5 ここから始まる
唐突なシリアス
そして最終回
◆
「……え?」
ぺたぺたと壁を触る。木の表面がザラリとしている。ユークリッド幾何学的に何の異常もないクローゼットの壁は、ウンともスンとも言わなかった。
「……は?」
ここ一ヶ月ご無沙汰だった壁が久しぶりだな! と言わんばかりに自己主張しているがそんな事はどうでも良い。
靄が、無い。霧も、無い。煙は影も形も無い……当たり前か。っていやそうじゃなくて!
「……何で?」
いや、確かにコレが正常な状態なんだけど。木目に沿って指を這わせてみたりしてみるけど。ちょっと壁が身悶えないかって想像してアホ臭くなってやめてみたけど。
「……どうすりゃいいんだ?」
だってここ暫くずっと向こうに行ってたんだよ? 今日も朝からエイザブ掘りの予定だったんだよ? ついでにシロと棒でも投げて遊ぼうとしてたんだよ?
「えっと……」
駄目だ。頭真っ白になってる。やばい、何も思い浮かばない。とりあえずスコップは納屋に戻しとこう。
と、握りっぱなしだった剣スコップを持ったまま廊下に出た瞬間、来客を告げるチャイムが鳴った。
「……誰だ? こんな朝っぱらから」
ついでに言うと親は一昨日から長野に行っているらしい。急な思い付きで旅行に行くのは毎度の事だから特に気にしてないけど。
とにかく今は家に俺しか居ない。まあ、どの道外に出ないとスコップ片付けられないしな。
「はーい、どちら様でー?」
「犬飼広さん、ですね?」
ガチャリとドアを開ければ、そこには謎のグラサンスーツ男が一人。あ、後ろにもう一人居る。
ノーウェイトでドアを閉めた俺を褒めて欲しいって駄目だ! 隙間に足突っ込まれてる!
「ちょっ、何ですかアンタ達!? やめ、足どけて下さい!」
「あだだだだ! いや、一回開けないと抜けないから! 完全に挟まってるから!」
「だからこんな変な格好やめろって言ったんだよ……」
全力でドアを閉じるが、挟まった男の足がそれを許さない。よく見ると履いているのはスニーカーであり、スーツとは完全にミスマッチだった。
これ力緩めたら強引に入って来るんだろうなと閉じ続けるが、何と男は隙間に指を挟み、信じられないぐらいのパワーでドアをこじ開けやがった。
……更に言えばその手は、つい最近見たような光り方をしていた。
「……ま、ほう?」
「やっぱり知ってやがったか……正確には魔装、だ。さて、犬飼広さん」
「魔法安全保障法第三条『政府非認可の魔法使いに対する聴取権限』に基づき聴取を行います。ご協力頂けない場合は実力を行使する権限がこちらにはありますのでご注意下さい」
……はい?
◇
「……どうぞ」
「あ、こりゃどうも」
「頂きます」
作り置きの麦茶とお菓子を適当に謎のグラサンスーツ二人組に出す。いや、もうグラサンはしてないから謎のスーツ二人組か。
顔立ちを見ると、二人とも俺と大して変わらない年に見える。さっき魔法を使った方は多少彫りが深く、もう一人は赤毛だった。
「それで、一体どういう……?」
「ズビーッ……あ、お代わり貰える?」
「遠慮無さ過ぎだろお前」
赤毛さんの言う通りである。彫りが深い方はお菓子もバクバク食いまくってる。え、何コイツ。
「まあ冗談はさておき、俺達がここに来たのはここで強い魔力の反応があったからなんだよ」
「全く……ただ、貴方自身にはこれといった魔力反応は感じられない。何か身の回りで不思議な事なんかはありませんでしたか?」
不思議な事……って、アレしか無いよな。
「えっと、異世界に行ったり……とか?」
「はいビンゴー」
「これだな。虎太郎、解るか?」
「超臭うわ。んー、二階かな?」
そう言うと二人は俺の理解を置いてけぼりのまま立ち上がり、勝手に二階へと上がり始めた。
「ちょっとオイ! 何してんだアンタら!」
「えーっと……うん、この部屋だ」
「ちょっと調査したいんで入っても良いですかね」
「え……って言うか、そもそもアンタら何なんだよ!」
何か法律っぽい物とか魔法とかに気を取られてたけど、よく考えたらこの二人が何者なのか知らないよ俺!
「ああ、こりゃ失礼。俺達は『マジックガールズサービス』……通称MGS。一般には秘匿されてる魔法関連の政府直轄機関、みたいなもんだ」
「既に貴方は魔法及び異世界絡みの事に巻き込まれている。その自覚はあるだろう? なら、後は餅は餅屋に任せれば良い」
「マジック……ガールズ?」
俺の部屋の前で説明をしてくれる二人だが、どう見ても男である。肩幅とか体格とか、スーツのせいで若干解り辛いけど男にしか見えない。
あ、でも赤毛の方は中性的と言うか少し線が細い感じがするな。髪型で誤魔化してるけど、彫りが深い方よりは女っぽい。
「あー、まあ主要構成メンバーが『魔法少女』だからね。それもそういう名前ってだけで男も居るし」
「他に良い名前が無いんだよ……魔法使い側はあんなのと一緒にするなって言ってくるし。やる事大して変わりねーのに」
「え……魔法少女ってあの、変身してキラキラ―っとしてお悩み解決したりするアレ?」
「ピカピカーっと光って殴ったり蹴ったりビーム撃ったりするアレ」
え、何。最近の魔法少女ってそんな物騒なの?
「まあとにかく、この部屋の中から昨日の夜に強い魔力反応があって、それがどうも異世界絡みの魔法みたいだったからこうして調査に来たんだよ」
「さっきアンタは『異世界に行く』と言ったが、こちらでも同様の反応を感知している。特に第十三世界は俺達の担当だからな。で、調べても良いか?」
「わ、解った。入って右のクローゼットの中だ」
はいよ、と彫りの深い方が軽く答えて中に入る。そういや赤毛の口調が一気に砕けたな……まあ良いけど。
「あー、うん。ここだな」
「魔力残滓から見ても間違いないな。あ、データ取っとかないと」
二人はクローゼットの前で臭いをかいだり赤いビー玉を翳したりしている。傍から見ると完全に不審者だけど、むしろ視線はビー玉の上に出てるホログラフに釘付けだった。
「ん? この臭いは……まずいかもな」
「何がだ? 多少不安定にはなってるけど、それも消えてるし問題ないだろ?」
「いや、んー……まあ良いか。ふっ!」
彫りが深い方は俺を一度だけ見ると、何やら気合いを入れていた。その次の瞬間、艶やかな黒髪が濃紫の縞模様へと変わっていく。
「んな……!?」
「ああ、状態変化型の獣人を見るのは初めてかな? てっきり向こうで見た事あるかと思ったけど……うん、やっぱコレまずいわ」
「何がまずいんだ? 俺はそういうの専門じゃないけど、データ見た限りは構成が不安定なぐらいしか無いぞ」
彫りが深い方は頭に耳を、尻に尻尾を生やしたままクローゼットに首を突っ込んで臭いを嗅ぐ。色は毒々しいけど模様は完全に虎のそれだ。
「これ、転移術式とかじゃなくて空間が歪んで繋がってんだよ。それも強烈な怨念で。多分だけど、相当魔力の高い魔獣か何かが死んですぐとかじゃないかな」
「あ、えっと……白いでっかい狼とか?」
「……それだ」
虎縞になった方は力無く俺を指さし、ガックリとため息をついた。やっぱり相当強力な奴だったらしい。
「心当たりでもあんのか?」
「あ、はい。元々そこにあった靄もそいつの死体から出てましたし」
「あー成程……死んで意識が再構築される前の霊体に魔力が乗ったのか。そんで近くに居たアンタと同調してここに繋がった、と」
「まあ、魔力だからな。それぐらいできるか」
赤毛の方は納得して頷いてるけど、そんな偶然で俺に同調するとか有り得るのか? いや、良く知らないけど。
「その白い狼は死んでるんだよな? で、その場に他に居合わせたのは?」
「えっと、俺と……そいつの仲間らしい子犬が。いや、子狼?」
「……最近、その子狼に変わった事は? 昨日の昼間とか」
「昨日の昼間は……ネグロさん達に連れられてゴブリンの集落に行ってたぐらいだけど」
俺の答えを聞くたびに虎縞の方の顔色が悪くなっていく。蒼白と言うよりはめんどくさそうな方向に。
「白光狼の幼体がゴブリン狩りかよ……結構嬉々として狩ってなかったか?」
「ああ。最後なんかゴブリンシャーマンだかをタイマンで倒してたけど」
「それだぁ……そこまで成長してりゃ怨念の受け皿にはピッタリだわ……」
「……受け皿?」
虎縞の方の言葉に赤毛の方が反応する。何か俺も聞き捨てならないんですけど。
「昨日まで繋がってたのは怨念とそれに乗った魔力の行先が無かったからだよ。多分、白光狼の幼体の成長に合わせて怨念の意識が覚醒したんだろうな……いや、そこは偶然か?」
「それで怨念が成長した……びゃっこうろう? を受け皿にするとどうなるんだ?」
「まあ間違いなく怨念に意識を乗っ取られるね。それに空間を歪めて第十三世界から要の世界まで易々と繋げられるだけの魔力がその幼体に乗る」
「え、それって……」
「大魔獣の誕生だね。恨みを晴らす為に暴れ回るか、それすらも超越した何かになるか……まあ、今はほぼ間違いなく前後不覚になって暴れ回ってる頃だろうけど」
ゾクリ、と嫌な予感が全身を駆け巡る。言われた事に本能的に反応する体と、予測の内容が理解できない頭が乖離していく。
いや、そうじゃない。つまり、この人が言うにはシロは今―――!
「シロが……暴れてるんですか?」
「多分ね。確率的には九割以上」
「シロ……苦しんでたりするんですか?」
「流石に怨念に意識乗っ取られた事は無いからそこまでは解んないかな。まあ、ロクな状態じゃない事は保障するけど」
ここまで聞いた俺は駆け出していた。頭の中は殆ど真っ白で、それでも一つだけ確かなのは「シロを助けないといけない」と言う事だけ。
しかし、玄関から飛び出そうと言う瞬間に俺は後ろから誰かに掴まれていた。振り返ると、目に入ったのは赤毛。虎縞の方はのんびりと階段を下りてくる。
「落ち着け馬鹿野郎。外に出てどうするんだよ」
「え、だって、シロ助けないと……」
「どうやって異世界まで行くんだよ」
「あ……」
そうだ。どうしよう。ここ以外で異世界に行ける所なんて……。
「……火の字さんや」
「……何だよ虎の字」
「ここは一つ、お人好しになってみるってのはどうかな?」
「……まあ、ここまできてハイサヨナラってのも後味悪いしな」
やれやれと言わんばかりの溜息をついた二人は、ガッシリとそれぞれ俺の両腕を掴む。え、何!?
「ああそうだ、その靄の最寄りの町って解る?」
「え、ディストレインド……だっけ?」
「虎太郎、解るか?」
「ああ、丁度シデンとテンセイの間辺りにある町の筈だよ。急げば夕方前には着く」
「え? そ、それって……」
虎縞の方の言葉に俺は二人の顔を見ると、赤毛の方は苦笑しながら、虎縞の方は見事なドヤ顔でこちらを見ていた。
「異世界ツアー、一名様ご案内だね」
◇
「よーし、もうすぐだぞー」
虎太郎君――紫電虎の半獣人で、こっちの世界では貴族でもある――が俺達に声をかける。彼は非常にリラックスした様子で持参したサンドイッチにかぶりついている。
「ん? ああ、もうか。結構良いな、コレ」
洋介君――先日現役復帰した魔法少女で、こっちの世界出身のチームメイトが居るらしい――は特に動じる様子も無く、座椅子に座ったまま伸びをして答えた。
「いやいやいやいや! どこが!? ねぇ、どこが良いのコレ!?」
で、俺はと言えば新幹線もビックリな速度で爆走する巨大ムカデの背中に括り付けられた座椅子にしがみついていてそれどころではなかった。
俺と同い年だと言う二人の胆力に驚きつつ、チラリと下を見れば物凄いスピードで動くムカデの足。うん、無理! コレ無理!
「はっはっは、広はだらしないなぁ」
「仮にもこっちで一ヶ月は冒険者やってたんだろ? もう少し根性見せろよ」
「いやいやいや! エイザブ掘ってただけだからね!? そもそもこんなデカいムカデとか見た事無いし!」
一つ目の節に虎太郎君と少しの荷物を乗せ、二つ目の節に俺と洋介君を乗せた巨大ムカデは街道からやや離れた場所を突き進んでいる。らしい。
だってこんな所来た事ないから解んないし! そもそも木だの岩だの粉砕しながら進んでるし! それに早すぎてロクに目も開けらんないし!
「まあ俺はこの移動法に慣れてるからだけど、洋介は平気なんだな」
「これでも飛行能力持ちだからな。飛んでる最中に目も開けられないとか一生笑いもんにされるわ」
「……え、何? もしかしてバリヤーとか使ってんの?」
洋介君は何も言わず、口角を上げて鼻で笑うだけだった。スゲー腹立つ。
「家から召喚陣に行く時だって果てしなく怖かったのにさぁ……」
「そうか? 結構良い眺めだったと思うけど」
「お前は自力で何とかしろよ。流石に二人運ぶのはキツかったんだぞ」
俺の家からこっちの世界への召喚陣がある虎太郎君の家に行く際、魔法少女『フォースクリムゾン・メルト』に変身した洋介君に連れてきて貰ったんだけど……正直身一つで空の旅はキツいっす。
まあ、そんな常識外れの洋介君から見ても今俺達が乗っている巨大ムカデは初見だったらしく、俺と同じように驚いていた。俺としては牛を連れた牛の獣人もビックリだったけど。
「……ん? あー、そろそろだな」
「解るのか?」
「紫電虎舐めて貰っちゃ困るね。空気が生臭い上に怨念特有のジトっとした感じがビンビンするよ」
「シロ……!」
道中で虎太郎君に教えて貰った情報によると、シロはどうも白光狼と言う魔獣の一種らしい。外見は文字通り白い狼でかなりの大型。光属性の魔法を使い、基本的には単独で行動する。
そして何より強く、魔獣としてはかなり上位に位置する紫電虎――虎太郎君はこの魔獣の血が入っているらしい――が率いる雷虎の群れと真っ向勝負して勝てるんだとか。
そんな御大層な魔獣にトドメを刺す形になったが勝てたという話をすると、真っ先に何かしらの弱体化を疑われた。まあ、それもそうだよな。
そして呪いか何かを受けていたと俺が話すと、どうやら今回の怨念もそれに関係している可能性が高いらしい。
「……俺、何とかできるのかな」
「まあ、古今東西暴れてる奴は一度殴ってから説得するもんだからね。広には期待してるよ?」
「意識が無いとは言え怨念とある程度リンクして憑依先とも一緒に居たんだ。決して無理な理屈じゃないさ」
「あ、ああ!」
「さて、この丘の向こう……居た!」
虎太郎君の声に前を向くと、夕日が目に入って目を瞑ってしまう。手を翳して影を作ってから目を開けると、そこには想像もしていなかった光景があった。
「なんっ……だ、ありゃあ」
シロらしき白光狼は、居た。虎太郎君の予想通り、白光狼の怨念に憑りつかれているのか見境なく暴れている。
……ただし、体のサイズが尋常じゃない。ディストレインドを囲んでいる城壁の高さは10メートル近くあるけど、顎の位置がその高さを超えている。
門や城壁から伸びている見張り塔は更に高いけど、前足をかければ頭が完全にその高さを超えるだろう。そんな規格外のサイズの狼がそこに居た。
「……オイ、虎太郎。白光狼ってのはあんなとんでもないサイズなのか? フィリレンジャーの個人ロボと大差ねぇじゃねぇか!」
「いや、流石にこんな世界でもアレは常識外れのサイズだよ……普通なら、コイツの節一つ分ぐらいのサイズしかない筈だ。
それに幾ら怨念や呪いの類があったとしても、あそこまで巨大化するのは不自然だ。何か別の要因がある」
「冗談じゃないぞ……オイ広! 何か思い当たる事ねぇか!?」
「え、俺!? え、えっと……」
洋介君に言われて必死で記憶を遡る。怨念、呪い、サイズ、大きさ……っ!?
「虎太郎君、白光狼の大人ってこのムカデの節一つ分のサイズなんだよね!?」
「ああ。個体差はあるだろうけど、大体それ位だね」
「じゃあ、それより二回り位小さいのって……?」
「……大人になりかけ。人間で言えば俺達ぐらいか少し下かな? で、何か思い当たる節あった?」
多分そうだ。確かに虎太郎君はこっちの世界の事に詳しいけど、詳細までは解らないんだ。
「……俺が戦ったのはその少し小さい奴だけど、もう一つ白光狼らしい死体があったんだ。丁度このムカデの節一つ分ぐらいの。白骨死体」
「それだぁ……うわ、マジかよ」
「……オイ、死体二つってまさか」
「……うん。怨念二体分だ」
あちゃー、と二人は頭を抱える。そういえば言ってなかったっけ……ゴメン。
「確かにそうだよな、幾ら白光狼でも一ヶ月も空間歪めっ放しってのは強力過ぎる。成体になりかけなら一回繋いでおしまいの筈だ」
「怨念になった霊体の意識が回復するのに時間がかかったのもそのせいか? 二頭分の怨念が混ざり合って混濁してた、と」
「で、その分パワーは相乗効果が出てきて……ああなった、って所かな。広と戦ったのはシロって子のお兄さんかお姉さんだね」
「あ、やっぱりそうだったんだ……で、アレどうしたら良いの?」
げんなりした二人が情報をまとめ、再びディストレインドへと視線を向ける。巨大白光狼は足元に居る誰かと戦っているらしく、既に城壁は半分以上が崩れ落ちていた。
「まぁ、広が説得するとして……一回動き止めないと駄目だな。じゃないと余波で死ぬ」
「だねぇ……洋介、アレの強さどれぐらいかな?」
「んー……強幹部級、いや首領級じゃないか? 無茶苦茶に暴れてるだけって感じだ」
「まあそんなもんかな……魔力切れか使い方を忘れてるか知らないけど、魔法使ってるようには見えないしね」
それが唯一の救いかな、と虎太郎君が言った所で二人は立ち上がる。やる気だ。あの白光狼と……シロと、戦う気だ。
もし俺達の予想が当たっているなら、二人はこれからシロを傷付ける。でも、こうやって遠目に見ているだけでもシロの暴れっぷりは半端じゃない。
正直に言えば、シロを傷付けたくない。でも、今のままじゃシロ自身が危ないんだ。それに、ディストレインドだって……。
「……虎太郎君、洋介君」
「ん?」
「どした?」
俺の声に軽くストレッチをしていた二人が振り返る。その表情は逆光で良く見えない。
「……シロを、お願い」
「………。」
「………。」
絞り出すような声しか出なかった。でも、なんの力も無い俺じゃあ、こうして二人に頼む事しかできない。
「「任せろ」」
―――そう言って飛び出した二人の背を、見る事しかできない。
◆
状況は最悪だった。草木も眠る丑三つ時、と言う言葉がこちらにある訳ではないが、それでも日付が変わって二時間もすれば大概の人物は眠りにつく。
そんな最悪の時間に現れた謎の巨大魔獣。初撃で東門の南側にある城壁上部とそこから真西にある建物の上層部の殆どが吹き飛んだ。
そしてディストレインド警備兵が見た物は、絶望。常識の範疇を遥かに飛び越えたサイズの白狼だった。
確かにこの白狼以上の大きさの生き物はこの世界には存在する。しかし、それらは一般に秘境と言われるような場所に存在しているのだ。一生に一度見るかどうかと言う遭遇率である。
当然ながら一般的なサイズの獣や盗賊の相手を目的としている警備兵に敵う相手ではなく、まともな抵抗もできないまま暴れ回る白狼に押し潰されていった。
中には武器や魔法を使って懸命に立ち向かう者も居たが、その悉くが白狼の纏う光の膜を破る事は出来なかった。そんな彼らは既に全員瓦礫の下だ。
そんな折に冒険者ギルドからの応援が到着。とは言え、周辺の事情によりその数を大きく減らしていた冒険者は戦力としては数え辛かった。
確かにトップチームならば一騎当千の猛者であるが、その筆頭であるトライヘッドの攻撃ですら白狼に多少の手傷を負わせる程度しか出来なかった。
ディストレインド側にとって幸運だったのは、巨大な白狼―――白光狼が明確な意思をもって行動している訳では無かった事だ。
白光狼は何かに苦しむようにのたうち回り、時にディストレインドの城壁にぶつかって壊しはしたがそれ以上の破壊は起こらなかった。
しかし、それでもいつ白光狼が城壁を越えて街中に入って来るとも限らない。故に町民の多くが避難し、戦える者は武器を取って白光狼に立ち向かっていた。
そんな災害に立ち向かう様な戦いも半日を超え、ようやく白光狼の動きが目に見えて悪くなってきた。が、ディストレインド側の消耗はそれ以上だった。
既に警備兵はまともに動ける者が3割を切り、交代で白光狼に当たろうにも頭数が揃っていない状態である。
冒険者は元々の数が少ないため、日の入りを前にして倒れる者が続出している。周辺の街からの援軍を加えてもこの状態であり、状況は完全にジリ貧であった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「糞ったれが……」
「ガフゥ……」
ローテーションを組んで戦っては居るが、最早それも意味を成していない。白光狼が城壁から離れた時に休憩はできているが、それも長くて十分程度である。
ヘンデルは適当な石に座り込み、リッチーは仰向けに倒れている。ネグロですら壁に身を預けている有様であった。
「あれ、白光狼だよな……?」
「ギルドの調査だとな。まあ、光の盾出してるし合ってるんじゃねぇかな……」
「ヒロシ君が連れていた幼体と関係があるんだろうが……彼はどこだ?」
「「知らね」」
はぁ、とディストレインド冒険者ギルドトップチームの面々は同時にため息をつく。やはり何とかしておくべきだったか、と後悔が頭をよぎっていた。
確かに白光狼を従える獣使いも存在するが、そんな事ができるならば一つの町のトップに君臨していてもおかしくない力量である。
彼らから見たヒロシは変わった格好をしただけの少年であり、幾ら幼体とは言え白光狼を従えているのは奇妙に映っていた。
だからこそネグロはヒロシの危険性を探るために彼に近付いたのであり、結果として生来の面倒見の良さまで発揮したのだったが。
「始末しとくべきだったかな?」
「その場合、この状況が町のど真ん中で起きてたかもしれねぇけどな」
「彼が見当たらない事もこの状況の一因かもしれないな……彼が安定させていたのか、それを崩したのかは知らないが。
―――いや、魔法の魔の字も知らないようだったし意図的には無理か。やれやれ、原因を探ろうにも情報が足りん」
戦いの場となればそれこそ竜のような獰猛さを見せるネグロだが、それだけでなれるほど一つのギルド支部のトップは甘くない。
時に知恵を絞って考察・改善し、危険であるならば適した対処法をとる必要がある。そしてそれが正解である運の良さも大事な要素だ。
「……ま、そりゃ生き残った後でも良いだろ」
「だな……どれ、もうひと踏ん張りしますか」
「あぁ……ん?」
「あ?」
「どした……は?」
三人は気合いを入れて立ち上がる。と、ネグロが何かに気が付いた。遅れる事数秒、残る二人も異変に気が付く。
未知の魔力反応。それも、かなり大きい。自分達に匹敵するか、それ以上の物だった。
「「変、身ッ!」」
街道より北、小高い丘で何かが光る。それに合わせた魔力の奔流がかなりの距離であるのにディストレインドまで届いていた。
「ガァァァァッ!」
幾度もの雷鳴と共に紫電が走る。遥かな距離を一瞬にして詰め、一拍置いた後の一際強い雷と共に蹴撃が白光狼へと突き刺さった。
閃脚万雷。雷に乗る、と言う非常識極まりない魔法が黄昏の平原に鳴り響いていた。
『■■■……』
「ったく、速過ぎだっつの。バーニングブロー!」
遅れてもう一つ、真紅の輝きが空を切り裂いた。如何なる原理か空を自在に駆け、巨大なサックごと白光狼へと殴りかかる。
先程の閃脚万雷に劣らぬ衝撃が白光狼に襲い掛かり、大きくその身を揺らした。
『■■ッ!?』
さりとて白光狼は最上級の魔獣である。看過できない攻撃を受けた事で逆に意識が覚醒し、本能の赴くままに眼前の敵へと攻撃を開始する。
しかし、それでは彼らには勝てない。獣の相手は慣れたものだからだ。地面に降り立った紫の光と、宙を舞う紅の光。それが再び白光狼に迫る。
「ニーブラスター!」
「雷光咆!」
白光狼の頭上で逆立ちをするように姿勢を変え、炎に包まれた膝をその背に叩きつける。
股下に潜り込み、虎頭の咆哮と共に眼前に作り出した雷球を叩き込む。
その衝撃は強く、懐に入られた白光狼の動きが止まった。そしてそれを見逃す二人ではなく、一度に勝負を決めるためか大技の準備に入っていた。
「ヴィド! 時間稼げっ!」
「鳴れ鳴れ神鳴れ、魂荒め給え―――」
一人は下がりながら炎の鶏を無数に飛ばして白光狼を攪乱し、もう一人は白光狼の真下で開いた左手と剣指の右手を真上に翳す。
「うおぉぉぉぉっ!」
「『鳴神』!」
下がったのはほんの数秒。一度地面に手を付け、再び白光狼へと飛び掛かる。その隙間を縫うように不自然な落雷が発生し、白光狼を打ち据えた。
それも良く見れば一度雷は呼んだと思しき一人の体を通り、剣指の先から再び白光狼へと放たれている。
そして炎の鶏すら巻き込んだ雷が掻き消えた直後、赤い影が白光狼の頭上へと舞い上がった。
「ゲヘナイラプションッ!」
超高密度に圧縮された魔力が打ち下ろされた拳の一撃と共に白光狼の体を通り抜け、一拍の空白の後、噴き出す溶岩となって再びその身を襲う。
「な―――」
「す、げぇ……」
その一連の攻撃を、ディストレインド側は茫然と眺める事しか出来なかった。疲弊していたという事もあるが、果たして万全の状態でアレと対峙して勝てるかどうか。
そんな驚きも他所に、その攻撃をしていた一人が後ろ向きに着地して現れた。雷を放った直後、巻き添えになる事を嫌って飛び退っていたのだった。
「ふぃー、あっぶねぇ……あそこまでギリギリのコンビネーションも久々だなぁ」
「あ、あんたは……?」
「ん? ああ、ただの応援だよ。冒険者だ」
そう答える姿をディストレインド側は初めて確認する。頭上で忙しなく動く耳と、ズボンからはみ出た尻尾。そして何より黒と紫の縞模様。
余程世情に疎い者でなければ、先程の雷と合わせて一瞬で答えに辿り着く。白虎山脈はシデンの王族、魔獣紫電虎の獣人であると。
「まさかアンタ、シデンの……?」
「んー、まあそりゃ後でね。今は……っと、収まったか」
紫電虎の獣人―――コタロー・シデン・シマダの声に周囲に居た者が前を見れば、天を突かんとばかりに噴き出していたマグマが収まり、中からもう一人の助っ人が現れた。
妙に体に張り付いた服と、露出した腹回りと、何故か燃え盛っている襟や手足。ファンタジーなこの世界でも異色の存在であった。
「いやー、すげぇな。雷呼んだろお前」
「そっちこそ随分威力上がってるじゃん」
「ま、あいつらにばっか任せてらんねぇからな」
「その辺はお互い様だね。で、まだ生きてる?」
コタローは親しげに炎の男―――フォースクリムゾン・メルトと声を交わす。一歩間違えばお互いに大怪我をしている所だが、伊達に長い付き合いはしていないと言う所だろうか。
そして、コタローの最後の台詞に呆けていた周囲の者も白光狼へと慌てて視線を移す。そこには、傷付いていたがしっかりと四つの足で大地を踏みしめる白光狼の姿があった。
「そんな……」
「あんな大威力の魔法を食らって生きてるだと!? そんな馬鹿な!?」
「思った以上にタフだったな……ぶっ倒れてるかと思ったんだが」
「だね……さ、ここからが難しいよ」
悲鳴を上げるディストレインド側に対し、大して驚く様子も無くメルトは拳を構え、コタローも魔装の爪を地面に擦らせる。
あくまでも彼らの狙いは白光狼の動きを止める事であり、殺そうとしている訳ではない。魔法少女は基本的にお気楽でハッピーエンドを望むお人好しなのだ。
まあ、コタローは魔法少女ではないのだが。
「とりあえず手足狙いか?」
「かな。難しかったら一回気絶させる感じで」
「よっしゃ」
軽く打ち合わせをし、彼らは再び白光狼へと飛び掛かる。
しかし、
『■■■■■―――――ッ!』
「なっ!?」
「しまっ―――」
爆発的な光が突如彼らを襲う。否、それは紛れも無く光そのものの爆発であった。
その余波は凄まじく、未だ白光狼の足元で煮え滾っていたマグマすら遠く吹き飛ばされる程であった。
「な、なんて光だ……」
「彼らは!? どこに行った!?」
ディストレインドの防衛部隊も近くに居た者は光に吹き飛ばされ、その多くが街中や平野へと吹き飛ばされていた。
そしてコタローは城壁に頭から腰まで突き刺さり、メルトも地面を擦った跡を残しながら大地に顔を埋めており、高らかと掲げられた尻がピクピクと痙攣していた。
「まずいな……さっきの連中が強過ぎて白光狼の意識が戻っちまったんだ」
「そういや今まで攻撃に魔法使ってなかったな……あ、でもこれで暴れはしなくなったんじゃないか?」
「……意識が戻ったら全身ボロボロで、目の前には俺達。さて、どうなると思う?」
ああ、そりゃまずいわとトライヘッドの会話が聞こえた全員が思う。そうして本格的に命の危機を察した時だった。
「うぉぁぁぁぁぁぁっ!」
また誰かが助力に来たのかとその声の元へと視線が集まる。
しかし、そこに居たのは多少珍しい恰好をしただけの貧弱な少年。先程の二人とは違い、鍛えているようにも見えない。
だが、落胆したような空気の中、安堵する者も確かに存在していた。
「ようやくか……」
「遅いぞ小僧!」
「先程の二人を連れてきたのも彼、かな?」
「……これはこれは。中々に予想のつかない展開ですねぇ」
恐怖に足を震わせ、情けなさに胸が痛み、何ができると自嘲する。
それでも、やらなければいけない。体を張ってくれた、新しい友人達の為にも。
―――それに何より、大切な家族の為にも。
「シィィィィィィロォォォォォォォォッ!」
そして彼は、光に包まれた。
◆
もうちっとだけ続くんじゃ