2 ぷらすわん!
わんこ
◆
「ふぅ……」
東門から外へ足を踏み出し、一つ溜息をつく。特に疲れる事をした訳じゃないけど、やはり違う世界なのだと思い知らされて気疲れしているのかもしれない。
決して東門の場所が解らずにギルドから見えた広場の案内板から探したせいではない。ついうっかり聞き忘れてたとかそういう事は無い。無いのだ!
「南ってーと……ああ、アレか」
門から真っ直ぐ伸びた大きな道の右手に森が有り、その近くにアーチ状の石橋が掛かっているのが解る。何も無い所に橋は無いだろうし、そこに川があるんだろう。
行き交う人に混じって歩いてる途中で解ったのだが、俺の目指す森沿いに有る枝道には誰も通っていなかった。この先は何があるんだろうか?
「それよりまずは飯の種……ん?」
「ワンッ!」
犬だ。いや、うん。反応がストレート過ぎると自分でも思うけど犬は犬なんだから仕方ないだろう。
足元に真っ白い子犬が纏わりつく。普段なら盛大に遊んでやる所だが、生憎と余裕が無い。と言うか野良なら親が居る筈だからあんまり近付くなよ。
「野良か? 悪いな、今は構ってられないんだ」
「ワンワンッ!」
まあ解ってないだろうなと思いつつ、ワンコはスルーして森沿いの枝道へと歩を進めた。当然のようにキャンキャンと付いてくる犬ッコロ。尻尾も大回転だ。
と言うか、何でここまでご機嫌なのかねこのお犬様は。野生の動物にここまで好かれたのは初めてなんだけど……いや、そもそもこいつ野良か?
「ヘッヘッヘッヘッ……」
「……ま、邪魔しないなら良いか」
可愛らしい子犬に好かれて嫌な気はしないし、この陽気の中一人で草むしりってのもほぼ間違いなくダレるだろう。
それなら言葉は通じずとも懐いてくる存在が居るのは有り難い。飽きたら少し遊んでやろうかな。
「で、着いた訳ですが」
「?」
「結構深いなこの川……」
「わふ」
川面は道のある地面から5メートルほど下にあり、川辺はちょっとした崖になっている。川は綺麗だが底が見えず、流れもかなり早いようだった。
その崖のところどころにエイザブがモッサリ生えているのだが、これではとても根っこから掘り返す事は出来そうにない。
「まあ、崖の上にも結構生えてるからコレにするか」
「ワンッ!」
何故か合いの手を入れてくる犬に苦笑しつつ、俺はカバンからスポーツタオルを取り出して頭に巻いた。熱中症対策の帽子代わりだ。
「そして今気付いたけど」
「?」
「軍手もスコップもねぇ……」
「クゥン……」
仕方がないのでその辺にあった低木の枝を折り、それで掘り進める事にする。ゴリゴリとエイザブの根本の土を削り取ると童心に返った気分になるな。
……ゴメン嘘。コレキツいわ。道具欲しい。両手用のスコップかせめて園芸シャベル欲しい。
「あー、ギルドで道具の貸し出しとか……いや、駄目だな。信用が足りないとか言われるのがオチだ」
「わふっわふっ」
「手伝ってくれるのは嬉しいけど楽しそうだな……」
「?」
あー、良いから好きに掘り返してなさい。真っ白い毛皮があっという間に泥だらけになるが、子犬は至って楽しそうだ。
「どれ、俺もいっちょ気合い入れますか!」
「わんっ!」
◇
「腹減った……」
「くぅん……」
まあ考えてみれば当たり前なんだけどさ。幾ら遅めに起きて朝飯食ったって、ずっと穴掘りしてれば疲れるし腹も減るよ。
まあ、意外なまでに犬が戦力になってるのでエイザブも大分集まったんだけどね。ケータイで時間を確認すると4時を過ぎた所だった。
「そして当然のように圏外か……異世界、ねぇ」
「?」
「言ってもわかんねーだろ、お前。あ、写メ撮っとこ」
「?」
ずっと一緒に穴掘りをしていたせいか、俺自身このワンコが大分気に入ってしまったようだ。既にお互い泥だらけだが、それも構わず抱えて撫で上げている。
「んー、やっぱ名前とか欲しいよなぁ……」
「わふ」
「シンプルにシロで良いか。今は茶色だけど」
「わんっ!」
この懐き具合は野良のそれとは思えないが、誰かが探しているような気配もないし抱えた感触から細身なのが解った。
誰かが定期的に餌を与えているならもっと丸々としていても良い筈だし、幾らファンタジーでも首輪ぐらいあるだろう。
あ、あとこの子メスでした。
「そういやこの川ってどっかで街道とぶつかってんのかな」
「?」
相変わらずシロには難しい事は理解できていないようだが、東門の南側にあったこの川は若干南に傾いていたようだ。
それを東に向かって川沿いを進んで来たが、この先で大きく左折しているのが解る。この川がそのまま北へ流れているなら、その内東門からの街道にぶつかる筈だ。
この川と街道との間には結構な規模の森が有り、手入れがされていないのか下草が多くて反対側は見えない。
木の実の成っている木や鳥の声なんかもあったし、シロはこの森に棲んでいるのかもしれない。
「さて、もう一頑張りすっか!」
「ワ―――ッ!?」
目標は夕方になるまで、と立ち上がるとシロが急に近くの茂みに向き直る。何事かとそっちを見ると、ガサリと茂みが揺れた。
「グゥルルルル……」
「あー、えっと……お子さん、お預かりしてましたよ?」
茂みから出てきたのは真っ白な大型犬……いや、このサイズは最早狼だ。土佐犬とかよりも更に大きい。後ろ脚で立てば間違いなく俺よりも大きいだろう。
うん、これ間違いなくシロの親だよね。お子さん取られたと思ってご立腹ですよね? うそーん。
「ルルルルルル……」
「いや、あの……そのね? ちょっと待ってお願いだから落ち着いて下さいって解る訳無いよねー」
「グァウッ!」
「ひぃっ!?」
ヤバイヤバイヤバイヤバイ! どうすんだっけ!? 死んだふり!? いや違うコレ熊だし多分そのまま食われる! 正しい方法は目を逸らさずそっと後退!
……あ、そうすりゃいいんだ。オーケーそーっとって吠えた吠えた吠えた! ヤバイヤバイヤバイヤバイ!
「グゥアァゥッ!」
「ぎゃああっ!?」
怯んだ隙を突かれ、白い狼は俺に飛び掛かって来る。当然避けることなどできず、そのまま押し倒された。
辛うじて顔は腕でガード出来たけど痛い痛い痛い痛い! 噛まれてる! 腕めっちゃ噛まれてる! 血、血ぃ出てきたぁ!
「グガグググググ……」
「ッ、がぁ! こんっなくそぉ……!」
余りの痛みに脳内麻薬がフィーバーし始めたのか、血がドバドバ出てるのに痛みを感じない。危機的状況には変わりないけど、有り難いと言えば有り難い。
牙は既に左腕にブッスリと刺さり、右手で辛うじて閉じきるのを防いでいる状態だ。時々前足が顔を狙ってくるが、何とか避けるか肩で防げている。
「ざっけんなよ……こんな所で、死ねるかぁっ!」
「ギャウッ!?」
前足が完全に浮いた状態の狼に対し、俺は股間を蹴り上げる。タイミングが良かったのか狼は大きく仰け反り、更に牙が腕から抜けた。
「よ、よし! 舐めんなよ犬畜生が……」
「グルァアゥッ!」
「ヒィッ!? っ、あぶ!?」
俺は慌てて立ち上がるも、間髪入れずに飛び掛かって来た狼に再び押し倒される。が、押し倒された筈の地面が無い。
立ち上がった時に川を背にしていたせいでそのままダイブしてしまったのだ、と気付いたのは川岸に打ち上げられてからだった。
「げほっ、げほ……鼻痛ぇ」
川に落ちた時に思い切り水を飲んでしまった上、体勢が逆さまだったから鼻に水が入ってしまった。全身ずぶ濡れで左腕と両肩もズタズタ。最悪だよチクショウ。
「そ、そうだ……あの狼は!?」
「ガブフッ! グァルルル……」
「ゲ……噂をすればなんとやらってか?」
少し頭が落ち着いた所で状況を把握しようとすると、狼も俺のすぐ近くに流れ着いていたようだ。全身ずぶ濡れのままこっちを睨みつけている。
それに地形から見るに、ここはさっき見えていた川が曲がっている地点のようだ。あまり流されなかったみたいで助かった……のか?
「グルルルルルゥ……」
「何だよもう。シロなら返すから見逃してくれよぉ……それともアレか? 縄張りに入ったからか?」
相変わらず狼はこちらを睨んでいる。一体何が気に入らないのか、それとも単純に腹が減っているんだろうか。
ああそれじゃあ俺食われるのかなと、そこまで考えた時だった。俺と狼の間に割り込む小さな白い影が一つ。
「キャンッ! グゥゥゥゥ……!」
「グッ……?」
「シロ……?」
シロは小さな体で懸命に狼を威嚇している。全身の毛を目いっぱい逆立たせ、小さな牙を剥き、自身よりも何倍も大きな狼に立ち向かっている。
その様子に俺はともかく狼まで混乱している。ほぼ間違いなくこの狼と同種であろうシロは何故か俺に味方していた。
「ギャウッ! ギャンギャンッ!」
「グルルルル……」
「ウゥゥゥ! ギャウギャウギャウッ!」
「グルルル……」
シロが吠え、狼が唸る。まるで会話をしているかのような光景に、俺の思考は完全にフリーズしていた。もう訳が解らない。
「ウォウ?」
「キャンッ!」
「ルルルルル……」
と、狼から放たれていた威圧感が消えた。シロと狼の間で何かあったとしか思えない。そして俺はどうすれば良いのか解らない。
「ウォンッ」
「ひっ!? な、何だよ……こ、こっちくんなよ!」
「グルルル……ッ」
「あづっ!?」
狼が一声吠え、俺の元へとやってくる。腰の引けた俺の隣にぺたりと座ると、その大きな舌を俺の左腕に這わせ始めた。
俺はすっかり意識の外にあった痛みに腕を引くが、どうも様子がおかしいと腕を見る。すると、狼の舌が触れた部分が微かな光を放っていた。
「な、なんだぁ!? 光ってる!?」
「ウォゥッ」
「あ、おい……え!? 痛く、ない?」
狼は二度三度と俺の腕を舐める。その度に腕の光は増し、場所によっては骨まで見えていた歯型が綺麗さっぱり消えていた。
いや、よく見ると僅かに歯型は残っている。しかし、まるで何年も前の古傷のように完治していた。思わず腕を動かしてみるが、特に問題なく動く。むしろ若干力強いように感じるぐらいだ。
「あ、えっと……あ、ありがとう」
「ウォフッ」
「ワンッ!」
「ああ、シロもありがとうな。助けてくれたんだろ?」
「ワンッ! ワンッ!」
俺は礼を言うが、狼は大した事ないとでも言いたげに一声だけ返してきた。対してシロは得意気に飛び跳ねたり尻尾を全力で振っていたりしている。
「キャンッ! キャンッ!」
「はははこやつめ、はははっ」
「……ウォウッ」
「クゥ?」
「ど、どうしたんだ? ―――ッ!?」
キャンキャンと飛び跳ねるシロを撫で回していると、川辺の崖側に移動していた狼が吠えた。イヌ科の表情なんて解らないが、どことなく嫌な感じがする。
それから狼の対処に夢中で気が付かなかったが、崖の下が抉れて窪みがあり……そこに、狼よりも更に巨大な動物の骨が転がっていた。
「……ウォゥ」
「……クゥン?」
デカい。正確な全長は解らないが、最低でも5メートルはあるだろう。頭蓋骨の形からして犬のような哺乳類……まさか、この狼ですら成体じゃないのか?
俺が馬鹿でかい遺体に気を取られている一方で、狼とシロは向かい合っていた。何か情報が得られないかとそっちを見ると、やはり何か胸がザワザワする。
「……ワゥッ」
「な、何だよ……」
「………。」
シロに鼻先を触れさせた狼は、俺に一言だけ吠えて巨大な骸骨の隣に座り―――倒れ込んだ。
「キャンッ!? キャン! キャン!」
「お、おい! どうしたんだよ急に!」
「……ァゥ」
俺とシロは慌てて狼に駆け寄るが、狼の呼吸は徐々にか細くなっていく。胴体には毒々しい文様が浮かび、それが広がるにつれて狼は弱々しくなっている。
―――死ぬ。直観的にそう判断したが、こんな訳の解らない状況では何もできない。所謂魔法か呪いの類と言う事は想像がつくが、どうすれば良いのか見当もつかない。
「何だよオイ……急に出てきて襲ってきて、挙句の果てに最期を看取らせる? ふざけんなよ、そんな勝手な……どうしろってんだよ……」
「クゥン……」
「さっき吠えたのは『シロを任せる』ってでも言いたかったのか? 俺そんな余裕ねぇよ……こっちに来てからまだ飯も食ってねぇんだぞ……」
「ゥ……」
恐らく呪いを受けながらシロを守ってたが、俺が現れた事でその役目を譲ろうとしているんだろう。だが、俺にどうしろと言うのか。
骨の大きさや傷を舐めて癒したとか、明らかに普通の犬ではないんだろう。何か訳有りなのかもしれない。それをまともに戦えもしない奴に任せるのか?
「シロが遊びたいならまた来るからよ……無理だよ、俺には……」
「クゥ……」
「………。」
微かに動いていた胸も完全に止まる。濃紫の文様は白い毛皮を穢し、全身に至っていた。
―――生き物が死ぬ瞬間を見るのは、初めてだった。
◇
「はぁ……」
「クゥン……」
結局、あれから一時間程何もせずに座り込んでいる。せめて遺体を埋めようと思ったものの、土を掘る労力を考えるととてもじゃないが出来そうにない。
狼には申し訳ないが、せめて何か道具が手に入るまではこのままにするしか無いだろう。そして何よりまずい事が起こっている。
「草ビッショビショじゃねぇか……」
「クゥン……」
鞄を背負ったまま川に落ちたため、カバンの中身が漏れなく水浸しになっていた。あ、財布も何とかしないと……。
「ケータイが防水なのが不幸中の幸いか……ぁ、ハァックション!」
「!?」
まずい。全身ずぶ濡れのままで底冷えのする川辺に居たせいか体が冷えちまってる。大きなくしゃみをしたせいか、シロが驚いて飛び上がっていた。
「今日はもう駄目だな……一回ギルド戻るか」
「クゥン?」
「シロはどうする? 一緒に来るか?」
「ワンッ!」
草掘り出して犬と喧嘩して川に落ちた上に昼飯も食べてない。流石にこんな状態でこれ以上動くのは無理だ。
シロは流石に野生と言うべきなのか、スッパリ切り替えて生きるために動こうとしているようだ。ただ単に目の前の事しか見ていないだけかも知れないけど。
「よいしょっと……ああ、ここから登れそうだな」
重い腰を上げ、崖から伸びていた太目の木の根を足場によじ登る。シロも特に苦労する事無く登って来ると、その体を俺の足に摺り寄せてきた。猫かお前は。
「コレで何か一つでも買えれば良いんだけど……ん?」
「わふっわふっ」
ぐっしょりと濡れた荷物と体を引き摺るように歩くと、ある茂みの前でシロがこちらを見ていた。その茂みをよく見てみると、何やら赤紫の木の実が生えている。
「これって……木苺か何かか?」
「わむっ」
「って、食ってるし……どれどれ?」
低めの枝の実はシロが食べているので、高い所から幾つか千切って食べる。甘さよりは酸っぱさが強いけれど、じんわりと口の中に広がる味が空きっ腹には堪らなかった。
気付けば根こそぎ食べ尽す勢いで口の中に入れ続けている。赤紫に染まったシロの口許を見て俺も口を拭うと、やはりベッタリと染まっていた。
「流石にこれ以上はまずいな……サンキュー、シロ」
「ワンッ!」
腹が減ったからと言って目の前の物を全て食べてしまうのはいけないとテレビでやっていた記憶がある。若干手遅れ感が無くも無いが、まあ反対側には結構残ってるし良いだろ。
「でも中途半端に食べたせいか逆に腹減って来たな……肉とか炭水化物食べたい」
「わふ」
「……そうだよな。捌いた状態で飛んでる訳じゃないもんな」
あの、シロさん? 肉食べたいって言った直後に鶏肉を貰えるのは有り難いんだけど……コレついさっきまで生きてた奴だよね? 捌き方とか全然解んないんだけど。
「……ギルドで教えて貰えるかな、捌き方」
「わふ?」
◆
素手で地面掘って爪の間に土が入って超痛い!