子の章 吸血鬼
「…ふぅ」
コハルさんが食後の紅茶を用意してくれた。
これがまた、絶妙にうまい。
「──────私はコハル・エッフェンベルガー。あなたの名前は?」
事前告知無しの、突然の自己紹介タイムだった。
どうにかして、当たり障りのない程度に話す内容を纏める。
「室伏一家です。こっちに来る前は、フツーの大学生でしたよ」
「へぇーカズヤっていうんだ!」
俺の名を聞いた途端、ノアが興味津津にテーブル越しから身を乗り出してきた。
「こら、ノア。お行儀悪いでしょ」
コハルさんの忠告等には聞く耳も持たず、彼女は続けた。
「カズヤ、やっぱりニッポンの人なんだね!」
「ああ…そうだけど。ていうか、逆にノアとコハルさんは、元々日本人じゃないの?」
よ~く2人の顔を見てみると、確かに、なんとなく外国人っぽい顔に見えなくもなかった。
俺の質問に、今度はコハルさんが答えた。
「ええ。私は元々モナコ出身で、ノアはパレスチナ出身なの」
「そー!ノアはね、パレスチナ生まれのパレスチナ育ちなんだよ!よろしくね~っ」
「よろしく、ノア。へぇ…2人とも、全然違う国の人だったんですね」
そう言いながらも、パレスチナってどこだったっけ、と必死で地理を思い出す。
確か、東の方にある国だった気はするけども。
それはそうと、一番気になる点があった。
「いやでも、2人とも日本語話してますよね?」
「…ふふ」
俺がそう訊くと、コハルさんは静かに笑った。
「それがね、この世界の不思議なところで」
コトン、と飲みかけの紅茶をティーカップに戻した。
「私たちはこの世界で、元の国の言語を話しているの」
「え…?」
いや、普通に日本語話してんじゃん。
わけがわからないよ。
「でもね。相手には、相手が知っている言語で伝わっているのよ」
「ええ!?」
あまりのトンデモ設定に、思わず紅茶をこぼすところだった。
「つまりその…この世界が、勝手に翻訳してくれてるってことですか…?」
「…ま、カンタンに言えばそういうことだよねー!」
まるで自分が全て説明したかのように、ノアがいいとこ取りで最後を締めた。
「ふふ。でも、流石に文字までは翻訳されないの。だから、ノアに書置きをする時は、英語で書くしかないのよ」
クスクスと、上品に彼女は笑った。
そりゃあまあ、字を書いた瞬間にキラキラキラ~って相手の出身国の文字に変わったら驚くけど。
そんなことを思っていると、ノアが突然声を上げた。
「そーだカズヤ!ニッポンの人なら、アレ書けるんでしょ、アレ!」
「ん…あれ??」
指示代名詞だけでは、何のことを言ってるのかさっぱりわからないのだが…。
「"漢字"のことでしょ、ノア」
さすがはお姉さん、ノアの言いたいことをざっくりと当てた。
「そーそれ!ノアね、カンジなら、ちょっとは読めるんだよ!」
「へぇ…どうしてまた?」
「すごーくニッポンマニアなオジサンがいてね、その人から教わったんだ~」
日本マニアって…まあ、確かに最近、地元でもやたらと外国人観光客を見るなあとは思ったけど。
まさか異世界まで日本ブームが起きてるってのか?
「まあじゃあそうだな。コハルさん、紙とペン、ありますか?」
「ええ、今用意するわ」
彼女はそう言うと、時代を感じさせる羽ペンと、和紙のような、落書きするにはちょっと勿体ないくらいの上質そうな紙を用意してくれた。
「うわーすげぇ立派ですね。いいんですか、こんな紙使っちゃって」
「構わないわ。この世界で作られている、ごく普通の汎用紙よ」
ほう…日本で言う、A4のコピー用紙的な扱いなのかね。
そう言えば、この家だけでは判断し切れないが、電子機器というか、電気を使うもの自体が一切見当たらない。
もしかすると、この世界には、電気なんて無いのかもしれないな…。
「それじゃ、俺の名前でも書きますか」
そう言いながら、普段よりもやや丁寧な字で、しっかりとした楷書を意識しながら漢字でフルネームを書いた。
「あれぇ、これで"カズヤ"って読むの?」
ノアは苗字ではなく、名前の"一家"という文字に注目していた。
「ああ。名前で使う漢数字の一は、"カズ"ってよむ場合が多いんだよ」
「へぇー!でも、これそのまま読んだら"イッカ"だよね」
「うっ…それは言わないでくれ、ノア。子供のころ、割とそう呼ばれてからかわれてたんだ」
「ええーなんでー?嫌なの?神様とおんなじなのにぃ!」
「ん…神様?」
一体、どういうことなんだろう。
何を言っているか理解出来ない俺を察してくれたのか、コハルさんが補足した。
「この世界にはね、守り神って言われている神様がいてね」
「へぇ…そういう神々(こうごう)しい存在は、こっちの世界でもあるんですねぇ」
「ええ。それで、その守り神は、多くの人からこう呼ばれているの」
すらすらすら、と。
非常に慣れた手つきで、彼女は英語の筆記体を紙に書いた。
かなりの崩し字のため、読めるまでにやや時間がかかったが、そこにはこう書かれていた。
──────"Yicca"
「イッカ…?」
俺は自然と、その名を口にしていた。
「そー!イッカっていうんだよ、その神様」
ノアが鼻を鳴らしながら、これまた自分が説明したかのように威張った。
「だからさカズヤ、ノアはカズヤのこと、イッカって呼ぶから!」
「いやいやいやいや、"だから"の意味がわかんねーし!?」
「よろしくね~イッカ♪」
「くっ…」
こうなればもう、逆らう術はない。
俺は久しく呼ばれていなかったその"あだ名"で、これからずっと呼ばれるのである。
「コハルさん!コハルさんは俺の事──────」
「──────イっくん、かな」
「……え」
『普通にカズヤって呼んでくれるんですよね?』と言おうとしていた俺の言葉を、彼女は一瞬で遮った。
「だああからなんでそうなるんスかねぇ!?俺はカズヤって呼んでもらいたいんですけど!??」
「いいじゃない。神様と同じ名前なんて、すごく素敵よ♪」
ニコニコと、女2人は笑っていた。
いや、たぶん、からかってるとかじゃなくて、割と本気で言ってるんだとは思うけど…。
「まぁ…じゃあ、それでいいです。これから、よろしくお願いします」
俺は完全に折れていた。
いや、考えても見ろ。女の子2人相手に、口で敵うわけがない。
俺が"イッカ"と呼ばれるのは、最初から決まっていた未来だったんだ…。
…まぁ、別にイッカ。
「あれ…ノア、なんか急に肌寒くなってきた」
「おかしいわねぇ…今日はお外、暖かいはずなのに…」
ものすごくのどかな天気だというのに、何故か寒気を訴える彼女たち。
やかましいわい!あんたらに洒落など通用しないことくらい承知じゃ!!
「はぁ」
とにかく、俺は嘆息を漏らした。
流れ的に、この世界に居る間は、コハルさんに世話になるっぽいけど。
本当に、彼女達と過ごしていく上で、俺の精神は持つのだろうか…。
とりあえず、まだまだ気になることがあったので、再び質問を切り出した。
「ノアもコハルさんも、ここはどこか全然分からないって言ってたじゃないですか。だったら、他に、この世界について詳しい人っているんですか?」
「うーん、難しい所ね。もちろん、色々な説を訴えているお偉いさんもたくさんいらっしゃるけど。それでも、"これが確実"なんて結論を出せた人は、1人も居ないわ」
やはり、と言うべきなのか。
きっと、ここに居る人たちはみんな、俺と同じように、知らない間につれてこられてたんだよな。
「…最も、この世界について知ろうなんて、地球上に居た頃の私たちが、宇宙の仕組みを解明しようとするのと同じじゃないかしら」
なんとなく呆れたように、コハルさんは笑う。
「ノアはねー!ここはきっと、ウチューの外側にあると思うの!」
コハルさんの隣のちびっ子が、いきなりド級の立論を繰り出した。
「いやぁまさか、それはないだろう」
嘲笑するように、俺はノアの考えを否定する。
「──────いえ」
おもむろに口を開いたコハルさんは、てっきりノアを小馬鹿にするのかと思いきや、意外にも彼女はその意見に肯定的に続けた。
「ノアの考えも、一理あるのよ」
「え、マジですか…?」
驚く俺を尻目に、彼女は続ける。
「ここ"ファタ・モルガナ"は、地球と環境がすごく似ているの。もちろん、地球上であって、そこから"確立"された別世界だっていう意見もあるのだけれど」
──────ゴクリ。
俺は、飲みかけていた紅茶を一気に飲み干した。
「宇宙の外側にある…というよりは、地球よりも、遥か遠くに位置した場所にここがあると考えれば、大方の説明はつくわ」
「なんか…とんでもなくスケールのでかい話ですね。頭が痛くなってきた」
「そんなに難しいことじゃないのよ。ところでイっくんは、宇宙の外側に行くと、どうなるか知っている?」
「いえ…それは。宇宙のことなんて、幼稚園児のころに興味持った位ですから」
「ええー!ノアは、今でもキョーミしんっしんなのにぃ~」
キラキラキラっと、少女マンガに出てくる女の子の目みたいに、ノアは瞳を輝かせた。
「まぁ、それはそれでいいんじゃないか?夢があって、いいと思うぞ」
俺は、そんな彼女の気を悪くしないよう、そのような言葉を投げつけておいた。
案の定、彼女は『うへへ~』と、嬉しそうに妄想ワールドを展開していた。
一体、今彼女の脳内では、どんな宇宙空間が広がっているのだろうか。
ほんの少しだけ気になった。
コハルさんは軽く咳払いをし、話を進めた。
「これも、確実な説ではないけれど。宇宙の外側に向かっていくとね、いつかは必ず、元の場所へ戻ってくるって言われているの」
「へぇ…不思議なもんですね、それは」
「まあ、そうね…正確に言えば、外側という概念自体が、宇宙には存在しない、という方が正しいのかしら」
今更だが、コハルさんって、思いのほかに知的な人だった。
まだギリギリ、彼女の言わんとしていることは理解できるが。
あと少しでも、専門的な用語を織り交ぜられた瞬間に、俺は一気に置いていかれてしまうだろう。
そんなことを考えていると、彼女は突然、窓の方を指差した。
「イっくん、ちょっと外を見て」
「え?あ、はい」
言われるがままに、俺は外を眺めた。
今朝見た時と同じように、果てしない大草原が、永遠と続いていた。
「何か、分かったかしら?」
すごく小さな声で、囁くように、彼女はそう尋ねた。
「いえ…分かることと言えば、すげー大草原が広がっているってことくらいですかね」
「うん。もうちょっと、地平線のギリギリの所に注目して見てもらえる?」
「はい………あ」
そう言われて、じ~っと地平線ギリギリのところをまじまじと見つめていると、俺は"何か"を発見した。
「……蜃気楼?」
自然と、俺の口がそう呟いていた。
本当にぼんやりと、ではあるが。
地平線の彼方に、ぐにゃりと歪んだ、巨大な建物のようなものが見えた。
「ふふ、見えたみたいね。それじゃあ今度は、こっちに来てもらえるかしら」
彼女はそう言うと、廊下へと続く扉のほうを指差した。
「あ、そっか。イッカにはまだ、見せてないんだもんね」
「んー?それは一体なんのことなんだ、ノア」
「へへーん!見たらわかるよ~ん」
何やら、とても意味深な発言をする彼女。
一体、この後に何が待ってるっていうんだ…。
俺は今朝見た"ヒトガタ"でさえチビりそうになったんだぞ。
頼むから、あれ以上に怖いものは、見せないでくれよコハルさん。
「こっちよ」
コハルさんは、俺を廊下のほうへと誘導した。
10メートル程の廊下の先には、玄関らしき所が見えた。
しかし、そこへ向かうのではなく、コハルさんは、その中間地点で足を止めた。
「あれ、どうしてここでとまるんです?」
「──────しっ」
彼女は人差し指を口元に当て、黙るように指示をした。
血相が変わっていた。
まるで、次に口を開いたら、世界が破滅してしまうかのような、そんな緊迫した空気が流れた。
『ヴヴヴッヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!!!!!!!!!!!!!』
──────!?
表現が出来ない。
それほどまでに不気味で、気色の悪い重低音が、廊下を挟んで"すぐそこ"から聞こえた。
それから1分ほど経って、ようやく辺りはしずまった。
ちらりとノアのほうを見ると、身体をプルプルと震わせていた。
そりゃあ無理もない、俺ですら、今のは相当にビビった。
「──────コハルゥ!」
ガシッと。
ノアはコハルさんに飛びついた。
羨ましい、俺も出来ればそうしたい気分だよ…。
「もう大丈夫よノア。怖かったわね」
「うん…うん…」
めそめそと、コハルさんに抱きつきながらノアは泣いていた。
なんだかんだで、やっぱり子供なんだなあと、自分もビビってたクセにそんなことを思う。
「コハルさん…今のは?」
聞かずにはいられなかった。
そして、聞かなければならないと思った。
「さっき外を見た時は居なかったけれど…今のは、モルガナの外に出没する"モルス"の呻き声よ」
「モルス…?」
「説明すると長くなるから、今は割愛するけれど。とにかく、あまり近寄らない方がいいわ」
彼女の言葉には、表現し切れないほどの重みがあった。
「──────下手をすれば、あなたの"コル"も、そいつに奪われてしまうのよ」
──────トクン。
また、あの痛みが、胸に走る。
彼女たちの言う"コル"というものが何かわからないが。
それでも、それを奪われるというのは、とてつもなくヤバいということだけはなんとなく察した。
「今朝…ノアが部屋に来る前に、外を見てたんです。そしたら、急に真っ黒な人形みたいなやつが居て…」
「うぅ…モルスは嫌ぁ…」
ノアはただ、"モルス"というバケモノを怖がっていた。
「もしかして、そいつがコハルさんの言う"モルス"ってやつですかね?」
「ええ…恐らく、間違いないわ。モルスは基本的に黒くて、赤い大きな瞳を持っているの。見た目はまさしく"死神"ね」
死神…聞くだけで身震いするような、そんな響きだ。
「でも、もう日も沈む頃だし、モルスも現れないはずよ。外へ出てみましょう」
コハルさんがそう言うと、ノアが全力で抗議した。
「ええー!?お外嫌ぁ!!やめようよコハルぅ…」
そりゃあ、このビビり具合だもんな…モルスが居る可能性のある外なんて、出たくない気持ちもわかるが。
「それじゃあ、私はイっくんと2人で出るから、ノアはリビングに戻ってなさい?」
「うぅ…それも嫌ぁ…」
…結局、お姉さんに言い負かされたノアは、渋々と外へ同行することになった。
なんか、結構可愛いとこあるんだな、ノアも。
「…うん!大丈夫、モルスのコルは感じられないわ。行きましょう」
コハルさんがそう言って、玄関の扉のドアノブへ手を差し掛けたその時。
──────ガチャン。
独りでに、ドアノブが回った。
「──────!?」
一瞬にして、玄関の空気が凍りついた。
"ギィィィィィイイイイ"
古く、年季の入った扉が開く音と共に、真っ赤な夕焼けの光が玄関に差しこんだ。
「──────よぉ」
半分ほど開いた扉からその姿を覗かせている"そいつ"は、日差しの逆光でシルエットしか確認できない。
──────しかし。
"そいつ"が身に付けている巨大な鎌。
コハルさんよりも長い、ダラリとした髪。
真っ赤な光に照らされた"そいつ"は──────
──────吸血鬼。
……そう呼ぶに相応しい男だった。
【次回:丑の章 コル】




