第3話 パパの昔話
窓の外が、茜色に染まり始めていた。
私はベッドの上で、膝を抱えて窓の外を見下ろしていた。
ここからだと、庭の植え込みの奥にあるガジュマルの木がよく見える。
その根元の薄暗い影の中に、小さな背中がうずくまっているのが分かった。
レオンだ。
彼はまだ、あそこにいる。
意地っ張りなところは、私に似てしまったのかもしれない。
そこへ、もう一つの影が近づいていく。
クラウス様だ。
彼は迷うことなく木の根元へ進み、レオンの隣にどさりと座り込んだ。
国王陛下が、土の上に直座りだ。
侍従たちが見たら悲鳴を上げそうだけれど、今の彼にはそんなこと関係ないのだろう。
(……頑張ってくださいね、パパ)
私は窓ガラスに額を押し当て、二人の背中を見守った。
声は聞こえない。
けれど、二人がどんな話をしているのか、なんとなく想像がついた。
***
夕暮れの庭。
風が少し冷たくなってきた頃。
「……隣、いいか?」
クラウスは、膝を抱えて顔を埋めているレオンの隣に腰を下ろした。
レオンは顔を上げず、鼻をすする音だけをさせた。
拒絶はしない。
でも、歓迎もしない。
典型的な拗ね方だ。
「ママは怒っていないぞ。……心配して、泣きそうな顔をしていた」
クラウスが静かに言うと、レオンの肩がピクリと震えた。
「うそだ。ママは、あかちゃんのことしかかんがえてない」
「そんなことはない。ママはお腹が痛いのに、お前を追いかけようとしていたんだ。私が止めたんだよ」
レオンが少しだけ顔を上げた。
泣き腫らした目。
その瞳は、クラウスと同じ青色をしている。
「……パパ」
「なんだ」
「あかちゃんがきたら、ボクはいらないの?」
震える声。
それが、彼の抱える不安の正体だった。
王族として、魔力持ちとして、周囲から特別扱いされてきた彼にとって、唯一無条件で甘えられる場所が両親だった。
その場所が奪われる恐怖。
クラウスは苦笑し、息子の頭に手を置いた。
「馬鹿なことを言うな。お前がいらないわけがないだろう。お前は私の宝物だ」
「でも、みんな『おにいちゃんになるんだから』って言うもん。……ガマンしなきゃだめなんでしょ?」
レオンが唇を尖らせる。
クラウスは空を見上げた。
一番星が光り始めている。
「……レオン。昔話をしようか」
「むかしばなし?」
「ああ。パパが、お前くらいの年齢だった頃の話だ」
クラウスは遠い目をした。
「パパには、ママがいなかった」
レオンが驚いて目を見開く。
「えっ? ママいないの?」
「ああ。私の母上……お前の祖母は、私が生まれてすぐに亡くなった。父上……国王陛下は忙しくて、私にかまっている暇はなかった」
彼は淡々と語った。
かつての孤独。
魔力過多症で周囲を傷つけ、誰にも触れられず、広い王宮の部屋で一人震えていた夜のこと。
「私は一人だった。兄弟もいなかった。……寂しかったよ。誰かに『おやすみ』と言ってもらえるだけで、どれほど救われたか分からない」
レオンは黙って聞いていた。
四歳の彼に、その孤独の深さがどこまで理解できるかは分からない。
けれど、パパの声に含まれる切実な響きは、彼の心に届いているようだった。
「でも、お前は違う」
クラウスはレオンの肩を抱き寄せた。
「お前にはママがいる。パパもいる。……そして今度は、妹もできるんだ」
「いもうと?」
「ああ。お前と同じ血を分けた、たった一人のきょうだいだ。……お前は一人じゃない。寂しくなんてないんだぞ」
クラウスの声が、優しく震えた。
それは息子への説得であり、かつての自分への救済の言葉でもあった。
レオンは鼻をすすり、袖で涙を拭った。
「……あかちゃん、こわくない?」
「怖くないさ。小さくて、弱くて、泣き虫だ。……お前が守ってやらなきゃ、すぐに泣いちゃうぞ」
「ボクが、まもるの?」
「ああ。お前は強いからな。パパよりも、ママよりも強い魔法が使えるだろう?」
クラウスが言うと、レオンは少しだけ誇らしげに胸を張った。
彼の指先から、パチパチと小さな光が漏れる。
それはもう、破壊のための力ではなく、誰かを照らすための灯火のように見えた。
「……いもうと、かわいい?」
レオンが上目遣いで尋ねる。
クラウスは破顔した。
「ああ、可愛いさ。ママに似て、世界一可愛い女の子になるに決まっている」
その親バカ全開の笑顔を見て、レオンもつられて笑った。
わだかまりが溶けていく。
夕闇の中に、親子の笑い声が溶けていった。
***
ガチャリ。
寝室の扉が開いた。
「ただいま、ママ」
入ってきたのは、泥んこになったレオンを抱いたクラウス様だった。
レオンは私の顔を見ると、ベッドに駆け寄ってきた。
「ママ! ごめんなさい!」
「レオン……」
私は彼を抱きしめた。
土と草の匂い。
冷えた体。
でも、その心はもう凍えていないようだった。
「ボク、おにいちゃんやる! いもうと、まもってあげる!」
レオンが宣言する。
その瞳はキラキラと輝き、やる気に満ちていた。
クラウス様が、後ろで親指を立ててウィンクする。
どうやら、説得は成功したようだ。
「ありがとう、レオン。……頼もしいわね」
「うん! パパがいってたもん。ボクはつよいから、さびしくないって!」
レオンは私のお腹にそっと手を当てた。
今度は、叩いたりしない。
優しく、壊れ物を扱うように撫でる。
「あかちゃん、はやくでておいで。おにいちゃんだよ」
その言葉を聞いて、私のお腹の奥が温かくなった気がした。
赤ちゃんも、お兄ちゃんの声を聞いて安心しているのかもしれない。
その時。
窓の外から、馬車の音が聞こえてきた。
一台ではない。
何台もの馬車が連なる、賑やかな音。
「……おや? 到着したようだな」
クラウス様が窓の外を見る。
正門をくぐり抜けてくるのは、北の帝国の紋章と、スノーランドの紋章を掲げた馬車列だ。
「アデルバート陛下とソフィア殿下ですね」
「ああ。……レオンのお祝いに駆けつけてくれたんだ」
賑やかな夜になりそうだ。
私は体を起こした。
つわりの気持ち悪さは、いつの間にか消えていた。
家族の絆が深まったことで、私の「鎮静」の魔力も安定したのかもしれない。
「行きましょう。お客様をお待たせしてはいけません」
「ミズキ、大丈夫か?」
「ええ。最強の家族が揃ったんですもの。怖いものなんてありませんよ」
私はレオンの手を引き、クラウス様の腕に掴まった。
三人で歩き出す。
その先には、頼もしい友人たちが待っている。
レオンの成長と、新しい家族の誕生。
それを祝う宴が、今夜も盛大に開かれようとしていた。




