第16話 祝宴と呪怨
はぁ……考えれば考えるほど本当に腹立つわ。
「俺達の結婚式に参列しろ、そして死ね!」
ってことでしょこれ。なんだって私とバノンが今日会ったどうでもいい神と人形の婚礼を祝福しなきゃいけないのよ。私とバノンの結婚式はもっとムードあったわよ、ちょっと寒かったけど。こんなの悪趣味にも程がある。
おめでとう!おめでとう!おめでとう!
外からまだ声が聞こえる。何がめでたい。今からここを葬式会場にしてやるわ!お悔やみの用意でもしていろ!
セルシオルめ。何うっとり笑ってるんだ。キエルもキエルで、無表情で歌い続けてるし。覚悟しろ。
「バノン、行くわよ」
「わかったミウ」
バノンの手を引いて、セルシオルと人形、そしてキエルの方に駆け寄る。
セルシオルに殴りかかるために、疾風のように身廊を駆け抜ける!
しかし。
「……あれ?」
途中まで走るといつの間にか入口に戻されている。何回走っても、どれだけ早く走っても同じだ。
気付けばもうすぐ届いたはずの手が空を切っている。何回も、何回もそれを繰り返す。
まるで見えない壁に阻まれているようだ。
「どういうことなの……」
「真夏の夜の夢かあ……」
「何かわかるの?バノン」
「ああ夢なんだなーって思ったよ」
「ええ胸糞悪い夢ね。それがどうかしたの?」
「夢を見ているのは、誰なのかなーって」
「そりゃあ眠らされた私達や市民……」
違う。
そこまで言って、違和感に気付く。
市民が眠っているのはきっと昼間と同じ、キエルの聖歌の効果。
私達はセルシオルに眠らされたけど、今はこれが夢の中だとはっきり気付いている。
それなのに、ア・ミッドサマー・ナイツドリームの効果は解けていない。
ということは。
「夢を見せられているんじゃない。セルシオルが夢を見ていて、引きずり込まれているってこと……?」
「かもしれないね」
じゃあ、セルシオルが「ある」と思ったら「ある」し、「ない」と思ったら「ない」ことになる……?
何百年も積み上げた精巧な夢に、ただただ蟻のように引き込まれるしかないということ?
私の所有物で無理矢理引き裂いても、さっきみたいに力の差で押し負ける。神同士の使用では所有物は効果がないとは言え、その根拠は力の使用による妨害だ。火力で圧倒されていたり、瀕死の状態だったり、受け入れていたりするなら、その限りではないのだ。
こんなに気味悪いって気付いてしまっているのに、打つ手なしなんて。
「バノン、他に何か気になることは?」
「んー、ないね」
「そう……」
肩を落とす。そうよね、何でもバノンが気付いてくれるわけじゃないわ。私が神なんだからしっかりしないと。
「俺、この宗教よく知らないし。結婚式とかよくわからないや」
「……宗教……結婚式……」
ふと、ある考えが脳裏をよぎる。
新郎新婦。
聖歌。
鐘の音。
参列者の祝福。
私も結婚式とかよく知らない。行ったことない。
でも、映像で見たことはあったかもしれない。
「……足りないわ」
「ミウ?」
「この結婚式、決定的に足りないものがある。その隙をつくことができたら、近付けるかもしれない」
「それは何?」
「……バノン。少し危ないかもしれないし、難しいわ」
「このままこうしていたら二人とも死んじゃうね」
「あなたに大役を任せるわ、バノン」
今思い付いたことをそっとバノンに耳打ちする。
静かにうんうんと頷いてくれる。横顔もなんて綺麗なのバノンは。
「……じゃあ、その通りにするね」
「幸運を祈るわ」
もっとも祈る神なんかここにはいない。私と、私が殺そうとしている神しかこの空間には存在していない。
バノン、頑張って。あなたなら必ずできるから。
「新郎セルシオル」
バノンの声が教会中に響き渡る。
「汝、健やかなるときも病めるときも。富めるときも貧しきときも。良きときも悪きときも。この女性を妻とし助け、支え、慰め、生涯変わりなく愛すことを誓いますか」
そう言いながらバノンは二人と一体に歩み寄り、祭壇に辿り着いた。
「はい、誓います」
驚くほどあっさりと神父の役に馴染んでいる。セルシオルも何の疑問も抱かずに返事をしているところを見ると、彼が夢を見て役に当てはめていると考えるのはきっと正しい。
読み通りだ。
バノンが続ける。
「新婦セルス。汝、健やかなるときも病めるときも。富めるときも貧しきときも。良きときも悪きときも。この男性を夫とし助け、支え、慰め、生涯変わりなく愛すことを誓いますか」
人形が反応する。
それより早く!!!
「その結婚、待った!!!!!!!!!」
入口の扉をバーンと勢い良く開ける。
私の方をセルシオルとキエルが見て、唖然としている。
隙ができた。身廊を駆け抜けるには十分だ!結婚式には絶対に欠かせないドッキリ花嫁泥棒、これが私の役柄だ!!!
「花嫁はもらっていくわ!!!」
冥府の鏡でセルシオルに殴りかかる。
咄嗟にセルシオルは腕でガードする。
ばかね。私の狙いはそっちじゃない。
花嫁役の人形の脳天めがけて、冥府の鏡をぶん回す。
硬い音がして、人形の頭部は粉々になる。
壊れた箇所から大量の光が漏れ出し、蝶の群れのように広がって消えていく。
それと同時に、教会も上の方からうっすらと透けて消えていく。
やはりセルシオルの夢の中心は、この花嫁なんだ。
「ね……姉様!姉様!どうして……姉様!」
セルシオルが狼狽えて人形に駆け寄る。
「引き出物はお前の命でいいわ」
同じようにセルシオルのがら空きの頭めがけて、所有物を発動しながら振り下ろす。
「冥府の鏡!」
セルシオルの後頭部からごんと鈍い音が響く。
心臓の形の白い光線。あなたと紛い物の花嫁には、米粒の雨なんかよりも命を凍らす冷気の方がお似合いよ。
「あ、ああ、姉様、姉様……ああぁ……やっと……やっと俺達だけの……のに……ル……ス……」
セルシオルの生命を奪い取る瞬間、彼ははっきりと私をその両目に映した。
「……覚えていろ、Dreaming world の神よ。俺は絶対に、絶対に許さない。呪ってやる。呪ってやる……!お前は絶対に幸せにはなれない!!」
彼の獣のような視線に思わず肩が震える。
そのまま彼が事切れるまで、目が離せなかった。
俄に冥府の鏡が熱くなる。
蝶のような光が冥府の鏡にまとわりついて離れない。
気持ち悪い。振っても離れず、取ろうとしても手がすり抜けて離れない。
最後に放出する力を彼は呪いと言った。
何が起こっているのか、私は理解してしまった。
所有物。またの意味を憑依。
所有物は稀に、強い力を持つ神によって、その定義を、名前を書き換えられることがあるという。それはまるで霊が取り憑くように。
それには圧倒的な力の差が必要なため、滅多に起こらないことだと聞いていた。
しかし私に対してセルシオルは、それをすることができた。
「あ、あ……あぁ……」
犯されていく。汚されていく。私の鏡が、変質していく。
意識の中に急に言葉が浮かんでくる。それを口が勝手に読み上げている。
「夢鏡」
それが「憑依」された、私の所有物の名前。
もう私の冥府の鏡は戻ってこない。この呪われた所有物しか私にはない。
暗澹たる気持ちで、その場に座り込む。
こんな得体の知れない、気持ち悪いものをたったひとつの戦力にして、これからの死に場所探しをしなくちゃいけないなんて。吐きそうだ。形状は今までと同じだけど、懐になんか入れたくない。私のものだから、邪魔にならないように懐に入れなくちゃいけない。
こんなものを。
こんなものを!
周囲をふと見回すと、どんどん教会が消えていっている。大量の人形も消えていくが、数体は天井の方に吸い込まれていく。
いや、落ちているのだ。
気付けば、足場がなくなっている。いや、最初から逆さまだったのだ。頭からラウフデルの地面に向かって落ちていく。
宙を舞い踊る光の群れとともに、私達はただただ落ちるしかない。
「バノン、バノン!」
必死に伸ばす手を、バノンは手繰り寄せてくれた。暖かい。
手と手が繋がれる。
それと同時に、顔面から石畳にスライディングする。
「いったぁ……」
「あはは、痛いね」
もう。私とバノンは痛い思いするし、所有物は呪われるし、気味の悪い人形たちだって、動きはしないだろうけれどたぶんラウフデルのどこかに落ちているし。もううんざりだわ、なんて日なのかしら。良いことなんかまるでない。
「ん……僕は一体……」
後ろの方でフロアが目を覚ます。他の市民も目が覚めたようで、なぜここにいるのかわからず不思議そうにしながら次々に帰路についていく。もう完全に、予定通りの「夜」の時間が訪れていた。
彼等に状況を説明する必要はないだろう。明日からまた彼等の日常が変わらず続くのだ。
「……さて」
呼吸を整え、繋いでいた手を放す。
「逃げて」
バノンにそう言って、空を見上げる。
素早く彼女は建物の影に身を隠す。
「それ」は上から降ってくる。
飛び退いて避ける。
戦わなくてはならない。今ここで、決着をつけなくてはいけない。
所有物はいらない、己の身体だけで戦って、そして勝つ。
街灯に照らされて、それが落ちた場所の石畳がへこんでいるのが見える。僅かな土埃が舞い上がっている。
踵から繰り出される渾身の一撃を避けられふらつきながらも、すぐに体勢を建て直し、ぼさぼさになった髪の隙間から怒りの籠った目で私を見つめている。
私も同じように睨み返す。
私達をこんな目に遭わせたこと、曖昧にするわけにはいかない。
私達はきっと同じことを考えて、同じ言葉を口にする。
「キエル」
「ミウちゃん」
「地獄に落ちろ!!!!!!!!!!!!!!!」
ミウの持つ知識は偏っています。新郎新婦に許可を得ていないドッキリはやめておきましょう。