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第115話 普通のこと

 不愉快なくらいに爽やかな気分だ。明瞭になった意識の中で俺は俺が関わってきた人達の顔を思い浮かべる。

 俺はエメルド・ノヴァ・アイフレンド。弟がミラディスで妹がレトマーナ。俺は二人を守らなくてはいけない。故郷はアイルマセリア。ごく普通の村人。ヨイテはたまたま会った強い人。今はミラディスを助けにヨイテと一緒にラウフデルに来ている。間違っていない。これで大丈夫。これ以外はない。これ以上の情報は知らないとする。


「呆れるほど時間に正確だな」


 硬質な足音と共に低い声が聞こえる。この声、知っている。いや違う、知らない。「エメルド」は知らない。

 だけどその意図的に造られた鈍感さをいついかなる時も発揮すればいいわけではない。状況からの「推測」くらいは「エメルド」の知識と思考力だけで可能だから、俺は俺の中で彼を呼ぶ声に同調する。 



「じいさん」


 振り返った先にいた彼は一瞬不愉快そうに眉を吊り上げたが、取り繕うように理性的な表情――つまりは無表情に戻り返答する。

「その呼び方をやめろ」

「ごめん」

「謝られる筋合いはない」


 「勇者マセリア」はいつも笑みを浮かべていた。そう村人達は言っていた。胡散臭い笑顔でミラディスを連れ去ったとレトマーナは言った。だけど俺に向けられる表情は氷よりも冷たい。必死に自分を保ってもこれが精一杯なんだろう。憎くてたまらない相手に微笑みかけられるほど彼は器用ではない。


 彼の妻は魔物に喰い殺された。

 彼の息子夫妻の身体には呪いが蓄積し死に至った。

 彼の孫にも同じ呪いが蓄積している。

 彼等が恐れるセルスの末裔は煽られ表舞台に出てきた。

 何故?


 その原因はただ一人の人間であり、この世界での呼び方は「神」である。あの世界の始まりの人間の男性体。その圧倒的な力と破滅的な思想は関わる者すべてに不幸を撒き散らすには十分すぎた。



 マセリアは俺から距離を取っているが、少し踏み込めば間合いに収められるのに2秒とかからないだろう。

 かつては俺と同じ顔だった、というか俺の遺伝子をコピーして生まれたんだから当たり前だった――そんな彼は今や「誰にでも好かれそうな好青年」がそのまま数十年老いた顔になっている。さらさらした金髪に程よく引き締まった筋肉質の肉体、上手くできていると思う。お手本のように造られた顔立ちを今度は俺が模して、色だけ母親に寄せたんだから「似ている」に決まっている。

 つまりは彼と俺は、傍から見たら「よく似た祖父と孫」になっているに違いない。本当の関係なんて、脳が百回ねじくれた人間しか思い至らないだろう。



 彼の右手には何も握られていないが、腰に帯びた刀――いや、俺の知識なら「剣」としか認識できないその武器の柄にそっと添えられている。抜刀術の方が威力を出せる獲物だ、刃を突き付けられるよりも高い殺意を向けられている。

 俺はその場で地に膝を着く。死体だらけの光景が、吸気すべてを覆うような血の匂いが、今ここにあるように脳内に鮮明に広がってくる。

 俺は今まで殺してきた人間の形を知っている。

 俺の形をしている。

 ユリシスの形をしている。

 この世界に来てからは、あらゆる形をしている。


 

「見つかっちゃったなあ」

 絞り出すように落とした呟きはきっとエメルドの感情からなるもの。その絶望と諦観が俺の中の俺に成功を確信させるには十分だった。

 存在自体を代償に造り出された「人」。こういうのを「生まれ変わり」とでも言うのだろうか。事実、心の奥底からじわりと滲み出ては俺を支配し、指示を出してはすっと霧散する「自分じゃない自分」は確かにいた。その不自然さが自然だと思えるくらい早い段階から、きっと物心つく前から。行動の指針、判断基準、言動、話し方、それらすべてがコントロール下にあった。思想、知識、教養、体力は、目的に沿う行動に合わせて部分的に与えられた。


 俺はマセリアの息子夫婦の長男として出現し(生まれ)、普通の人間みたいに育って、別の人格を成長させ、神のスペックをほしいままに休むことのない献身を続け、暴力的なまでの善性によって人間関係を築き上げ、疑惑を持たれることも討伐されることもないまま魅了し続け、そして。「大聖遺物」に分けた自身の力の残滓を回収した頃にはとっくに逃げ場はなくなっていた。



 これで満足か。

 そんなわけないよな。

 (お前)は神になどなる気はなかった。そして人にさえも。

 お前がお前であることを捨ててまで作り上げ調整し続けた雷光(エメルド)は、もうすぐ完成する。

 だからお前の目的が真に果たされるのはこれからで、マセリアは必ずお前の望む言葉を発するだろう。



「ミナギ」

 彼は最も不本意なことを言わざるを得ない。

 彼は協力を惜しまない。

 彼の大切なものもまた、彼の役目とは別の形で出来上がってしまっているから。


 なんてふざけた劇作家だろう。なんて侮辱的な脚本だろう。悪逆によって仕組まれた必然性が世界にとって正義を成すなど、どれだけ人を踏みにじれば気が済むのだろう。

 怒りも憎しみも超えて平らになった感情はしかし、脳を埋め尽くしてくれるほど自由にはならない。

 この近くに広がっているであろう他人の悲劇もまた、俺が。

 ミナギが求めたものだから。



「ユリシス様を討って欲しい」


 だから俺はただ普通に答えるしかない。


「俺でよければ喜んで」

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