第2話 小さな王子の反乱
寝室の空気が、ピリピリと震えていた。
原因は、ベッドの脇に立ち尽くす小さな背中だ。
四歳になったレオンが、小さな拳を握りしめ、肩を怒らせている。
その周囲には、目に見えるほどの魔力の粒子がパチパチと散っていた。
「……レオン? どうしたの」
私が優しく声をかけると、レオンはバッと振り返った。
その瞳には涙が溜まっている。
「ママは! あかちゃんばっかり!」
悲痛な叫びだった。
その瞬間、部屋の中の重力が歪んだ気がした。
カタカタと震えていたサイドテーブルのランプが、ふわりと宙に浮く。
読みかけの本も、クッションも、重さを失って漂い始めた。
魔力の漏出。
感情の爆発が、無意識の魔法となって物理現象を引き起こしているのだ。
「レオン! やめなさい!」
クラウス様が鋭く声を上げた。
彼は反射的に私を庇う位置に立ち、レオンに向かって手を伸ばす。
「魔力を抑えろ! ママに当たったらどうするんだ! ママは今、体が辛いんだぞ!」
正論だ。
でも、今のレオンにその言葉は逆効果だった。
「パパもだ! パパもママも、あかちゃんのことしか言わない! ボクのことなんて、もうどうでもいいんでしょ!」
「なっ……そんなわけがあるか! 私たちは……」
「しらない! パパもママもきらいだ!」
レオンは叫び、浮いていたクッションを魔法で弾き飛ばした。
ボフッ、と壁に当たる音。
そして彼は踵を返し、開け放たれた扉から廊下へと走り去っていった。
「待て、レオン!」
クラウス様が追いかけようとする。
「待ってください、クラウス様」
私は彼の上着の裾を掴んで止めた。
クラウス様が驚いた顔で振り返る。
「ミズキ、放してくれ。あんな状態で放置したら、何をするか……」
「大丈夫です。あの子の魔力は、破壊するためじゃなく、守るために発動していました」
私は宙に浮いていたランプを手に取り、テーブルに戻した。
レオンは、私に物をぶつけないように、無意識にコントロールしていたのだ。
ただ、寂しくて、悔しくて、どうしようもない感情を持て余しているだけ。
「……叱らないであげてください。あの子は今、初めての『失恋』をしているようなものですから」
「失恋?」
「ええ。今まで自分だけに向けられていた愛が、見えない誰かに奪われる恐怖と戦っているんです」
私はお腹をさすった。
この子が生まれることは喜びだ。
でも、レオンにとっては「王子の座」や「長男の責任」なんてどうでもいい。
ただ、大好きなパパとママの視線が欲しいだけなのだ。
「……私が、間違っていたのか」
クラウス様が肩を落とした。
彼もまた、傷ついている。
レオンを愛しているからこそ、危険な魔力の使い方をした彼を叱らなければならなかった。
その葛藤が痛いほど伝わってくる。
「間違いじゃありません。でも、今は正論よりも、抱きしめることが必要です」
私はベッドから起き上がろうとしたが、めまいでふらついた。
つわりが重い。
追いかけたくても、体がついていかない。
「……悔しいです。私が追いかけて、ぎゅっとしてあげたいのに」
「ミズキ、無理をするな」
クラウス様が私を支え、ベッドに戻す。
「君は休んでいてくれ。……私が行く」
「お願いできますか? 男同士の、腹を割った話をしてきてください」
「男同士、か。……四歳の息子と?」
「ええ。あの子は賢い子です。子供扱いせずに、あなたの言葉で話せば、きっと伝わります」
私は彼の背中を押した。
クラウス様は深く頷き、決意を秘めた表情で部屋を出て行った。
***
窓の外を見ると、夕暮れが近づいていた。
庭の植え込みの奥。
大きなガジュマルの木の根元に、小さな影がうずくまっているのが見える。
あそこは、レオンの秘密基地だ。
パパに怒られた時や、私に隠れてお菓子を食べたい時、彼はいつもあそこに隠れる。
バレていないと思っているのは本人だけで、私たちには筒抜けなのだけれど。
(……頼みましたよ、パパ)
私は心の中で祈った。
かつて孤独だった少年は、もういない。
今の彼なら、孤独を感じている息子の心に、誰よりも寄り添えるはずだ。
私はお腹の子に「お兄ちゃん、今ちょっと大変なの。応援してね」と語りかけ、静かに目を閉じた。
信頼して任せること。
それもまた、家族の形なのだと信じて。




