第101話 砂と灰
プシューと音を立てて赤い火花が吹き出る。
遠くに置いた花火に点火し走って戻ってきたハルカが振り向いた瞬間のことだった。
緑や黄色に目まぐるしく変わる火は初めて見たかもしれない。
打ち上げ花火が終わるや否や、息切れの一つもせずにハルカが紐状の花火に火を点け、それが地面をのたうち回るように不規則な軌道で動き出す。
「わ!」
「きゃ!」
アンソニーと私が思わず飛び退くのをハルカが笑いながら見てた。ふざけるんじゃないわよって言いたいけど花火が足元を追いかけてくるし砂浜は走りづらいしで、文句を言う暇もなかった。
やっと終わったと思ったら次は一人一本棒状の花火を持たされて、手の先から30㎝くらいの位置から吹き出る火花がこっちに降りかからないか気が気じゃなかった。
横からヒッ、ヒッと笑い声が聞こえる。
「銃は怖くないのに花火は怖いなんて変なの」
「怖いなんて言ってないわ、ただ危ないって思ってるのよ」
「おれは、こわい。でもハルカがくれたから、こわくない」
そのハルカは今、持ってる花火を振り回して闇の中に文字を書いて遊んでるけどね。何て書いてるんだろ?よく見てみる。
「うんこ」
……。
単語のチョイスよ。
「世の中うんこだよ」
下からまぶしい白に照らされたハルカの口角がふっと上がる。
何か言う暇も与えられず、一本また一本と手持ち花火がつけられて次々に手渡される。気付けば私とハルカで片手に二本ずつ、一人四本ずつ花火を持っていた。
「こういうの危ないんじゃないかしら」
「怖いんだ?ミウ」
「危ないって言ってるのよ」
「隙あり!」
ハルカが急に距離を詰めて右手の花火を斜め向けに振り上げようとしてきた。
なんとか避けたけど当たってたら火傷してた。
と思ったら左手の花火が頭の上を水平に通って行った。
「ほらほら危ないんじゃないの?なんとかしなよ」
「ふざけないでよ!」
こっちに向けられる花火を自分の花火で振り払う。片方見切るだけではだめで、しかもただの長物じゃなくて火が吹き出てるからただ避ければいいってもんじゃない。避ける方向が自ずと決まって来るし、そこにもう片方の花火が向けられる前にそっちも叩き落とさなきゃいけない。周りが暗いから花火の光くらいしか視覚で頼れるものがない。何よこれ、何なのよ。
そもそもさっきから思ってたけど、砂の上なのに速過ぎる。アスファルトの上にでもいるような力強い踏み込みで、逃げても逃げても距離を詰められる。
着地にふらつきも一切なく、普通なら倒れ込むようなエグい前傾姿勢で攻めてくる。
風も砂も何ら足止めにならない。足止めが始まる前に動作が終わっているんじゃないかと思うほど速い。
強い。
普段何してるのかよく知らなかったけど、躊躇なくこんな危ないことを始めてくるあたり、間違いなく何人も葬ってきた人間だ。
銃の腕前は知らないけど、身体能力の高さはおとうさんやリアナと渡り合えるかもしれない。それどころか、瞬間的な脚力だけならパパ以上かもしれない。
そんな相手に逃げたって意味ない。体格を考えるとスタミナ切れだってこっちが先。
じゃあもうこれしかないじゃない!
「てりゃー!」
捨て身でハルカに向かってタックルする!
持ってるのは所詮紙と火薬の塊だ、体一つあったら押し切れる!
「わわわ!」
体当たりが決まった!……決まっ、てない!?
ハルカは私の横をすり抜けるように背後に立っていた。
予備動作は少なくしたはず。絶対動き出してから私のやろうとしたことに気付いたはずだ。なんでこの一瞬で反応して跳べるの!?
と思った瞬間、頭からべしゃっと水がかけられる。
「ギャアアアつめた!つめた!」
「ウギャー!なんなのよ!一体なんなのよー!」
冷たさにのたうち回る私達の頭上よりはるか高くから声がする。
「ふたりとも、あぶないとおもった」
バケツを持ったアンソニーがそこに立っていた。
「うへえ、冬の海水はやばい。死ぬかと思った」
「あなたのせいでしょハルカ!」
「ごめん、ハルカ」
「アンソニーも謝んなくていいでしょ!こいつのせいよ!」
寒い。腹立ってる場合じゃなく寒い。
ハルカもそれは同じようで、結局「線香花火」っていう小さいのをやらないまま車の中に引っ込んで、暖房をガンガンつけてタオルにくるまって、シートを倒して三人でくっついて暖を取ることになった。
「……はあ」
「なに溜息吐いてんのよ。こっちの方よ疲れたのは」
「上手くできないなって思って」
「はあ?」
発言の意図がわからないでいるとアンソニーが口を開く。
「ハルカ、もういい」
その言葉に彼女の目が見開かれる。
「おれたちは、セルスにはなれない。エフィにも、リアナにもなれない」
「……なんでそんなこと言うの」
「だって、ハルカ、ぜんぜんたのしくなさそう」
「楽しいわけないじゃん……っ、……ごめん、この話やめよう、音楽でも」
「ハルカ」
アンソニーがいつになく強い語調でハルカの言葉を遮る。
「おれのあたまが、わるいから。ミウが、ちいさいから。がんばらなきゃっておもうのか?」
「そんなことない!……やめてよ」
どんどん声も姿勢も小さくなっていくハルカの顔は膝に埋もれて完全に見えなくなった。
「おれは、にげきれなくても、たのしくなくても、つよくなくてもいい」
「もう言わないで。……例え私達がそうだとしても」
「ミウのことだって、リアナやイグナーツみたいにできない」
「できないとかいう問題じゃないでしょ、ちょっとでも生き残れる可能性を探さなきゃ……いけないのに……」
「ハルカ」
「もういや……世界とか社会とか生き方とかどうでもいい、どうでもいいよお……」
鼻をすする音がやけに響く。暖房の音が結構うるさいはずなのに。
「みんな、みんな大っ嫌い。愛だの絆だの家族だの気持ち悪い。居場所なんか最初からなかった。だけど我慢すればよかった、捨てアカで会った人についていって家出なんかしなきゃよかった。そしたら巻き込まずに済んだのに。殺し合いだって本当は全然好きじゃない、血とか死体とか見たくもない。だけど元の生活よりかは自由だって思ってた。ばかみたい!人を殺してた連中に生かされてただけで、私達だけじゃなんにもできない。買い物用の偽IDだってどうせそのうち足がつくし、新しいものを用意する技術なんかない、私にはなんにもなかった、なんにもなかったの……私はどこにいたってなんにも、なんにもできない、って……」
堰を切ったようにハルカが鼻声で喋り出して、喋っても喋っても止まらなくていよいよもう誤魔化せないくらい派手にしゃくり上げている。
「ずるい、ずるいよ。ユリシスがあんなに自信があるの、受け入れられてる種類の人間だからでしょ?私だってそう生まれたかったよ。セルスだってミナギだって、イグナーツですら『そう』なんだもん。わかるわけないよ、私の気持ちなんて。生まれてきたこと自体間違いだったんだって、最初からわかってたことなのに……っ」
鼻水をすする音だけが車内に響き渡る。
何分経っただろう。ハルカからずびずび音がしなくなった。
「……なんも言わないの?二人とも」
その代わりまた喋り出した。
「私、ごめん。変だったね。忘れて」
鼻が赤くなった顔を上げて微笑むハルカにアンソニーが答える。
「わすれない」
「……」
「ハルカは、おれのこと、ばかっていわなかった。はじめてともだちになってくれた。いっしょにつれていってくれた。わすれない」
「……追い討ちかけるのやめてほしいなあ」
また膝を抱えて泣き出すハルカと、全然動かずに彼女をじっと見てるアンソニーと、私。この空間、だいぶ気まずい。
とりあえずなんやかんや事情があって二人が家出してセルス達と行動を共にしてたことと、ハルカが私を鍛えようとあんな無茶苦茶な戦い吹っ掛けてきたことは理解した。いい迷惑だわ。
でも確かにハルカの言う通り、今まで食糧とか生活に必要なものの調達は誰かに任せきりにしてた。セルシオルかエフィかパパかが管理してたんだと思うけど、あんまり手伝ってないからどうやってたのかよくわからない。
ハルカやアンソニーにとってもそうなら、これからどうしたらいいのかしら。私だってーー
「私だって何か役に立つことをしないと、とか思ってる?ミウ」
「ヒッ!」
さっきまで泣いてたのに何よ。また考えてること読んでくるのやめて。
「そういうのはいいから、いざという時に逃げることだけ考えてて」
「……」
いざという時がどういう時か、あなた言ってたじゃない。
そんな時のこと考えたくない。考えたくはないけどいつかーー
いつかまた、戦うんだ。
殺し合いだって本当は全然好きじゃない。
血とか死体とか見たくもない。
元の生活よりかは自由だって思ってた。
人を殺してた連中に生かされてただけ。
さっきのハルカの言葉が頭の中で繰り返される。
私はハルカじゃない。殺し合いも血も死体も別に苦手じゃない。怪我だって今までいっぱいしてきたけどちゃんと治ったし、建物だって街だって壊されるだけの理由があったもの。
だけど与えられた生活を自由だと思い込んでたのはきっと私も。
だって、だって。
ジュース飲んで。
シリアル食べて。
アイス食べて。
一緒にいっぱい走って。
いっぱい戦って。
いっぱい殺して。
初めてあんなに褒められて。
楽しかった。
楽しかったの。
楽しかったなあ。
今まで生きてきた中で一番楽しかったなあ。
しあわせ。
しあわせだった。
私はしあわせだったのよ。
それは最初から嘘で、間違いで、全部全部もうなくなってしまったもので、二度と手に入らないものなんだ。
「……っ」
「えっ泣いてる!?ミウまで泣くことないじゃん!あんた結構もらい泣きするタイプだったの!?」
「ゆるさない絶対絶対ゆるさないぃ……」
「あーもうわかったって!昼も聞いたからねそれは?」
会話の終わりは突然に訪れる。
こん。
こん、こん。
ノックの音がする。
こん、こん、こん。
車の横から聞こえてくる。
音の方を見て、思わず身を乗り出してドアに飛び付いた。
それと同時にハルカが運転席に滑り込む。
アンソニーが私を抱えてその場に倒れ込む。
急発進する車に吹き飛ばされて頭を地面に打ち付け、ぐったりと横たわったその人はバックミラーの奥であっという間に小さくなっていった。
だけど、だけど。
時速70、90、120。車はどんどん加速する。
なのに大きくなってくる。ミラーに映る姿が、少しずつ、少しずつ大きくなってくる。
ハルカの荒い息遣いが聞こえる。
速度超過の警報が車内に鳴り響く。
追い付ける人間なんかいない。いないはず。
なのにミラーにはもうはっきりと映っている。
やっぱり私の知ってる人だ。
徒歩でなんて追い付くはずがない。私達が捕まるはずがない。
直線もカーブも速度を落としてないのに、中にいる私の方が振り落とされそうなのに。
大きくなってくる。
どんどん、どんどん大きくなる。
私は懐かしさを忘れて声にならない悲鳴を上げた。
「ヒッーー!!!」
その瞬間、その人物はミラーから姿を消した。
ああよかった、もういない。
そう思った瞬間のことだった。
ドン。
ドン、ドン。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン
「ひ、ああああぁっ!!!!!!」
ハルカが悲鳴を上げながらアクセルを踏み込む。
タイヤが空回りする音がする。急に減速した衝撃で天井に身体を打ちつける。
手、
手、
手。
フロントガラスに赤い手形がつく。
ひとつふたつみっつ。
よっついつつむっつななつここのつ。
もっと、もっともっと増えていく。
「ひ、ひ……」
私の声はもう音にすらならない。
フロントガラスの向こう側からこっちを覗いているその人は、この世にもういないはずなのだから。
目が合った。
その目は三日月のように細められ、口はニイイと吊り上がり、顔は血で真っ赤に染まっていた。
その人は一心不乱にガラスを叩く。笑顔のまま、ただひたすらに叩く。
無数に増える手形が視界を赤く遮っていく。
こないで
こないで
パパ
・花火を片手に二本ずつ持つ
・花火で人を殴る
・真冬の海水を人にかける
・人を車で轢き飛ばす
・走っている車を体当たりで止める
すべて危険行為です。テロリストの人もそれ以外の人も絶対に真似しないようにしましょう。