海軍の思惑
どうしても、
どうしても成功させねば、
一部の若い血気盛んな海軍士官たちはそう思った、
米国発案の「五五三艦隊案」を実践すると、日本は窮地に叩き落されるからだ、
ただでさえ少数精鋭な日本海軍は、できるだけ同じ比率になるように模索を続けた、
そして、一人の人物にたどり着く、
『石原莞爾』大尉、陸軍大学兵学教官である、
在学時代では誰も彼を論破できず、しまいには教授ですら彼を論破できなかったほどの奇才である、
後の満州事変に加担し成功させる、首謀者でもあった、
しかしその彼は今、陸軍大学兵学教官をやっているのだ、
これはチャンスだと思った彼らは直接彼の元に訴えに行く、
最初はそれこそ戦艦なんて時代遅れだのうだうだ言っていた彼だったが、
次第に彼らの情熱に参ってしまい、海軍の会議であるはずのワシントン会議に出席、
彼らが言うには『四四四艦隊案』をなんとしても飲み込ませることである、
おまけにこの会議には満州とモンゴルでの権利もかかっている、
陸軍の彼もこれを見捨てはしなかった、
つまり、陸軍と海軍の対等な取引でもあるのだ、
海軍は艦艇保有数、
陸軍は大陸での権利、
それぞれが欲しい物はこのテーブルにかかっていた、
そして見事に、
前半は相手がなすがままにのらせ、後半でこちらのペースに引きこみ、
そして最後に突き落としたのである、
うーん、流石は奇才...
こうして、米英の最後の抵抗は天城型の四隻中の一隻、加賀型の二隻のうち一隻を空母に改装するということで終わりを告げた、
米英は新たな戦艦を二隻造る事で何とか比率は安定した、
ワシントン条約で富士型の最後の一隻が危うく処分されるところだったが、
陸軍に譲ることで何とか回避した、
陸軍も最初は迷惑がっていたが大東亜戦争がいよいよ始まろうとすると、
改装して火力支援や通商破壊として使ったと言うが、これはまた別の話で書こう、
そして年月が流れ、
1941年12月8日、真珠湾攻撃、
この時、アメリカに対する宣戦布告が一時間二十五分ほど遅れたが心配はご無用、
天城型戦艦の愛宕の機関不調が目立ち、そして見事に宣戦布告に遅れること五十七分、
真珠湾には日本の攻撃隊が殺到した、
空母は赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の殆どを投入、
戦艦は比叡、霧島、愛宕、高雄の四隻、
南方の艦隊には金剛、榛名、土佐、天城が支援へ
ここに、
大東亜戦争の幕はきって落とされたのだ
さらに年月が流れ1942年7月、
史実では6月にはおきている筈のミッドウェー海戦が勃発、
そして、山口第五航空戦隊司令官の転機とアメリカ機動部隊の索敵の不手際で機動部隊所属の高速戦艦(巡洋戦艦)全てが損傷、
ひどくて中破、軽くて小破、
この山口司令官の転機とは、
一か八かの賭けでもあり、後に山本長官は『お、俺の方が賭けはうまい!』と言わせたほどである、山本長官本人は笑いながら話していたがそれは今は関係ない、
まず彼は南雲長官に戦艦四隻全てを前に出し囮としての役目を意見具申し、
そして、徹底的な防空対策を執る、
そして見事に囮の戦艦たちはその役目を果たしたと言える、
帰艦していくボロボロの攻撃隊のあとを追い、アメリカの機動部隊を発見、
これを撃退する事に成功、ミッドウェー作戦の達成目標の項目のひとつが埋められた、
しかしこの後のミッドウェーの空爆にてこずり戦線は一時停滞、
これを打開したのは後方の戦艦群である、国家予算がパンク寸前になりながらも運営している虎の子戦艦たちが、
たったの太平洋のゴマ粒ほどの島に何百何千何万の大口径砲弾をこれでもかと撃ち込み、
上陸部隊がこれを占拠、ミッドウェー攻略はここで終止符が打たれたのであった、
それからはハワイから飛来するアメリカの大型爆撃機による散発的な嫌がらせが延々と続くのである、
これによりハワイ攻略も計画された、
1942年11月再びハワイに日本の機動部隊が迫っていたのだ、
飛鷹型航空母艦を基盤とする角田機動部隊が南方より出撃(機密情報なので場所はいえません)
さらに南雲機動部隊も太平洋を堂々と横断する形でハワイへその舳先を向ける、
しかし、
この軍令部の燃料節約のために行われた太平洋のど真ん中を進軍する航路はこの後、
米英の連合機動部隊にある戦果をもたらすのだ、
1942年11月23日午前6:47、
突如、
瑞鶴の電探に大編隊の陰が写る、
目前にハワイを捉えての空襲である、
いきなりの空襲に空母は混乱に襲われ、
零戦を揚げる事すら間々ならずに対空戦闘へ突入した、
周りの高速戦艦達による対空砲火は熾烈であり、
このおかげで機動部隊は救われたと言っても過言ではない、
しかしそれでも赤城と加賀、翔鶴が大破、蒼龍と飛龍が中破、瑞鶴がやはり何も損傷はなし、
そして、瑞鶴による一回きりの攻撃隊が発艦、
エンタープライズ、ホーネット、イラストリアスの三隻の機動部隊を発見、
この時、特別仕様のモスキート爆撃機が南雲機動部隊に肉薄攻撃をかけていたが、
モスキート爆撃編隊のロケット弾一斉掃射は巡洋艦の片舷一斉掃射とほぼ同等であるが、
何しろ木で出来ているのだ、爆撃編隊の損傷率は8割にも上った、これも、戦艦たちの対空砲火である、
一方の瑞鶴攻撃隊はエンタープライズを大破、ホーネット撃沈、イラストリアス小破と中々の奮戦を見せるも6割の未帰還を出してしまう、
そしてそこに角田機動部隊が到着し米英の機動部隊に対して後に言う『カクタ・チャージ』を敢行する、
攻撃隊の行動半径の遥か彼方に居る米英機動部隊に攻撃隊を発進し、帰りは迎えに行くから安心しろと最大戦速でハワイ方面へ艦隊を進ませる、
そして、
ハワイ攻略は米英機動部隊壊滅で潰えたかに見えた、
残っている手持ちの艦上機が既に不足しており、撤退も余儀なくされる状況に角田は南雲から瑞鶴を無断で拝借、
第二の『カクタ・チャージ』の始まりであり、
戦艦も全て投入された、
市街戦での米英の執拗以上の抗戦により少し作戦期間が伸びてしまったが、
それでもなおハワイ攻略に成功した、
そして、
この物語の舞台はフィリピンへと移っていく...
つづく。