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言霊-コトダマ-  作者: レモンのなる木
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まだ始まらない

  [深森秋樹] 


 目覚ましがうるさい。


 布団の中で縮こまっていた僕は目を開く。

 枕元の時計は三時を指していた。…こんな時間に起きる必要があったのか、深夜のテンションで考えるが何も思い出せない。しかし健康第一の僕が夜中、自主的に起きることは殆どないのだから、よっぽどの理由があったのだろう。こめかみを拳でグイグイ押す。やっぱり何も思い出せない。


 ふと視線を感じ部屋を見渡すと、床に敷かれた布団の周りから、会社の上司に貰った猫の置物十数体が、暗がりから僕を監視するように見下ろしていた。何が可笑しいのか、一様にニヤニヤとした表情で立っている。


 …不気味だ。はっきり言って怖い。


 関根、という名前の先週出会ったばかりの上司は、大の猫好きだと言っていた。正直、僕は犬の方が好きなのだけど、話を合わせているうちになぜか、「家に可愛い猫の置物がたくさんあるんだ。少しおすそ分けしよう。」という流れになる。今更猫好きを否定できない僕は、多少強引な上司に異議を唱えられるわけもなく、渋々承諾してしまった。それが一昨日のことだ。


 そして昨日、我が家にダンボールで武装した猫がやってきた。


 開けてしまえばすぐに分かることだが、関根の話には、少なくとも二つの嘘が含まれていた。


「可愛い猫」と「数匹のおすそ分け」の部分について、昨日職場で文句を言ったところ、どうやら関根も処分に困っていたらしく、更に押し付けられそうになったため、急いで退散した。話の様子だと、まだ五・六十匹もの置物が、関根の家を占領しているらしい。経緯は分からないし、知ろうとも思わないが、捨てるに捨てられないのだろう、僕のみならず陸郎にも押し付けようとしていた。陸郎は僕以上に犬派で、猫を目の敵にしている。当然断られた。


 関根が捨てられないだけだと分かってしまえば、義理立てする必要は、ない。次の日粗大ゴミにして出すはずだった。猫が特別嫌いというわけではないが、十数匹の気持ち悪い猫の置物と同居するほど、猫が好きなわけではない。だから昨日の夜、部屋の中にある猫達を一匹ずつ、家から追放したのだ。


 膝まで高さのある招き猫は、見かけ通り、結構重たい。家の門に全ての猫を立てかけるようにして設置するのに、たっぷり二十分はかかってしまう。だけど全てが終わったあと、夕日を背に、僕は清々しい気持ちで立っていた。教室の外に立たされているような猫達が、ちょっと微笑ましく見えたのは記憶に新しい。

 教室に入れてやる気は、毛頭ない。


  意気揚々と、家の中に引き上げた。




 …確かに家から追い出したはず。

 まだうるさい目覚ましを右手のチョップで叩き潰す。目覚ましは、僕の一番嫌いな音、バイクの音にセットされていた。

 威勢のいい爆音を二つと、弱々しいエンジン音を一つ残して、目覚ましはそれきり、動かなくなった。



 陸郎の仕業だ。


 僕はそもそも目覚ましを持っていない。起きたい時間には起きられるし、睡眠を邪魔されるのは、朝食を無理やり詰め込むのと、同じくらい嫌いだ。それに、昔は恋人もいたけど、今、この家に住んでいるのは、僕と陸郎と白樹だけなのだ。だから当然、こんないたずらを実行し得るのは、陸郎しかいない。


 上体を起こしたまま、周囲の猫を、うんざりしながら見回す。


 粗大ゴミの回収は、六時に行われる。朝から重労働になりそうだ、と僕は壊れた目覚ましを手に立ち上がった。








 陸郎は七時を過ぎて、ようやく階下に姿を現した。いつもより一時間多く眠っていたせいか、顔色がいい。

 彼女はひどい寝癖持ちで、常に頭のどこかが、とんがっている。朝は特にひどい髪型をしているから、僕はこれを「寝癖」と呼んでいるのだが、ひょっとしたら彼女独特のヘアスタイルなのかもしれない。

 陸郎は跳ねた髪を押さえようともしないで、眠そうに僕の向かいに座った。手を伸ばし、自分の席の反対側にある皿から、よく焼けたパンを取ると、何も付けずに耳をかじる。もちろん僕のトーストだ。


 寝起きの女性ほど、男性の幻想を粉々にぶち壊す存在はない。


 しかし僕は表情に出すほど、女性に対して幻想を持っているわけじゃない。

 二年間ともに生活すると、嫌でも互いの良いところや悪いところが見えてしまう。比率で言えば1:9ぐらいで、殆どが悪い部分だけど。


「おはよう、陸郎。」


 僕がそう言うと彼女は、朝でよく動かない顔の筋肉を全部使って、嫌そうな表情をつくった。

 3年前に出会った時から下の名前で呼んでいるのだから、いい加減慣れても良さそうなものだが、彼女は今だ「陸郎」と呼ばれることに、抵抗があるようだった。

 かと言って彼女が、ファーストネームで呼び合うことに抵抗を感じているかというと、そうでもなく、僕のことは、普通に呼び捨てにしている。


 聞けば「陸郎」という、男のような名前自体が嫌いなのだそうだ。

 確かに、初めて彼女の名前を聞いたとき、僕は単純に男性を想像していた。後で心底驚いたから、よく覚えている。


 もちろん今となっては、僕の中の彼女は陸郎だし、陸郎以外の名前なんて考えることもできない。

 …と、一年ほど昔、陸郎にそう言ったら、やっぱり嫌な顔をされた。


 よっぽど名前で辛い思いをしたのだろう。


 別に下心は無いけど、知り合いとは出来るだけファーストネームで呼び合いたい僕にとって、彼女の抱える問題は結構大きい。いつだったか、中学以来の友人、喜八(きはち)と、仕事で後輩に当たる小町(こまち)に、相談したことがある。


 結論から言うと、小町の話はあくびが出るほど参考になり、喜八には途中で帰ってもらった。


 ただ話が長いだけの小町はともかく、自分の名前を「キバ」と読ませようとする喜八には、何故「陸郎」では駄目なのか、最後まで理解できなかったのだから、しょうがない。もっとも、さっさと帰せた分、喜八の方がマシだったのかもしれないが。




「ねぇ。」

 不意に、陸郎が口を開いた。ついでに一口、パンをかじる。

 トーストを咀嚼しながら喋るのは、僕が見つけた陸郎の特殊な能力の一つだ。

「私の目覚まし知らない?三時ごろにセットしておいたハズなんだけど…」


 ……そろそろ来ると思っていた。


「ごめん、壊しちゃった。」

 僕は出来るだけ卑屈に、両手を合わせて答えた。チラリと、上目で陸郎を見る。


「そう。」

 陸郎は怒るふうでもなく、ひとつ頷いてからまた一口、パンを口に運んだ。


 彼女は感情に乏しいわけじゃない。

 怒るときは怒るし、笑うときは笑う。ただ、それを他人に見せるのが嫌いなだけだ。

 事実、彼女は隠そうとしているが、少しにやけているのが、正面からだとよくわかる。

 昨夜何があったのかを想像しているのだろう。


 白樹が起きるのをただ待っているのも癪だ。一泡吹かせてやろう、と、僕は陸郎のほうへ体を乗り出した。


「あの猫重かっただろ?」

「まぁまぁね。あなたが苦労していたほど時間はかからなかったわ。」


 ボロを出させるつもりが、男としてのプライドを引き裂かれた。二階からあの猫達を下ろすのにかかった労力を考えると、だんだん殺意が湧いてくる。




 …やっぱり白樹を待とう。






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