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【第4章追加しました!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第1章

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第6話 襲来と拒絶



 かつて、ローゼンバーグ公爵家は豊かな領地を持っていた。


 しかし、それは私の母が生きていた頃までの話だ。

 母が亡くなり、父が愛人を後妻に迎えてから、我が家の財政は坂道を転げ落ちるように悪化した。

 贅沢三昧の継母、それに甘い父、そして見栄っ張りな義妹。

 十歳の私が、屋根裏部屋でこっそり領地の帳簿を書き換え、特産品の流通ルートを見直さなければ、公爵家などとうの昔に破産していただろう。


 そんな「見えない労働」の日々を思い出していたのは、久しぶりに不快な声を聞いたからだ。


「おい! 門を開けろと言っているのが聞こえないのか!」

「私は彼女の父親だぞ! 娘に会わせろ!」


 離宮のバルコニー。

 私は手すりにもたれかかり、眼下で繰り広げられている茶番劇を見下ろした。

 時刻は午後二時。

 最高のお昼寝タイムを、騒音によって破壊された私の機嫌は、今まさに底辺を這っていた。


(……うるさい)


 門の前で騒いでいるのは、二人の男性だ。

 一人は、腹の出た中年男性。私の父、ローゼンバーグ公爵。

 もう一人は、青い顔をして必死に門を叩く青年。元婚約者のデレク様だ。


 今日はクラウス様が視察で不在だ。

 彼らはその隙を狙って来たのだろう。

 どこまでも姑息な人たちだ。


「申し訳ありませんが、殿下のご許可がありません」


 門番をしている警備隊長が、毅然とした態度で断っている。

 さすがはクラウス様の部下だ。

 相手が高位貴族だろうと、一歩も引かない。


「無礼者! 私は公爵だぞ! 親が未成年の娘に会うのに、何の許可がいる!」

「そうだ! ミズキは僕に未練があるはずだ。僕が直接話せば、すぐに戻ってくる!」


 デレク様が叫んだ。

 その言葉の内容に、私は思わず吹き出しそうになった。

 未練?

 私が?

 どの世界線の話をしているのだろう。


 これ以上、隊長さんたちに迷惑をかけるのも悪い。

 それに、このままではうるさくて二度寝もできない。


 私は手元にあった水やりのジョウロを掴むと、バルコニーの端に立った。


「……何のご用でしょうか」


 よく通るように、少しだけ声を張る。

 私の声に気づいた二人が、バッと顔を上げた。


「ミズキ! そこにいたのか!」

「おお、ミズキよ! 無事だったか!」


 父が両手を広げて大袈裟に叫ぶ。

 その顔には、愛情など微塵もない。

 あるのは焦りと、私を支配下に戻したいという欲望だけだ。


「心配したぞ! 王太子殿下に拉致されたと聞いて、父さんは居ても立ってもいられなかったんだ!」

「嘘をおっしゃらないでください。殿下が不在の時間を狙って来たのでしょう?」


 私が冷たく言い放つと、父は一瞬言葉に詰まった。


「な、何を言う! さあ、早く降りてきなさい。家に帰ろう。お母様も妹も待っているぞ」

「継母様たちが私を待っている? それは変ですね。私が家を出た時、彼女たちは『厄介払いができた』とシャンパンを開けていたはずですが」


 私の指摘に、今度はデレク様が口を挟んできた。


「ミズキ、強がるな! 君が僕に捨てられて傷ついているのは分かっている! だが、僕は寛大だ。今なら、あの日の暴言を水に流して、もう一度婚約者に戻してやってもいい!」


 戻してやってもいい。

 その上から目線には、もはや感服するしかない。


「お断りします」

「は?」

「聞こえませんでしたか? お断りします、と言ったのです」


 私はジョウロを持ち替えた。

 中には水が半分ほど入っている。


「私は今、とても幸せなんです。静かで、仕事もなくて、美味しいご飯が食べられて、何より誰も私の睡眠を邪魔しませんから」

「な、何を馬鹿な……! 公爵令嬢がそんな怠惰な生活でいいと思っているのか! お前には家のために働く義務がある!」


 父が顔を真っ赤にして怒鳴る。

 ああ、やっぱり。

 本音が出た。

 「家のために働く義務」。

 つまり、私がいないと領地経営も、借金の返済計画も、何も回らないのだ。

 一ヶ月でここまで困窮するとは、私の予想以上に無能だったらしい。


「義務なら、私が家を出るまでの十年間で十分に果たしました。これからは自分のために生きます」

「ふざけるな! 親の言うことが聞けんのか! 衛兵、その門を壊してでも入るぞ!」


 父が警備隊長に掴みかかろうとする。

 隊長が剣の柄に手をかけた。

 まずい。

 公爵相手に剣を抜けば、隊長が処罰されるかもしれない。


(……退場してもらいましょう)


 私はジョウロの口を下に向けた。

 狙いは、門前で騒ぐ二人。

 距離はある。

 普通なら届かない。

 けれど、私には水属性の適性もあるのだ。


 イメージするのは、滝。

 全ての汚れを洗い流す、清流の激流。


「頭を冷やして出直してください」


 私がジョウロを傾けた瞬間、注ぎ口から出た細い水流が、空中で爆発的に膨れ上がった。

 私の魔力に反応し、水量は百倍、いや千倍にも増幅される。


 ドォォォォォン!!


 まるでダムが決壊したような轟音とともに、大量の水が二人の頭上に降り注いだ。


「ぶべらっ!?」

「ぎゃあああ!」


 父とデレク様は、悲鳴を上げる間もなく濁流に飲み込まれ、門の前から数十メートル後方へと押し流された。

 泥まみれになり、高級な服はずぶ濡れ。

 髪はワカメのように張り付いている。


 警備隊長たちが、ぽかんと口を開けてその光景を見ていた。

 私も少し驚いた。

 ちょっと、やりすぎたかもしれない。

 ジョウロの水って、こんなに増えるんだ。


「……これに懲りたら、二度と私の睡眠時間を邪魔しないでくださいね」


 私は空になったジョウロを置き、くるりと背を向けた。

 下からは「溺れる!」「助けてくれ!」という情けない声が聞こえてくるが、警備兵たちが適切に(そして事務的に)救助してくれるだろう。


 部屋に戻り、窓とカーテンを閉める。

 完璧な防音結界のおかげで、外の騒ぎは嘘のように消えた。


 ベッドにダイブする。

 まだ枕は温かい。


「おやすみなさい」


 私は満ち足りた気分で、中断された夢の続きへと旅立った。


 ***


 その日の夕方。

 視察から戻ったクラウス様は、門の前が水浸しになっているのを見て目を丸くしたそうだ。

 そして、警備隊長から事の顛末を聞くと、


「ジョウロで? あいつらを?」


 と、腹を抱えて笑い出したらしい。


「いやあ、見たかったな。その傑作な光景を」


 寝室に戻ってきたクラウス様は、涙を拭いながら私に言った。

 機嫌はすこぶる良いようだ。


「すみません。庭が水浸しになってしまって」

「構わないさ。むしろ掃除の手間が省けた。……しかし、君は本当に規格外だな」


 クラウス様はベッドの端に座り、私の髪を梳くように撫でた。


「君の水魔法、あれは攻撃魔法じゃないな? 本来は大規模な灌漑かんがいや消火に使われるレベルの出力だぞ」

「そうですか? ただ、ちょっと勢いよく出ただけで」

「無自覚なのが恐ろしい」


 彼は苦笑しながらも、その瞳は優しかった。


「だが、よくやった。自分の身を自分で守る気概、素晴らしいよ。君の実家には、私からも厳重に抗議しておこう。『王太子妃に対する殺人未遂』としてな」

「殺人未遂ですか? ただの面会要求でしたけど」

「私の大事な妻の睡眠を妨害したんだ。万死に値する」


 真顔で言うクラウス様に、私は少しだけ背筋が伸びた。

 この人、本気だ。

 私の安眠のためなら、国の一つや二つ傾けかねない。


「……ありがとうございます、殿下」

「礼には及ばない。さあ、今夜も寝ようか。今日は少し疲れたんだ」


 クラウス様が当然のように隣に入ってくる。

 その体温を感じながら、私は思った。

 実家との縁は、今日の放水で完全に切れた気がする。

 これでもう、後ろを振り返る必要はない。


 私の居場所は、ここにあるのだから。


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