子孫であるキエルが勧誘されているという状況に目を向けなくてはいけない。
「さあこちらに。私達はもう同じ街の一員です。家族も同然。喜んであなたを迎え入れましょう」
「……かぞく……」
「キエル!」
私が声を掛けると、キエルが踏み出そうとした足をびくりと引っ込める。その表情は混乱と困惑に満ちて、今にも泣きそうだ。
「ミウちゃん……」
キエルは行き場のない手を胸の前で持て余している。
「しっかりしなさい」
こんな曖昧な言葉を信じてついていく奴がどこにいるのよ。あなたが失って怒り狂うほどに信じてきた神のこともやんわりと否定されているのよ。
「ああ、それと。兎の民」
マレグリットの言葉でフロアがびくりと身を強張らせる。
「あなたがたのお友達が教会の奥に迷い込まれていました。しばらく保護させていただいていたのですが、お帰しいたしますね」
「まさか……!」
その言葉と同時に、すぐ近くの高い建物の屋上からフロアの目の前に何かが落ちてくる。
何か。
いや、誰か。
それは、人だった。
兎の耳を持った、きちんとした身なりの小柄な人。
その人は既に息絶えていた。落下の衝撃でなく、全身を刃物で切り裂かれている。傷の深さから、一目で致命傷だとわかる。
「あ、あぁ……また……またか……貴様等は……この鬼畜どもが……!」
「口の利き方には気を付けられよ。教祖様の御前なれば」
感情を剥き出しにしたフロアの声をゼクスレーゼが冷淡に制止する。
「さて。歌姫よ、私達と来てくださいますね?」
何事もなかったかのようにマレグリットが手を差し出す。
状況は理解できた。
キエルは脅迫されている。材料は、この場にいる全員の命。
ここにいる神は私一人だ。誰よりも強い。一対一なら絶対に勝てる。
でも。
教祖マレグリットは「おかしい」。
神ではない。キエルのような子孫だとも思えないくらい、本人由来の力は何も感じない。
そもそも「人」なのか?
セルシオルの夢から生まれた人形とはまた違う、意思を持って動いている存在だとはわかる。
しかし、明らかに他の人とは違う。
「死んでいる」。
もう、死んでいる。今まで見てきたどの「人」よりも「古い」と直感的に感じる。本来の稼働可能期間を何年も、下手すればこの世界の時間の流れで言うと、百年は超過している。
寿命などとっくに迎えているはずだ。それなのになぜか、生きているかのように動き、話している。
これは明らかに「所有物」の力だ。死んだはずの人が、他の神によって動かされている。いや、蘇らせたと言うべきか。
つまり、この場には存在を感じないが、遠くから人の形をしたものを操作できるほどの神がいるということ。力を供給する手段があるということ。
そして後ろで槍を手にしている、薔薇の紋章を身に着けた騎士団長ゼクスレーゼ。
彼女はマレグリットと比較すれば、驚くほどに普通だ。普通なのがおかしい。
甲冑。マント。そして一番は、その巨大な槍。
そのどれもが「所有物」だ。力の薄れた「遺物」などではなく、生きた神が持っていて当然のものだ。
それを、ただの人が同時に持つとどうなる?その力の大きさ、重さで肉体など消し飛ぶのが自然だ。
そして何より、それらの所有物からはマレグリットと同じ質の力を感じる。
神ならば捻じ曲げられる Dreaming world の法則にも、捻じ曲げられる限界は存在する。
でもこれはそういう次元じゃない。ルールがルールとして機能していない。
「世界そのものを歪めるほどの力を持つ神」が存在している。
それだけで、足下にぽっかりと深い穴が空いた気分になる。
私はもしかして、とんでもない奈落に引きずり込まれようとしているのかもしれない。
そして、建物の上。遺体を投げ捨てた人物がいる。
確かにそこにいるはずなのに、正確に居場所を捉えられない。
マレグリットと同じ「死んでいる人」の気配はしている。その膨大な力は隠しようがないはずなのに、全く察知することができなかった。
それに、遺体の傷を見ると、素人がつけたものじゃないとわかる。
昨夜苦戦したキエルと同じ、いやそれ以上。戦い慣れている。
違う、キエルとは違う。私にはわかる。私だからわかる。
私と同じ。
「殺し慣れている」。
人殺しが、人を殺すためだけにつけた傷だ。
この遺体は抵抗どころか、敵の存在すら知らないまま息絶えている。
規格外の敵が三人いる。
ここには戦えないバノンも、フロアもいるのに。
キエルにだって、この中の一人ですら任せられるだろうか。
きっと聖歌なんか効く相手じゃない。
単純な物理火力だけで制圧できる相手じゃない。むしろ物理ですら圧し負ける。
どうしたら。
どうしたらいいの。
「ミウちゃん」
沈黙を、キエルのあまりにも穏やかな声が切り裂く。
「バノンくんも、フロアくんも、ありがとう」
「だめよ、キエル!」
止めるより先に、もう彼女は前に出てマレグリットの手を取っていた。
「たのしかった」
もうその顔は見えない。
振り返らない。
マレグリットは満足気に微笑むと、キエルを連れて教会の方に歩いていく。
ゼクスレーゼも、上にいる人物も去っていくのがわかる。
「戻ってきなさい、キエル!キエル!」
そうだ、私にはまだ力があるのを思い出した。
所有物。呪いによって効果が変わっているはず。
これなら、この状況を変えられる!
「夢鏡!!!」
しん、と静まり返る。
何も起こらない。
「う、そ」
強く握り直し、再び発動させる。
「夢鏡!」
何も起こらない。
何も変化がない。
何も出てこない。
何も戻ってこない。
何も、何も。
「嘘でしょ、返事しなさいよ、夢鏡!夢鏡!夢鏡!!!」
もうキエルの姿は見えない。
三人の気配も感じられない。
フロアが震える声で呟く。
「これが、ラウフデルだ」
なぜ。
どうして。
何を間違ったの。
何が起こっているの。
私もその場に蹲る。
何も、何もできなかった。
「どうしたい?」
バノンが正面で身を屈めている。いつも通りの声で、いつも通りの笑顔で。
「ミウは、どうしたい?」
「しに、たい」
「うん」
「しにたい。しにたい……。死にたい……!」
「うん」
「でも、でも、でも……!」
「うん」
「私はあなたと、幸せに、安らかに死にたいの」
「うん」
「なのに、私、今、今、私は……!」
「うん。悲しいんだね」
「かなしい……?」
「そんなに泣いてるミウ、初めて見たよ」
「泣いてないわよ……」
涙なんか流れてない。この世界に来てこのかた表情なんかずっと変わらない。鏡に写しても、水に写しても同じだ。
「顔の話をしてるんじゃないよ」
「…………」
身体や目の奥が熱くて、立ち上がれないくらい脚が震えてて、喉がいやに渇いて、胸が痛くて、顔も上げられない。
苦しい。苦しい。苦しい。
「君の願いは、叶えられる?」
ううん。
きっとどこにも行けない。
それに、こんな気持ちのままどこに行ったって……!
「ミウの願いは、死ぬこと?」
「……うん」
「そう。……じゃあ、目の前の願いは?」
「目の、前」
「そう。最後に死ぬために、今叶えたい願いは何?声に出して、言ってみて」
「私の、私の願いは……」
ラウフデルの中心、アレイルスェン教会にて。
「マレグリット、ただいま戻りました」
「ゼクスレーゼ、同じく」
「俺も戻った。マリーの役に立てて満足。」
「……マレグリット様、この粗忽者をいつまで側に置いておかれるおつもりで?」
「違うんですよゼクスレーゼ。言ったでしょう?昔から勝手についてきて勝手に周りを殺し回ってるって」
「マリーのそっけないところも愛してる。百年以上追い掛ける甲斐がある!」
「マレグリット様、ストーカーの処理でしたらこのゼクスレーゼに一任ください」
奥にいた人物が口を開く。
「マレグリット、ゼクスレーゼ、ダルネ。ご苦労だったね。十分な成果を上げられたようで何よりだよ」
「いいえ、いいえ。全ては神の思し召しによるものです。あなたのご威光とお導きがあってこそ私達は役目を果たせるのです」
「マレグリット、歌姫のことは心配しなくていい。すぐに私達のために力を尽くしてくれるだろう。今は奥で休ませている。適切な護衛も用意しているよ」
「神直々にご指名されるとは!お手を煩わせてしまい申し訳ございません……!」
「違うんだよゼクスレーゼ。君達騎士団はよくやってくれている。今回は私の個人的なつてで呼びたかったんだ、我儘を許してくれ」
「滅相もございません……!」
「君達は本当に良い子達だね。さあ、持ち場に戻ると良い」
「はい、我等が最高神。偉大なるマセリア様」
アレイルスェン教会奥の小部屋にて。
「わたし、これからどうなるんでしょう……」
キエルが到着してすぐに専用の部屋が与えられた。生活に必要な調度品は全て揃っている。
「歌姫」を迎えるに相応しい清潔で質の良いものばかりで、窓際は花で飾られている。
しかし、扉の向こうには見張りがいる。窓はあまりにも小さく、街が遠くに見えるがとても飛んで行けやしない。
なんとか先祖の教えを頼りに辿り着いたこの街で、自由も、初めてできた友達も失ってしまった。
「なんだかもう、疲れました……」
天蓋つきのベッドにぼふっと身を横たえる。歌う気も起こらずに意識を手放す。
夢を、見ている。
意識に靄がかかっている。
靄の中から、知っている誰かの声が聞こえる。
夢だとわかっている。
目が覚めたら消えてなくなるものだと知っている。
それでも。
彼女はそれを、確かに聞いた。
それが本当の声だと、信じることができた。
「キエル」
「あなたを助けに行くわ」
第2章はここで終わりです。
第3章は雰囲気がらっと変わりますが、楽しんでいただけたらとっても嬉しいです!