第3話 氷の王女の情報
「お久しぶりね、ミズキ。……顔色が良くて安心したわ」
離宮の応接室に、涼やかな声が響いた。
空間をつなぐ転移ゲートの光が収まると、そこには旅装を解く間もなく駆けつけたソフィア王女の姿があった。
プラチナブロンドの髪には少し乱れがあり、いつも完璧な彼女にしては珍しく、焦燥の色を滲ませている。
通信から数時間。
彼女は正規の外交手続きを全て省略し、王族専用の緊急ゲートを使ってここまで飛んできてくれたのだ。
それだけで、事態の深刻さが伝わってくる。
「ようこそ、ソフィア殿下。急なお呼び立てをして申し訳ありません」
「構わないわ。これは我が国にとっても死活問題ですから」
ソフィア王女は勧められたソファに座ると、マリアが淹れた紅茶を一気に飲み干した。
そして、同席しているクラウス様に向き直り、一呼吸置いてから口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。ガレリア帝国は今、崩壊の危機に瀕しています」
崩壊。
その言葉に、クラウス様が眉をひそめた。
「どういうことだ? 奴らは十万の軍を国境に集めている。侵略の意図があるのではないのか」
「軍だけを見ればそう見えるでしょう。ですが、その背後にある実情は悲惨なものです」
ソフィア王女は懐から数枚の報告書を取り出し、テーブルに広げた。
そこには、荒れ果てた大地や、痩せこけた人々の様子を描いたスケッチが含まれていた。
「皇帝の魔力暴走は、数ヶ月前から始まっていました。彼の放つ無秩序な魔力は、帝都周辺の天候を狂わせ、農作物を枯らし、水を毒に変えてしまったのです」
「……そこまで酷いのか」
「ええ。宮殿は半壊し、側近たちも近づけず、政務は完全に麻痺しています。国民は飢え、難民となって国境へ押し寄せている。……先日来た特使たちの態度は、侵略者の傲慢さではなく、溺れる者の必死の足掻きだったのです」
溺れる者。
藁をも掴む思いで、私の「鎮静」の力を求めたということか。
脅迫という形をとったのは、彼らに残された手段が暴力しかなかったから。
余裕のなさゆえの暴挙。
私は報告書のスケッチを手に取った。
描かれているのは、飢えた子供たちの姿。
そして、魔力の嵐に吹き飛ばされる家々。
(……これは、人災ですね)
一人の権力者の病が、国全体を殺そうとしている。
その構造は、かつてクラウス様が不眠症で苦しんでいた時に、周囲がピリピリとしていた状況と似ている。
ただ、規模と深刻度が桁違いなだけだ。
「彼らが欲しいのは領土ではありません。皇帝を治し、大地を浄化するための『薬』……つまり、あなたです、ミズキ」
ソフィア王女が私を真っ直ぐに見つめた。
「彼らは生きるために必死なのよ。追い詰められた獣は、死ぬまで噛みつき続けるわ。戦争になれば、こちらの被害も甚大なものになるでしょう」
室内が沈黙に包まれた。
クラウス様は腕を組み、苦渋の表情を浮かべている。
彼にとって、帝国は「妻を奪おうとした敵」だ。
けれど、国王としての彼は理解しているはずだ。
飢えた隣人を力で叩き潰しても、怨恨という名の種を蒔くだけだと。
私はゆっくりと息を吐き出した。
状況は整理された。
敵の正体は「悪意」ではない。「病」と「貧困」だ。
ならば、解決策は一つしかない。
「……クラウス様。ソフィア殿下」
私が声を上げると、二人の視線が集まった。
「見方を変えましょう。帝国は、私たちを侵略しに来た敵ではありません」
「では、なんだと言うんだ?」
「『困っているお客様』です」
私の言葉に、二人がぽかんとした顔をした。
「彼らは深刻なトラブルを抱えていて、それを解決できる唯一の商品を私たちが持っている。……これほど優位な商談はありません」
私はニヤリと笑ってみせた。
元社畜の血が騒ぐ。
ピンチはチャンス。
無理難題をふっかけてくるクライアントほど、上手く転がせば太客になるものだ。
「商談、だと?」
「はい。皇帝陛下を治療しましょう。ただし、タダではありません。戦争のコストよりも安く、しかし私たちには莫大な利益をもたらす対価を頂きます」
クラウス様が呆気にとられた顔をしている。
しかし、その瞳の奥には、私の意図を理解しようとする光が宿り始めていた。
「ミズキ、君は……本気で言っているのか?」
「大真面目です。戦争をして誰が得をしますか? 兵士は死に、資金は消え、私の安眠は妨害されます。そんな非効率なことはしたくありません」
私はお腹の子を撫でた。
「この子に、平和な世界をプレゼントしたいんです。焼け野原ではなく、豊かな市場を」
ソフィア王女が、ふっ、と吹き出した。
そして、心底楽しそうに笑い声を上げた。
「あはは! やっぱり、あなたは最高ね。戦争前夜に『市場』の話をする王妃なんて、歴史上あなたくらいよ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私は彼女にウィンクした。
彼女もまた、私の提案に乗ってくるはずだ。
スノーランドにとっても、隣国が安定し、難民が帰還することはメリットが大きいのだから。
「でも、どうやって治療するつもりだ? 君を帝都に行かせるわけにはいかないぞ。それは絶対に許可しない」
クラウス様が釘を刺す。
当然だ。
身重の体で、魔力嵐の吹き荒れる敵地へ乗り込むなんて自殺行為だ。
私だってそんなブラックな出張は御免だ。
「行きませんよ。……商品を、送るんです」
「商品?」
「ええ。以前、温室で実験していたアレです。ソフィア殿下との技術提携で作った、魔導石の加工技術。あれを応用すれば……」
頭の中で、設計図が組み上がっていく。
私の「鎮静」の魔力を高濃度で封入し、遠隔地でも効果を発揮する使い捨ての魔導具。
名付けて『携帯用・強制安眠石』。
「作れます。皇帝陛下を正気に戻すための、特効薬が」
私は確信を持って断言した。
クラウス様とソフィア王女が顔を見合わせ、そして同時に頷いた。
「……分かった。やってみよう」
「技術班はわたくしが手配するわ。最高の人員を回しましょう」
方針は決まった。
剣を置け。
計算機と魔導書を持て。
ここからは、武力ではなく知力と技術による戦争だ。
私は立ち上がり、温室の方角を見た。
時間はない。
皇帝が完全に壊れてしまう前に、そして国境で火花が散る前に、商品を完成させなければならない。
「忙しくなりますよ、皆さん。……私の安眠を取り戻すために!」
号令と共に、私たちは動き出した。
離宮が、にわかに作戦本部兼、魔導具工房へと変わっていく。
お腹の子も、応援するようにポコポコと動いていた。




