丑の章 コル
「・・・・・・!!」
言いようのない恐怖心が俺を襲う。
何なんだ、こいつから感じる底はかとない"異質"なものは。
雰囲気だけでもタダモノではない事は確かだが。
俺がジロジロと視線をやっていると、その吸血鬼風の男はあからさまに気怠そうに鼻を鳴らした。
「ふん……新しい住人がようやく目を覚ましたようだな。まあ、俺には然る程に関係の無い話だが」
その視線は俺では無くコハルさんに向いているが、明らかに俺の事を示していた。
見た目通り感じの悪い奴だな。
年齢は少なくとも俺の一回り以上は上の筈だが、これ程までに"大人気ない"という言葉が似合う人物も珍しい。
そんな事を考えていると、ちびっ子のノアは意外な反応だった。
「あ、おじさーん久しぶりー!」
「おおーノアよ、元気だったか。またいい女になったな。そこの恐いネーチャンに虐められてないか?」
「えへへー大丈夫!コハル、怒るとこわいけど優しいもんっ」
この男に頭を撫でられ、無邪気な微笑みで喜んでいる様子のノア。
一体どういう関係なのか......遠い親戚か何かなのか......?
「ジン、もう少しモノの言い方に気を付けなさい。もう日も暮れると言うのに、淑女の住処に夜這いだなんて悪趣味だと思わない?」
コハルさんはかなり不機嫌そうに言葉を返した。
何と言うか、この"ジン"と呼ばれる男に対しての態度が俺へ向けられているものと随分違っていて驚きだ。
コハルさん、ノアの言う通り怒ると結構こわいのかも......是非とも仲良くしておきたいものだ。
「おいおい冗談は止してくれ。俺はお前を選ぶ程悪趣味ではないものでな」
「そう。失礼な事を言うものね」
うーん、何だかこの2人、双方言い合ってるけれど、めちゃくちゃ仲が悪そうにも見えない奇妙な感じがするな。
もしかしてこんなやりとりがこの人達の挨拶代わりみたいなモンなのか?
俺が色々な考察を加える中、彼は来訪の意図を話し始めた。
「俺がわざわざ"フェーメル"まで足を運んだのは他でもない。1つはノアの様子を見に来た事。そしてもう1つは───」
すう、と息を飲み、ドリップしたコーヒーの一滴がカップに落ちるくらいの間を取った後
「───明日、"例の件"を頼む」
と、全く変わらない無表情のまま発言を終えた。
「なになにー?コハルぅ、デートデートー?」
キャーキャーと両手を頬に添えながら騒ぐノア。
一体今のシリアスな雰囲気からどこの頭のネジを抜けばそのような発想になるのか、最早疑問を通り越して非常に興味深いね。
"空気読めない世界選手権"なんてのがこの世の何処かで開催されているとしたら、俺は真っ先にコイツを斡旋してやるところだ。
コハルさんはジンと呼ばれるその男の依頼を予め予測していたかのように
「はあ...分かったわ。貴方は毎回時間にルーズだから。そろそろ寝坊しない癖をつけて頂戴ね」
と素っ気なく返した。
「そーだよおじさん!れでぃを待たせる男はサイテーだからねっ」
便乗してノアがそう言うと、彼はほんの少しだけ微苦笑し、ドアの向こうへと消えていった。
「またねーおじさんっ」
閉ざされた扉に視線を向けるノアは、ヤケに満足そうな顔をしていた。
呆然と立つ俺にコハルさんは
「ごめんねイっくん...あんな男だけれど、根は悪い人じゃないの。あまり気にしないでね」
と気遣いの声を掛けてくれた。
「ああ、いえ。それは大丈夫です」
そうとしか返事のしようがない俺は簡単に返した。
他に聞きたい事が山程出来たが、次に玄関のドアがコハルさんの手によって開け放たれた時、そんな疑問なんてどうだっていいくらいに俺は驚く光景を目にする。
「──────なんじゃこりゃ!?デカッ!!???」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事か。
いや、何が凄いって。
普通の民家みたいな玄関のドアを開けたらいきなり巨大な"城"が目に飛び込んできたのだ。
「ふふ。新しい事ばかりで驚く事も多いでしょうけれど、順に説明するわね」
とりあえず私について来て頂戴、とコハルさんは続ける。
「先ず、目の前に見えているのが"イーリス城"。この世界を統治する組織や様々な学説を唱える学者さん達が住んでいるの」
「なるほど...統治って事は、やっぱり何か悪さをすると罰せられる法律みたいなのが存在しているって事ですかね」
俺がそう尋ねると、まるで直前に見た夢を思い出せない時のような複雑な表情で
「そうね...存在しているわ。この"城壁の中"ではね」
───と、そう答えた。
「城壁......?」
そう言うや否や、俺は何かを察し振り返る。
其処には今出てきたばかりのコハル家が目に映り込むだろうと確信していたが、実際に映し出された光景は全く異なるものだった。
「なるほど...そういう事でしたか」
俺は何となく理解した。
今俺の目の前には、高さ20メートル程の大きな城壁がある。
その城壁の至る所に扉と窓が埋め込んであった。
中に居る時は全く気が付かなかったのだが、どうやらここらの住人さん達は皆、この城壁を家に改築して住んでいるらしかった。
俺が寝ていた部屋は玄関から見て真逆の奥の方にあったので、窓から広大な草原が見えた事にも納得がいく。
おおよそ身の回りの構造を理解したものの、しかし先程の彼女の発言で引っかかる部分があった俺は再び口を開いた。
「ところでコハルさん。先程のご説明ですと、この城壁の中だけに法律が適用されているみたいな感じにとれますよね」
スッと長い髪の毛を掻き分ける彼女からは、仄かにシャンプーの良い匂いがした。
夕焼けに染められた彼女の姿は何処か妖艶で、改めてこの人は美人なのだと認識した瞬間でもあった。
「ええ、その通りなの。つまり、この城壁の外側は───」
「───むほーちたいって事だよ、イッカ!」
コハルさんの台詞を奪うようにノアがドヤ顔で被せてきた。
無法地帯だなんて、そんな無邪気な顔して妙な言葉を言うのは止せ、ノア。
補足するようにコハルさんは続ける。
「とは言え、城壁の外側に出る者は限られているから。外側だから犯罪が起きやすいというよりは───」
少しだけ、先頭を歩くコハルさんの速度が落ちた。
「───そこで何が起きても、誰も助けてはくれない...と言った方が正しいかしら」
彼女の表情は真剣そのものだった。
恐らく冗談ではなく、本当に城壁の外側は危険という事なのであろう。
"何が起きても"と言うのは最早聞くまでもない。
あの"モルス"とかいう薄気味悪いバケモノの事に違いない。
何を間違えてもふらふらと1人で外に出ないように気を付けようと心に決めた瞬間だった。
「とりあえず、モルスは陽が沈むと現れなくなるから、ちょっとだけ外に出てみましょう。改めて見せたいものがあるの」
「うう...お外、嫌だなぁ...」
そう言ってキュッと俺の手を握りしめるノア。
彼女には悪いが、俺も少し気になるのでコハルさんの提案に黙って首肯する。
それから外側へ出る為の門へ向かうまでの間、俺は色々な事を教えてもらった。
イーリス城を中心に東西南北計8ヶ所で地区が分かれているらしく、俺が居候させてもらうコハル家が位置するのは南西地区・フェーメルという場所らしい。
この地区だけでも推定するにJR山手線一周分くらいの広さはありそうで、ファタ・モルガナとやらがいかに広大であるかを考えると恐ろしくなるレベルであった。
城壁とイーリス城の間は緑豊かで、牧場や露店の集まり───日本でいう所の商店街のようなもの───等もあった。
牛や馬などが飼育されているので、確かに地球と恐ろしく環境が似ている様子が窺えた。
というより、此処が地球じゃないのだとしたら一体何処の惑星なのか知りたい所だがな。
また意外と言うべきか、ここモルガナにもMDと呼ばれる通貨が存在するらしい。
生活に必要なものはMDによって購入出来るそうなのだが、そうするとコハルさんはどのようにMDを稼いでいるのか尋ねたところ
「またそのうち説明するわね」
と今回の所は教えて貰えなかった。
ただ詳しくは分からないが、ノアや俺が居候していても食いっ逸れる事が無いくらいには稼いでいるらしい...これはこっそりノアが耳打ちしてきた内容なので信頼に足るとは言い難いが。
「着いたわよ」
コハルさんに案内されてやってきたのは、これまた大きな鉄の門が閉ざされた場所であった。
彼女は側に立っている門番的な人にカードのようなものを見せると、その人は深くお辞儀をした後、重たい扉が開かれた。
「うん......大丈夫そうね」
先程と同じようにモルスの気配を確認したコハルさんは、俺とノアを門の外から手招きした。
少しだけ、ノアが俺の手を握る力が強くなる。
「...大丈夫だノア。行こう」
ノアの歳上としてカッコ悪い所を見せられないと思った俺は、ガラにもなくそんな事を言ってやった。
ただ、内心俺も怖かった。
朝目覚めて視界に入った"ソイツ"の恐ろしさは常軌を逸していた。
「ねえイっくん。私の指差す方を見てみて」
「はい......?」
俺は言われるがままに、彼女の白く、細い指先が示す先に視線を集中させて。
「あっ...さっきみた蜃気楼みたいなのが見えますね」
さらに観察を続けると、その蜃気楼に浮かぶ建物の形状が少しずつ浮かび上がる。
「ん......あの建物、どこかで......」
とてつもない"既視感"だった。
グニャリと歪んだ建物は、まるで何かの城のようにも見える。
城......??
「ふふ。気が付いたかしら」
彼女の呟きを余所に、俺は振り返りイーリス城を眺める。
遥か先の蜃気楼に映る城は、何となくこのイーリス城に似ている気がした。
「此処と同じ城が向こうにあるような気がします...これはどういう事なんですか?」
俺が尋ねると、少々の間を置いた後、彼女は答えた。
「恐らくだけれど。彼処に映っているのはまさにこのイーリス城である可能性が高いの。つまり───」
一体どこから取り出したのか、いつの間にかメモ用紙のようなものとペンを手に持つ彼女は簡単な図解をしてくれた。
「───結局この世界、ファタ・モルガナはイーリス城を中心に創られていて」
──────ゴクン。
何故かは分からないが、妙に緊張してきた俺は固唾を飲む。
「いくら先に進んでも、結局はこの場所に戻ってきてしまう...というのが、今一番有力な解説らしいわ」
いやなんと、これは参ったな。
そもそも朝起きて全く別世界に居たのだから今更驚くこともない、と言えば正論なのかも知れんが。
しかし、それにしたってそんな超常現象みたいな事が現実で起こり得るとは俺の脳ミソの範疇では到底処理しきれんぞ。
いや、そもそも今俺がいる"この世界"は現実なのか?夢なんじゃないのか?
突然そんな事を思い始めるものの、普段あまり夢をみない上に、みたところで内容の薄いものばかりであったため、これが夢だという可能性も希薄だ。
これ以上深く考えたくなかったらしい俺は
「そうなんですね」
と素っ気ない返事を返し、残る疑問はとりあえず胸の内に仕舞うことにした。
「今日はこのくらいにしておきましょう。ノア、あなたは戻ってお夕飯の下ごしらえをお願いね」
「はあい」
よほど外に居るのが嫌なのか、彼女はコハルさんの言葉を聞くや否や、そそくさと1人で門の中へ溶けて行ってしまった。
それから俺は、コハルさんの夕飯の買い出しに付き添う事になった。
この世界に来る前は何をしていたか、どんな趣味だったとか、当たり障りの無い世間話をしていたが、どうしてももう一つだけ聞きたい事を思い出した俺は、唐突に話題を切り替えた。
「そう言えば...ファタ・モルガナは"悲しい運命"を背負った場所だと仰ってましたけれど。それってどういう意味なんでしょうか...?」
言うと彼女からにこやかな笑顔が消え、真剣な眼差しで俺を見据えた。
「何度か声に出していたから、イっくんも気になっていたのでしょうけれど。私達にはね、"コル"と呼ばれている魂みたいなものが宿っているの」
「ああ、確かにコルって言葉には聞き覚えがあります。俺にもあるんですよね、それ」
「そう。最も、コルを可視化するにはちょっと経験が必要だけれど、いずれ貴方も視えるようになるわ」
果たして魂なんか視えて得するものなのかどうかは分からんが、ホラー耐性の無い俺にとって傍迷惑な話じゃないだろうな。
もしそうだとしたら、俺は今すぐにでもサンタクロースに日本への帰省切符を乞うね。それも速達でな。
「あら、今日は品揃えが良いわね」
この世界にも鶏の卵があるんだな...なんて関心している場合ではないが、露店に並べられた卵を真剣に選別する彼女はまさに良妻賢母と呼ぶに相応しく見えた。
多分あの家には他にノアしか居ないから、仮に恋人は居たとしても独身ではあるんだろうが。
一体どんな白馬の王子様が彼女と結婚するのか少々気になるところではあるな。
最も、この世界で結婚の概念自体が存在しているのかどうかも定かではないのだが。
「それでね。ここからが大事なんだけれど」
一体何を基準に選定したかはさっぱり分からんが、満足そうに卵を6個購入した彼女は続ける。
「万が一コルを失ってしまうと、"死"よりも恐ろしい結末になってしまうのよ」
──────トクン。
もう何度目の事だろうか、この心臓を穿たれるような強烈な感覚は。
どう転んでも彼女はこれから恐ろしい事を言うに決まっている。
それがセンサーとして反応した為か、俺の脈動は確実に速まっていた。
「それは一体...何が起きるんですか?」
恐る恐る質問すると、彼女は購入した卵のうち最後の一玉を空に掲げ───
「こういう事よ」
───そっと、買い物袋の中へ仕舞い込んだ。
「すみません、よく分かりません」
俺は某スマートフォンのバーチャルアシスタント自動音声よろしく、無機質な声で返事をした。
「ふふ。これだけじゃ分からないか」
クスクスと笑う彼女は、決して悪意があるものではなかった。
それだけ人の良さという奴がにじみ出ている証であろう。
「ほんの数秒前、確かに私の手の中には卵があった。でもね、こうすると卵自体、手の中には存在しない事になるでしょう?」
「ええ、確かにそうですね」
「それと一緒でね。私達がコルを失うと、死ぬのではなく、存在そのものが消えてしまうの」
「存在...そのもの...?」
何だか分からんが、末恐ろしい話である事は、無垢な心で簡単に虫を殺めてしまう子供程度でも理解するに足る内容だった。
「そう。もっと言えば──────」
彼女はピタリと立ち止まり、確かにこう言った。
「──────最初からこの世界に存在していなかった事になるのよ」
──────・・・
───・・・
......
それから俺たちは帰宅し、気が付けばそこそこの時間が経っていたらしく、待ちぼうけを喰らってふてくされていたノアを宥めるのに苦戦した事は覚えている。
後の事はせいぜい熱々の一番風呂を頂いた事くらいで、とてつもなく美味しかった筈の夕食のメニューさえ回顧出来ないうちに、気が付けばベッドに倒れ込んでいた。
──────そう言えば、これがこの世界で初めての就寝となる。
もしかすると、明日目を覚ましたら、また元の日常生活に戻っているという事は考えられないだろうか。
元の世界に退屈していた事も確かだが、今の気持ちとしては、もちろん戻れるなら本望だ。
──────これが夢でありますように。
薄れゆく意識の中でそんな事を願いつつ、俺はいつの間にか深い眠りに就いていた──────
【次回:寅の章 好奇心】




