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3話
むつは駆け寄ろうとしたが、足が地にはついていない。ぱたぱたとさせるしかない足と、がっちりと自分の腰を捕まえている物に、密着している何か。むつはそれが何なのか確認もせずに、ぐいぐいと手で押したがびくともしない。
「むぅちゃん、ダメです」
「…えっ?」
落ち着きがあるのに、どこか怒りを含んだような低い声、それにそんな呼び方をする男は1人しか居ない。むつが振り向くと、きちんとスーツを着た京井が、がっちりとむつを抱き上げていた。
「…な、何で居るのよっ!?」
「そんな事は後回しです。帰りますよ」
「だっ…で、でも酒井さんが…」
慌てた様子のむつとは対照的に京井は、冷たいくらいに落ち着いている。そして、細めた目で酒井を見下すように見ている。
「私は大丈夫ですよ」
ゆっくりと起き上がった酒井は、ぱたぱたとスーツを払った。そして、親指でぐいっと口の端をぬぐった。
「犬神さんが居らしてたとは…」
紹介もしてないのに、京井の正体を難なく言い当てた酒井は、くっと笑った。柔和な表情とはうってかわって、悪い人ののような極悪的な笑みだった。