第14話 やかましいわこのサイコシスコン野郎!
突然現れた背の高い男性は、泣きながらキエルにすがりついて、姉様、姉様と何度も口にしている。
でもどう見ても成人だし、たぶんキエルより年上だ。
キエルは全然抵抗しないし怯えている様子もない。知り合いなのかしら。
思わず訝しむ私の視線に気付いたキエルは薄く唇を開く。
「これが本物のセルシオル様です」
「本物も何も、私はその名前自体知らないけど」
「セルシオル様はセルス様の弟君で、それから私の……」
キエルが言い淀む。
目の前の少女にすがりつく神に改めて意識を向ける。
いや、彼から意識が逸れた瞬間などないのだが。
弱々しく涙を流している彼は、しかしエズやリガルタとは違う。
「私より強い」。
明らかに、「格が違う」。
力の量が格段に違うことが、相対するだけでわかる。背筋が凍りそうだ。たぶん私より、バノンより多い。
所有物が何かはわからないが、確実に今、所持している。
教祖から感じた「何か」にかなり近いが、神が所持していることで「いつでも本来の力が出せる状態にある」とみて良い。
敵対の意思はないというかこちらに目もくれていないようだし、今のところ交戦の必要も感じない。しかし、この神は危険だ。教会やキエルのことを差し置いても、こんな神が近くにいるなら一刻も早くこの街を立ち去りたい。
それくらい「強い」。
ログイン時の力の量は定められているとは言え、個人の資質によって多少の誤差はあるらしい。それを踏まえても、普通はこんな、私の数十倍、いやもしかしたらそれ以上。ここまでは大きくならないはずだ。一体何をしたらこうなるの。
それに、それ以上に力の「質」が何かおかしい。
いえ、本人の力についてじゃない。キエルの力に感じていた違和感が、頭の中で嫌な仮説を導き出す。そしてもう、そうとしか考えられない。
「キエル。あなた、二人の神の血を引いているのね」
「やっぱりわかるんですね。ミウちゃんはほんとに神様なんですね」
「『セルスがいなくなった』のに。『おばあさんが生まれるよりずっと昔にいなくなった』のに。ただの子孫だと考えたら妥当なくらいには少ないはずなのに、そんなに『濃い』力を持っているなんて、おかしいとは思っていたわ。遺物を所有物レベルに使用できるくらいに、不自然に濃いのよ。『神と神を掛け合わせた』としか説明できない。それに」
「それに?」
「今もそいつから供給されているわ。あなたが持てるはずのものよりはるかに大きい力が流れ込んでいる」
「……わたしは、わたしたちは。セルスさまのおっしゃる通りにします。セルスさまの歌を人々に広めます。セルスさまのお力の及ぶ範囲を広めます。いつかセルスさまとセルシオルさまだけのための楽園が完成するまで、何百年も、何千年も続けなくてはいけません。この血が絶えるまでに、世界が滅ぶまでに、完成させてもらわなければいけません」
「…………楽園って何?一緒に死ぬってこと?」
「……わかりません」
「わかりませんじゃないわよ。あなた自分が何言ってるのかわかってる?永遠に人を支配し続けるって言ってるのよ。その理由も意味もわからないまま、とっくにいなくなった神なんかの言うことを聞くの?ばかみたい」
「姉様はいなくなってなどいない」
私とキエルの会話に急にセルシオルが入ってきた。
「姉様はここにいる」
彼は私に反論しているようだが、私達の方など見ていない。
「姉様は、死んでなどいない」
立ち上がりキエルの顎に指を添え、自分の方に向かせて顔をまじまじと覗き込んでいるが、キエルに話し掛けているわけでもない。
「姉様は殺されてなんかいない。姉様は俺のために、永遠に生きている。姉様、大丈夫です。もうすぐ完成します」
それだけ言うと、急に彼が首だけこちらにぐるりと向けて、充血した目を大きく見開く。
「……よく今の今まで生きていたな。殺してやる」
何がなんだかわからない。意味不明なことを言うキエル、意味不明なことを言うセルシオル、変わらず隣で微笑んでいるバノン、後ろの方で隠れているフロア。
状況がまったく読めない。なんだここは。この街は、この神は、この人々はなんだ。
私は正気だ。正式な方針に乗っ取って死のうとしている、ありふれた神だ。何も間違いなんか犯していないはずだ。
何もわからないが、明確な殺意を向けられたことだけはわかる。
神が神に殺意を向ける。それは即ち、所有物の使用を意味する。
それがどんなものかはわからないが、まともに受けたら私でも、こんなおかしなところで死ぬ。それはだめだ。
セルシオルが何かを取り出す。確認している暇はない。
こちらも発動するしかない。胸元から私の所有物を取り出す。
セルシオルの手から、紙切れが舞う。
「真夏の夜の夢!!!」
「冥府の鏡!!!」
ぶつかり合った力と力が煌めきながら拡散していく。
その光景は、ああ。蝶のようだ。
遠退いていく意識の隅で、そう思った。