4幕 平家の郷
テレビ放送の4日後の土曜日の朝6時20分に2人は羽田空港にいた。かおりには一人で行くと言い張ったのだが、通用するはずもなく強引に付いて来た。
羽田発7時25分発の日本航空1431便のチェックインの時間を待っていた。
落ち着かない様子のかおりが
「私、飛行機初めてなの」
と浮かれている。
洋一は、興奮した時のいつもの調子はずれの甲高いかおりの声が、機内に響いた時の他の乗客が気の毒だなと思った。
暫くしてチェックインが始まり乗客が並ぶ最後尾に二人は立った。
運良く窓際の席とその隣の席がリザーブでき、もちろんかおりが、窓際の席のチケットを大事そうにバッグの奥にしまっている。案の定自分の番が迫ってくるとあせった様子でバッグのなかをさぐりだした。機内の中でもキョロキョロと落ち着きがなく、座席指定関係なく見晴らしの良いせきを探し始めたのは、言うまでもない。しかも、
「わたし、ここがいい」
と言い出す始末で
「こっち、こっち」と、腕をひっぱり、促してなんとか席についた。
徳島の阿波踊り空港に着いたのは8時40分。空港前でレンタカーを借りて徳島市内へ向かう。
現在では徳島自動車道があり、山城町まで1時間20分程で着けるので、徳島インターへ車を向けた時、かおりが、
「せっかくだから国道を行きましょうよ」
とハンドルをにぎる側の気持ちなど、気にもせず明るくいうのだった。
「やれやれ」
洋一は小さく呟いてハンドルを国道192号線方面に切った。
実際、徳島市から、車で国道192号線を、吉野川上流に向かって1時間50分程走り、国道32号線を高知方面に20分程走った所に山城町の阿波川口駅がある。
かおりはさっき昼食で食べたそば屋のそばが美味かった様で機嫌がいい。
そびえ立つ山々の中腹に家々が点在し、夜はその家々の明かりが目の錯覚で、まるで夜空に輝く星のように見えるのを作者も知っている。
その駅の付近から銅山川沿いに10分程走り、黒川橋と言う橋から左へ折れて、山に向かって延びる林道の様な細い道を、30分から40分程上った所に、赤谷があり、その奥が平野で、今でこそ市内から約2時間半から3時間程で着けるが、源平合戦の頃なら道も細く生死を賭けての行脚であろう事が想像出来よう。
そのため祖谷のかずら橋のような歴史的建造物が、この地に出来たのも、うなづける。
幾重にも重なった山々や巨岩がゴロゴロ転がっている風景は、この地に不慣れな人々の侵入を、長い間拒んできたであろうと想像させる。
また人ごみを嫌い静かな環境を好む人々が、移り住んだのではないだろうか。
かおりは、車の窓から上や下ばかり眺め、
時折、
「うわー」
「すごい」
「ひゃー」
などと甲高い声を出し、時々窓から顔を離して目をつむったりしている。それもそのはずで、下を見ると谷底さえ見えない程の断崖で、険しい急勾配の斜面に、まるで天空に建つ様に家が建っており、今にもそれらの家が落ちそうに見えるのだ。
めった車が通らないので、ガードレールの途切れた道路の脇に停車して、車から降りて見ると、尚一層その険しさが増し、足元から崩れるのではないかと思い、足がすくんでしまう。
横を見ると、かおりが腰を引きながら滑稽な格好で下を覗いている。まるで不安そうな小動物のような動きである。
先程から時々見える、低木の丁寧に手入れされた畑が、やはりお茶畑だというのが、停車したすぐ側の頼広の製茶工場と言う建物の看板で判った。この地域は八合霧という霧がよく発生して美味しいお茶の葉が育つと言われている。
頼広の製茶工場を後にして300メートル程行くと半田岩が見えてくる。
この地はその昔、長宗我部元親軍が、軍議を開いた場所だと言われ、また山が蓄えた豊富な水が湧き出ていて水分補給もしたと伝えられている。水車が勢いよく回っているところを見ると確かに水は豊富にあるようだ。もうしばらく行くとホタルの里の看板がありこの辺りの水の清らかさが伺える。
先程の川口駅の近くで、赤谷、平野の歴史に詳しい人で平石隆三と言う人物が住んでいるので、その人を訪ねて聞いてみては、と教えてもらった。その人物がこの辺りに住んでいるはずである。
看板の横に小径がありその先に民家が見えている。洋一は畑にいる80才くらいに見える老婆に
「すいません、ちょっとお伺いしますが、平石隆三さんのお宅はどちらでしょうか?」
老婆は、腰を伸ばしながら
「ほれ、その向こうのカーブのさきに行けば左に見えてくるけん」
と指差した。
「どうも、ありがとうございました。」
洋一がそう言った後で、かおりが
「ありがとう」と付け足した。
200メートル程進むと橋を隔てて川向うにその家はあった。
車を降りて歩きかけたそのとき橋の下から竿先が見えて50代半ばの頭の禿げ上がったガッチリした体格の男が上がって来た。
「あのー、この辺りに平石隆三さんと言うお方は、居られますか?」
と訪ねると
「わしやけど、なんぞ」
と少しぶっきらぼうな返事が返って来た。
洋一が川口駅での話をすると
「ああぁ徳島からきたんか?さっき電話があって話はきいとる」と笑顔を見せると隆三は、
「ほんで、なんぞ」
と聞いて来た。洋一は、
「この赤谷、平野地区の歴史に詳しいと伺って来たのですが。」
「何が知りたい?」
川に浸けてあった魚籠を川から揚げて斜面を上がって来た。
上がりきるのを待って、
「実はこの地域の石碑について聞きたいのですが。」
「石碑?石碑なら天照大神様を祀る石碑が、近くにあるが」
「いえいえ、平家の方々が祀ったとされる石碑ですが」
隆三は、
「その石碑なら上まで行かなならんな」
と言うと、50ccのバイクを出して来て何も告げずに走り出した。2人も慌てて車に乗り後を追った。
しばらく平坦な道が続き、真っすぐに育ったスギやヒノキの林を抜けると、左手にこじんまりだが立派な鉄筋の校舎が見えて少し景色が広がりをみせ始めた。
もうバイクは200メートル程先で停止して、2人が追いつくのを待っていた。
「あれが平家の立てた石碑や」隆三は、まだ車から二人が降りる前から少し小高い丘の上を指差して歩き始めた。
「せっかちじゃない?」
車から降りながらかおりが押し殺した声で呟いた。
洋一は頷きながら人指し指を口の前に立てた。
近づく程に洋一の表情が険しくなっていった。夢の石碑と同じに見えるが確信が持てない。
巾約10メートル奥行き20メートル程の敷地に5メートル四方のお堂が建っており、向かって右隣に隆三が示した石碑が建っていた。
石碑には、飛蝶の家紋が彫られている、何かが洋一の中ではじけたように感じた。それは夢のつづきを見ている様に感じたからで、何かを始めなくてはならないと言う焦りのような感情が、洋一の中でこみ上げてくる。
「この石碑はいつごろ建てられたものですか?」
高さ2.3メートル程の石碑に触れながら洋一は訊ねた。
「確か裏に年号がかかれてはず」
隆三はそう言い裏へ、
二人も裏へまわり探すと、
建仁三年建立候とかかれていて後の文字は消えかけている文字と漢字の羅列で解りにくい
「なんと書かれているのですか?」
振り向きながら洋一は聞いた。
「詳しくはよくは解らんが、32人の平家の兵士がこの地で平和に暮らせるよう祈願して建てられたものだと県のえらい学者さんがゆうとった」
洋一はメモ帳に建仁三年そして兵士32人と書いた。そして、
「そう言えば今週の火曜日のテレビでこの地域には平家の子孫と思われる名字が多いと放送されていましたね。」
と聞いた。
「ああ、そうだよ、ただ平家と関わりがあるかどうかは知らないが、」
隆三は向かいの山の斜面の家を指差して
「あの家は平下さんとこでこっちが」
手前の川のそばの家を指差して
「平野さんそして、わしは平石で」
自分を指してそう言い、
「あとは、平川,平田、平岡」
「平の付く名字がおおいですね」
かおりがそう言うと
「「そうそうこの地区の入り口付近には、源と言う家があるな」
隆三は、平家の子孫が多く住むこの地区に、源氏の名を継ぐ家があると言うのだ
山奥まで平家を追いかけ、ともに住むその云われは解らないが洋一はこの地区に興味が湧いてくるのを感じた。
そこで隆三に近くに宿泊施設がないか訊ねた。
少し間をおいて、
「この近所に従兄弟夫婦の民宿があるからそこで良いかい」
洋一とかおりは同時に頷いた。この時点で雨が降り始めていた。