第4話 最後の発明
私は震える指先を叱咤し、目の前の透明な結晶に触れた。
離宮の温室は今、熱帯植物の楽園ではなく、張り詰めた空気の漂う魔導工房へと変貌していた。
作業台の上には、スノーランドから取り寄せた最高純度の魔導石。
その周りを、複雑な魔法陣と計測機器が取り囲んでいる。
「……ふぅ」
深く息を吐き、意識を集中させる。
体の中にある魔力の泉から、一滴残らず「鎮静」の力を汲み上げるイメージ。
それは透明で、冷たく、そして何よりも静かな波だ。
指先から魔力が流れ出す。
空っぽの器だった魔導石が、淡い青色に発光し始めた。
ただ光るだけではない。
周囲の空気さえも浄化し、騒音を吸い込むような、絶対的な静寂を放ち始める。
これが、私の魔力。
暴走する皇帝を正気に戻すための、唯一の特効薬。
けれど、重い。
魔力を練り上げるたびに、体力がごっそりと削り取られていく感覚がある。
視界が少しだけ霞む。
膝が笑い出し、立っているのが辛くなる。
「ミズキ!」
倒れそうになった瞬間、背後から力強い腕に支えられた。
クラウス様だ。
彼は私を後ろからすっぽりと包み込むように抱きしめ、耳元で囁いた。
「無理をするなと言っただろう。……ほら、私を使え」
彼の体温と共に、膨大な熱量が流れ込んでくる。
それは、私の「鎮静」とは対極にある、荒々しくも強大な「王の魔力」だ。
普段なら反発し合うはずの二つの力が、今はお互いを補完し合っている。
彼が私の魔力タンクになり、ガソリンを注いでくれる。
私はそれをエンジンとして使い、精製された魔力を石に込める。
「……ありがとうございます。充電、完了です」
「充電か。君らしい表現だ」
クラウス様が苦笑し、私の首筋にキスを落とす。
その唇は熱く、彼自身もまた、限界に近い魔力を放出していることが伝わってきた。
「あなたこそ、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「妻と子が戦っているのに、夫が倒れるわけにはいかないさ。それに、君に抱きついていると調子がいい」
彼は強がりを言ったが、私を支える腕は微かに震えていた。
私たちは二人で一つ。
文字通り、身を削り合ってこの石を作っている。
「妃殿下、数値が安定しました! 結晶化、行けます!」
計測係の魔導師が叫んだ。
ソフィア王女が派遣してくれたスノーランドの技術者たちも、固唾を飲んで見守っている。
「よし……固めます!」
私はクラウス様の手を握りしめ、最後の一押しを込めた。
青い光が爆発的に輝き、そして急速に収束していく。
キィィィン……。
高く澄んだ音が響き渡り、光が消えた。
作業台の上には、手のひらサイズの宝石が鎮座していた。
深い海のような、あるいは夜明け前の空のような、吸い込まれるような蒼色。
見ているだけで心が落ち着き、まぶたが重くなるような波動を放っている。
「……できた」
私が呟くと、工房内から「おおっ!」という歓声が上がった。
侍医長がすぐに駆け寄り、私の脈を測る。
「見事です、妃殿下。これほどの純度の鎮静石は、歴史上存在しません。これなら、どんな暴走状態の患者でも強制的に眠らせることができるでしょう」
「商品名は『強制安眠石』ですね」
「縁起でもない名前はやめてくれ」
クラウス様が呆れたように言いながら、私を椅子に座らせてくれた。
どっと疲れが出る。
でも、心地よい疲れだ。
かつて社畜時代に、デスマーチの末にプロジェクトを納品した時のような達成感。
「これで、戦争を回避できますね」
「ああ。これを皇帝にぶつければ、奴は正気に戻る。あとは君の得意な『商談』で片が付くはずだ」
クラウス様が汗を拭ってくれる。
私たちは微笑み合った。
剣も、火魔法も使わない。
ただ「よく眠れる石」を作ることで、国を救うのだ。
なんて平和で、私たちに相応しい戦い方だろう。
お腹の子が、ポコッと動いた。
『ママ、パパ、お疲れ様』と言ってくれているようだ。
「……いい子だ。待っていてくれよ。もうすぐ、平和な世界を見せてやるからな」
クラウス様が愛おしそうに私のお腹を撫でた。
その手は大きく、温かく、頼もしかった。
この幸せを守るためなら、魔力切れなんて安い代償だ。
私は完成した青い石を手に取った。
まだほんのりと温かい。
私たちの愛と決意の結晶。
しかし。
運命は、私たちが一息つく時間を待ってはくれなかった。
バタン! と温室の扉が開く。
飛び込んできたのは、伝令の近衛騎士だった。
その鎧は泥にまみれ、焦げ臭い匂いが漂っている。
「へ、陛下! 申し上げます! 国境より緊急入電!」
騎士は膝をつき、悲鳴のような声で報告した。
「ガレリア帝国皇帝、アデルバート二世が……国境の砦を突破しました! 単身で!」
「なっ……!?」
クラウス様が立ち上がる。
私も椅子から腰を浮かせた。
単身で?
軍隊を率いてではなく?
「皇帝は理性を失い、魔力の塊となって暴走しています! 周囲の地形を変えるほどの力で直進しており、我が軍の防衛ラインも魔法障壁も、紙屑のように突破されました!」
「……向かっている先は?」
「一直線に、この王都へ……いえ、正確にはこの離宮の方角へ向かっています!」
血の気が引いた。
皇帝は、本能だけで動いているのだ。
私の「鎮静」の魔力を求めて。
喉が渇いた獣が水を求めるように、彼の中の暴走する力が、私という「水」を感知して引き寄せられている。
「……早すぎる」
クラウス様が呻いた。
商品を届ける時間などない。
顧客の方から、店を破壊する勢いで押し寄せてきたのだ。
「迎撃するしかない。ミズキ、君はここに残れ。私が国境へ……いや、もう近くまで来ているのか」
「行きます」
私は立ち上がった。
足の震えを、気合で止める。
「私も行きます。石を持って」
「馬鹿なことを言うな! 相手は暴走した化け物だぞ! 妊婦が近づいていい相手じゃない!」
「だからこそです。クラウス様、あなたは彼を殺さずに止められますか?」
私の問いに、彼は言葉を詰まらせた。
魔力過多の暴走を止めるには、殺すか、鎮めるしかない。
彼が戦えば、皇帝を殺してしまうだろう。
それでは戦争は回避できない。帝国の国民は王を殺された恨みを抱き、未来永劫、争いの火種が残る。
「私の魔力が必要です。この石を、直接叩き込むしかない」
「しかし……!」
「守ってください、クラウス様。あなたが最強の盾になって、私が石を使うその一瞬を作ってください」
私は彼の胸に手を当てた。
心臓が激しく打っているのが分かる。
「信じてください。私たちは最強の夫婦でしょう?」
クラウス様は歯を食いしばり、長い沈黙の後、深く頷いた。
「……分かった。だが、私の背中から一歩でも離れたら許さない。一生、離宮から出さないからな」
「はいはい。覚悟しておきます」
私たちは走り出した。
完成したばかりの「強制安眠石」を握りしめて。
目指すは、黒い嵐が近づく北の空。
これが最後の試練だ。
私の安眠を、家族の未来を勝ち取るための、最初で最後の出張営業。
お腹の子よ、もう少しだけ揺れるけれど許してね。
パパとママは今から、ちょっとだけ世界を救ってくるから。




