第12話 孤高なるセルシオール
いつも目が覚めると壊れた屋根から空が見えた。
そこから引き離されたと思ったら、真っ白なだけの空間に閉じ込められた。
その時に「それ」の存在も聞かされた。
私が今までやってきたことと真逆の概念。
全然理解できなかったけれど、それを繰り返し教え込まれる意味の方がより一層理解できなかった。
治療。更正。矯正。支援。つまりは私の否定。
どこに至っても私は、望まれた存在ではないことを思い知るだけだった。
だから私はこの世界を選んだ。
私が生涯得ることのなかったもの。
死ぬことでやっと手に入れられるもの。
それがあればきっと私は、私は……。
「……ウ」
「ミウ」
「顔色が悪いよ」
「……バノン」
私より少し背の高いバノンに顔を覗き込まれている。
私の宙ぶらりんの手は、いつの間にか汗だくになっている。
握っていたら安心できるはずのバノンの手が目の前にあるはずなのに、今はなんだか宙に浮いた心臓が重力でどこまでも下に落ちていくみたいな気分で、握ったらそのまま倒れ込んでしまいそう。
「おいで」
近くにあった皮張りのソファーに腰掛けたバノンが手招きしてる。重い足が引き寄せられるように進み、数歩だけの距離が詰まる。
隣に座ろうかと考えを巡らせるより先に腰を抱き寄せられる。
「えっバノン」
「あはは、ミウは軽いね」
バノンの顔がすごく近い。それどころか肩と腰に手を回されているし、地に足が着いていない。
そこまで認識して初めて、自分が横向きにバノンの膝の上に座っていることに気付く。
ぼっと火が点いたように身体が熱い。重かったはずの心臓が激しく拍動し、飛び上がって来るようだ。顔色も悪いって言われたし、体調不良かもしれない。
いつも見ているはずの煉瓦色の目なのに、なんだか視線を合わせてはいけないような気がする。
ふ、と笑った彼女は目線を私から外して前に向け、普段通りの穏やかな口調で語りかける。
「続きを聞いても良いかな、キエル?」
「ええ、もちろん!」
キエルはあまりにも普通に笑顔で答えるし、フロアも何事もなかったかのように箸を置く。
この世界で今、私だけがこんなにどきどきしているのかもしれない。
なんだかすごく恐ろしいことが頭の中をぐるぐると走り回っていた気がするけれど、それどころじゃない。とにかくこの高鳴る胸と、今から語られる言葉で私はもういっぱいいっぱい。
これ以上のことを考える余裕なんかないわ。
「セルスさまはずーっと昔にいなくなりました!おばあさんがそう言ってました!」
「ずっと昔って、いつかわかる?」
「わたしが生まれるより、ずっとずーっと昔です!」
「おばあさんって、キエルのおばあさん?」
「わかりません!わたしはずーっとおばあさんと二人でいました!」
キエルの曖昧な話に対してフロアが逐一質問をしていくので、なんとなく順序立った話に思えてくる。
「おばあさんが家族だったの?」
「家族?わかりません!セルシオール一族はわたしとおばあさんだけでした!」
「おばあさんは今は?」
「死にました!だからわたしは森から出てきました!」
「ごめんね、こんなこと訊いて」
「何がごめんねなんですか?」
「キエル、お父さんやお母さんは?」
「死にました!おばあさんが言ってました!」
「じゃあセルシオールって、キエルしかいないの?」
「そうです!わたししかいません!わたしが死んだらセルスさまの歌はこの世から失われます!」
だいたいわかった。セルスとかいう神が、歌という形で所有物を持ち込んでいたのだ。物体でない所有物なんて考えられない。うっすら聞いたことのある『書いてある通りに歌うと人の精神に干渉できる楽譜』とかその類だろう。
そして子孫が『セルシオール』と名乗りながら代々受け継いできた、きっとそんなところね。
キエルは楽譜とか持ってなさそうだけど、というか本当に食糧も身の回りの物も何も持っていないみたいだけど、力を持つ子孫なら遺物があろうがなかろうが、効果を発揮できるのかもしれない。
それにしても何か変な話ね。
「キエル、尋ねて良いかしら」
「はいミウちゃん!」
「あなたは、セルシオールは。どうしてその歌を伝えなくてはいけないの?」
「世界が滅ぶからです!」
「んん?」
待って欲しい。
所有物は、神がより良い死のために持ち込んでいるだけのものだ。
なくなったところで Dreaming world の保守、運営には影響しない。
「世界が滅ぶから、人にはセルスさまの歌が必要だっておばあさんが言ってました!」
「何?どういうこと?詳しく言ってよ」
「ドゴーンって空が割れて、パリーンって世界がきらきらして、全部なくなっちゃうらしいです!わ~って思うから、大変なんです!」
「えっ……ええ……?」
何を言っているのかまるでわからない。そもそも世界の滅び方を訊いているわけではない。どうして必要なのか、確かそういう話だったと思う。
「僕からも尋ねて良いかな?」
「はいフロアくん!」
「歌の内容はわかる?」
「歌にはいろんな種類があります!聖歌と伝承歌があります!」
「どんな歌か説明できる?」
「聖歌はセルシオールの力です!」
そう言うなりキエルは歌い出す。
フロアが、まって今は歌わなくて良い、とか言ってるけどお構いなしだ。
背中の羽根が輝き、キエルの身体が空中に浮かぶ。
「Hr b hi Ie Nck Celsiaul, ad hi durb Ie Lor ! 」
それを聴いたフロアの瞼が徐々に重くなり、とろりと閉じていく。
街を飛び回っていた時と同じく、私とバノンに変化がないので、神でなくとも力があれば防御できるものなのだろう。ただ「人」に対しては絶対的な効果を出せるというだけだ。
私の脅威ではないが、これは確かに所有物とみていい。
羽根は身体機能なのか所有物に付随するものなのかよくわからないけれど、歌っている時には高く長く飛べるってことには間違いなさそう。
「それでキエル。次の説明を……」
そう話しかけるが、キエルは一向に歌をやめようとしない。
というか、楽しく歌ってテンションが上がっている。こちらの話をまるで聞いていない。
フロアはどついても起きないし、歌っている間は効果が続くみたい。
ふと視線をフロアからキエルに移すと、ご機嫌でくるくると歌い踊りながら窓の外に出ていこうとしている。
「ちょっと待ちなさいよ!」
なんなんだこの予測が全くできない行動は。虫か。
私の髪を撫でていたバノンの手を掴み、右肩で抱え上げる。
フロアはどうしよう。どうでもいいけど、また網で捕獲されたら面倒だから連れて行くか。小さいので左脇に抱え込める。
また市街地を飛び回るつもりだわあいつ。
でもそもそもどうして私が追いかけなくちゃいけないのよ。
あんな荒唐無稽な話を掘り下げようとするなんてどうかしてるし、無視して良いはずよ!
だけど。
どうしてかはわからないけれど。
「痛かった」から。
キエルの話を聞いて、身体のどこかに鈍い「痛み」を感じたから。
私は、話の続きを聞かなくちゃだめだと思った。