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婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅


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第3話 契約と抱き枕



(……あぁ、なんて幸せな日々だろう)


 ふかふかのクッションに背を預けながら、私は心の中で呟いた。

 離宮に来て三日が経つ。

 この三日間、私がやったことといえば、食べて、寝て、本を読み、また寝ることだけだ。


 誰にも邪魔されない。

 「書類を片付けろ」と怒鳴られることもない。

 「ドレスが地味だ」と嘲笑われることもない。


 窓の外には、手入れの行き届いた美しい庭園と、その向こうに広がる静かな湖が見える。

 ここは要塞を兼ねた離宮だそうだけれど、私にとっては堅牢なシェルターだった。


 ただ、一つだけ予想外のことがあった。

 それは、夜の「契約履行」の時間だ。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。

 時計の針は夜の十時を指していた。


「ミズキ、入ってもいいか」

「はい、どうぞ」


 重厚な扉が開き、クラウス様が入ってくる。

 日中のきっちりとした軍服姿ではなく、リラックスしたシルクのナイトウェア姿だ。

 銀色の髪が少し濡れていて、風呂上がり特有の色気が漂っている。

 ……さすがは国の頂点に立つ美貌の持ち主だ。見ているだけで目の保養になる。


「邪魔をするよ」

「いいえ。契約ですから」


 そう、これが私たちの契約結婚における唯一の義務。

 『夜、私の側にいて不眠を治すこと』。


 クラウス様は迷いのない足取りでベッドへ近づくと、私の隣に腰掛けた。

 広いキングサイズのベッドだ。大人が三人寝ても余裕がある。


「今日も、体調に変わりはないか?」

「はい。おかげさまで、昼寝までしてしまいました」

「それは何よりだ。……では、失礼する」


 クラウス様はサイドテーブルのランプを落とし、私の隣に滑り込んでくる。

 暗闇の中で、衣擦れの音だけが響く。


 緊張しないと言えば嘘になる。

 いくら契約とはいえ、年頃の男女が同じベッドに入るのだ。

 けれど、クラウス様の態度はあくまで紳士的で、そして切実だった。


「手を」


 差し出された大きな手。

 私がそっと自分の手を重ねると、すぐに強い力で握り返された。


「……ふぅ」


 クラウス様の口から、深いため息が漏れる。

 それは安堵のため息だった。

 繋いだ手を通して、私の体から熱のようなものが流れていく感覚がある。

 これが「鎮静」の魔力なのだろうか。

 私にとっては、ただ深呼吸をしているような自然な感覚だ。


「やはり、君がいないと駄目だ」


 暗闇で、クラウス様が呟く。

 その声は、昼間の冷徹な王太子の声とは違い、どこか甘えてすがるような響きを含んでいた。


「頭の中が、静かになる。焼けるような魔力の奔流が、君に触れているだけで鎮まっていくんだ」

「お役に立てて光栄です」


 私は彼の手を握り返した。

 不眠の辛さは分かる。

 眠りたいのに眠れない夜の、あの永遠に続くかのような孤独と焦燥感。

 この国の最高権力者が、そんな苦しみを抱えていたなんて。


 クラウス様は、私の手を引き寄せ、ご自身の胸元へ抱くようにして目を閉じた。


「……いい匂いだ」

「え?」

「君からは、陽だまりのような匂いがする。……おやすみ、ミズキ」


 言うが早いか、クラウス様の呼吸が規則正しいリズムに変わった。

 早すぎる。

 あっという間の寝落ちだ。


(よほどお疲れだったのね)


 私は暗闇に目を凝らし、隣で眠る「旦那様」の顔を覗き込んだ。

 長い睫毛が影を落とし、彫刻のように整った寝顔。

 起きている時は近寄りがたいオーラを放っているけれど、こうして眠っていると、年相応の青年に見える。


 手を繋がれたままなので、私は寝返りを打つこともできない。

 実質、私が彼の「抱き枕」兼「精神安定剤」というわけだ。


 でも、悪くない。

 彼の体温は心地よいし、何よりこのベッドは最高だ。

 私もつられるようにして、眠りの世界へと落ちていった。


 ***


 翌朝。

 目が覚めると、クラウス様は既に起きていた。

 ベッドの端に座り、窓の外を眺めている。


「おはようございます、殿下」

「……おはよう、ミズキ」


 振り返ったクラウス様の顔を見て、私は息を飲んだ。

 肌が、発光している。

 いや、物理的に光っているわけではないけれど、そう錯覚するほど血色が良く、瞳には力が漲っている。

 目の下のクマも消え去り、全身から「絶好調」というオーラが溢れ出していた。


「信じられない。朝まで一度も目が覚めなかった」


 クラウス様は自分の両手を見つめ、噛み締めるように言った。


「五年ぶりだ。こんなに爽快な朝を迎えたのは」

「それは……良かったです。私も熟睡できました」

「君のおかげだ。本当に、君は私の救世主だ」


 クラウス様が私の手を取り、甲に口づけを落とす。

 突然のことに体が固まった。

 海外の挨拶のようなものだろうか。

 でも、その視線がやけに熱っぽい気がする。


「契約通り、君の安全と自由は私が何としても守り抜こう。欲しいものがあれば何でも言ってくれ」

「……では、お庭を使ってもよろしいですか?」

「庭?」

「はい。暇な時間に、少し植物を育てたくて」


 ずっと寝ているのも幸せだけれど、さすがに三日も続けると体が鈍る。

 前世の知識と、実家でこっそり研究していた薬草の栽培を試してみたかったのだ。

 ここなら誰にも邪魔されず、実験ができる。


「もちろん構わない。庭師も道具も、好きに使ってくれ」


 クラウス様は、上機嫌で執務へと向かっていった。

 その背中を見送りながら、私は大きく伸びをした。


 さて、暇つぶしの時間だ。


 私は着替えを済ませると、さっそく庭へと出た。

 離宮の庭園は広大で、美しい花々が咲き乱れているが、端の方には手つかずのスペースもあった。


「ここなら良さそう」


 私は庭師に頼んでスコップと種を用意してもらった。

 以前から気になっていた「安眠効果のあるハーブ」と「疲労回復に効く根菜」の交配実験だ。

 私の「鎮静」の魔力を注ぎながら育てれば、きっと通常より効果の高いものが育つはずだ。


 土を掘り返し、種を植える。

 指先から微かな魔力を流し込むイメージで土を撫でると、土壌が一瞬でふかふかに変化した。


(あ、やっぱり)


 私の魔力は、人だけでなく植物にも良い影響を与えるらしい。

 実家では「雑草取りのミズキ」なんて呼ばれて馬鹿にされていたけれど、実は土壌改良をしていただけなのだ。

 誰も気づいてくれなかったけれど。


 二時間ほど土いじりをして、程よい疲れを感じた頃、視線を感じて顔を上げた。

 離宮の二階、執務室の窓辺に、クラウス様の姿があった。

 こちらを見ている。


 手を振ってみる。

 クラウス様は一瞬驚いたように目を見開き、それから優雅に手を振り返してくれた。


(仕事の息抜きかしら)


 私はのんきにそう思った。

 まさか彼が、泥だらけになって働く私の姿を、「なんて愛らしい生き物なんだ」と悶えながら見つめているとは、夢にも思わずに。


 平和だ。

 元婚約者に罵倒されることもなく、実家の借金対策に頭を悩ませることもない。

 夜は手を繋いで寝るだけで、王国のトップに感謝される。


 こんな生活がいつまでも続けばいい。

 私は心からそう願いながら、二度寝のために部屋へ戻ることにした。


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