泡立つ黄金色 1
「梨紅、慰めて!」
その一言と共に、沙菜が俺の部屋に乗り込んできたのは、土曜日の夕方だった。沙菜の手には大きなスーパーの袋。中には缶ビールとおつまみがぎっしり入っている。
足取りはしっかりしているが、顔はほんのり桜色だ。
ほろ酔いは確実。
「どうしたの?」
「行人が浮気したの!」
俺はまたか、と呆れるほかない。
沙菜はまるで自分の家のように我が物顔で上がり込むと、ローテーブルの上にどんどんと酒とおつまみを並べだす。ビール、ビール、柿の種、あたりめ、チーズ、エトセトラエトセトラ。おつまみが乾きものばかりなのを見て、俺はため息をついて立ち上がった。
「ビールに乾きものばっかじゃ、体が冷えて気持ち悪いだろ?なんか作ってやるから」
「さっすが!気が利くね、梨紅は」
愛してるー。
フラフラとほろ酔い状態で適当なことを叫ぶ沙菜を尻目に、俺は台所に立った。
さて、この酔いどれに何を作ってやろうか。
冷蔵庫を覗き込んでいると、スウェットの後ろポケットに入れていたスマホが震え出した。
一旦冷蔵庫の扉を閉めて、ポケットからスマホを取り出した。画面に表示された名前は、俺の予想通りの名前『佐々木行人』。
『ごめん、梨紅。沙菜はそっちに行った?』
「ああ、行人さん。ええ、来てますよ。『行人が浮気したから慰めろ』って言って、丁度俺の部屋で酒盛りを始めようとしているところです」
通話ボタンを押すと、焦った男の声がした。このやり取りも、何度も繰り返した覚えがある。
俺の返答にほっとしたのか、電話の向こうで息を吐く音がする。沙菜の逃げる場所は十中八九俺の家だ、と想像はつくのだろうが、確認するまでは安心できないのだろう。
素面の時でさえ沙菜は危なっかしいのに、沙菜は酒が入ると何をしでかすかわからないのだ。最近は何かと物騒な世の中だから心配にもなる。
『ああ、やっぱり。この前付き合いで行った合コンで、女の子が俺のポケットに電話番号書いた紙を入れてたみたいでさ。沙菜に見つかっちゃって』
「それはそれは…。災難ですね」
『それで言い争いになって…俺は電話してないって言い張ったんだけどね。タイミング悪くその女の子から電話が掛かってきちゃって。…どこから俺の電話番号調べたんだろう』
気色悪い。
口汚く毒づく彼に苦笑が漏れる。
行人さんは沙菜の恋人だ。顔立ちは正統派イケメン風なさわやかな人。性格も誠実で、感じのいい真面目な人だ。
何より沙菜のことを理解してくれていて、深く愛してくれていることが雰囲気から伝わってくる。
ただ、少し押しに弱いのが困ったところだ。会社の付き合いだ、と言われては時折キャバクラや合コンに駆り出される。
もちろんただの人数合わせであることには間違いないのだけれど、肉食なオンナノコ達はそうそう行人さんを放っておかない。電話番号を調べて掛けてきたり、家を調べて押しかけて来たり。沙菜に電話を掛けて別れるように迫った、なんて人も中にはいたらしい。
どうも強引に押せば落とせる人だと思われているようだ。
もちろん、そんなことは無い。
『俺には沙菜が一番だ』
その言葉通り、行人さんは沙菜以外眼中にない。
だけど、沙菜が女の子達を気にしない訳もなく。こうして時々『行人が浮気した』って大騒ぎしては、俺の部屋に押しかけて酒盛りを始める羽目になるのだ。
『本当申し訳ない。こうも度々沙菜が入り浸ってたんじゃ彼女も連れ込めないよな』
「いいですよ。今は彼女いないですし、今のところいい出会いも無いですから」
『そうか、じゃあいつも通り沙菜を頼む』
「了解です。明日の13時にお迎え、ですよね。ついでに遅めのお昼でもおごってください」
『はいはい、じゃあ本当によろしく』
通話の切れたスマホをポケットにねじ込んで、冷蔵庫にもう一度頭を突っ込む。昨日スーパーに行ったばかりだったから、食材は豊富だ。
「さな、白菜と豚バラの蒸し鍋とかどう?」
「いいねぇ、お肉大好きぃ!」
「おっけーおっけー。すぐ作ってやるから、酒のピッチあげんじゃねーぞ」
「了解しましたっ!」
敬礼のように手を斜めにかざして調子よく答えた沙菜は、言葉とは裏腹に早くも2本目のビールに手を伸ばしている。
しかも買ってきた缶ビールはどれも500ミリリットルのビッグ缶ばかりだから、余計心配だ。沙菜は酒に弱い方ではないけれど、それにしたって限度がある。
一言、二言、文句を言ってやろうかと口を開きかけたがやめておいた。
仕方ない。酒が入ると沙菜は誰にも止められないのだ。人様の家に迷惑をかけず、まっすぐ俺の部屋に来ただけでも良しとしよう。
「さて、長い夜になりそうだ」
火にかけた鍋の影で、こっそりとため息をついた。




