退院
「退院おめでとう、ジョー」
包帯の少女、杉山ミカが無表情な顔で快復を祝う言葉をかける。
「今日退院できたということは、脳に異常はなかったのか」
メガネの青年、神戸アキラは相変わらず不敵な笑みを浮かべた表情だが、言葉の中身は彼を気遣う内容だ。
『記憶喪失?』
『はい、先生』
『CTスキャンでは異常はなかったが、どんな記憶がないんですか?』
『記憶がないことを覚えていたら、記憶喪失じゃないでしょう』
『そ……それはそうですが。何か、そう思う理由があるんでしょう? 知人との会話がかみ合わなかったとか。なにかきっかけがあったんですか?』
『それは、言えません。プライバシーの侵害です』
『そうですか……まあ一応、MRIも撮ってみますか』
武石ジョーは目をつぶって医者とのやり取りを頭の中で反芻する。結局異常は見つからなかった。しかし確かに、彼には記憶がないのだ。
「残念だが、記憶は戻らなかった。俺は自分がヒーローだったことの一切の記憶がないままだ」
アキラもミカも、渋い顔をして考え込む。昨日は勢いでああ言ったものの、本当に記憶がない状態でヒーローとして活動などできるのかと、つまりそう考えているのだ。だが当のジョーが迷いのない表情で言い放つ。
「できないことを数えても仕方がない。俺は記憶がない。そしてヒーローとして活動し、困っている人を助ける。その上でやれることは何なのかを探す。違うか?」
何も知らないはずの男の言葉に圧倒される。
「いいだろう。乗りたまえ」
気圧された事実を打ち消すようにアキラが病院の駐車場に止められているミニバンを指差した。
「一旦アジトに行く。大まかなことは道すがら話そう。だが一つ」
ドアハンドルに手をかけたジョーの手首をアキラが掴む。額がぶつかるのではないかというほどに顔を近づけて強い視線を注いだ。
「覚えておけ。私は君がリーダーだということを認めたわけではないということを」
「それでいい」
ジョーも引かない。リーダーの話など当然初耳であったが、まるで知っていることかのように淀みなく返す。
「そもそも俺は、まだ自分のことをヒーローだなんて思っちゃいない」
言葉の意味を図りかねたアキラは、ジョーの手首を放して運転席に乗り込む。向かう場所はジョーには分からないが、一行はミニバンに乗り込んだ。
「これから向かう場所はどこなんだ? 誰がいる?」
「その前にジョー、ヒーローに関する記憶がない、というのは、どこまで? 私達は何から教えればいい?」
助手席に乗り込んだミカが後部座席のジョーの方に振り向いて尋ねる。
「一般に流れてるニュース程度のことは知っている。『UFO』に住む化け物達や、それを利用して悪どいことを企む奴らと戦う、警察、自衛隊以外の民間人」
「そう。じゃあWowtubeなんかで配信してるヒーローも知っている?」
「存在は知ってるが見たことはない」
「UFOの内部のダンジョンを探索してる配信者は?」
「俺はあいつらをヒーローだと思ってはいない」
ともすると独善的にすら聞こえるジョーの言葉。国道をとばす車内は少し重苦しい雰囲気に包まれた。
「君の言いたいことは何となくは分かるが……何をするにも『金』は必要だ。特にヒーローはその装備に金がかかる」
「すまん、お前達を侮辱するつもりはなかったんだが……」
車を運転しながらアキラはメガネをくい、と直す。ジョーはなんとなく居心地の悪さを感じる。割と直情的な性格をしている彼であるが、それとは対照的に神戸アキラと杉山ミカは感情の起伏が薄く、それを察しづらい。この三人で以前にはどんな関係性を築いていたのか、そこが想像できなかった。
「別に構わない。しかし私達は警察や自衛隊ですら手こずる敵と戦うのだからな。それだけの資本が必要だ。君の横に置いてあるトランクケースを見たまえ。それに見覚えは?」
アキラに指差されてジョーはシートに置いてあった厚めのトランクケースに視線をやる。車内に入ったときは革製かと思ったが、よくよく見てみれば岩のようなざらついた、硬質な表面組織を持つ、変わったカバンだ。当然ながら見覚えはない。
「それは君の兵装だ。兵装の上に手のひらを置いて、身に着けるように強く念じてみたまえ」
「ここでか」
「ここでだ」
ジョーは直接自分で動画配信サービスWowtubeの放送を見たことはない。そのサイトを通じてコスプレイヤーのような恰好をした人々が「ヒーロー」を自称してダンジョン周りでいろいろと活動していることは知っていたが、文字通り「コスプレ」だろうと思っていた。
そもそも一般には彼らが何者で、どういった方法で自衛隊でもかなわない怪物と戦っているのか、憶測だけが独り歩きし、詳細は公には語られていないのだ。
「幸運と、資金に恵まれたものだけが兵装を身に着けることができる。気をつけろ。そいつは生きている。君を見ている。着装に値しないと判断すれば、協力はしてくれないだろう」
運転しながら、アキラが座席越しにジョーの方に視線をやる。その鋭い視線が、ジョーを射すくめる。
「生きて……」
そっと手を触れる。手触りはやはり鉱物のように感じる。
「そうだ。彼……グルナヴェが記憶を失った君を『別人』と判別するなら、いずれにしろヒーローにはなれない。着装してみるんだ」
そもそも土俵にすら上がれないというのだ。不安を感じながらも、ジョーはトランクケースの上に手を置き、自分の身体に一体化するように強くイメージを持ってみた。
「うわああ!?」
その瞬間、トランクケースの表面がひび割れ、バラバラに分解しながらジョーの身体にまとわりつくように飛び掛かってきた。これは、着装者として認められたのか。
「アキラ! 前ッ!!」
前方不注意! ジョー達の乗っていたミニバンは歩道の街路樹に激突した!
前を見て運転しましょう




