《6》
この物語にはお祭り成分のみが含まれています。
「あいよ」
おじさんは彼女からぶっきらぼうにお椀を受け取ると、再び手際よく金魚を薄いビニールの袋に入れて彼女に手渡した。
袋の中を泳ぐ小さな命は運命を甘受するしかないと決めたようで、暴れる事なく静かにおじさんとお面の彼女とを見比べていた。
「ありがとさん」
彼女は嬉しそうに金魚を受け取ると、しばらくの間「にしし」と子供のようににやけながら戦利品を矯めつ眇めつ眺めていたのだが、ぽかんと口を開けて自分を見上げている少女に気がつくと、視線を合わせるように剥き出しの膝小僧を曲げて屈み、
「どうだっ!」
ずいと金魚入りのビニールを私に突き出した。
黙っていれば綺麗な人なのに、言動がいちいち子供っぽい。
しかし目の前で自分の出来なかったことを難なくやってのけられるのは、今も昔も大人も子供も男も女も違わず変わらず悔しいものだ。
「……」
私は無言でぷいとそっぽを向くと、子供なりのハナシカケナイデオーラを全面に押し出して、彼女を拒絶した。
さすがにそれで怒るほど子供ではなかったようで、彼女は少しの間困った顔をしていたのだが、やがて私の小指に括り付けられた水風船だけをすっと抜き取ると、「後は全部あげるよ、無愛想なお姫様」と言い残し、水風船をヨーヨーみたいにバシバシさせて立ち上がる。
(お姫様って……私?)
無愛想という言葉の意味が分からなかった当時の私は、後半の”お姫様“の部分にだけ見事に反応した。
確か当時のこの頃は、丁度かぐや姫の原題である『竹取物語』の児童書を買ってもらったばかりだったような記憶が残っている。
今ではそうでもないが、一人でいる事の多かった昔、私は文学少女だったのだ。
暇さえあれば表紙を開き、架空の世界の冒険譚や歴史を題材にした勧善懲悪の英雄伝、捕らわれのお姫様を助ける王子様の話など、古今東西の王道と呼ばれる物語の数々に思いを馳せ、朝から晩まで読書に没頭したものだ。
私は“お姫様”の一言に、ふてくされていたのも忘れて彼女の方を振り向いた。
しかし私がそちらを見た時にはもう、彼女の姿は現れた時と同じように唐突に人混みに紛れて見えなくなってしまっていた。
「ほら嬢ちゃん、もうやんねぇならそこどきな。他の子の邪魔になってるぞ」
私はしばらく狐面を被った彼女が見えなくなった人混みの方を見つめていたのだが、金魚すくいの屋台のおじさんに促されて渋々立ち上がり、場所を空ける。
まるで嵐のような人だった。
近くにいると、彼女の空気に巻き込まれてしまう……いや、”巻き込まれずにはいられない“。初対面だった彼女に対してそんな感想を私は持った。
同時に、もうあんな奇抜な人に会うこともないだろうと思うと、なんだか給食で出たプリンを残した時みたいに惜しい事をしたかなという気がしていた。
「おじさん一回!」
「あいよ」
元気いっぱいな声の聞こえた方を何とはなしに見れば、私より小さい背丈の男の子が、おじさんにお金を渡してポイを貰うところだった。
男の子は薄い紙を貼ったポイを受け取ると、私の斜め後ろに立っていた赤と金の巾着を下げた浴衣姿の女性に、白い歯を見せて笑ってみせた。
「見ててよおかーさん!」
その様子を横目で眺めていた幼い私は、電気が走ったようにぎくりと固まる。
「おかあさん……?」
急いで辺りを見回す。
母がいない。
さっきまで間違いなくにここにいたはずなのに。
「おかあさん!」
気付くと私は、帳を下ろした宵闇に提灯の灯りが連綿と連なる神社の境内を、どこへともなく駆け出していた。
慣れない徒競走で私の足はすぐに悲鳴を上げた。けれどそれまで美しく非日常的で幻想的だった世界が一転、まるで全ての視線が冷たく私の事を非難しているように思えて、無理やりに動かしている足を私はさらに早く動かす。
「おかあさん!」
悲痛な叫び声を上げて人の波を掻き分けるたびに、胸の中で心臓が早鐘を打つ。冷や汗が流れる。気持ち悪い咳が出て呼吸が乱れ、肺の空気が燃えているようだった。
苦しい。
苦しい。苦しい。
「おかーー」
あっと思った次の瞬間、石畳に足を取られ手に持っていた食べ物をみんなぶちまけてしまった。
道行く人々が地べたに横たわった私を心配そうにーーけれど面倒に関わるのを避けるようにーー見下ろしながら歩いていく。
打ちつけた膝がズキズキと痛み、地面についた手を開いて見ると、悲しさと恐怖とで、私には真っ赤な手の平が滲んで見えた。
と、泣くのを必死に堪えている私の視界に、唐突にぼうっと青白い灯がうつりこんだ。
「何……?」
「だらしないのぉ」
多分次で『お面。』は終わりになると思います。亀並みの歩みですが、完結まで行きたいのです。頑張ってみます(`・ω・´)