第9話 断罪と真実
デレク様が、震える人差し指を私の鼻先に突きつけた。
「騙されるな! その女は稀代の悪女だ!」
静まり返っていた大広間に、彼の悲鳴のような叫び声が響き渡った。
美しい音楽が止まり、数百人の貴族たちの視線が一点に集中する。
デレク様の顔は脂汗で光り、目は血走っていた。
隣にいるリナ嬢も、ピンク色のドレスの裾を強く握りしめ、必死の形相で彼を見上げている。
「殿下、あなたは騙されているのです! ミズキは学生時代、リナに対して陰湿な嫌がらせを繰り返していました! 教科書を隠し、暴言を吐き、階段から突き落とそうとしたことさえある!」
会場がざわめいた。
階段から突き落とす?
そんな体力を使うようなこと、私がするわけがない。
そもそも、そんな暇があれば図書室で仮眠を取っていた。
「さらに、我が家の領地経営に関する重要書類を盗み出し、外部に売り払おうとした産業スパイでもあります!」
今度は盗っ人扱いだ。
盗んだのではなく、あなたが放置していた書類を私が処理していただけだと言うのに。
呆れて反論する気力も起きない。
私は扇子で口元を隠し、小さくあくびを噛み殺した。
その態度が、火に油を注いだらしい。
「見ろ、そのふてぶてしい態度を! 罪の意識など欠片もない証拠だ!」
デレク様が一歩踏み出し、私に掴みかかろうとした、その時だった。
パチン。
乾いた音が一つ、空間を切り裂いた。
私の隣で、クラウス様が優雅に扇子を閉じた音だ。
たったそれだけの動作で、デレク様の足が縫い止められたように止まる。
クラウス様の全身から放たれる冷気――圧倒的な魔力の重圧が、会場の温度を一気に氷点下まで下げたような錯覚を覚えさせた。
「……終わったか?」
クラウス様の声は低く、静かだった。
しかし、そこには絶対零度の怒りが込められている。
「妄想の発表会は楽しかったか、デレク・フォン・ローゼンバーグ侯爵令息」
「も、妄想だと!? 僕は真実を……!」
「真実か。ならば、こちらも真実を提示しよう」
クラウス様が指を鳴らす。
その瞬間、天井裏から数人の黒装束の男たち――「影」が音もなく舞い降りた。
彼らは手に持っていた分厚い書類の束を、デレク様の足元にばら撒いた。
バサバサと舞い散る紙片。
そこには、見覚えのある数字の羅列や、署名入りの契約書が記されていた。
「これは……!」
「貴様の署名が入った裏帳簿だ。王家からの支援金を横領し、違法な魔薬の購入に充てていた証拠」
クラウス様が冷ややかに告げる。
「さらに、そちらの男爵令嬢が学園内で購入した魔薬の取引記録。そして、ミズキ嬢への冤罪を捏造するために協力させた生徒たちの自白証書もある」
会場から悲鳴に似た声が上がる。
貴族たちが、汚いものを見るような目でデレク様たちから距離を取り始めた。
「嘘だ……そんな、でっち上げだ!」
「王家の調査機関を愚弄するか。……連れて行け」
クラウス様の合図で、衛兵たちが槍を構えて前進する。
追い詰められたデレク様は腰を抜かし、私の父である公爵は泡を吹いて気絶した。
勝負あった。
そう思った瞬間、金切り声が響いた。
「いやぁぁぁっ! わたくしは悪くないっ!」
リナ嬢だった。
彼女は狂乱したように髪を振り乱し、両手を広げた。
その瞳が、不自然なほど妖しくピンク色に発光する。
「みんな、わたくしを愛して! わたくしだけを見て! お願い、助けてぇっ!」
甘ったるい香りが、爆発的に広がる。
これは、魔力だ。
精神に直接作用する、強制的な「魅了」の魔法。
近くにいた数人の男性貴族が、うつろな目をしてリナ嬢の方へふらふらと歩き出した。
「リナ……僕の天使……」
「守ってあげなきゃ……」
まずい。
会場がパニックになる。
クラウス様が舌打ちをして、魔力を練り上げようとした。
けれど、それより早く、私の体が勝手に反応した。
(うるさい)
不快な甘い香り。
頭に響く金切り声。
私の平穏な夜を、安眠を妨げるノイズ。
私の内側から、透明な波紋のようなものが溢れ出した。
それは意識して放ったものではない。
ただ、「静かにしてほしい」という切実な願いが、私の過剰な魔力となって具現化しただけだ。
フワァッ……。
清涼な風が吹き抜けたような感覚。
私の「鎮静」の魔力が、会場全体を包み込んだ。
毒々しいピンク色の霧は、透明な風に触れた瞬間に霧散した。
「……え?」
リナ嬢が間の抜けた声を出す。
彼女の瞳から怪しい光が消え、同時に、厚く塗り固めていた化粧がひび割れたように見えた。
魔法による補正が失われ、ただの平凡で、少し意地の悪そうな素顔が露わになる。
「あれ? 俺はなにを……」
「なんであんな女に見惚れていたんだ?」
魅了されていた男性たちが正気に戻り、気味悪そうに頭を振った。
「あ、あ、力が……わたくしのチャームが……!」
リナ嬢はその場に崩れ落ちた。
もはや誰も彼女に同情する者はいなかった。
ただの騒々しい、身の程知らずの令嬢として、冷たい視線に晒されているだけだ。
「……素晴らしいな」
耳元で、クラウス様が感嘆の声を漏らした。
彼は私の腰を抱き寄せ、耳打ちする。
「君の『鎮静』は、精神干渉系の魔法に対する最強のカウンターだ。まさか一瞬で無効化するとは」
「……臭かったので、換気しただけです」
私が小声で答えると、クラウス様は肩を震わせて笑った。
衛兵たちが、抵抗する気力も失ったデレク様とリナ嬢、そして気絶した父を引きずっていく。
デレク様が去り際に、一度だけこちらを振り返った。
私と、その隣で私を守るように立つ王太子の姿を見て、彼は絶望に顔を歪め、そして項垂れた。
大扉が閉まる。
再び静寂が戻った大広間に、クラウス様の凛とした声が響いた。
「お騒がせした。害虫の駆除は完了だ。……さあ、音楽を。今夜は祝いの席だ」
オーケストラが、軽やかなワルツを奏で始める。
まるで何事もなかったかのように、しかし、先ほどまでとは比べ物にならないほど清々しい空気の中で、夜会が再開された。
「踊ってくれるか? 私の美しい婚約者」
クラウス様が手を差し出す。
私はその手を取り、優雅にカーテシーを返した。
「喜んで。……でも、一曲だけですよ? 早く帰って寝たいので」
「承知している。帰ったら、たっぷり甘やかしてあげよう」
私たちはフロアの中央へと滑り出した。
無数のシャンデリアの下、宝石を散りばめたドレスを翻して踊る。
周囲からの羨望の眼差しも、今は心地よい。
復讐なんて、自分で手を汚すまでもなかった。
この人が、全て片付けてくれた。
私はただ、幸せそうに笑っているだけで、彼らに最大のダメージを与えられたのだから。
旦那様、お仕事が早くて本当に素敵です。
心の中でそう呟き、私は彼の胸に身を預けた。




