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【最終章完結!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第4章

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第1話 王子の日課



 スプーンに乗ったペースト状のニンジンが、慎重に運ばれていく。


 緊張感が漂う食卓。

 固唾を飲んで見守る侍女たち。

 そして、額に脂汗を浮かべながらスプーンを握る、この国の国王陛下。


「……さあ、レオン。アーンだ」


 クラウス様が、まるで爆弾処理のような慎重さで、小さな口元へスプーンを差し出す。

 ベビーチェアに座らされた我が息子、レオン第一王子は、眠そうな瞳をしばたたかせ、無造作に口を開けた。


 パクッ。


 一口食べた。

 もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込む。

 そして、満足そうに「あー」と声を漏らし、そのままコクリと船を漕ぎ始めた。


「食べた……! そして寝た!」


 クラウス様がガッツポーズをする。

 周囲から「おおお……」という称賛と安堵の声が上がった。


「お見事です、陛下。ニンジンのペーストは苦味が出やすいのですが、完璧な下処理でしたね」

「ああ。魔力で繊維を分解しつつ、甘味だけを抽出した甲斐があった。……しかし、食べて三秒で寝るとは。さすがは君の子だ、ミズキ」


 クラウス様が手巾で汗を拭いながら、私に満面の笑みを向ける。

 私は呆れ半分、愛しさ半分で、夫と息子を眺めていた。


「私の遺伝子だけではありませんよ。その食べることへの執着と、一口ごとの真剣さは間違いなくあなた譲りです」


 私はナプキンでレオンの口元を拭いてあげた。

 生後半年。

 レオンは驚くほど順調に、そして健やかに育っていた。


 何より素晴らしいのは、彼が「安眠の申し子」であることだ。

 夜泣きはほとんどしない。

 お腹が空いた時と、オムツが汚れた時だけ短く主張し、それ以外はひたすら眠っている。

 お昼寝の時間も正確で、まるで体内に精巧な時計が埋め込まれているようだ。


「本当に、親孝行な子ですね」

「ああ。おかげで公務にも支障が出ない。……というか、私が厨房に立つ時間が増えたな」


 クラウス様は最近、国王としての激務の合間を縫って、自ら離乳食作りに励んでいる。

 王宮のシェフたちが涙目になるほどの凝りようだ。

 素材の厳選から始まり、魔力を使った特殊調理法まで開発しているらしい。


「シェフたちに任せても良いのではありませんか?」

「駄目だ。万が一、変な不純物が混じったらどうする。レオンの体を作る大事な時期なんだ。私の目が届く範囲で作らなければ」


 過保護だ。

 相変わらず、この人の「守る」基準は高い。

 でも、それが彼の愛の形なのだと知っているから、私は微笑んで見守ることにしている。


 食事を終えたレオンを、クラウス様が慣れた手つきで抱き上げる。

 銀色の髪がサラリと揺れ、レオンはパパの胸に顔を擦り付けて、本格的な眠りへと落ちていった。


 窓の外には、穏やかな午後の日差しが降り注いでいる。

 平和だ。

 かつて帝国の脅威に怯え、戦場を駆けた日々が嘘のように、静かで満ち足りた時間が流れている。


 ***


 その日の午後。

 レオンを子供部屋のベッドに寝かせた後、私は執務室で書類の決裁を行っていた。

 王妃としての公務も、今は完全に復帰している。

 私が考案した「業務効率化マニュアル」のおかげで、以前の半分以下の時間で処理が終わるのが自慢だ。


「……ふむ。スノーランドとの魔石取引、今月も順調ですね」


 報告書にサインをしながら、私は満足げに頷いた。

 ソフィア王女とのビジネスは拡大の一途を辿っている。

 私の魔力を使った「洗浄技術」で不純物を取り除いたスノーランド産魔導石は、今や大陸中で引っ張りだこの人気商品だ。


「妃殿下、少しよろしいでしょうか」


 不意に、侍医長が声をかけてきた。

 定期検診の時間だ。

 レオンの健康状態をチェックするため、彼は毎日この時間にやってくる。


「どうぞ。レオンなら、ぐっすり眠っていますよ」

「ええ、拝見しました。……発育は順調そのものです。ただ」


 侍医長が言葉を濁した。

 その表情に、微かな曇りがあるのを見逃さなかった。


「何か、問題でも?」

「いえ、問題というほどでは……。ただ、レオン様の魔力値が、生後半年としては少々高すぎる傾向にあります」


 魔力値。

 私はペンを置いた。


「具体的には?」

「通常の赤子の十倍……いえ、二十倍近い魔力を内包されています。今は安定していますが、感情が高ぶった時などに、周囲へ影響が出る可能性があります」


 二十倍。

 背筋が少しだけ冷たくなる。

 それは、ただ「才能がある」で済ませられる数値ではない。


「……先ほど、レオンの指先を見たのですが」


 私は今朝の出来事を思い出した。

 レオンが眠りながら指をしゃぶっていた時、その指先からパチパチと、小さな青い火花のようなものが散っていたのだ。

 静電気かと思ったけれど、あれは魔力の漏出だったのかもしれない。


「パチパチと、音が鳴っていました。あれは?」

「ええ、魔力の余剰分が放出されている現象でしょう。……妃殿下、あまり心配なさらないでください。レオン様には、あなたの『鎮静』の血が流れています。自浄作用が働いている証拠でもありますから」


 侍医長は努めて明るく言った。

 そう。

 レオンは私の子だ。

 私とクラウス様、二人の魔力を受け継いでいる。

 強い魔力を持つことは予想されていたし、それを制御する力も備わっているはずだ。


「分かりました。……引き続き、経過観察をお願いします」

「承知いたしました。何かあれば、すぐにご報告します」


 侍医長が退室した後、私は窓の外を見た。

 庭では、庭師たちが新しい花壇の手入れをしている。

 平和な景色。

 けれど、心の中に小さな小石が投げ込まれたような、波紋が残った。


 クラウス様は「魔力過多症」で長く苦しんだ。

 もし、レオンも同じ運命を辿ることになったら?

 あの孤独と不眠の恐怖を、この小さな子が味わうことになったら?


(……考えすぎですね)


 私は首を振って、ネガティブな思考を追い払った。

 レオンには私たちがいる。

 クラウス様の時には誰もいなかったけれど、レオンには最強のパパとママがついているのだ。

 何かあっても、私たちが守ればいい。


 コンコン、と扉がノックされる。

 今度は侍女のマリアだ。

 手には、分厚い封筒を持っていた。


「ミズキ様、北の帝国より急使です。……あの方から、親書が届いております」

「あの方?」


 封筒を受け取る。

 そこには、双頭の鷲の紋章。

 ガレリア帝国皇帝、アデルバート二世からの手紙だ。


 あの日、国境で契約を交わしてから半年。

 彼は私の作った「強制安眠石」の定期購入者(サブスクリプション会員)として、毎月律儀に代金と近況報告を送ってくる優良顧客だ。


 封を開け、中身を読む。

 豪快な筆跡で、こう書かれていた。


 『石の効き目は上々だ。おかげで毎晩、死んだように眠れている。だが、そろそろメンテナンスの時期だろう? 来週、そちらへ向かう。……ついでに、赤子の顔も見せてもらおうか』


 来週。

 向かう。


「……相変わらず、強引なお客様ですね」


 私はため息交じりに笑った。

 一国の皇帝が、そう簡単にお忍びで他国に来ていいものではない。

 けれど、彼にとって「安眠」は何よりも優先すべき事項なのだろう。

 それは私もよく分かる。


「マリア、迎賓館の準備を。それと、最高級のお茶菓子を手配して。……大口のお客様がいらっしゃいますよ」

「かしこまりました。……また、賑やかになりそうですね」


 マリアも苦笑している。

 平和な日常に、少しだけスパイスが加わる予感。

 でも、それは決して悪い予感ではなかった。


 私は椅子から立ち上がり、子供部屋へと向かった。

 レオンの寝顔が見たくなったのだ。

 すやすやと眠るその顔を見れば、どんな不安も吹き飛ぶ気がした。


 子供部屋に入ると、クラウス様がベビーベッドの柵にもたれて、うとうとしていた。

 レオンを見守っているうちに、自分も眠くなってしまったらしい。

 二人して同じ角度で首を傾げ、同じリズムで寝息を立てている。


(ふふ、本当にそっくり)


 私は毛布を手に取り、クラウス様の肩にそっと掛けた。

 レオンの指先を見る。

 今はパチパチとは鳴っていない。

 ただの、小さくて可愛い赤ちゃんの指だ。


「大丈夫よ。ママが守ってあげる」


 小声で囁き、私はレオンの頬にキスをした。

 この完璧な幸福を、誰にも壊させはしない。

 たとえそれが、生まれ持った血の宿命であったとしても。


 私は二人の寝顔を守る番人として、静かに部屋の明かりを落とした。

 来週の来客に備えて、私も体力を温存しておかなければ。

 そう自分に言い聞かせて、私は執務室へ戻る足取りを早めた。


 嵐の前の静けさ、と言うにはあまりに穏やかすぎる午後のことだった。


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