第112話 眠ってはだめ、決して
立てない私はずっとおとうさんとおかあさんを眺めていた。
おかあさんがマレグリットを殺そうとして、ダルネが急に現れてマレグリットを庇って刺された。そう、死んだはずの奴が急に現れたのだ。なんで?絶対殺したし。とどめをさしたの私じゃないけど。
どこからも人影が動く様子はなかったし、マレグリットの近くに通路みたいなものはない。生きてたとしても普通に考えて出てくるのは無理なんだけどな。
地面に膝をつきながらもふらふらで倒れそうなマレグリットを血まみれのダルネが支えている。二人の会話が聞こえる。
「私は泣いていたんですね」
「そうだよー。駄目じゃん、一人で戦っちゃ。そばに誰かがいないと自分の気持ちもわかんないんだから」
「そう……そうでしたか」
「俺もレーゼもいないのに頑張っちゃだめだってば。マセリンにだって言われたじゃん」
「マセリア様は……もう私の味方ではないのでしょうか……」
「ずっとそうだったじゃん。味方でいられる時間はそんなに長くないって最初からわかって契約したんでしょ。少なくともマセリンは裏切ったとは思ってないだろーね」
「まだ戦えますか?」
「無理無理。ずらかろ」
「私にはその方が無理なんですよ」
「言うと思った。じゃあ今度こそバイバイかなー」
「ええ、さようなら」
その言葉と同時にダルネは霧散した。マレグリットはずっといつも通り微笑んだまま表情を変えなかった。
あまりにもマレグリットが普通の反応をしているから、そして以前会ったときとダルネの様子が全然変わらないから、生きてるのか死んでるのかよくわからない。ダルネが本人なのか、マレグリットが自分を守るためにジェネシスで造り出した偽者なのかもわからない。そもそも最初から彼は彼本人だったんだろうか。生きた人間だったんだろうか。それを確認する手段も意思も私にはない。
もはや今の私には「生きた人間」の定義すら曖昧で、そんなことは結局それぞれの気の持ちように思え、さっぱり意味がない気がした。彼女が彼女なりに満足しているみたいに見える、それだけだ。
マレグリットは彼が消えた目の前の空間を数秒だけ見つめた後、更にその先に視線を移す。
刃が狙った相手に届かなかったおかあさん。彼女に一瞬だけできた隙をおとうさんが見逃すはずがなかった。
おかあさんは仰向けに組み伏せられ、倒れると同時に剣を奪われ喉元に突き付けられる。
「余所見をしていて殺せる相手だとでも思ったか」
その鋒がおかあさんの喉笛を引き裂こうとした瞬間、ふっとキエルの身体から力が抜ける。
おとうさんが反射的に剣を離す。と同時に剣が消滅する。
「あれ……わたし、なにを……」
「キエル!早くそこから離れるんだ!」
「は?」
我に返ったキエルに言おうとしたことをフロアが代わりに口にする。なんなんですかもう、とでも言いたげに、でも流石に素早く浮き上がり移動しながら周囲を見回している。
おとうさんも状況を確認しているが、遠くに人々の悲鳴が聞こえるというのに、この辺りだけは不気味なくらい静かだ。ひとまず落ち着いたんだろうか。
私の側に歩み寄ってきたおとうさんに、ガサガサになって音を正しく発せない声で言葉をかける。
「バノン、返して」
「だめだ。お前を殺そうとしている」
「まだ、怒ってるの」
「クソガキめ。私の娘に手を出す資格などないのに図に乗ったな」
「なに言ってるの……」
「すべてが終わったらこの身体は私が処分しておく」
「やだ、なにするの……!やめてよ!」
「すまなかった、ミルフィアリス」
「まって、どこ行くの……」
おとうさんが私の首に手をかける。あっやばいこれ頸動脈…………
「うわ、意識落ちてる。本当にこれで気絶するんだ。ミウでもこんな風になるなんて手慣れてるなあ」
「…………」
「『イグナーツ』だね?エフィリスの記録に残ってる」
「ハーフラビット。お前達の出る幕ではない。ミルフィアリス共々身を隠しておけ」
「隠すったって君の器ちゃんが街を焼いちゃったんだけど。ていうかその子さ、僕にも殺意向けてない?いつも僕のことすっごい顔で睨んでたもん。もちろんキエルにもだよ、あの子あれで結構気が強いしイライラしてたっぽいけど。ミウには見えない角度で牽制してたんだよねー、別に盗ったりしないのに嫉妬深いったらありゃしない」
「……嫌な女だな」
「ここまで面倒な子にしたの君でしょ。製造元が文句言わない。で?どうするのさ。君達に造り出された生命だろうがなんだろうが、これからのこと知る権利あると思うんだけど」
「奴はまだ死んでいない」
「『ユリシス』ね。わかるわかる。次はどんな風に誰に接触してくると思う?」
「何でも聞きたがるな。また耳栓でもしておけ」
「……あー」
フロアとイグナーツが会話をしているところにキエルが血相を変えて飛んで来る。
「来ます!」
そう言うと彼女はマレグリットに向き直る。
「ジェネシスもう一回撃てませんか!?」
「力を使い果たしたようです」
「甘ったれるんじゃありません!」
「え?」
その場の誰もが口々に疑問を投げかけた。何が起こるのか、何に備えたらいいのか、どうするべきなのか、そんな内容だ。
だがキエルは答えない。
代わりにその口から溢れるのは歌。
「Stb drh synd Kn Agbrk!!!」
いや、絶叫と言うべきか。
セルスの歌を聴いたことがある者なら、魂を揺さぶるようなシャウトが彼女のものそっくりだと思っただろう。
それと同時に気付くだろう。
セルスの歌が聞こえる。
セルスの声がどこからか聞こえる。
セルスと全く違う歌い方で、セルス以外誰にも出せないセルスの声が街の隅々まで響き渡る。
その正体はキエルには覚えがあった。
フロアも「あの時」正気に戻ったから知ってはいた。
マレグリットも報告は受けていたから予測ができた。
イグナーツはバノンを通して知ってはいたが、こうなるとは思っていなかっただろう。しかしあらゆる思考を巡らせ、結論が「最悪」であることには誰よりも早く辿り着いた。
それは人形だった。
セルシオル。この世界を設計した者が持てる技術のすべてを注ぎ込んで作った、この世界における最高位存在ーーセルス。
人工的に造られた絶対的な神。この世界の始まり。
セルシオルがミウに倒された際に遺棄されたたくさんの肉体。
キエルに成り代わるはずだった存在。
姉以外の人間の区別がつかなくなったセルシオルが最後にかけた呪い。
「セルス」は誰も許さない。
「セルス」は誰も生かさない。
「セルス」は誰の幸せも認めない。
友人のセルスを決して手放したくなかったユリシスはついに「セルス」を手に入れた。「セルス」とひとつになる。「セルス」はついに奪われた。
殺意と呪いは混じり合いやがて同一の存在となり、この瞬間生まれ落ちる。その声は支配を、絶望を、閉塞を、終焉を歌う。世界最強の概念が世界の破滅を命じている。
せめてミウが起きてさえいてくれたら、そしてミウがユリシスを怖れてさえいなければ、こんな風に怒ってくれたかもしれない。
「いい加減しつこいのよ!体をコロコロ変えてややこしいったらありゃしない!さっさと死になさい!」