乳苦
買い物が終わり、〔野犬討伐〕の依頼を受けてギルドを後にしようとした一行に、声を掛けてきたプレイヤーがいた。
「なあ、あんたらはもう、一狩りしてきたみたいだが、どんな感じだった?」
先ほどの依頼完了を見ていたプレイヤーの1人だろう。いきなりこんな事態になって、やはり不安なのだ。
気持ちは充分に分かるので、「行けばわかる」なんて事は錆助は言わない。
「まあ、行ってみればわかるけどなぁ。めっちゃ最悪やでーあれは、ほんまトラウマもんやって、あんたも覚悟しときや!」
だが、風音は言うのである。
相手の顔がみるみるうちに青ざめていくのを、気の毒そうに眺めながら錆助達は扉を開けた。
通りに出ると、ギルドの隣が酒場になっていて、多くのプレイヤーが集まっているのが見えた。酒場で即席パーティを募って狩りへ向かおうとしているのだろう。この状況で見知らぬ人間とパーティを組むのはかなり不安だろうが、いつまでも座り込んだままで自分だけ取り残されるよりはマシだと思ったのだろう。ヤケになっているだけの可能性も否定できないが……。
そう考えると、気心の知れた仲間で集まっている自分達は、本当に恵まれているのだと思うことが出来た。
「風音ちゃんってば鬼畜よねっ!せっかく覚悟を決めて初めての狩りに出かけようとしている人を、顔面蒼白になるまで脅しつけちゃうなんてっ!」
「な、何をいうてんねん!うちはただ聞かれるままにホントのことを教えてやっただけやんか!」
「果たして、そこでホントのことを言っちゃうことが、優しさって言えるのかしらっ?あの一言さえなければ、あの人はきっとなんの問題も無く狩りに向かっていて、心も体も成長出来たかもしれないのにっ!かわいそうに風音ちゃんの心ない一言のせいで、今頃は膝を抱えて縮こまり、ガタガタと震えながら涙しているに違いないわっ!鬼畜よねーっ!」
「ちょっとミナモ!あんたいい加減にしときや!黙って聞いてれば好き勝手ぬかしおって!誰が鬼畜やねん誰が!」
「チ・チ・ク? それはお乳のチチに苦しむのクで乳苦ってことかしらっ?」
「乳苦やなくて鬼畜やー!ほんまいい加減にしいや!」
「あらあら……風音ちゃんってば、自分のことを鬼畜呼ばわりだなんて、いったいあなたに何があったのかしら?私で良ければ力になるわよ?」
「全部あんたのせいや!ミナモのあほー!」
恵まれているのだと思いたかった……。
広場には相変わらずうずくまった人々が大勢居た。ギルドと酒場を見てきて、事態は好転しているように思い始めていた錆助は、自分の間違いに気付く。
「まだ動けない人達の方が多いんだよな……」
「ああ、だけど俺達がしてやれることなんざ、何にもねぇだろ?」
ケンジの言うことが正論だと錆助も思う。
「だけど…… いきなりデスゲームだなんて言われて、町の外に出れば死んでしまうかもしれないんだ。動けないのは当たり前だけど、それじゃいけない事を俺たちはもう知ってる。違うか?」
「いや、違わねぇな。で、おめぇは一体どうするってんだ?」
「それが解らないから困ってるんだ」
「解らねぇならどうしようもねーじゃねぇか。解らねぇ奴が無責任に動いていいような事態じゃねぇし、解るまで待つか、解った誰かが動いてくれるのを待つしかねーんじゃねぇのか?今は」
「ッ!?」
「ハァァアアアアーッ……」
錆助は、胸の中のモヤモヤをすべて吐き出すかのように、肺から酸素を絞り出した。
「あーっ!そうだな!その通りだケンジッ!そもそも俺なんかが悩んでどうするんだ?って話だし、どー考えても俺の手に余る事態だ。それでも、まかり間違って、もし何か良い案でも思い付けたなら、その時ちゃんと考えればいいだけの話だ。だけどお前ってそんなキャラだったか?もっとこう、解らねぇなら突き進めー!みたいな、言葉は悪いけど、当たって砕けろ精神満載な突貫キャラって感じだったじゃないか」
「当たり前ぇだろーが!デスゲームだってんなら今までみてぇに出来るわきゃねぇだろーが!こっから先はゲームじゃねぇーってんなら、俺は正直、ウダウダと停滞してる連中のことなんざぁどーでも良いと思ってる。俺は俺の仲間だけを守るために全力を尽くすし、その為なら何だってしてみせる。おめぇーみてぇに連中の心配なんぞ出来ねぇーし、しようとも思わねぇ。お前はどーなんだ?どーしたい?お前が守りてぇものはいったいなんなんだ?なあ!錆助!」
「…………ケンジくん」
「ハッ?どうした?錆助」
「だから……ケ・ン・ジ・く・ん!」
「だから!なんだってんだ!?錆助!」
「ケンジくんってば格好いい、惚れてしまう 《ぽっ》 あたい、ケンジくんのこと、守りたい」
「気色悪ぃーこと言ってんじゃねぇー錆助!人が真剣に話してるってぇーのに茶化しやがって!なんなんだ? 《ぽっ》 って!擬音をわざわざ口に出し言ってんじゃねぇー!」
「きらーんっ☆」
少し前を歩いていたミナモが、擬音をわざわざ口に出しながら満面の笑みを浮かべて振り向いた。
「がんばれっ!男の子っ! ……………………お布団敷く?」
「「敷かねーよ!」」
いつの間にか最後尾を歩いていたケンジは、プンスカ怒りながら足早に先頭へ移動した。
茶化す形になってしまったが、錆助はケンジの言葉が本当にうれしかったのだ。隣で満面の笑みを浮かべたまま歩いているミナモも同じ気持ちだろう。先頭では一人になりたそうなケンジに風音がずっと絡んでいる。
「ふふふっ」
隣から聞こえてきた笑い声に、錆助は思った。
『よっぽど嬉しかったんだなー、こいつは』
「グヘヘヘヘッ」
隣から聞こえてきた笑い声に、錆助は思った。
『違う!こいつは何かしら良からぬ妄想をしている!危険だ!この女、早く何とかしないと、妄想の中の黄門様が大ピーンチ!』
その時玉男が喋り出した。
『よしっ!ナイスだ玉男!お前の力で妄想の闇を吹き払い、黄門様をお救いするのだ!』
「どうやら、我が輩が知らぬ間に、百合と薔薇でカップリングが出来上がっておったようじゃのう。人の嗜好をとやかく言うつもりは無いが、正直少し羨ましくはある。早く我が輩も、ちみっ娘とキャッキャウフフの大冒険を繰り広げたいものじゃのう」
「「「「誰が百合〈薔薇〉だー!」」」」
言葉だけでは修まらなかったようで、ケンジと風音はすでに得物を抜いていた、錆助とミナモは詠唱を開始している。
「「「「死ねー!このっロリコンがー!」」」」
ザクッ、ズシャッ、ドッカーンッ、バリバリーッ!
「ふうっ、危ないところだったわねっ」
ミナモのつぶやきが、錆助の耳にかすかに届いた。
『危ないところだったのー?』
錆助は、咄嗟に黄門様をお守りした。
「ガッハァー!酷いではないか、おぬし達! ぬ?なんじゃ?その色は?」
玉男以外の4人はお互いを見回して、すぐにその言葉の意味を理解した。先程までとは一転、4人は深刻な表情を浮かべている。
「お、戻ったのう。なんだったのじゃ?」
「恐らく、犯罪者の印だったんだろうな」
錆助が話し出すと、全員が耳を傾けた。
「サスティンオンラインでは対人戦が出来るのは戦争エリアだけだったから、こんな機能は無かったけど、他のゲームでは犯罪を犯したキャラは名前が灰色に、他人を殺したキャラは名前が赤くなるって機能があったんだ。恐らくそういう事だろうな」
「おぬし達、犯罪を犯したのか?」
「そんな血まみれの黒こげで何いっとんねん!たまやん!」
「ぬお? 言われてみれば、やたらと痛いぞ!?」
「言われるまで気づかんかったんかい!」
「悪かったな玉男。いままでは他のキャラに攻撃なんて出来なかったから、ただの突っ込みで済んでたけど、今は攻撃出来るから、ダメージが通って犯罪者フラグが立ったんだろう。でも戦闘中の誤爆もあり得るからな、パーティメンバーだったからか、あれがデフォルトの時間だったのかはわからないけど、すぐに元に戻ったんだろうな」
「ふーむ、なるほどのう、それでそんな顔をしておるのか? なーに、我が輩は気にせんから、おぬし達も気にする必要はないぞ! ハーッハッハッハッ!」
「違うんだ玉男。想像はしていた事だけど、今のでPK出来る事が確定しちまったんだよ」