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第106話 ログイン

「ユリシス」

 その声で私は目覚めた。さっきまで自分が何をしていたのか思い出せない。固い床に寝そべっていたようで身体が痛い。そのことを目の前の女の人に伝えようとして、ふと気付く。

 今いる場所も知らない。知っている人の名前を呼びたかったけど誰も思い浮かばない。自分の名前すらも思い出せない。まるで私から私の記憶すべてが切り離されたような感覚だ。

 それらの事実を戸惑いながらも口にすると、目の前の彼女はふっと目を細めた。


 無気力そうな彼女の声にも顔にも見覚えがある気がするけど初対面だと言われた。

「でも君がユリシスってことは知ってる。ボクはカトリーナ。この制度の担当者で、ここはカウンセリングルーム」

「カウンセリング……」

「君は自殺に失敗した。その後遺症で記憶が欠けている」

 その事実はショッキングなものなのかもしれないけど、すんなりと受け入れられた。もう嫌だ、死にたい。浮かんできたその言葉を頭の中で繰り返すと驚くほどしっくりきた。ああ、これは私の言葉だ。この言葉についてくる感情を私は確かに持っていたのだろう。

 ただひとつ「ユリシス」という名前だけに微かに違和感があったけれど、照合できる記憶の一つも持ち合わせていない私にとってはその名前だけが自分と呼べるものだった。


 カトリーナによると私の置かれた状況は最悪らしく、今は自覚がないだけで内臓のあちこちが損傷しているため、数日後には地獄の苦痛を味わいながら生死の境を彷徨うことになるらしい。その上私にはテロリストに拉致された過去があるらしく、長期間に渡る洗脳の影響で重い精神疾患にかかり手の施しようがないとのことだ。

「つまりは安楽死用仮想空間『Dreaming World』の使用を許可するに足りる条件が揃っているんだよ、ユリシス」

 そんな風に言われ、質問をする間も挟まないまま説明書を渡され、一気にDreaming Worldについて諸々の説明をされた。

 もっとも質問することなんか何もない。死にたくて死ねなかったのは私で、その私がとっくに決めた自殺の結果が今生きてることなんだったら、私こそが私の失敗作なんだから。失敗作。出来損ない。死に損ない。そんな言葉が湧き上がってくる。胸の奥がぎゅっと狭くなる。ああ、私が存在すること自体、私には許せないことなんだ。

 死のう。向こうで理想の死に方をしよう。ちゃんと死ねなかった私の代わりに私の願いを叶えよう。


 ログインの意思を伝えるとカトリーナは淡々とパソコンで何かの処理をした。

「じゃあそこのポッドに入って。後は手元のスイッチ入れたら良いだけだから」

 痛む身体を引きずってポッドに近寄ると自動でカバーが開いた。そこに横たわろうとして、さっき読んだ説明書の一節を思い出した。

「カトリーナ」

「何?ユリシス」

「ひとつだけ、持って行けるものがあるのよね」

「……そうだけど。何もないんじゃないの、大事なものなんか」

「ちょっとだけ考えていい?」

「別にいいけど……」


 控室として案内された殺風景な部屋で一人になった。

 なんであんなこと言ったんだろう。持って行けるものどころか、私が何を持っていたかなんか知らないはずなのに。

 



 本当に?





 私は本当に私のことを知らないの?

 私は本当に記憶を失っているの?

 私には本当に大事なものがないの?


 ひとつもないの?



 

 ううん、違う。

 楽しくて嬉しくて誇らしくて幸せだった。

 何が?

 そこには誰がいた?


 

 大好きだった。大好きだったはずなのに、顔も名前も思い出せない。

 全部間違ってて、全部なくなって、全部私が悪くて、取り返すためのものを全部全部持ってない。

 死のう。うん、結論は変わらない。むしろさっきよりずっと明確に死にたくなってきた。

 でも、でも!



 だからこそ、この気持ちだけは最後まで守らなきゃ!

 私だけの大切なものは絶対にある!

 



 扉にかけられた電子ロックのパスワードをなぜか私は知っていた。

 敷地内の間取りも監視カメラの死角も私は知っていた。

 失った記憶と関係あるのかもしれないけど何も思い出せないままだ。ただ、それらを知っているのが私にとって「普通」のことなんだと「普通」に認識している。だからもう走るだけ。

 半壊した市民生活局の一画に、逮捕者から押収した物品が保管されている倉庫があることも知っていた。だからもう探すだけ。私は何を探しているんだろう。見つけたらわかるに決まってる。だって私だもの。


「これ、これと、これ、あとこれも!」

 花火。

 誰かが着てたパーカー。

 誰かのサングラス。

 髪染めスプレー。

 知らないのに知ってるものだらけだ。

 山積みのそれらの中に、小さくて固いものと大きくて柔らかいものがあった。

 水色に塗装され装飾のついた銃。だぼだぼの白いコート。ああ、これらは両方「借り物」だ。だけど「私のもの」だ。

 





「ひとつって言ったじゃん」

 最初の部屋に戻って来た私を見てカトリーナは顔を歪めた。

「持ち物はこの銃だけよ。服もコートも靴も髪留め紐も『衣類』だから持ち物じゃないわ」

「どっから持ってきたの、マジで有り得ない。なんか髪染めてるし。うわスプレーくさ!せっかく綺麗な銀に戻してあげたのに何その変な色」

「……やっぱりあなた、私のこと知ってるんでしょ」

「思い出した?やっぱ死にたくないとでも?」

「いえ、何も。死ぬわよ、あなたのお望み通り」

「言っとくけど治安維持のため『武器』は持ち込めないから。没収」

「弾は入れてないし武器としては使えないわよ武器じゃないものを没収したまま死なせるなんてどういう制度なのよガバガバじゃない断固として抗議するわ」

「だっる……ああもういい、見た目の形状だけ変換時に改変すりゃいいか。そのデザイン、アーカイブで見た。……そうそうこのアニメ。主人公持ってんの銃じゃなくて鏡じゃん。向こうではこの形になるけど文句言うなら持ち込み許可しないから」

「……ち、わかったわよ」

「にしても、ほんっと悪趣味。その髪の色といいコートの色といい、雪女かっての」

「雪女……」

「知らないならいいよ別に深掘りしなくて」

「私、前にもそんなこと言われた気がする。『出来損ない』『失敗作』だけじゃない、別の呼び方。なんか他にもそんな感じのがあった気がするんだけど」

「ああそうだよ、この際言うけどお前めちゃくちゃ嫌われてたからな?ユリシスなのにユリシスを殺す妖怪まっしろ雪女って」

「あなたが私を殺したいのはわかったわよ」

「そんなわけない!殺せるわけないだろ!ボクがユリシスを!だから、だから……!ボク……君を……すために……っ」




 これで準備は整った。

 前髪をわしゃわしゃ掻き乱してぎゃいぎゃい何か言ってるカトリーナを無視してポッドに寝転がり手元のボタンを押す。



 冷たい空気が横から流れてきて、ぶるっと震える。視界が闇に覆われて急激な眠気に襲われる。指先ひとつ動かない。

 遠のいた意識が戻ってくると同時に、視界いっぱいに広がったのは人工的な白。




 名前を16字以内で入力してください。

 横スクロールで文字が流れていく。

 文字盤のパネルが広がる。身体を動かさなくても意識するだけで文字を選択できるようだ。

 

 自分の名前、それは。

 ユリシス、と入力したけれど「既に使われています」と出た。

 うん、そんな気がした。

 カトリーナが呼んだ私の名前は私だけのものじゃない。私が使うことに違和感があったからそれでいい。カトリーナに見せられたアニメ画像のタイトルにでもしようか。

 ミラクル・ヘヴンリー・スカイブル

 字数足りないじゃないの!しかも「既に使われています」って何!?誰がそんなふざけたネーミングで安楽死したっていうの!


 エラーで弾かれたその名前を眺めていると、頭の中にすっと略称が浮かんできた。今思い浮かんだはずの名前なのに、驚くほど「私のもの」である気がした。ユリシスなんかより全然違和感がない。これでいこう。

 あと設定するのは性別と髪の色と、スキル?なにこれ。色々あるけどスゴイパワーでいいや。で、単語を組み合わせて二つ名を作るのね。……なんか、こんな風に呼ばれたことがある気がする。気がするだけ、と言えばそうなんだけど。




[白銀の死神 ミウ]


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